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奪還劇(1)

温経の都は、土埃と鉄の匂いで満ちていた。

 瞬華奪還のためにぞくぞくと集まってきた兵団、鎧の軍勢が都の外にまで溢れ、独自の駐屯地を築いていたのである。


 とりわけ今日の藍城らんじょうは物々しい。

 というのも、あの羅布麻が朝一番に登城してきたことで、ほぼ決定となった先鋒の配置が大幅な変更が加えられることになったからだ。


「ほう、羅布麻か。どうしたのだ、急に」


 ふらりと城内に姿を現した羅布麻の姿を認め、君主蒼弦がその身を留めると、羅布麻はまるで蒼弦の前にそびえる壁のように立ちはだかり、開口一番こう迫った。


「おい蒼弦、俺を先鋒に据えろ。間違いなく瞬華を取り戻してやろう」

「どこでその話を?」

「錬暁が書きつけを送ってきた。一番に見つけ保護した者があの女を貰い受けるなど、この俺が乗らんわけにはいかんからな」


 羅布麻に書付を送った錬暁という存在、真の錬暁であるのやら――心中で含み笑いながらも、蒼弦は敢えて、その疑点には知らぬふりをした。


「ほう、そんなことを書いて送っていたか。瞬華の扱いはそれで構わんかもしれんが……おぬし、少々太ったように思えるが」


 一回りほど太くなった腹部を指すと、羅布麻はふん、と鼻を鳴らす。


「俺とて平和が嫌いなわけではないからな。ここ最近は歯ごたえのない内輪の小競り合いばかり、倦みもする。それにこの戦、武名を挙げるまたとない好機、逃す訳にはいかん。

 戦なら馬に乗る。機動するに支障はないだろう」

「先鋒は果たせる、とな。頼もしいことよ。では頼むとしよう」


 一方この状況にあって、悌夏の周囲はまるで戦の風すらも避けていくように――まるで彼の立ち位置だけが無風のまま、今もって出兵要請の声が掛からぬ状況となっていた。


「どういうことだ、蒼弦! 俺に留守番をさせたいのか」


 早速噛み付いてきた隻眼の将に、蒼弦はうんざりした表情で答えた。


「お前に出兵要請は出ておらんと言っているだろう。その強面を使うのは都で良い。野良犬どもも手出しを止めようて」

「だがな、蒼弦」

「都で睨みをきかせておれ」


 提案をすげなく却下し、背を向けかけた蒼弦の袖を悌夏は掴んだ。


「俺に挽回の機をくれ、蒼弦」


 重ねて強調され、蒼弦は眉をひそめた。


「この戦に参加する気か」

「当然だろう! 攫われたのは俺の部下だぞ。奪われておいて、俺が取り戻せぬなど……将の名折れもいいところだ」


 折れる名などあったようには――深いため息を漏らすと、蒼弦は口を開いた。


「ならばまず、お前の部隊の意向を聞いてみよ」

「部隊の意向、だと?」

「ああ。結論はその後で出しても遅くはなかろう」


 号令ひとつで全軍を動かす、君主のものとは思えない珍しい提案に聞こえたのか、取り敢えずもその言葉を頭に入れたまま、悌夏は一転、踵を返した。


「待ってろ、すぐ戻るからな」

  *

「あ、悌夏さま。おはようございます」


 駆け足で部隊の集合地に足を踏み入れた悌夏は、彼の隊に所属する『罠好きの燕面えんめん』と呼ばれる男がのんびりと声を掛けたことで事態の異変を察していた。


「燕面、これは、どうしたことだ? 俺の部隊が居ないぞ。まだ集合していないのか」


 部下に対し若干くだけた物言いで訊くと、簡素な机でさらさらと書き物を続けながら、罠好きの男はあっさりと答えた。


