5.ジョハンナ 領主の弟に会うが質問がしつこい
領主のロドルフ様のところで経費関係の取りまとめも行うことになった私だ。昨日は1日それに専念して、なんとなく仕事の感覚をつかめたような気がしていた。まあ、前世のOLで似たようなことをやっていたんだけどね。昔取った杵柄というやつだ。違うか。
今日もお仕事を始めるか、と思ったところで唐突に重要なことを思い出した。ゲーム「グレイスフル・ランデブー」って、私が悪役令嬢として活躍する攻略対象が、もう1人いるんだった。ロドルフ様の弟のブラン君だ。
確かゲームではロドルフ様と同じお屋敷に暮らしているはずなのだけれど、私が住み込み始めてから未だに紹介してもらえていない。姿を見かけることもなかったし。このままでいいのだろうか?
◇ ◇ ◇
朝食後に、ロドルフ様の執務室隣に準備してもらった私の仕事部屋へ行ってから私の仕事は始まる。
その前に、執務室でロドルフ様に挨拶しなければ。できればその時に、ブラン君のことも尋ねてみようか。
コンコンコンと3回ノックして、ドアを開ける。短い返事があったのでそのまま中へ。ロドルフ様はすでに座って仕事を始めていたようだ。
「おはようございます、ロドルフ様。本日の仕事を開始いたします」
「おはようございます。よろしくお願いします」
「あの、つかぬことをお伺いするのですが、ロドルフ様には確かご兄弟がいらっしゃいましたわよね」
「はい」
顔色一つ変えずにロドルフ様が言う。なんか後ろめたいことを聞いているような気になってきた。
「あの、ブラン様という弟君がこのお屋敷内にいらっしゃると他の使用人の方にお聞きしまして。一応、私もこれからこちらでお仕事させていただきますので、ご紹介していただければと思うのですが」
「はあ……」
尻込みしたような態度に見えるロドルフ様だ。
こういう反応になる理由としては2つほど考えられる。1つはブラン君と仲が悪かったりして没交渉だったりで、積極的に関わりを持ちたくないと考えているため。もう1つは、私にブラン君を紹介する必要性がよくわからないため。
ロドルフ様の場合、後者が十分にありえる。
「ジョハンナさんがそう言うのなら、わかりました。そうですね、今日の昼食後にでも紹介します。ペトロッシさんに頼んでおきますよ」
あれ、ロドルフ様から直接じゃないのね。まあ、雇用主にそこまでしてもらうのも失礼な気もするし。
「承知いたしました。お手数おかけし申し訳ございません。では仕事にかかりますわ」
執務室を出て、仕事部屋にて私の業務が始まる。
◇ ◇ ◇
午前の仕事が終わって昼食をとった。待ち遠しい気分で仕事をするという感覚も久々だった。もちろん手を抜いてはいないのだが。
仕事部屋を出ると、ちょうど執事のペトロッシさんが私を呼びに来るところだった。
「ジョハンナさん、ロドルフ様から指示があったのですが、ブラン様にお目にかかりたいとか」
「ええ、そうなんですのよ。同じお屋敷にいらっしゃるわけですし、ご挨拶をしておくべきかと思いまして」
「わかりました。ブラン様のお部屋までご案内します」
今は昼休みの時間帯。時間外の仕事を嫌うペトロッシさんがこの時間に案内してくれることを少し不思議に感じたので、聞いてみた。
「昼休み時間を20分延ばしてもらったので、大丈夫です」
なるほど、納得だ。きっちりしている。
そんな会話をしているうちに、ブラン君の部屋の前に着いた。うーん、ペトロッシさんの仕事の心配よりも、ブラン君がどういう人なのかを聞いておいた方がよかったかしら。
「では、入りますよ?」
「はい、お願いします」
ペトロッシさんが小声で私に確認してくるので、妙に緊張してきた。
そして彼はドアを3回ノックする。
「ブラン様。ペトロッシです。このたび屋敷に勤めることになった癒し手のジョハンナさんが、ブラン様にご挨拶したいとのことです。入ってもよろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」
思ったよりも高めの声で返事があった。ペトロッシさんがドアを開き、私に中に入るように促す。
ブラン君の部屋に入り、私は言葉を失った。
