Ep. 4/6 筋肉、それは魅惑の響き
良いよね筋肉。欲しいよね筋肉。
若かりし頃の筆者は決してアウトドアな性質の人間ではなく(理系蛮族当社比)、また数少ない食費すら調査費に全振りしていたため、昼飯代わりに公園の水をすするような、背高のっぽの痩せぎす人間として生きていたのだ。
調査を始めてすぐは筋肉痛、荷物を背負ったまま、斜面を登り切れず頻繁に休憩する、などの現象に悩まされてきた。普通に上るだけでもきつい急斜面、両手に水入りのバケツだのペットボトルだのを下げ、調査機材その他を背負っていたのだから、痩せぎすもへったくれもなかったかもしれないが……
とにかく筋肉体力が必要になり、取った対策はプロテイン摂取だった。運動直後にプロテインを摂取すると筋肉痛を和らげると聞き、山に粉を持参。しかし溶かして持ち歩いたりしたら、荷物が増える。
というわけで、休憩時間に水で粉を丸のみした。
記載上は「チョコレート味」だったそれは謎の化学風味が致命的にマズい代物で、筆者は毎回百面相をする羽目になっていた。
調査中の昼食は味噌を塗ったおにぎりであることが多かったので、炭水化物とタンパク質が山で口にする主食材になっていた。今思えば、筆者は意図せずストイックに身体を引き締めやすい生活をしていたようだ。
さらに、下界にいるときはこれも意図したわけではないが、昼飯を購入する余裕があるときは、サラダチキンばかりを昼食にしていた。山では米と粉プロテインばかりを摂取していたので、少しでも肉を摂取して満足度を上げたかったのである。
まとまった昼食を執るのは、運送系のバイトで食堂を利用する時だった。
はじめは接客のバイトや単発バイトを転々としたものの、不規則に発生する調査と固定シフトの相性は致命的に悪い。
人との接点がほぼなくシフトも自由、荷物を詰めたり運んだりする単純労働。そして安価かつバランスの良い食堂を使える環境は、理系蛮族にとって相性が良かったのだ。
女性エリアに入れておくには筋肉と元気が有り余っている、と判断された理系蛮族は大荷物エリア常連となり、そこでの筋肉稼働と食事をいつも楽しみにしていた。
さて、そのような生活を続けて数年。
気付けば筆者は、「なんか背中の形変わってない……? 」とドン引きされる後姿を手に入れていた。学生時代限定、理系蛮族ムキムキ時代の到来である。
しかし、筋肉は思いもよらぬトラブルを引き起こした。
──スーツの上着が、閉じられないのである。
理系蛮族は学会ですらスーツを着ない文化性の業界だが、他の研究室と共同で発表の場を持つときには、封印されし白黒の服を引っ張り出してくる。
筆者のスーツは、痩せのっぽだった一年生の時に採寸したもの。この数年で培った筋肉には、とてもじゃないが対応していなかったのである。
しかし、スーツを買いなおす余裕はない。布袋に押し込められた筋肉を持て余した理系蛮族は、気合でボタンを穴に押し込み、首と肩にかかる圧迫感と戦いながら定期発表を乗り切る羽目になったのであった。
筋肉がこのようなトラブルを引き起こすとは。そして、己の卒業がかかった卒論発表がスーツ破壊を目論む筋肉との耐久レースになるとは思いもしなかった。筋肉恐るべし。
だが、まあ、しかし。どれだけ鍛えたところで所詮は付け焼刃、しかも女の筋肉である。
どれだけ鍛えたところで、男性の体重や筋力とは競う余地もない。鍛えていない同期には体力腕力が多少勝るとしても、生まれ持った性質を覆すことはついぞできなかった。
結局、苦手なことで他者と並ぶ事は、努力したとしても難しい。
苦手なことに努力を重ねたとしても、人並み程度の結果を得て終わるだけだ。それなら、苦手なことは足を引っ張らない程度にできれば良い。
それよりも、己が最も得意とする技術を伸ばすべきだ。一度に同じ成果が出せないなら、倍の時間を、回数をかける。同じ成果を出せないなら、異なる努力によって結果に付加価値を付けるべきだ。
この考え方は現在筆を執る筆者にも根付いており、日常の行動原理にもなっている。
そう、全ては変えられない能力の差を嘆き、筋肉を鍛えた己の汗の結晶。結局は覆せない差がある事を思い知り、筋トレは程々に、得意を模索した己の工夫が行き着いた信念。
──全ては筋肉。筋肉をテーマに繰り広げられた壮大な青春劇だったのだ!
余談だが、理系蛮族は働き出してから全然山に登らなくなり、さらに足を怪我して以降、運動不足によって鍛えに鍛えた筋肉はほとんど消失した。
普通に裏切るじゃねえか筋肉。この野郎。