Ep. 3/6 調査前線 異常ナシ
シカ肉、焼肉、パーティーわっしょい。筆者はジビエ肉だとシカとカモが好きだ。イノシシは個体によるが、ブタとはまた違った香りがして面白いと思っている。
さて、今日は山道という名の調査地戦線における必要装備についての話をひとつ。
調査地戦線の環境は常に変化する。倒木、落石、川の増水、砂利が流され大陥没。土地の管理者に連絡しても、半年近く放置されるという有様であった。そんなん留年するわ。
道を塞ぐ障害物をなんとかどけなくては、機材を担いで歩くはめになる。筆者は持ち歩く機材が相当に重かったので、何としてでも車を使って通りたかった。
よって、道の整備はある程度自力で行っていた。まず倒木。小規模なものであればナタやのこぎりが使えるが、連続台風でなぎ倒された倒木が多すぎて、対処しきれない。
私は調査時の車の運転が禁じられているというのと、調査同行者の車が軽だった……というワケなので、ロープで牽引し道外に引きずり落とすという事も出来なかった。
はい。そこで取り出したるはチェーンソー。
といっても私は取得講義の都合上、当時はひとりでチェーンソーを扱う事ができなかった。ならばどうする。人手を借りるのだ。
電話でお呼びした地元の方に倒木を全てぶった切っていただき、非力な筆者はぽいぽいと丸太を投げ捨てる。これで対倒木の陣地構築は完了である。
これで通れるわーいと喜ぶ一行。先に進んだら、今度は落石があって通れなかった。ちくしょうがよ。
山道での落石自体は、決して珍しいものではない。車の前に落ちた落石を拾いながら走行しないと、即座にタイヤがパンクしてしまうくらいにはよくあるものだった。
しかし、人と同じ大きさの岩が落ちてきてしまえば、自分だけの力だけではどうしようもない。当時の筆者は度重なる調査地往復の影響で筋肉が成長気味だったが、それでも一般ホモサピエンス的な膂力しか持ち合わせていなかったのである。押しても引いてもビクともしない。全然ダメ。
という事で取り出したるは、カナテコバール。
ひと言にバールといっても、腰丈から胸丈くらいの長さのものが必要だ。
これを落石の下に挿し入れ、体重をかけて持ち上げる。そして持ち上げた隙間に石を挟んで向きを調整していく事によって、理論上は落石を移動させる事ができる。
──そう、理論上は。
何が問題になったか。単純である。体重が足りなかった。
岩を動かす事はできたものの、半日かけてたったの半メートル。どうにかして岩そのものを小さくしようと、バールで割れ目をぶん殴ったり、別の落石を投げつけて割ろうとしてみても、岩は無常にそびえ立つばかり。
という事で、体重がっしり系の同志を本国より召集。ふたりがかりで落石を持ち上げて貰い、隙間に腕ほどの大きさの石を差し込むことで岩の傾く位置を調整。この繰り返しに切り替えただけで、筆者単身で岩を半メートル動かす時間のうちに、四つの落石を片付け完了。
筆者が失敗しまくった落石投げつけチャレンジも本国同志が難なく成功し、岩を半分に砕いた上で作業ができたりして……純粋な筋肉力を見せつけられ、己の非力さを嘆いた事は秘密である。
さて、道を塞ぐ最後の関門は土砂崩れ。
不幸中の幸いで土砂に落石は混ざっておらず、粘土質に固まった土をシャベルでどかしていけばなんとかなるだろうと、楽観視。シャベルも地元の人が貸してくれるとのことだったので。私の所持品はアナグマのうんこにまみれた作業用手袋のみ。
さて当日。地元の方から、祖父の持ち物だった、というシャベルをお借りしたのだが。
それはどう見ても、軍用の塹壕用シャベルであった。
いや、軍用かどうだとか旧日本軍装備か? とかそういうのは詳しくないから良いのだ。問題は、そのシャベルが持ち運びと塹壕掘りに特化した柄の短い形状をしていた事で。
土砂崩れをつき崩すには、あまりにリーチが足らなかったのだ。
理系蛮族たる我々は、シャベルで自分の墓穴(違う)を地下ニメートルまで掘り下げた経験があるので、土いじりする事自体には慣れていた。なんなら破傷風菌の予防接種も義務で受けているくらいだ。
