「短刀直入」
「ってこら、勝手に死なないで下さい。まだ全然生きてますよ。目を覚まして下さいー。名城さーん。おーい。おーーーーい。名城さーーーーん。おーーーーーーい。うーん。まいったなこりゃ」
「ん?」
自分の名を呼ぶ声で、名城は目を覚ました。名城の視界の端には、セーラー服姿の少女。その制服からして、同じ学校の生徒のようだが、誰なのかまでは分からない。顔は何となく、見たことがある気がするが……。
少女は背中にかけたリュックをゆっくりと下ろして、リュックの脇についたポケットを探るようにする。
中からハンカチを取り出した。
ハンカチ。
「おい、何やってんだお前」
「いや、名城さんなかなか起きないので、濡らしたハンカチで鼻と口を覆ったら、目が覚めるんじゃないかなって」
「普通に死ぬだろ」
「ってあれ?やっぱり生きてるじゃないですか。おはようございます」
「おはよう……………って言うか、ん?」
名城はようやく、自分が置かれた状況を理解した。
いや、理解していない。
どうなってるんだ、こりゃ。
名城は体を起こして、周囲を確認する。
森だ。
森である。
森の中に彼はいた。名城は、小さな頃母親に読んでもらった「森のくまさん」という絵本を思い出した。あの本の挿絵のような光景が、一面に広がっている。
「えっと、誰だっけ君。多分同じ高校だとは思うけども」
名城は取り敢えず、目の前の女子高生に、そう問うた。
「命の恩人に誰だっけとは、失礼極まりないですね」
「命の恩人?」
「ええ。言っときますけど、私がいなければ、名城さんは今頃とっくにお陀仏ですからね」
「お陀仏?」
「ええ。五里霧中です」
「……………………」
もしかして、「御臨終」と言いたいのだろうか……。
名城が心の中で首を捻るのをよそに、少女は続ける。
「っていうか、同じクラスじゃないですか。まあ席は離れてますけど………。もう入学してから一ヶ月経つのに、クラスメイトも覚えていないのですか?」
「え、クラス同じ?」
「そうですよ。伊月緑子いづきみどりこです。本当に覚えてないんですか?」
「悪い。人の名前を覚えるのは苦手なんだ」
「まあ、名城さんは転校生ですから、仕方ないかも知れませんが」
「厳密には転校生ではないけどな。そういうお前は、俺のこと覚えてくれてるんだな」
「ええ。語呂合わせで暗記しました」
「……………」
人の名前を「暗記する」という表現は(それも語呂合わせで)どうなのかと彼は思ったが、しかしそれでも、人の名前を覚えない自分よりはマシだろうかと、彼は思い直した。
「ちなみに、どんな語呂合わせなんだ」
「えっと、言えません」
「なんで?」
「名誉毀損になるからです」
「………………」
「そんなことよりですね」
伊月は「ぱん」と手を打つようにする。彼女は取り出したハンカチをポケットにしまいつつ、「名城さんに聞きたいことがあるのです」と続けた。
「単刀直入に言いますとですね、名城さん、おそらく貴方は何者かに命を狙われています。危ないっすよ」
「はあ?」
「何者かが名城さんを殺そうとしている可能性が大です。近い将来、突然ナイフで刺されたりするかも知れませんよ?バタフライナイフとかで。短刀直入。なんちゃって」
「……………」
「………………」
「…………」
こほん、と伊月は咳払いをする。
「状況を整理します。名城さんは先程、あそこの崖から落下してきました」
あそこです、あそこ———と、伊月が指差す方を、名城も見た。伊月が指差すのは、今現在二人がいる場所から、ほぼ真上に位置する座標である。
「あ………」
彼はようやくそこで、状況を把握した。把握したというか、少し前に起きた出来事を、思い出した。
「そうだ。あの山の展望台で、俺は……」
「そうです。柵を超えて、名城さんは重力加速度に従い、ここまで自由落下してきました」
「そうだ………。そうだった。それで今、俺はここにいるのか」
「ええ。そうです」
あの崖から落下し、
しかし何だかんだあって命は助かり、
そして、そこで伊月緑子というクラスメイトと遭遇した———と。
「いや、ちょっと待て」
名城は立ち上がった。彼のズボンは泥だらけであった。
名城はもう一度、上方を確認する。
はるか高くに聳え立つ崖は、まさに「断崖絶壁」に相応しい。
「いやいや、そんな訳ないだろ。あんな崖から落ちて、じゃ何で俺は生きてるんだ。死ぬに決まってるだろ。普通に考えて」
「でも生きてるじゃないですか」
「それはそうなんだけど」
「理由は単純解明です」
伊月は何故かここで、胸を張るようにした。なぜに彼女が誇らしげなのだろうか、と名城は訝しむ。しかも言葉がまた間違っている。
「つまりはですね、私が落下する名城さんを、こう、キャッチしたのです」
「キャッチ」
「ええ。こうやって。お姫様抱っこの状態です」
「………………」
「こーんな風に………って、名城さん、信じてませんね」
「信じてませんよ。流石に無理だろ。だって、見ろよ。何メートルあると思ってるんだ」
「うーん」
「てかそもそもさ。さっき、お前『私は命の恩人なのです』だとか言ってたよな。結局、お前がどうにかこうにかして、俺を助けてくれたんだろ?違うのか?」
「違いません。私が命の恩人です」
「じゃ、その方法を教えてくれよ」
「うーん」
「うーんって。何で急に勿体ぶるんだ」
「えーとですね」
伊月は若干困ったようにする。困ったような表情をする。
名城にはその理由が、皆目見当つかない。
「言えません」
「は?」
「私が名城さんを助けたのは確実です。間違いありませんが、その方法はショナイです」
「なんだ『しょない』って」
「『内緒』の若者言葉です」
「聞いたことねえよ」
「それは名城さんが流行りに疎いからです」
「話を逸らすな。いいから説明してくれよ」
「説明も何も、理由は私にも分からないんだから仕方ありません」
「ざけんな。お前に分からなかったら誰に分かるんだ」
「誰にも分かりません。世の中、誰にも分からないことばかりなのです。『無知の知』ですよ、名城さん」
「ソクラテスかよ」
「全然どうでもいいんですが、『無知の知』って響きが『鞭打ち』に似てますよね」
「知らねえよ。本当にどうでもいいよ」
「あ、じゃあいいこと考えました」
「は?」
「実は私は、森の妖精なのです」
「妖精」
「ええ。森の妖精パワーで、一度は死んでしまった名城さんを、何とか生き返らせたのです………っていうのは駄目ですか。駄目ですね。すみません」
「………………………」
「…………」
「………………」
(やっぱり俺、もう死んでるのかも知れない)
名城はそう思った。自分が今見ている光景は、走馬灯なのではなかろうか。走馬灯とはちょっと違うか。ただ、変な夢を見ている気がする。ふわふわとしている。まだ夢うつつだ。おかしな夢を見ている。或いは、おかしいのは俺の頭なのか………。