「え、知らないんですか? 今朝がた、他方に駆り出されて行っちゃいましたよ。うちの部隊、ほぼ全員志願の上で離れていきました」

「……なに?」


 兵は、既に居ない――信じがたい事実を告げられ、悌夏は間抜けな声を上げる。


「なんか結構、大事おおごとみたいですよね。伝わってきますよ、雰囲気だけは」


 完全に他人事ひとごとを決め込む燕面に、悌夏は信じられぬ光景を目の当たりにしながら訊く。


「そいつら、どこへ?」

「さあ……おそらく前線じゃないですかね。俺はやりたいことがあったんで断りましたけど」


 簡素な机に広げられた紙には、瞬華の罠砦で得た仕組みや知識が整然と図面で描かれ、彼の罠好きが一筋縄ではないことを示している。


「お前の方は……随分とまとまってきたようだな」

「へへ、わかります?」

「図面がだいぶ整ってきた。俺の目にもわかる」

「完全解明まであと少しですよ。その時を楽しみにしててください」

「……ああ」


 脇目もふらず作業に集中する燕面から離れ辺りを見回すと、悌夏の視界に、遠くから三人の男たちがこちらに向かって近づいて来るのが見えた。


「……ん?」


 ぱらぱらと集まってくるのは、一風変わった風体の男たちだ。

 その中で屈強そうな体躯の男が、簡素な机にそっと近寄っていくと、机に向かい書を書き写していた燕面の肩を叩いた。


「よう、燕面えんめん

「ん? お、婆那娑ばなさ!」

「ここか、面白いことできるってのは」

「お前本当に来てくれたのか! 嬉しいよ!」

「だってよお、あれから一度も戦場に立たせてもらえねえんだもん、喜んで抜けてやるさ」


 再会の喜びを分かち合う二人からやや離れた位置で、悌夏は横から首を突っ込んだ。


「おい、お前たちは?」

「ああ、すみません。こいつら俺の友人なんです。ほうぼうの部隊に居たんですが、色々事情がありまして、部隊のお荷物……ってか、隊には居るんですが、日干ひぼしにされてまして。

 ついこの間、罠砦ひとつ分解したって言ったら、こいつらえらく羨ましがるもんで、つい『悌夏さまの下なら居場所が有りそうだ』なんて……そしたら皆、持ち場辞めてくるなんて言っちゃって。

 揃いも揃って変人ですが、皆、腕は確かなんですよ」


 ぼよん、と柔らかい何かが隻眼の死角から悌夏の身体を押した。


「……?」


 顔を向ける。

 と、隻眼の死角からぬっと現れたのは、丸みのある、おおよそ兵卒とは思えぬふくよかな顔だった。


「い……っ!?」


 目を閉じふらふらと近寄ってきていたのだろう。悌夏と変わらぬ身長ながら、大きく丸い体格の巨漢は幸せそうな表情を浮かべている。


「あー……うまい、うまいなぁ」


 何やらそんな趣旨のことを呟いている。ふらふらとあてどもなく歩きながら、口をもぐもぐとさせている。


「なん……なんだ、こいつは」


 夢心地で俺を食うんじゃないぞ――その進路から静かに一歩退くと、巨漢の男は目を閉じたままで匂いの分析を始めた。


「これは上質な白粥の匂いだあ。それと小麦をかしたのと、芋と、鶏と、それから豆の苗と……」


 くんくんと鼻を鳴らす男を悌夏は怪訝な目つきで眺めると、燕面は巨漢の男にそっと寄り添い、期待をこめた表情を浮かべた。


「こいつ回回かいかいって言うんです。

 出先で兎を追いかけていたら隊とはぐれて首になりました。けど、匂いに関してはすごいですよ。結構離れた敵陣の食事を一品残らず当てられる。腹が減れば減るほど凄いんです。

