6.ジョハンナ 領主の弟を泣かす
ロドルフ様の弟であるブラン君に会うことはできたが、結局のところ彼があの実験室のような部屋で何をしているのかはわからなかった。
いずれ教えてくれるという話ではあるものの、どうも気になった私は翌日にさっそく彼の部屋の扉をノックした。今回はペトロッシさんの案内はなしだ。
「ブラン様、昨日お伺いしたジョハンナです。よろしければ少しお話でもしませんこと?」
「はい、いいよ」
快く中に入れてくれたブラン君。
「ブラン様、お時間よろしいでしょうか?」
「うーん、様付けってどうも慣れないから、ブランでいいよ」
「いえ、雇い主の弟君ですので呼び捨てはできませんわ。ブラン君、というのではいかがです? 私のことはジョハンナ、で構いませんが」
「うん、じゃあそうしようか」
ということでお互いの呼び名が決まった。さっそく聞きたいことを尋ねてみよう。
「えーと、ブラン君、は、このお部屋で一体何をしていますの?」
「ふふ、興味があるみたいだね。これはね、『ホムンクルス』を生み出すための研究なのさ」
目元が髪で隠れていてよく見えないが、ブラン君の口元がニヤリとしたのが見えた。
「ホムンクルス? どこかで聞いたことがあるのですけれど……」
本当はゲーム『グレイスフル・ランデブー』をプレイしていたときにブラン君自身が主人公に向けて説明してくれるシーンがあったのだけれど、いきなり私が知っていても不自然なので、ここは知らないふりを演じよう。
ただ、この部屋にある本や実験器具の類は全てホムンクルス製造のために準備されたものと考えられ、少年の熱意に驚かされてしまった。
「ホムンクルスというのはね、人工生命体のことなんだ」
完全に得意分野について話す時の嬉しそうな顔になっている。
「錬金術というのがあってね。それに関する本をいくつも読んだんだけど、どうもホムンクルスを作るのにはいろいろなものが必要らしいんだ。ポーションだったり草の露だったり、あとは乳液とか珍しい種とか釘とか……人の血液なんかも必要って書いてあったかな」
ブラン君は興奮してきたみたいだ。人の血液か……うーん、私も『癒し手』として人の血を見る機会はそれなりにあったけれど、人工生命体の材料にするって、どうやって入手してくるのかしら。
血を何かと混ぜたりすることを考えると、私にはちょっと刺激が強いかも。
「最初はガラス瓶の中に入っているぐらい小さいんだけど、成長すると人ぐらいの大きさになったり、もしかすると人よりも大きくなるかもしれないんだ」
「そうなのですか。最初はやっぱり小さいものなんですのね」
私は丸底フラスコの中に座り込んでいる、小さい人間の姿を頭に思い浮かべていた。
「それで、ブラン君はホムンクルスを作って何をするおつもりなんですの?」
「それはね、兄様が毎月のようにモンスター退治で大変そうでしょ。だからホムンクルスに代わりに戦ってもらったり、領土を守ってもらったりしたら兄様も休めるんじゃないかと思って」
うーむ、聞きましたかロドルフ様。ここにいないから聞いていませんか。なんともお利口なことを言う弟さんじゃありませんか。
自分の趣味とかじゃなくて家族のために寝食も忘れて研究を続ける少年。泣かせるわね。まあ実際に寝食を忘れているかは知らないんだけど。
じゃあここで、昨日ブラン君から私がやられた、なぜなぜの質問攻めのお返しをしておこうかしら。
「ブラン君、素晴らしい心がけですわ!」
「うふふ、そうでしょ」
「ではちょっとお聞かせ願いたいのですが、なぜブラン様が自ら強くなるのではなくホムンクルスに頼るのかしら? あと、なぜまだ製造に成功していないホムンクルスにこだわるのかしら? 代わりに戦うなら傭兵を雇った方が効率もいいのではなくて? また、なぜホムンクルスの材料代をロドルフ様のストルト家が負担し続けているのかしら? 研究開発費として認められているのかしらね。それと……」
いろいろと一気に聞いてしまったが、ふとブラン君の方を見ると、相変わらず目元が髪で隠れそうになっているが、ぷるぷると肩が震えて泣きそうになっているようだ。目の辺りの何かが光に反射しているわ。
これにはさすがに私の良心も痛んできた。胸がチクチクと痛む。
そういえば私って悪役令嬢だったなとぼんやりと考えるが、それより先に気まずい状況をなんとかしないと。
「ブラン君、申し訳ありませんでしたわ。いきなりいろいろなことを聞きすぎましたわね」
「う、うん。そんなことを聞かれると思ってなかったよ。怒られてる気分だった」
「そういうつもりはございませんのよ。気分を害してしまってごめんなさい」
「じゃあさ、その償いとして今度、ホムンクルスの材料を買いに街まで行くんだよ。ジョハンナも一緒に来てよね」
明日は私の仕事がお休みだ。買い物に付き合うぐらいはなんてこともない。ただその名目が『償い』とか言われると一気に重みが増してくる。語彙が少ないのか、あるいは本当に償わせるつもりなのかしら。
「もちろん、喜んでお供いたしますわ」
「ほんと!? よかった、ロドルフ兄様からは1人で買い物に行ってはダメだって止められているんだ。僕ももう15歳だし、1人で買い物したっていいと思うんだけどなあ。でもジョハンナが付いてきてくれるのなら、久しぶりに外出できるよ」
ロドルフ様がブラン君の単独での買い物を止める理由も気になるが、とりあえず本人に聞いてまた気分を害されてもまずい。
「では、明日の9時頃に出発いたしましょうか」
「うん、わかったよ。お金は僕が出すから心配しないでね」
にこやかに言うブラン君。まあ、あなたの買い物なのだから私がお金を出す筋合いもないのですが……
私は返事をして彼の部屋を後にした。
ふう。会って2日目にして一緒に買い物できるぐらいに打ち解けられたと思うべきかしら。ゲームだったらイベント発生というところ。
私も街で買い物するのは久々だ。明日は明日で何が起こるかわからないけれど、とにかく着ていく服を選ぼうかな。
ちょっとワクワクとした気分を味わいながら、この日の夜は更けていった。