蛇の道
「ったく、やってらんないですよ」
悌夏の執務室。
椅子に座り、ぶつくさと不満を述べる鴉胆に、隻眼の将はくっと片眉を上げた。
「どうした、鴉胆」
「どうしたもこうしたも。下っ端が戻ってこないんですよ」
北向きの窓から季節にしては涼やかな風がそよぎ、ふわりと浮いた机上の紙束を手近な竹簡で抑えた悌夏は、来客用の椅子に座りいらいらとしている自らの部下に短く確かめた。
「数は?」
「今月に入って既に五十人です。しかもまだまだ増えそうな勢いで」
月の半ばにしてこの人数とすれば――月が変わる頃には、このままでいくと倍くらいには増えているだろうと悌夏は読み取ると、居心地悪そうに爪を噛む鴉胆の姿に声をかける。
「確かに少し……いや、人数からしたら多めだな。しかし、なぜその人数をわざわざ巣に帰している。あの露蜂房が、熊や賊に襲われているわけでもあるまい」
巣とは言わずもがな、露蜂房――蜂の巣――を指している。
「いや、そういうことじゃないんです。うちは今年、ちょっとした行事がありまして、それで……」
「行事?」
「ええ。次の頭領を、選ぶんすよ」
いかにも面倒くさそうに、ずるずると椅子の上から身を滑らす鴉胆に、悌夏は机上に広げられた竹簡から目を上げると、興味ありげにその顔を見た。
「お前、頭領じゃなくなるのか?」
「そうっすよ。と言っても、決まるのは半年先なんすけどね。
あ、誤解のないよう言っときますけど、朮の支配下なのは変わりませんよ。
単に俺が外れて、別の奴が頭に就くだけです。二足の草鞋がやっと一足になりますよ」
いやあ、長かった――困っているのか楽になったのか、さながら人に慣れた飼い猫のように手足をぐんと伸ばす鴉胆の言葉に、隻眼の将はわずかに解せない顔をした。
「決まるまで半年もかかる? どういう方法で決めるんだ。まさか全員集めて会議でも開くのか」
「そのまさかの全員で決めるんですよ、露蜂房は」
「全員? 赤子や童も?」
「いえ。この札を下げてる全員で『札投げ』ってのをやるんです」
「札投げ? 何だ、それは」
ますます解らない顔をする悌夏に、鴉胆は見せましょうか、と言いつつ奥襟のあたりを探る。首にかかった紐のようなものするりと引っ張ると、彼の鎖骨の辺りに真新しい青竹の札が顔を覗き、不思議そうな表情を浮かべる悌夏の机に近寄り、紐を首にかけたままの竹札を手渡した。
「これが札の実物です。成人しねえと作って貰えねえもんで、次の頭領を選ぶ年、つまり四年に一度は作り替えするんです」
なるほど、と言いつつ検分すると、札には鴉胆の文字が彫り込まれており、竹の札を裏返せば、横一文字に何かで削り取られた跡がついている。
「もう傷がついてるようだが」
「札を交換して一年目、ってことですよ。正月が来るたびに一本追加することになってます」
「そういう意味か。で、これをしてる奴が露蜂房に戻ってどうすると?」
「簡単なことです。代表に推された奴の家に投げ込んでくるんですよ。
これを半年くらいかけてやるんです。本当は一日で済ませたいんですけど、商の者が各地に散ってるんで、遠方から戻ってくることを考えると長めにやらざるを得ない。
札投げの期間を過ぎれば締め切って、誰に何人投げたか数えます。一番多く数とった者が勝ち。四年の間、頭領を務めるわけです」
ほう、と悌夏が感嘆のため息をついた。
「郷帰り、生存確認、不正防止……その意味を含めるとすれば、なかなかに良く出来た制度ではあるな。
ちなみにこの札投げとやらは、血族や派閥といったものは力を持つのか」
「うーん、あるといえばありますが……基本、札を投げる奴の心に任せるって形にはなってますね。候補に名前の上がる奴は、どういった方法であれ、巣に恵みをもたらす為に動いてるわけですから。
もちろん、票をくれって取りまとめにくる奴もたまにはいますけど、自分の札を縁もゆかりもない他の奴に入れると、推された奴のほうが却って困るって話ですよ」
「……これはどこでも同じか」
鴉胆の説明によると、露蜂房には三つの属があり、それぞれ『武の者』、『知の者』、『商の者』という名で構成されているのだという。その中から各一名ずつ頭領候補を出し合い、選出された頭領の掲げた方針のもと露蜂房は動くのだという。
