4.ペトロッシは残業を断る執事
今日はあまりやることがなさそうなので、身支度をした私はさっそく執事のペトロッシさんに話をするため彼の部屋を訪ねた。
「……なるほど、モンスター討伐などがなくて怪我人がいない日に、何かやることはないかという話ですか」
ペトロッシさんは、私の要望を聞いて少し考え込んだようだった。やっぱりインテリ系イケメンは考えている姿も様になるわね。これからも単に難しいだけで解決しなくてもいいようなことをたまに聞いてみようかしら。
「あの、討伐がなくとも日常生活で怪我をする人はいらっしゃると思いますわ。ですからそうした人を治す簡易な医務室を開かせていただければと」
「ええ、それはいいですね。部屋を1つ準備しましょうか」
おお、いい感じにやれることが決まってきた。ただ私は傷は治せるが、病気に関しては専門知識がないし薬の用法も門外漢だから、そちらも区分していかねばならないわね。
「しかし、そんなに怪我人が毎日も出ませんよ。まあ、自警団でたまに怪我する人は出ますけれど」
「そうですのね……」
する仕事がない問題は簡単に解決しなさそうなので、薬の勉強をして病気の対応もできるようになった方がいいのかしら。でもその場合は専門の学校とかに入り直して……でもせっかく就職してまた別の学校に行くのもどういう人生設計なのかわからないわね。
思考が堂々巡りになってしまった。
「あのー、ジョハンナさんは先日ロドルフ様の部屋でご挨拶なさったと思うのですが」
「はい」
「机の上にあの、もの凄い量の書類があったのを見ましたか」
「あ、はい。こう言ってはなんですが、山のようにございましたわ」
ペトロッシさんが何か思いついてくれたようだったが、彼は再び考えるように目を伏せる。
「……ジョハンナさん、あの書類を整理して、適切に処理してもらうことはできますか」
「えっ、はい、内容はわからないのですが、私でできそうな内容でしたらお力になります」
私の返事を聞いたペトロッシさんが口元に笑みを浮かべたのが見えた。にこやかにという感じではなく、ニヤリという表現の方が正しそうな笑みだったのが気になるけれど。
「えっ、やってくれますか。そりゃ助かります。いやあ、それほど大した内容の書類でもないと思うんですけどね。ロドルフ様が自分でやるとおっしゃるので」
彼が急に砕けた口調になる。戸惑っている私をよそにペトロッシさんは話し続ける。
「多分使用人から出された経費精算の書類とか、よそから来た請求書とかだと思うんですけど、あれだけ量が増えてしまうと1から見るのに時間がかかるんで、困ってたんですよね」
「は、はあ……」
最初こそ丁寧語だったが、今は後輩と話すような砕けた口調が混じっている。
まあ、ペトロッシさんと私の間に雇用関係があるわけでもないし、私は子爵令嬢ではあるけれどペトロッシさんの家と主従関係があるわけでもないものね。
私は気になったことを質問してみる。
「あの。ペトロッシさんはロドルフ様の書類を見たり処理したりはなさらないのでしょうか?」
「そんなことはいたしませんよ。ロドルフ様が自分で見るっておっしゃってますから」
「しかし、毎日ロドルフ様は書類の処理が遅くまでかかっているようで……」
「私はそういう雇用契約でもありませんので。契約時間外で見なければならないほどの重要性があるか疑問ですし、そこから生じる責任も取りがたいというのが私の考えです」
あー、要するにペトロッシさんは給与分しか働かないタイプなのか。
私が前世で勤務していた会社にも、こうした男性社員はいた。仕事よりもプライベートを優先するタイプ。周りが残業していても自分の仕事が終わればすぐに帰る。そのくせに自分が残業する羽目になると、担当する仕事が多いと文句を言う。
私はそれが悪いとは思わないが、異世界でもこういう考え方の人はいるのだなと、妙に感心する気持ちが湧いてきた。
「じゃあ、ロドルフ様にジョハンナさんが仕事を手伝ってくれそうだと伝えておきますから、午後からでもご本人から内容を聞いていただけますか。いやあ、これで私も心置きなく、夜になれば帰れるようになりますね」
残業せずに帰って、何かすることでもあるのかしら? つい話の流れで、ブラック企業めいたことを考えてしまった。こういうのはよくないわ。仕事が終わってから何をしようと、個人の自由よね。
「ペトロッシさんって何歳なんですの?」
「急に変わった質問ですね。25歳です」
「ありがとうございます。わかりました」
思ったよりも若いということがわかった以外にあまり意味のない質問をしてしまったが、とりあえず彼の部屋を出る。
ペトロッシさんは思った以上に自分本位な人なのかもしれない。しかしある意味、まだ会ったばかりの私に対してかなり正直に自分のことを話してくれたのではなかろうか。
残業拒否の姿勢は気になるが、これもワークライフバランスとも考えられて不快ではなかった。
「午後からロドルフ様に、仕事について聞きましょう」
午前中は特にすることがなかったので、屋敷内の蔵書を見せてもらう。治癒魔法に限らず魔法関係の勉強もしたいと思っていたのだが、あいにくそうした本は並んでいなかった。
『生産性を上げる素晴らしいやり方』とか、『3日で習得する云々』とか、『成功までの何々』とかのビジネス書のようなタイトルの本がやたらと多いのには驚かされた。誰が買ったのだろうか。
昼食後にロドルフ様の部屋へ。彼は食事を済ませた後で屋敷の外をウォーキングしていたらしい。少し息を切らしながら応対してくれた。
「ペトロッシさんに聞きましたよ。ジョハンナさんが私の仕事を代わりに、ですか」
「はい、私でお役に立てることがないかと思いましたの」
ロドルフ様は無表情で、何を思っているのかわからない。
「この話を聞いてから考えてみました。ジョハンナさんには主にお金を扱う仕事を手伝っていただこうかと思ったのですが、そういう知識がおありなんでしょうか」
「あ、あのー、治癒魔法学校には、専門の授業と自由に受けていい授業がありまして、自由に受けた方の財務関係の授業があったんです」
「へえー」
うまくごまかせた。さすがに前世でOLをやってて経費の精算とかの経験者でしたとは言えない。とはいえ前世では一応簿記3級は受かったのよね私。
◇ ◇ ◇
話し合いにより、私は金庫番を任されることとなった。ロドルフ様が行っていた使用人の給料計算と支払い、彼らが立て替えて払っていた経費の精算、仕入代金の支払いなども行う。国への税金の計算もいずれ担当することになりそうだ。
……これって、お仕えするストルト家の財務情報を私が把握できちゃうってことなのよね。
まあ、いいか。玉の輿狙いで嫁いでくる女性だったら、そうしたお金の情報も欲しくなるのかもしれないけれど。
私は今のところは、悲惨な運命の回避さえできればいいかなってところなので、仕事を通じて得られた情報がいずれ役に立つかもしれないわね。ロドルフ様とは特に秘密保持契約を結ぶわけでもなかったので、彼はちょっと緩いかもしれないとの印象を受けている。
「よからぬ輩にストルト家の財産を奪われないようにしないとね」
財産が自分の物になったわけでもないが、私は密かにそう決意した。