 普段ぼさーっとしてるのと、大食らいなところは多目に見てください」

「敵陣の食事、か……ま、使いようだな」

「で、こいつが婆那娑ばなさ。炎と煙にしか興味ない男です」


 悌夏以上に強面、さらに頭を剃りあげ、肌は黒く日に灼けている――紹介された男を一瞥すると、悌夏は顎鬚に手を添えた。


「余計なところまで燃やしたのか」


 一言ぼそりと確かめると、男は人好きのする笑顔を浮かべた。


「はは、いい冗談です。ですが、自分は燃やすところは心得てますよ。ただ、焼き討ちの時に、炎の色を変えたもんで問題になりました」

「炎の色を変えた?」


 妙なことを、とばかりに眉をひそめた悌夏の表情を読み取ると、婆那娑は慌てた様子で口を開いた。


「あ、その、まじないとかじゃないんですよ? これはちゃんとしたやり方ってもんがあって……ですがどうも上官うえ曰く、呪術と思ったみたいで……俺を呪うなと怒られて以来、それっきり戦場から遠くなっちまって。こんなんですがどうぞ、よろしくお願いします」

「お……おう」


 強面に似合わずぺこぺこと平身低頭する婆那娑と呼ばれた男に悌夏も思わず頭を下げかけると、燕面は次の男の紹介に入る。


「で、こいつが波稜はりょう。こいつの場合はまあ、見たほうが早いかな」


 婆那娑とは打って変わり、白い肌に甘めの面持ちの男は、既に手持ちの弓に器用に弦を張り始めている。


「お前は弓兵のようだが、何の芸当ができる」

「まあ、見ててください」


 すぱん――矢をつがえて放つと、近くに並べて立てかけてあった盾のど真ん中に命中した。


「同じところにもう一本、打ちますね」


 軽く話しながら弓を射ると、宣言通り盾の中心、先ほど矢の射抜いた箇所と寸分違わぬ箇所に命中する。


「こういう感じですね。やれと言われれば、同じところに続けて十本くらいは打てます。精度に問題はないと思います」

「あ……ああ」


 納得しかけて、悌夏はふと違和感を感じた。


 この波稜という男、今、一度も的を見ていなかった。

 いや、悌夏を見つめたまま、的の方へ顔を向けていない、というのか。


「たしかに恐ろしいまでの精度だが……どうして日干しにさせられた」


 彼は矢の狙いというものを一体どこで計っているのだろうと、芸当にしては少々恐ろしいものを見せられた悌夏はおそるおそる訊いてみると、波稜はふん、と鼻で大きく息をつきながら答えた。


「矢の無駄遣いは嫌いなんですよね。量より質、射るなら当てる――これが射手としての常識かと」

「……なるほどな」


 おそらくこんな理屈を上官に言ったのだろう。兵に頭など要らぬとする将ならば、忌避され外されるのは、当然と言えそうだ。


 興味深げに弓使いの男を見やると、波稜を補足するように、燕面はその傍に立った。


「こいつの狙いが横についてるもんで、一時は『横目の波稜』なんて名もあったんですよ。やや癖は有りますが、楽しい男です」

「波稜。では逆に……お前の目で、的をちゃんと狙うとどうなるんだ」


 興味を向けられ、波稜はちらりと悌夏を見た。


「いいですよ、やってみましょうか」


 先ほど中心を二度も射抜いた盾に顔を向けた波稜は、十分に狙いを定め、ひゅっ、と矢を射る。すると放たれた矢はたわみながら、盾の上を大きく弧を描きつつ、的の遥か上を飛び去っていってしまった。