壁面には大きな本棚が備え付けられており、そこには難しそうなタイトルの本が並んでいる。本棚の前には机。その上にも本が積み上げられているほか、白い瓶に透明な瓶。よくわからない箱と数枚の板。床には手書きと思しき書類が散乱している。
これは、まるで実験室のようだわ。全てが研究用に準備された道具や什器なのかしら。
本棚の前の机のところで、椅子に座ってこちらに背を向けているのがブラン君だろう。
ゆっくりと彼が立ち上がりこちらを向く。
栗色の髪をした青年……青年というよりも少年と呼んだ方が適切だろうか。事前に聞いたところによると年は15歳のはずだが、私が思っている15歳の体型よりも少し小柄な印象だ。
髪型がおかっぱで、ちょうど目元の辺りまで前髪が伸びている。目に当たらないか心配になる。それでも髪の下から覗く顔はロドルフ様と同じく整っており、いわゆる美少年といっていいのではなかろうか。
ブラン君は少し強張った顔でこちらの方を見ている。初対面の相手を少し警戒しているのかもしれない。私には嗜虐趣味はないのだが、その顔を見てちょっとばかりぞくりとした。
おっと、見とれてばかりもいられない。ご挨拶しなければ。
「お初にお目にかかりますわ。ブラン様。私はロドルフ様に『癒し手』として採用いただきましたジョハンナと申します。今後お目にかかることもあるやと思い、ご挨拶に参りました。どうぞよろしくお願いいたします」
私は挨拶の口上の際に、片足を後ろに下げて両手でスカートの裾を持ち上げ、お辞儀をした。
それを見て、ブラン君の顔に急に活気が宿った。
「ねえねえ、今の動きは何? どういう意味があるの? 女の人はみんなそうやるの?」
突然の質問攻めに遭ってしまう。
「い、今の動きはカーテシーといいまして……主に女性が行う伝統的なご挨拶の方法ですのよ」
「へえ! そうなんだ。なぜ行うの?」
「その、上流社会で目上の方に対して行われる作法でして……」
「へえ! なぜ目上の人に対してだけなの? 目下の人に対してはやらないの?」
こいつ、なぜなぜ分析小僧か!
立場も忘れてそう突っ込みたい衝動に駆られる。
本来、なぜなぜ分析というのは製造現場などで問題が出たときの真因を掴むために、原因追及を繰り返していく手法を指すので、ブラン君がやっているのは必ずしもなぜなぜ分析とはいえないのだが、さすがにこのときはそう言いたくなるぐらい参ってしまった。
「まあまあブラン様、ジョハンナさんもお答えにお困りのようですし」
「ああ、そうか。じゃあジョハンナ、今度教えてね」
「承知いたしましたわ」
ペトロッシさんが助け船を出してくれた。幸いなことにそれであっさり引き下がってくれたブラン君だった。
「ブラン様は何かの実験をしていらっしゃいますの? 邪魔をしてしまい申し訳ございませんでした」
「これはね、いずれ話すよ。今はちょっと佳境なので、ちょっと続きをやりたいんだ。ごめんね。また今度話そうね」
ブラン君がそう言うので、私とペトロッシさんは彼の部屋を辞す。
「凄い部屋でしたわね。私、カルチャーショックを受けましたわ」
「ブラン様は起きている時間の大半をあれに費やしておられます。あれがなんなのかは、いずれお話しいただけるでしょう」
興味があるが、何か怖い予感もするわ。
「ペトロッシさん、先ほどは助け船をありがとうございました」
「いえいえ、ブラン様はいつもああいった形でいろいろなことに興味をお持ちの方なのです。ですからロドルフ様もあまり会いたがらなかったりするのですよ。ロドルフ様はあまり考えずにご発言なさるので」
確かに質問攻めをくらうとロドルフ様ではまともに答えられないのかもしれない。
「ロドルフ様が質問攻めに遭っているときに、ペトロッシさんはどうしているのかしら?」
「もちろん、黙って見ています」
やっぱりか。
「そうした時に、なぜかたまにロドルフ様がこちらをチラチラ見ることがありますね」
「それは助けを求めているんだと思いますよ」
私が助けてもらえたのは、初回だからだったのだろうか。
ともかくブラン君への挨拶もできたし、今日やりたかったことはできたわ。
複雑な気分で今日が終わった。
さて、次にブラン君に会うときまでに、カーテシーについてもっと調べておかないと。でもせっかく調べても、聞かれないことも多いのよね。