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漏洩

――


 傾国の牡丹 裨将軍瞬華

 かどわかした者には銭貨一万枚をほう

 流民、夜市で惜しくも取り逃がす


――


「この文面、事実か」

 そう問われ、悌夏は手に持った一枚の板――否、看板とでも呼ぶべき代物に目を落とした。


 まだ誰も踏み込まぬ、早朝の拝謁の

 差し出された板を受け取り、悌夏は蒼弦から詰問を受けていた。

 手に取った板は四角く薄く、上部二箇所に開けられた穴に古布こふが通してある。板自体も磨きがかけられ、切り口の角を丸く処理した、急ごしらえでは作ったようにはとても見えない非常に丁寧な造りをしている。


 夜市明けの朝から、にわかに信じがたいこの看板が現れたことに悌夏は動揺を禁じえなかったが、慌てふためきたい衝動をぐっと抑え、己を落ち着かせるように、敢えてゆっくりと口を開いた。


「いや、事実ではない」

「虚報と片付けて、構わんな」

「……ああ」


 民家の軒先に掛かっていたと告げられたその板には、丁寧かつ落ち着いた筆跡で前述の文面が記されている。残されている手がかりはないかと裏を返しかけたところで、謁見の間の正面扉が慌てたように開き、蒼弦、悌夏の二人は息せくように入ってきた文官を見やった。


「殿、失礼いたします」


 その手に、悌夏の持つものと全く同じ筆癖ひつへきの板が数枚抱えられていることで、蒼弦は眉間に深い溝を刻んだ。


「それもか」

「ええ。どうやら都じゅうにあるようです。たみから届けのあったものはこれ以外に既に八十枚。ですが、まだまだある模様で……」

「首謀者に目星は」


 久しく聞くことのなかった、丞相らしからぬ刺のある声を文官に飛ばすも、文官は成果なしとばかりに首を横に振る。


「いえ、残念ながら……。事情を聞いておりますが、訊く者訊く者、口を揃えて『いたるところにばら撒かれていた』と繰り返すのみで」


 蒼弦が何事か口を開きかけた時、どかどかという足音と共に数名の武官たちが拝謁の間の開きかけた入口に集い始める。手に同じような特徴の板を持っていることで、蒼弦は集まった武官たちを前に腕を組んだ。


「まさか、お前たちもか」

「殿! 何なのですか、これは!」


 手にする板はやはり同じように、上部二箇所に穴が開けられ、丁寧に紐通しされた看板――。


 じゅつの首都、温経おんけいはこの日、瞬華を狙った誘拐未遂、及び賞金首事件に沸き返ることになった。


  *


「瞬華殿はどうした、無事なのでしょうな」

「心配には及ばん、もう登城している」


 この凡将め――そう言わんばかりに舌打ちし、刺々しい視線を向けた壮年の武官に答えると、武官たちの一角が安堵の息を漏らす。

 同じ文面の看板を手に集まる者たちは合わせて十数名に達し、文武入り乱れて口々に犯人探しをわめき立て始める。


「しかし銭貨をこれほど出すなど、一体どこが関わっているのだ? 銭一万枚とは金一斤に等しい。そんな額など、一介の民にそうそう出せるものではなかろう。きっと誰かが裏で取りまとめているに違いない」


 すると、程なく文官たちの集う一角から疑問の声が上がった。


「しかし、現在このじゅつは近隣諸国とも友好な関係を保っております。瞬華殿は過去、他国への策にも投じられはしましたが、標的のほとんどはその手にて葬っており、その後間もなく領地ごとじゅつに帰属しております。国外には、顔を知られてはおらぬはずですが」