「だが、現頭領は鴉胆、お前一人だな。
その札投げの末、頭領になれなかった他の奴らはどうなってしまうんだ」
まさか殺すわけではあるまい、と予想しかけた悌夏に、未だ山賊臭さの抜けきらぬ若き将は、特に大層なこともなく回答を口にした。
「ああ、巣立つんですよ」
「巣立つ?」
「独り立ちって形にすんです。
頭領に推されたってことは、それなりに実績もあって、名も顔も知られてる。各地に散ってる仲間、主に商の者の協力を得て行動なり資金なりを支えるんです。
商の者の人数は全体の半分、露蜂房の本拠地に詰めているのはその少数、大半は各地で行商してる奴らなんです。その受け皿を利用して、新たな人生を歩む、と。
その結果、知力を買われて国に拾われたやつもいれば、商いで身を立てた奴もいますよ。ま、本人たちはあまり言いたがらないみたいですが」
「ほう。では『武の者』のお前が頭領になった時、『知の者』と『商の者』の二人が巣を去った、というわけか」
まあそんな感じですね、と鴉胆が頷くと、ふと部屋の中に首を巡らせた。
「そういえば……瞬華、遅くないすか?」
「ん、あいつか? あいつならしばらく戻らんぞ。国境付近の斥候に出掛けてしまった」
あっさりそう答えた隻眼の将に、鴉胆は少々驚いた顔をした。
「え? 悌さん、置いてかれたんですか?」
「いや、俺は……少し宿題を託されていてな」
「宿題? ……あ、もしやあの罠砦っすか?」
「……まあな」
非常に歯切れの悪い悌夏の返答に何かを察した鴉胆は、じわりとばつの悪い表情を見せる。
「いや、あの……大っ変ですねえ」
実のところ、早々に瞬華の与えた課題を切り抜けていた鴉胆は、未だ罠砦から抜け出られない上官に気兼ねしていたのだが、割に素直にその事実を認めた彼の様子に拍子抜けすると、悌夏はふと唇を緩める。
「俺の隊の中に変わった奴がいて、あの罠砦に嵌ることに嵌ってしまった奴が居るんだ。最後にはどうしても好きなように分解させてくれないかと頼まれてな。
ま、俺たちはどうせ一番最後になる、それならばと足場の解体なども引き受けることにした。
瞬華はなかなか俺の意図を汲んではくれんのでな……ま、これは仕方ない時もあるが」
「あの砦の罠、結構殺傷能力高いやつもあったはずなんすけど、喜ぶなんてかなり……ま、まあ辛気臭い話もあれですよね? ここは一丁、明るくなる話、あると良いんですけど」
ちらりと話を振られ、隻眼の将は鴉胆が何を聞かんとしているかに気づいた。
「お前、今わざと瞬華の話題を振ったのか?」
「えっへへ~。最近どうなんです? 相談されたからには、その後って気になるじゃないすか」
一転、にまにまと期待ありげな笑みを浮かべた鴉胆に、悌夏は非常に渋い表情を浮かべた。
「おそらく、お前にはつまらん話だと思うがな……」
これは、絶対に笑われるぞ。
悌夏は事実に正直に対峙すべく、その重い口を開いた。
*
「本気っすか、悌さん」
ぶっふっふ、と気味悪い笑い方をこらえ切れないのは鴉胆だ。
「隣に置いてるのに本当に三ヶ月もただ働きなんすか? お駄賃すらなしで?」
「ああ。いや、まあ駄賃なら……やっと貰えるようには」
「でもただ働きなんすよね? 今をときめく将星さまともあろうお方が!」
「おい、鴉胆」
「だって! すっかり尻に敷かれてるとか面白すぎますって」
これやべえわ、と涎を袖で拭きつつ独りごちる鴉胆に、悌夏はうんざりした様子で補足する。
「……別に尻に敷かれてはないはずだがな。
あいつも主は俺だと認めてる、俺に従うから契約しようとまで言ってきたんだぞ」
「いやいやいや、ただ働きしてる時点で、悌さんの負けですってば」
笑いの秘孔を刺激してしまったのか、ひいひいと言いつつ鴉胆は笑い続ける。
「あ、でも触れさせないために忙しくさせる、としたら、彼女はもう次の策に移るとこでしょうね。悌さんが策に気づいて、行動を変えてきたわけですから」
「……やはり、そうなるか」
悌夏も当初は、色々と使い道を妄想してはいた。
夜毎呼び出して――とか。