「……見ると駄目なのか?」

「ええ、こんなふうに全部はずしちまうんですよ。だから戦には呼ばれないのかと。くっちゃべって適当に射ってるくらいが、俺にはちょうどいいみたいですね」


 全員、数度の出兵にも耐えていると見え、彼らの面構えは悪くない。

 悪くはないのだが――いかんせん、足りないのは頭数だ。四人では少なすぎる。先日まで一軍を率いていた身としては特に物足りない。


 とはいうものの、彼の前で少年のような瞳でこちらを見つめる四人に答えを求められている。悌夏はおずおずと口を開いた。


「あ、ああ。俺の下で働くぶんには構わんのだが……残念ながら今は全ての芸当を見ている時間がなくてな。皆、せいぜい腕を磨いておけよ」


 その言葉を聞いて。

 回回の表情は冴え、波稜の目は丸くなり、婆那娑の声があたりに響いた。


「うぉぉ! ありがとうございます!」

「ほら! やっぱ言った通りだったろ!」


 得意げに胸を張る燕面の姿を中心に、きゃっきゃとはしゃぐ四人を遠目にみながら悌夏はそっと抜け出すと、苛立った足取りで蒼弦のもとへ取って返した。

  *

「蒼弦!」


 怒り心頭に達した悌夏の姿を視界の端に認めた蒼弦は、彼の名を叫び大股で歩み寄ってくる隻眼の将の姿に、やれやれとため息をついていた。


「どうした、騒々しい」

「俺の部隊をどこにやった! この大事な時に俺には掃き溜め掃除を押し付けるのか?」


 一転してそう詰め寄る悌夏に、蒼弦はそ知らぬ顔で答える。


「済まんが先鋒ばかりに希望が殺到していて兵站構築が難しい。後詰めであれば空きがあるが」

「それでは困る! 俺の望みは先鋒以外にない。どうしてもそこに参加したいと言ったら」

「これ以上先鋒は要らん。参加するには構わないが――もし先鋒を望むなら、おぬし単騎で駆けることになるぞ」

「ああ、望むところだ。俺の手であいつを奪い返したい」

「面白い。ならば俺が面倒見てやろう」


 やりとりを黙って聞いていた羅布麻が声を掛けた。


「錬暁が別働となった。ちょうど騎馬一人分の欠けが出たところ、そこに入るといい。

 せいぜい頑張ることだ。俺のために、な」


 お前の手柄は俺の手柄、つまり――にやりと好戦的に笑った羅布麻の顔を、悌夏は苦々しく睨みつけるしかなかった。

  *

 一方、満山紅では。

 瞬華は興味深げに彼女を見つめる視線に、引きつった表情を浮かべていた。


「噂はかねがね聞いていたが……初めまして、だな。瞬華とやら」


 視線の主は、女。

 少女と呼んで差し支えないほどの、童顔の持ち主。


「貴方がここの都督のようだな。なぜ私を狙った」

「良姜が見初めたのでな。少し手伝ってやっただけだ」


 瞬華も頭で考えていることが読みづらいと思われる体質だが、彼女はそれ以上、遥かに上回る容貌だ、と思った。


「お前の目的は何だ? あのにやけた男には言っていないな。私を攫って何に使うつもりなんだ」

「……答える義理はない」


 ああ、同じ匂いがする。

 瞬華の直感がそう囁きかけ、彼女は内心、頬を引きつらせる。


「どちらにしろ朮を大いに刺激していることはお前にも理解できよう。こんな小国であればひとたまりもない。そのうち、私を奪還しに攻めてくるぞ」

「そうであれば良いな」


 雲を掴むようなとりとめのない答えに、瞬華は焦った。

 喋り方が老成し過ぎている。

 おおよそ少女とは呼べぬほどに成熟している、言葉は悪いが酸いも甘いも噛み分けたばばと呼びたくなるようなそれだ。

 気をつけねば、こちらが喋り通しになりかねん――心に鍵をかけるように、瞬華はごくりと唾を飲み込んだ。


「おい、そろそろか?」


 対面に座る女都督が誰ともなく声をかけた。

 すると唐突に机が運ばれ、その場に地形を模した立体図が運ばれ、今しがた運び込んできた机の上に丁寧に載せられる。瞬華がよくよくその地形を見てみると、それが牽近辺の戦場を切り取ったものと分かった。