「どこかの商人が金にあかせ独り占めしようと考えついたのかもしれんぞ。商人を締め上げよう、誰か吐くだろう」


 壮年の武官がそう叫ぶと、彼の周囲からそうだそうだと声が上がる。


「どこまでばら撒かれているのだ、この看板は。本気にした者達が押し寄せてくるぞ」

「夜市も終わった、流民どもも退いた。しかし、こんな事態になろうとは……」


 憶測を自ら信じ込みますます混乱していく諸将たちに蒼弦が手で制する。水を打ったように静まったその場に、朮を統べる男は口を開いた。


「これはおそらく朮に住む民たちへの餌――みやこに住む民への策であろうな。都を離れるなら銭一万枚もただの銅片に過ぎん。夢を見せ、血眼になって捕まえてみろ、と……そう言いたいのだろう」


 一同にため息が出たと同時に、間髪入れず蒼弦が令を発する。


「都に立てられた看板は、早急にすべて回収せよ。また城下には、根も葉もない虚報を流すと厳罰に処すと触れを出せ。民に尋ねられた場合も同様、処理を徹底せよ。温経の民を動じさせてはならん。頼んだぞ!」

「はっ!」


 一同が拱手する中、壇上に佇む蒼弦と悌夏は苦々しげに顔を見合わせた。


  *


 一方、錬暁はひとり、馴染みの小間物屋にふらりと立ち寄っていた。


「おや錬暁さま、ご無沙汰しております。

 いやーごめんなさい、ひとつくらい取っておこうと思ったんですが、飾り櫛はどこも品切れなんですよ」


 やはり、というか――城下の事情を解する店の主人はそう話を切り出したことで、錬暁は緊迫した状況を知るにも関わらず、頬を緩めていた。


「相当な売れ行きのようだな。このところの『旋風』には、お前にも恩恵があるものと思っていた」

「思い出してくださって、ありがたい事です。

 最初はうちも儲けさせて頂いたんですが――実は、もう既に取って代わられてまして。今はこうして、がらーんとした店を、毎日ぼーんやり守ってるんですよ」


 錬暁は店内を見回した。

 確かに前回見たとき、店の一角に小山こやまのようにあった金細工の小箱たちは一つも残っておらず、積み上げた箱の陰に埋もれていたと思われる椅子が一脚ぽつりと置かれているだけだ。


「瞬華さまが誰にも振り向かないもので、皆さん燃え上がって、都にある在庫をほぼ贈り尽くしてしまいましてね。都で飾り櫛が足りていないようだ、なんて噂を聞きつけて、各地の行商たちが食い込んできまして……以降、そいつらが独り占めです」


 意外な商売敵の存在に、錬暁が食いついた。


「行商?」

「ええ。旅をしながら物を売って歩く商人ですよ。一旦販路が変わってしまうと、元に戻すのが本当に難しいんです。皆、商品が潤沢なほうに目が向きますし、とりあえず組み合わせて買う方も多い。

 ですが、扱ってるものがまあ、値段に見合わぬ酷い出来で。それでも高く買ってくれるご執心な層がいらっしゃるのは解りますが、都には都に見合ったひんってもんがある。こうも場を荒らされちゃ、こちらは商売あがったりですよ」


 一通り文句をつけ終わり、小間物屋の主人はちらりと錬暁を気にすると、ずっと言いあぐねていた問いを口にした。


「しかし、錬暁さま。どうしてあの方を手放されたので?」


 錬暁の視線が、僅かに動揺した。


「……何の話だ、主人」

「あの看板ですよ! 瞬華さまを捕まえると、なんでも銭が出なさるんでしょう? あれ、うちの軒先にもかかってたんです。びっくりしましたよ」


 店の奥から看板を持ってくると、軽く頭を下げつつ、どうぞ、と錬暁へと手渡す。錬暁が板の上に書かれた文字に目を通していると、主人は声の調子を落として話しかけてくる。


「一体何があったんです? ちょっと前まであんなに楽しそうにしてらしたじゃないですか。もし、私の品に手落ちなどあったのでしたらお教えいただきたいんです」


 訊かれ、錬暁は以前のことを思い返した。

 半年ほど前、錬暁が記憶の巻き戻った瞬華を――その間は芙芙と名乗っていたが――匿ったことがあった。その際、この小間物屋の主人は女物の服を錬暁から数着依頼され、城へ納品にと出向いたことがあるのだ。