人気のない所で――とか。
しかし、いざ実行に移すとなると、これが非常に難しいことに気付かされるのだ。
第一に彼女を連れ歩くと、他人の目が異様に厳しい。
第二に自分だけが彼女に際限なく迫っている状況が否応なく際立つ。
そして第三に、『いつでもどうぞ』という言葉の響きだ。
悌夏が認められ出してから、数ヶ月。
こちらに持ち込まれる揉め事の調停件数が事件前の数倍に膨れ上がっていた。
早く瞬華に触れたいからと、山と積まれた揉め事を迅速にを解決すればするほど、持ち込まれる案件は増えていく。頑張れば頑張るほど信頼され、人が人を呼び、案件が案件を連れてくる。
戦とは違い身体を動かす仕事ではないにしろ、数多の案件を扱えばそれだけ頭も疲労を覚える。体力が尽きても頭に余力が有れば身体は動くのだが、その逆は駄目なようで、いつしか悌夏はいつでも良いのならと、触れること自体を後日に回さざるを得ない状況に追いやられていくのだ。
三ヶ月程経って、ようやくふとある疑問が頭に湧いた。
「嵌められたかもしれない」と。
頭脳労働という激務に自分を放り込み大いに疲弊させることで、彼女はわざと触れられない環境を構築していたのではないか――その疑問が頭に浮かんで十数日後、悌夏はあの調合室で、久方ぶりの抱擁と接吻にまでこぎつけていた。
もとよりあまり女の生態すら知らない悌夏のこと、一度追いかけ始めると気持ちの加減というものにそもそも怪しい面もある。己の心に従うならば、その都度燃え滾る想いをぶつけたいのが本音なのだが、毎日顔を合わせる環境下、毎回毎回その場でことに及ぼうとするのは、さすがに盛った獣と同じだし、それが原因で瞬華に嫌われてしまってはますます意味が無い。
うーん、と唸りつつ顎髭に手をやった悌夏に、鴉胆はつとめて明るく語りかける。
「でも悌さん、彼女を味方に引き入れてくれて本当に良かったですよ。あいつが本気でぶち壊す気になってたら、恐らく一晩のうちに城中の男の首なんて掻っ切って、あっという間に姿を眩ましてるところですよ。
なんて言うか、どうしてもここに居なけりゃならない理由があって、俺たちの味方になってる……としか、俺には思えませんけどね」
一体何がそうさせてるんだか――ちらりと悌夏を見る鴉胆に、悌夏は首をひねる。
「しかしな、鴉胆。……俺はあいつの考えてることが、いまいちわからんのだがな」
「なんつーか、蛇の道は蛇、なんですかね? 俺はなんとなく、瞬華の考えてることが分からなくもないですけど」
勿体ぶった返答に、悌夏はちらりと不満そうな視線を鴉胆に流した。
「ところで。お前は何故、今回は知恵を貸してくれんのだ」
気づかれたか、とばかりに鴉胆の表情が一瞬動くと、まるで取り繕うように笑顔を見せた。
「いやー、悌さん。こればっかりは勘弁してください。お二人の間柄に、俺が口出すのはまずいっすよ。
んまあ……俺、その原因とやらを教えることはできるんすよ。でも悌さんが俺の助言で動きを変えたら、あいつが気づかない訳がないでしょう。更にややこしくされたら余計まずいんと思うんすけど」
「……それは、まあ」
「それにですよ? もし助言したって知られれば真っ先に黙らされるのは――俺、大事な家族居るんで、それはちょっと」
「……む」
的確な指摘にぐうの音も出ず、しばらく黙りこくった強面の将に、鴉胆はつとめてにっこりと笑いかける。
「とりあえず、悌さん自体はそのままでいいんです。悌さんに従うって向こうから言ってきたなら、少なくとも悪事は企んじゃいないはずだ。
彼女を信じて慣れる――これしかないっすね。
あれですよあれ、子供の世話と一緒です。習うより慣れろ、って」
「裏道なし、正面突破のみ、ということだな」
納得したかのように、ふう、と息をついた隻眼の将に、鴉胆は席を立ちつつ声を掛けた。
「そのうち、露蜂房にもお招きしますよ。二人でいらしてくれりゃ、おそらく謎の半分は解けると思いますから」
「ああ、分かった」
そっと扉を閉めた瞬間、鴉胆は羨望のあまり、やれやれと大袈裟に天を仰いでいた。
「……この分じゃ、しばらくは尻の下だわ……」




