2.ロドルフ 部屋で悪役令嬢と会うが、書いている字が奇妙
執事のペトロッシさんに案内されて、領主様の部屋の前まで来た。ペトロッシさんがノックする。
「ロドルフ様、『癒し手』のジョハンナ様をお連れしました」
「はい」
あら、領主様は短い小声のお返事。ペトロッシさんがドアを開けて促してくれたので、私が単独で部屋に入る。
執務机に座り、肘をついて物憂げな顔をしていた美形の男性。彼は私が部屋に入ってきたことをしばらく気に留める様子もなかったため、やや不可解な気持ちになる。
眼鏡をかけて学者然とした雰囲気の美形の男性。机の書類を確認しているようで、まつ毛の長さが目を引いた。
ともかくこの男性がロドルフ・ストルト。私を癒し手として雇った領主だ。
年齢は私とそう違わないはずだが、先代領主であるお父様がモンスターとの戦いで命を落としてしまい、その跡を継いだことでいろいろと苦労していると聞いている。
まだ遊びたい年頃だろうに気の毒かも、と、ついつい私の尺度で考えてしまう。でも早いうちから責任ある仕事を任された方が、成長も早いし貫禄も出てくるかもね。立場が人を作る!とは私の好きな言葉だ。
ああ、私ったら挨拶もせずに、また考え事を始めてしまった。
ついついロドルフ様の顔に見とれていたところで、彼の方が私に気づいて口を開く。
「ああ、待っていました。あなたがジョハンナさんですね」
「ジョハンナと申します。初めまして。このたびは私を癒し手として採用いただきまして……」
自分で言いながら、就職したての挨拶回りみたいな発言だと気づいた。私も一応子爵令嬢なのだけれど、侯爵のご子息にはやはりへりくだった方がいいのだろうか。一瞬で思考が頭をめぐる。
私の挨拶の途中だったが、ロドルフ様に遮られる。
「いやいや、あなたは治癒魔法学校では優秀な成績で卒業されたと聞きました。バイロット家からはあなたが初めての癒し手だとか。わがストルト家にお力添えいただきありがたく思います」
ロドルフ様はにっこりと笑って言う。穏やかな物腰と嫌みのない笑顔。これはさすがに恋愛ゲームのパッケージ中央を陣取れるだけのことはあるものだわ。
しかも家のランクとしてはあちらの方が上なのに、それを鼻にかけることもない。最初の不可解な思いが薄れ、私はちょっと彼に好感を持った。
「微力ではございますが、精一杯頑張ります」
と、頭を下げたところでロドルフ様の机の書類が目に入った。メモを書いていたのか、書類の下の方にはいろいろと彼が書いたであろう文章があるが……
字、汚なっっ!
ええ……ついさっき好感を持ったばかりだが、ちょっと引いてしまった。達筆すぎて読めないというわけではなく、小学校高学年と争うぐらいの字に思える。
いや確かに、イケメンで文字があまり綺麗じゃない人も世の中にはいるわよね。でも前世だと、字が汚い人ってあまり仕事ができなかったりもしたので心配になる。あくまで私見です。
多分、汚い字というよりも変わった字とか、奇妙な字と考えた方がよさそう。今後のためにも。
「どうか、しましたか?」
頭を下げたままの私を不思議に思ったのか、ロドルフ様が声をかけてくる。
「い、いえいえ、あそこに何か落ちているかと思ったのですが、気のせいでしたわ」
「ふむ、掃除はしてもらっているはずなのですが」
「とにかくロドルフ様、どうぞよろしくお願いいたします」
字の汚さに顔が引きつりかけた私だが、礼をして下を向いているうちに顔の表情筋を操る。笑顔だ笑顔。顔を上げたときにはいつもの私に戻っている。
そういえばさっき挨拶を遮られたのもちょっと気になったかも。
ロドルフ様はまだ仕事があるとのことで、彼の部屋を辞す。
◇ ◇ ◇
私の職務については明日以降にお話があるそうだ。なお私はこのお屋敷の一室を与えられて普段はそこで生活させてもらえることになっている。先代の領主、つまりロドルフ様のお父様のご友人が使っておられた部屋だが、今は空いているとのことだ。
私の部屋まで案内されて中に入る。ひとぞろえの家具があるが思ったより簡素な部屋だ。まあ私の部屋をそこまで絢爛にしてもらう必要はないけれど。
治癒魔法学校では寮住まいで、卒業時にそこから持ってきた荷物がすでに部屋に運び込まれている。配置はおいおい決めていくことにしよう。
いろいろとあった今日が終わり、一息つく。
……やれやれ。なんとかロドルフ様への挨拶は無難に済んだように思われるが、実はこのとき私の頭にはまたも記憶が蘇ってきていた。
それは、ゲームでロドルフルートに進んだ際のグッドエンドとバッドエンドについてである。
まずはグッドエンド。悪役令嬢であるジョハンナは、ロドルフと主人公がくっつくのを妨害するものの、健闘虚しく(?)ロドルフと主人公が結婚する。
悪役令嬢はそれまでの悪辣な妨害行為を咎められて、しらを切るものの、因果の巡りか癒しの力が弱まってしまい、待ってもいっこうにその力が戻らない。ジョハンナは用済みとなってロドルフの領土から追放されてしまう。
ジョハンナは別の街のギルドに出入りするようになり、評判の悪いパーティー『アンサモンアモン(召喚されないアモン)』の回復担当として彼らに同行することに。しかし向かった先のダンジョンで自らが負った傷を癒やすことができず死亡する。
こういう筋書きが準備されていたわけだけど……これは、ひどくない!?
能力の否定と絶望してからの死とは、まるでいいところがないじゃないの。ゲーム制作側もジョハンナの行いは相当腹に据えかねたのだろうか。そんなひどいことしていたかしら。
悪役令状が悲惨な運命を回避すべくいろいろ動いて、例えば主人公に親切にしたとする。しかしなぜか主人公と攻略対象が結婚する展開になると、悪役令嬢はゲームと同じように悲惨な目に遭う結末は変わらない、という事例もあったとどこかで読んだ。
なんとか回避しないと……
私は就職先での新人のような思いでありながら、早くもタイムリミットが迫ってきていることを予感していた。
就職の初日って、もっとキラキラしているものじゃないの!?