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罠砦

薄暗くほこりっぽいとりでの通路に佇みながら、悌夏ていかは周囲の気配に耳を澄ませた。

 ここは古く、小さな砦の中央。名前は忘れてしまったが、今どきなかなか見かけることのない、三階建ての砦だ。

 温経おんけいからほど近い場所に位置する、小山の斜面を利用した三層構造のこの小さな砦は、温経がこのじゅつの首都となってから「昇降に不便」「見た目が優雅でない」という理由で誰も住み手がなく、管理はされていたが、長らくからのままとなっていた。


 ある日、そこに何者かが侵入した。

 そして、突きつけてきたのだ。

 罠を越え、我を捕らえてみよ、という挑戦状を。


 悌夏は隻眼せきがんだ。

 黒革に、龍の模様を型押ししただけの簡素ながらも上質な眼帯を左眼窩ひだりがんかに身につけ、精悍せいかんな容貌がさらに威圧感漂うものになっている。更にその表情はかねてからの緊張と疲労から、さらに刺々しく変化している。


 今、隣に彼の視界を補佐する者はいない。

 あろうことか、何者かは彼の愛しい左眼を奪い去り、この砦の最上階に幽閉している。

 耳を澄ましたのは、ひとえに不具ふぐとなった視界の補佐を、耳で補おうとする故だ。


 異音なし――進んで問題ない。

 そう判断し、彼は注意深く最上階の廊下をゆっくりと進軍していく。


 とは、言うものの。

「後ろ、来てるか?」

 期待を込めて、背後にそう言葉を放ってみるも、返事の数はやたらと少ない。

「はい」

「はい」

「居ります」

 彼の後ろにはたった三つの返事のみだ。


 この砦に最初に対峙したとき、自部隊は百名、いたはずだった。

 しかし、この砦の中に入ることを許されなかった者は、半分を超える。


 砦の前に整列したのがいけなかったのか、出陣の声を挙げたのが悪かったのか、いざ一歩進もうとした刹那、前庭に仕掛けられた最初の罠――その名は落し穴という――が発動し、直後、どーんという大音響と共におよそ七割の兵卒が、綺麗に掘られた穴底へと排除されてしまったのだ。


 砦内に入ることの出来た者はわずかに二十余名。そしてその後も実に巧妙に、まるでこちらの動きを楽しむかのように、一人、また一人と兵卒の姿が消えていった。


 神隠し、という言葉がぴったりだ。

 この狭い空間で、神がその袖で隠していったかのように、叫び声すら聞こえず、振り向けば確実に数名の姿が掻き消えているのだから。


 もしこれがいくさならば、間違いなく負け戦、それどころかおのれの命すら風前の灯――認めたくはないが、それが突きつけられた現実である。


 賊を捕縛ほばくし、おのが左眼を取り戻すためには、必要最低の人数は十名。数は確実に足りない。


 しかし三層砦の最上階まで来てしまった以上、この人数を減らさぬようにするしかない。それでも行けると自らを鼓舞すると、目の前に現れた扉を前に、悌夏はしばし迷った。


 何度か見た記憶のある豪奢ごうしゃな扉は、ここから先が最奥の間であることを示す、全面に透かし彫りが施されたものだ。


 扉の向こう側、奥の様子が隙間からわずかに見て取れる。よく目を凝らすと、扉の奥には囚われの女人――否、彼の左眼が居ることが確認できる。さながらこちらを誘っているかのような舞台の整えようにくらりと手を出しかけて、悌夏はふとその手を引っ込めた。


 ――前回は、確かここで終わったな。


 こちらを気にするようにちらちらとその姿が揺れ、すぐに駆け寄って救い出してしまいたい誘惑に、指がちりりとかゆくなり、悌夏はぐっと拳を握った。


 こちらの兵卒が尽きるか、賊を捕らえるか……道は二つに一つ。

 だが、ここまで来た以上、今日の勝利は俺のもの――否、勝ち取らねばなるまい。


 悌夏は扉の前に辿たどりつくと、その場に立ったまま、刀のを使って、用心深く扉を押し開けた。

 ぎい、ときしんで開く扉の上から、ばらばらと石つぶてが降り注ぐ。

 ごとごとと床にめりこみ砕けていく石つぶてが全て落ちきった先、こちらを驚いたように見る彼女の姿があったことで、悌夏は今までの疲れが体内からすっと去っていく感覚を得た。


「悌夏殿」


 待ちかねた声に、彼の足が警戒を忘れてつい走り出したくなるが、今はその気持ちをぐっと抑える。


「やっと会えたな、瞬華しゅんか


 視界の補佐を担当する愛しき女人にょにんの名を呼ぶ。

 部屋の奥で静かに座る彼女の姿は、今日のよく晴れた日差しに温められた室内で、僅かに汗を浮かべているのが見て取れる。


「助けに来てくれたのだな」

「ああ。今日こそは俺が勝ちのようだ」


 今、行ってやる。

 一辺四尺ほどの、黒と白が互い違いに並ぶ床模様、その中の黒い部分の床にゆるりと座る彼女は悌夏の姿を認めると嬉しそうに立ち上がり、微笑みを浮かべながら早く早くと手招く。


