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序
今、凄いもん見ちまったな。
未だ治まらぬ早鐘のような鼓動を落ち着かせられぬまま、良姜はふう、と息をついた。
水墨画などで絵にしてみたら、飛ぶほど売れるのではないだろうか――商機すら見いだせそうなその現場。
そうそう立ち会えるものでもない、位の高い男女の、しかも白昼の密会現場だ。
「知らないぞ、見られても」
指先で唇を拭う、焦ったような女の言葉が耳に響き、良姜の唇が思わずにやりと微笑んだ。
「一度くらい見せておくのが礼儀と聞いたが。違ったか?」
危機感なく言い繕う高位の将とおぼしき男は、重ねたての緩んだ口元を改めようともせず、女の顔を覗き見ている。
「……まぁ、ますます奪い甲斐があるってことだ」
良姜はゆっくりとその場から立ち去った。
良い才は、奪い合うもの。
武で、策で、名で、金で――
それが、この乱世の真実の一つでもあるのだから。