終章 そして、行く先に
思えば、たった四年の出来事であった。
先人に学び、友と語らい、多くの失敗を積み重ねたひよっこ時代は。
今、この文章を綴る筆者は、理系蛮族の知識を基に職を得た状態にある(よく誤解されるが、筆者は教導者、研究者の類ではない。それらを手段として用いる、しがない現場屋だ)
職として調査を行うのだから、金欠で苦しむ事も、食事の貧相さを嘆く事もなくなった。使用頻度が落ちた体力筋力はほどほどに落ち着き、その分頭を回す事が増えた現状だ。
しかし、今の自分にはけものをただ純粋に『見るだけ』の行為が許されない。けものの相手だけではなく、人の思惑の上で踊る事に抵抗し、または己に課さねばならぬ事もある。要はよくいる社畜と化したのである。
そんな、社会の歯車と化した今の己にとって、純真無垢な『理系蛮族』の記録は眩く、そして鋭く胸を穿つものだ。生命を扱う事、複雑な思惑の中で立ち回る事は、単純思考な筆者の精神をごりごりと削る。自分自身が行くべき道を、足掻く理由を見失いかける事も日常茶飯事だ。
この時、奮起する動機になるのは、周囲からの賞賛や期待の言葉ではなかった。
『過去の己──あの馬鹿で無邪気な理系蛮族の憧れを、裏切りたくない』『己に誇れる己でいたい』などという、たいそう下らない意地。そんなものが己を動かす原動力になるとは、人生は分からないものである。
大人になった今、多くの調査地を回り、様々な景色を記憶に留めてきたが、望郷の念と共に思い浮かべてしまうのは、当時通い詰めていたあの山。そして、あの山で出逢ってきたけものたちだけだ。
さぁ、そんな事を記していれば、次の目的地はすぐそこだ。かつて通い慣れた山々には、似てもつかない新天地。己の手には使い慣れた道具の数々と、使い込んだ野帳が一冊。
十数冊と買い替えてきた、かつて日誌を紡ぐのに用いていた野帳を見下ろしながら、ふと思う。
かつての理系蛮族。己の行く先には、どのような記録が紡がれていくのだろうか。
己の結末、その先に。こうして残る記録はあるのだろうか。
まだ見ぬ未来に、未知に、胸に押し込め続けたかつての好奇心を沸き立たせ。
私は今日も、山を行く。
……と、まあ。青春みの溢れるエッセイを再投稿させていただいたワケですが、いかがだったでしょうか。初投稿時代の初々しい理系蛮族を知る人は決して多くないと思うので、もう時効じゃろ!という事で文学フリマ等に持ち出している製本版の文面を投稿した次第です。
この理系蛮族日誌、続きを願う声が大きいため、続編を構想している最中です。せっかくなら製本した時に楽しい体裁にしよう!と考えているので図録形式になる可能性が最も高いのですが、希望をお伝えいただければ検討したいと思います(反映するとは言っていない)。
ひとまず、「理系蛮族日誌」はここでお終いです。最後まで目を通していただき、ありがとうございました。