「伝令! 朮軍が現れました」

「さて、頃合だな。始めるとしようか」

「一体何を始めるつもりだ」

「まあ、見ていろ」


 問いには答えず、彼女の側近と思しき武官が整然と彼女の手元に駒を並べ始める。


「伝令、先鋒は三名。名の知れた猛将もおるとのことです」

「名前を」

「右より、錬暁、羅布麻、哈士ごうし。今回の大将は錬暁、なお後詰めに鴉胆がいるようです」


 羅布麻一派の中で比較的若く武勲もさほどない哈士の名があるのに、悌夏の名は無い。

 良かった、戦場には来ていないらしい――そう安堵しかけたとき、月季が笑った。


「ほう、こちらの予想通りだな。女一人取り戻すために、これほど豪華な陣を敷くとは。面白い、少し可愛がってやるとしよう」


 くく、と楽しげに喉を鳴らす月季を睨みつけながら、瞬華は再度、縮小された戦場を見下ろす牽の都督に問いかけた。


「お前、何を始めるつもりだ」

「奪還劇」

 今度は即答――気まぐれに放たれる答えに、瞬華は首をひねった。


「奪還……劇?」

「そう、劇だ。お前、劇という言葉を知らない?」

「……ああ」

「初めから終わりまで美しく飾られた『ごっこ遊び』のことだ。今からこの戦場なかで、朮の名将、いや……名優たちに奪還ごっこを演じてもらうのよ」


 にこにこ、にこにこ――残酷な笑みをたたえて、月季はつい、と指先で小さな戦場の塵を払った。

  *

「演じる? ではこの戦いは……」

「ごっこ遊びと言ったはずだ。実際にお前の奪還が行われるわけではない」


 鼻で嗤うかのような言葉に、瞬華は立ち上がりかける。


「お前、朮を愚弄するつもりか」

「愚弄? 何のことだ」


 まるで悪気などないかのように月季は答えた。


「朮の方々はこれが空騒ぎであることを、誰も気づかないだけではないのか? あちらは主たる軍師が不在と聞いている。武官だけでどれほどの策を看破出来るやら……見どころになるな」


 壁のように立ちはだかる岩壁の内部、蜘蛛の巣のように狭路でつながれた集落の一つを月季は指さした。


「お前がなんと言おうと戦は止められぬ。だがせめてお前に楽しんでもらうためだ、この戦の説明はしておこう。

 私たちがいるのはここ、満山紅まんざんこう


 言い終わると指を動かし、そそり立つ岩壁の外、一箇所だけ開いた狭路の先にある荒地を月季は指し示す。


「そして、戦場となるのはここ――牽に繋がる路、蛇床を抜けた先にある海金砂と望江南だ。

 いまからここの状況を、この戦盤の上でご覧に入れるとする」


 指を動かし、先ほどの狭い入口を経由して、荒れ地と平原の混ざった土地にたどり着くと、瞬華が不満そうな声を上げた。


「冗談を言うな、だいぶ離れているぞ。そんなことできるわけが」

「できるぞ。人を使えばな」


 あっさりと言って、月季は少女のような童顔を妖艶に微笑ませた。


「既に二つの陣営に使いを出した。内容は同一。温経の牡丹を争奪せよとな。

 海金砂の陣営には、供物であるお前を朮軍に奪われたと通告、隣接した朮の集落を襲って探し出せと追加の指示を出した。

 また朮陣営には略奪品を海金砂への供物として運び込むことを通達、たいそう怒り狂っているとのこと。

 この二勢力の戦いの中を、海金砂の扮装をした牽の兵が空の檻車かんしゃを引いて撹乱、その後、朮軍を牽の入口である狭路、蛇床じゃしょうへと誘いこんでゆく。

 追いかけてきた朮軍は伏せた弓兵部隊のいい的だ。お前を囮に、哀れな犠牲者を矢ぶすまにして眺めてやるのよ」

「悪趣味な。ここには誰も辿りつけぬ算段か」

「ああ。満山紅は無関係だ」

「人の命を、何だと……」


 言いかけた瞬華の顔に、月季は興味しんしんと視線を流したことで、瞬華は思わず口をつぐんだ。


「お前が言える筋合いか? あの国を私怨だけで覆そうとした者の言うこととは、到底思えんな」


 何も言えず瞬華が黙りこくると、月季は膨らんだ期待を隠すこともなく、戦場をかたどった盤面に目を落とした。


「この満山紅をはじめ、牽の各々の集落には物見台がある。そこから外部の状況を受け取り、こちらで内容を解読するようになっている。

 繋ぎには話の筋を読ませてある、あとはここで座して愉しむのみ……この奪還劇は今から起こる事実だ。決して皆がぐるになって嘘を付いているわけでない。その旨、よく覚えておくといい」