 その時錬暁は誰宛に贈ると明確に指示したわけではなかったが、この主人の優れた腕は、後に贈り先である当の芙芙が気づくことになった。


『服の寸法に狂いがない。私の寸法が誰かに知られているかのようだ』と。


 あの穏やかな日々が終わってしまったのは、もちろんこの主人のせいでも、芙芙の研ぎ澄まされた感覚のせいでもない。一旦巻き戻された芙芙の時間が流れ終われば、彼女は顔も知らぬ婿と会うため、一人でも旅立つ意思があった。


 彼女と離れたくないがゆえに、彼は眠れる瞬華の記憶を呼び起こしたが、結果として終わるべくして終わったのだと――錬暁はそう思っている。


「ここのところ瞬華さまが、あの凡将さまと連れ立っているところを何度かお見かけしております。ですが……はっきり言ってあれでは……。

 今回のだってそうでしょう、錬暁さまのお側だったら、こんなことには」

「主人。そこまでに」


 錬暁の制止の声に、小間物屋の主人は自らの口を手で押さえると、ばつの悪そうな顔で軽く頭を下げる。


「あ……すみません! 肩入れすると、つい熱くなっちまう。申し訳ありません」


 錬暁は彼女の意思を尊重し、何首烏への復讐を後押しした。ことの完遂後、必ず自分の元に戻ってくるよう、強く約束させてもいた。


 だが。

 いざ復讐に臨んだ時、彼女の前に突如としてあの凡将が立ちはだかると、まるで絡まった糸を解くかの如く、見事なまでにその場を収めてしまった。

 そして、彼女も錬暁のもとには戻らず、恩のある悌夏の下で、彼の護衛として働くことになったのだ。


 どちらが器の大きい男で、人はどちらについていくのか。それは「彼女さえ良ければ」と考えた自分でなかったことは、錬暁自身が一番よく思い知らされた。


 凡将と呼ばれても平然としているあの男の側に、まるで鞘に納めた刀の如く静かに付き従う瞬華の姿を見るにつけ、悌夏という男には、錬暁の武すら凌駕する何かが存在していると認識を新たにし――そして彼には、瞬華を悌夏に攫われたという、ほぐしがたい未練が残ったのだ。


「主人、あまりそのようなことを口にするな。どこで目をつけられるかわからぬのだぞ。この看板も同じく質の悪い悪戯と同じ。信じぬほうが良い」

「まあ、そうなんですが……人の口に、戸は建てられませんからねえ」


 虚報とされた看板に、なおも目を落とす錬暁の姿に、小間物屋はゆっくり隣に近づくと、まるで犯人探しでもするかのように己の腕を組みつつ、その顎に手を当てた。


「しかし、この銭一万枚。あっしには、どうにも同業の匂いを感じてならない」

「うん? 同業の匂い?」

「ええ。何か知ってる匂いなんですよ。

 錬暁さまには少しだけ教えてしまいますがね……これ、物を高く売るときの手に似ているんです。

 手に入らない物ってものは高く売れるんです。井戸のそばで水は売れないが、砂漠の真ん中じゃ椀一杯でも高い値がつく。ちょうど今、都で粗悪な飾り櫛が高い値で売れているでしょ。ちょっと似てると思いませんか」


 訊かれ、錬暁がはっと身体を震わせた。


「まさか。どこかの国か、組織ではないと?」

「いえいえ、この金の積みっぷりは、商人しかいませんや。

 武官さまなら、こんなまどろっこしいやり方は考えませんし、文官さまならもっと節約しなさるでしょう。もしかしたらこの看板すら、値を吊り上げる、何かの仕掛けかもしれません」

「知恵比べにつき合わされている、ということか? これでは、私のに出番はないやもしれん」


 そう諦め気味に語った錬暁に、主人は、にかっと人の良い笑顔を向けた。


「いえ、錬暁さまの出番は最後の最後にありますよ。戦の最中でも、不利とわかれば平気で手を引くのが商人ってもんです。

 状況をよーく見て、そこをす。これは、あなたさまのお力がなくてはならないんですから」

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