しかし、一次大戦の塹壕戦の真似事をする羽目になるとはカケラも思っていなかった。腕の長さほどしかない塹壕シャベルひとつを手に、水で練り固まった土砂の山を相手にする羽目になったのであった。
たかが土砂崩れ、されど粘土でガチガチに固まって縄文土器か? と言いたくなるような土砂崩れ。持ち物は各自のきったねぇ手袋と塹壕シャベルがひとつだけ。
この状況で三人いるわけなので、シャベル使えない民は手を使うしかないわけだ。普通に見通しが甘すぎた。
ただ、土は一緒に落ちてきた植物の根っこに絡まって固まっているため、『おおきなかぶ』の真似事をすればでかい塊は引っこ抜くことが可能であった。
というわけで筆者はシャベルを友人に預け、引っこ抜き作業に専念することに。
なぜ友人に預けたかというと、友人は筆者のような動物系ではなく、植物系の理系蛮族だったからだ。
──説明しよう。
筆者は大型陸上哺乳類を専門とする理系蛮族だ。
しかし理系蛮族にも様々な人種がおり、植物や昆虫を専門にする同志も同じ研究室に在籍する事が多いのだ。
動物屋の理系蛮族は、基本的には脳筋である。
冷蔵庫に怪しげな何かの足とか何かの頭とか突っ込んでカビさせる習慣があるのは、主にこいつらである。データ数の少ない不確かな研究をやらざるを得ないため、実行力と度胸は人一倍……かつ、異臭騒ぎの常習犯である。
昆虫屋の理系蛮族は、緻密な作業が得意な人が多い印象を受ける。
机の上にジップロック入りのGとかを置いて怒られるのは、だいたいこの理系蛮族だ。
小さな生物を見分ける目に長け、非常に目敏いのが特徴だ。糞虫を集める為には、自分の体から誘因餌を作成しけふんけふん。
植物屋の理系蛮族は、おそらく世間一般が想像する理系に最も近い姿の存在だろう。
蛮族感が一番薄くてまとも。しかし、蛮族行為とは違うところで何かズレたものを感じることもまた事実だ。数字を扱う事に長ける者が多く、何より……
根っこを掘るのが、ものっっ凄く上手い。
動物屋が歩兵だとしたら、植物屋は工兵だ。
根っこを掘り出さなければならない土砂崩れ対応、ならば植物屋蛮族にシャベルを渡すのが最適解だったというわけだ。
というわけで、無手になった筆者。最初はおおきなかぶの真似事をしていたわけだが、ガチガチに固まっていると引っ張っても抜けないので掘るしかない。しかし手だけでは掘るのに時間がかかり、いらだちも募って行くばかり。
そこで最初に取り出したるは、泥の中から見つけた粘板岩だ。
平らでかつ鋭利な割れ目を持つこの石を突き立てて掘る、そうすれば効率よく根を切り崩せると気付いたわけだ。この時点で、筆者の技術レベルは近世から先史時代まで一気に逆行した。
さてさて、しかしここでも問題が。粘板岩、自分の手に食い込んで痛いのだ。縄でもあれば良かったが、石器を作る想定なんて普通はしていない。面倒くさくなってきた筆者は、ここでとある動物のことを思い出した。
それはキツネだ。キツネは、前足を使って素早く穴を掘る。ちょうど筆者が穴を掘っていたあたりの標高で、同じ事をしているのを見かけたことがあったのだ。
というわけでキツネの真似をして、ざかざかざかーっと両手を交互に動かす方向性にしたら早い早い。原始的かつ最強、選ばれたのはキツネ掘りだった。
近世から先史時代、先史時代から類人猿になったくらいまで退行したものの、原点とは時に最も合理的なのかもしれない。
青春真っ只中の学生たちが、四つ足で土を掘るという雑な絵柄になりさえしなければの話だが。
さてさて、そんなわけで道を塞いでた植物の根を全部切り崩し、崖下に落としきれない泥は道全体に薄く広げる事によって段差を緩和。幾日もかけてしまったが、ようやく車が通れるようになったわけだ。
下山した筆者は同志諸君と顔を見合わせ、どや顔で報告を上げるのであった。
──調査地戦線・異常ナシ、と!
理系蛮族の調査フィールドは、泥と汗に塗れた努力によって維持されている。