 そう言って、月季は可愛らしく顔を微笑ませた。

  *

「伝令! 旗、二本確認! 朮軍、進軍を始めました」


 窓辺に詰めた兵士が声を発すると、月季は椅子に腰掛けた脚を、思わせぶりに組み替える。


「仕掛けたは朮軍からか。まあいい。

 まずは戦力の分断を行う。最初の砦で羅布麻を疲弊させる」


 羅、錬、哈と書かれた四角い駒が、戦場を模した図の中、一線になって進軍を始める。


「伝令! 旗の旋回を確認!」

「ほう、とうとう交戦が始まったようだ。では、瞬華殿にこちらの手をご覧いただけ」


 牽の武官を模した丸い木札を、都督の側近が一斉に配置していく。

 その数が朮の全軍団数を超えたとき、瞬華は慌てたように対面に座った月季に食って掛かった。


「どういうことだ。これでは包囲戦では!」

「牽軍は海金砂と同数の兵を伏せているからな。すべて合わせれば、のこのこ現れた朮軍の二倍はあろうな」

「そんな。騙し討ちか?」

「だから何だ。戦では騙されたほうが負けだ」


 会話の最中にも、次々に伝令役の兵士から現況が伝えられ、その都度、月季の隣に控えた武官が、克明に戦盤に状況を写しとっていく。


 状況が一時膠着し、伝令からの報告が途切れがちになった頃、にやにやと不敵な笑みを見せ続けていた月季が、ぼそりと呟いた。


「さて、もうすぐ気づく頃合だな。そろそろ羅布麻は消える」

「何だって?」

「伝令! 羅布麻が兵を退きました!」


 もたらされた報に、瞬華の目が驚きに見開かれた。


「ああ、予想通り。やはり野性持つものは鋭い」


 褒めているのか、けなしているのか――策的中の喜びをうっとりと語る月季は、少し興奮したようすで座り直し、固唾をのんで戦盤を見つめる瞬華に悪戯っぽく微笑みかけてくる。


「残るは、少しは賢い者たちだな。

 牽軍は、ここで隠しておいた檻車を『見えるように』発たせ、戦場の撹乱を始める。先鋒別働隊の錬暁は特にお前に縁深いと聞く。当然、この檻車をも――」


 言いかけると、伝令の声が重なった。


「伝令! 錬暁、兵を退きます!」


 あっさりとした退場に驚いたのは瞬華だった。


「……気がついたのか」

「ああ。彼は賢い。この檻車が偽であると気づいた。

 さて、残りの莫迦どもはどうだろうな。最後の一人、哈士ごうしはまだ目立った武勲が無い。これを好機と捉えるなら血眼になって追ってくるだろう。

 こうなれば分断は成功、各個撃破に転じる。近隣の村にも兵を伏せた、帰路を塞ぎ、存分に屠ってくれることだろう」


 まるで他人事のように論じ、月季は手元にあった水菓子をひとつまみ、口へと運んでいく。近付いてきた側近から伝令の紙片を受け取ると、文面に静かに目を落とした。


「ほう、やはりか」


 変わらぬ笑みを浮かべつつ月季は思わせぶりに呟いた。


「喜べ、瞬華。面白い情報がある。檻車を単騎で追っている莫迦がいるらしい。その名は――お前の上官、悌夏だそうだ」

「……!」


 瞬華の身体に、そのとき震えが走った――。

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