 この空間に配された、黒い床模様に似せた落とし穴は、情報では五つ。

 落ちないように注意深く飛び越えると、背後から兵卒が慌てたように声を発した。


「悌夏さま、危険です! お一人では!」


 そう警告された気がしたが、悌夏は満面の笑みで瞬華の側に歩みつつ嬉しそうに振り返ると、手で制しながら背後の兵卒に答えた。


「いや、もう平気だ。お前たちはそこで」


 待つがいい。

 余裕ありげに伝えつつ、瞬華の座る隣、床の白模様に一歩踏み出した悌夏の姿は。

 ばりっ、という音と共に――消失した。


   *


 「試みとしては、面白いですなあ」

 うららかな日差しの差し込む蒼弦せいげんの居城、藍城らんじょう回廊かいろうを歩きながら、文官の沙参しゃじんはそう答えていた。


「しかし、肝心の悌夏殿がまだ、とか……」

「ま、こういうのはあまりやりませんからな」


 竹簡を一巻き抱えた沙参は、隣で突き出た腹を撫でながら暢気のんきに歩をあわせる蕃椒ばんしょうに、ちらりと視線を流す。


「……ですが、悌夏殿は一応、武官でありましょう?

 策の看破は斥候せっこうの仕事、そもそも武官に頭など要らぬのでは?」

「ほう、やはり沙参殿がそう思われるのも無理はない。しかし、これにはれっきとした理由があるのですよ。

 今、我が国の将を束ねる軍師は居らず、後釜も不在。この国の状況を武官のみでなんとか回していくには、こういった戦の試みも必要――そのための機会だと、瞬華殿は言っておられるのですよ」

「ああ、瞬華殿のご献策けんさくでしたとは……なるほど、なるほど」


 ぱたぱたとくつを鳴らしながら、二人は回廊の端まで来ると、まだ話し足りぬ様子でしばしその場に留まる。


「こちらも大変なのですよ。瞬華殿が動けば、皆が動く。今や我が殿すらも、例に漏れずそのおひとりとなっておられる。

 やはり刺激を受けられたのだろう、殿ご自身も、皆に新しい試みを考えたとおっしゃられて」

「で、殿の試みとは一体?」


 蕃椒のその問いには答えず、沙参はふふん、と鼻下のひげに触れる。


「ま、これはそのうち分かりましょう。おおやけにされたならば、皆の顔色もすぐに変わりましょうしな。

 当然、私たち文官にも影響が及びますぞ。そちらもゆめゆめ、お忘れなきよう」


 ではこれで、と急いだ様子で回廊の角を曲がろうとした沙参に、蕃椒は彼に聞こえるように大きな声で独り言をつぶやいた。


「しかし、瞬華殿は……勿体無もったいないお方でありますな。引く手は数多あまたでありましょうに」


 沙参の足がぱたりと止まると、彼は一旦、背後の蕃椒に振り向いた。その目がやけに嬉しそうに輝くと、沙参はにやりと微笑みかけた。


「確かに、勿体無いといえば勿体無いですなあ。一番近しい上官が、未だ『あの様子』とあっては……」


   *


 どすっ。

 鈍い音がし、悌夏はまたも落とし穴にはまったことを痛感した。


「あら、悌夏殿。お一人ですか?」


 円筒状にしつらえられた陥穽かんせいの底にわざわざ嫌味たらしく降ってくる声は、当のとらわれの女人からだ。


 見上げれば不満そうな表情がこちらをのぞきこんでいるのがわかり、悌夏はうなりに似たため息を歯の間から洩らすと、悔しさを押し殺しながらもつとめて平静に口を開いた。


「いや……後ろに三人連れてきた」

「たった?」


 まるで興冷きょうざめしたでも言いたげな、明らかな不満を表す声に、悌夏の身体に忘れかけた疲労がどっと蘇り、彼は苛つきのあまりに声を荒らげる。


「たっ……たった、だと? 前回の三倍では――」


 そう言い訳を口にしようとした刹那、瞬華の唇がぼそりと呟いた。


「不合格だな」


 言い終わるが早いか、穴の底ががたりと傾いた。

 足元に三日月のように口を開いた空洞の先に、なぜか青空が見える。それにも関わらずどんどんと傾く穴の底に、悌夏は慌てたように叫んだ。


「瞬! お前!」

「今回も不合格です。速やかにお引き取りを」


 ざらざらと砂が滑り落ち、穴の底は彼を排除しようと傾き続ける。

掴むところもない穴底に這いつくばったまま、とうとう彼の体躯たいくが砂とともにずるずると滑りだしていく。


「瞬! おい!」


 助けを呼ぼうと再び上を見上げるも、瞬華の姿は既にそこにはなく、さっさと帰り支度を始めたような大雑把おおざっぱな声だけが穴の底に降ってくる。


「またの挑戦をお待ちしております、悌夏殿」

「お前! 俺はこういう……おっ、おわぁぁぁぁ……?!」


 情けない声が尾を引きながら、急速に遠ざかった。

 その精悍な体躯は砦の外、最初に七割の兵卒が消失した落とし穴の底へと、一直線に滑り降りていったのだった――。


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