1.ジョハンナ 就職初日に前世について思い出す
全40話ほどで完結を予定しております。
よろしくお願いいたします。
その日私は唐突に気づいた。
今日は私が新たな勤務先に入る初日。応接室のソファに腰掛けて面談を待っていた。
業務や待遇に関する説明書き説明書きを読み返しているところで、その紙の間に小冊子が挟まっていることに気がついた。
「あらっ、これは……?」
恋愛ゲーム『グレイスフル・ランデブー』の説明書だった。これに手が触れた瞬間、やや強い痛みを伴う電撃が頭の中を走り抜けるのを感じた。
痛みはすぐに回復したが、同時に前世の記憶が蘇ってきたのだった。
「私が今いるのは、前世でプレイしていたゲームの中の世界。そして私はそのゲームでは悪役令嬢」
端的に説明が付いた。
私の前世は素材メーカーに総合職として勤務していたOL。
乙女系恋愛ゲームもそこそこやった。
何かあってまだ若いうちに命を落としていた。
今の私の名前はジョハンナ。19歳。
職業というと治癒魔法学校を出たての術士で、その能力を活かすためにこちらの領主に雇用された。
そう、私はこの世界でも珍しい『癒し手』としての能力を持っている。
『癒し手』はその名の通り、人や動物の傷を癒やすことができる。つまりはファンタジー的に言うと回復魔法だ。
治せるのは体にできた物理的な傷のみで、病気の治療や精神的な病の解決ができるわけではない。それらは専門家が別にいる。
ただこの世界では回復魔法があまり発達していないため、回復魔法を使える者はてんでに能力を遊ばせておくのではなく、学校のようなところで共に切磋琢磨して鍛え合うことで全体的なレベルを底上げしているのだった。
『癒し手』の能力が発現するのはほぼ女性。
いろいろ思い出してきた。あと、ドアが開く音がした気がする。
「失礼いたします」
この世界にはある程度の範囲の土地とそこで暮らす人々を統治する役割の領主がいるわけだけれど、領主は隣接する土地を統治している他の領主との奪い合いだったり、モンスターの襲撃からも領民を守る必要がある。
その中で怪我人を治すことができる『癒し手』は各所からひっぱりだこで、治癒魔法学校を卒業間近になると様々なところからスカウトがある。
『癒し手1人で医者いらず』ということわざもこの世界にはある。私らはリンゴか何かかって話だけれど。
「ジョハンナさん、領主のロドルフ様の準備が整いました」
「そうそう、私はここにスカウトされてやってきて、もうすぐ領主様に挨拶するんだったわ」
一人で合点がいく。
私のように領主の元に召し抱えられるパターンもあれば、修道院や病院に入ってすぐに多くの患者さんを担当する子もいる。なかにはギルドからのスカウトによって冒険者のパーティーに加えられた子もいたっけな。
肝心なのは、『癒し手』として領主の元で住み込んで働いているうちに見初められて、領主と結婚するケースが結構な割合で発生しているということだ。いわば能力を認められての玉の輿ってやつ?
一応私も子爵令嬢なのだけれど、領主様というのが侯爵子息であることから、いくら子爵でも下に位置するのよね。
実家のバイロット家は裕福さで言うと中程度だったと思ったけれど、祖父が多角化を目指して始めていた新事業に失敗して、私は子どもの頃から『癒し手』としてどこかに就職するという道筋ができていた。
「あの、ジョハンナさん」
さてゲームにかかわる重要情報。確かここの領主様が私と同年代で、ゲームの攻略対象なのよね。
そしてその友人や、領主の弟も攻略対象だったはず。
ジョハンナが悪役令嬢として目立っていたのはこの3人のシナリオだったかな。他にも攻略対象の殿方はいたとは思うけど、そっちのルートでは正直言ってジョハンナは影が薄かった気がする。
『癒し手』についてだけれど、ゲーム『グレイスフル・ランデブー』の主人公である女の子も同じ能力があることを思い出した。
彼女の名前や出会い方は……どうだったっけ。思い出せないな。
そもそも同じ領土内に2人も同年代の『癒し手』がいるのって不思議ね。なぜだったかしら。
「ジョハンナさん、私の声が聞こえておりますでしょうか」
ゲームにおけるジョハンナの役割は、悪役令嬢らしく主人公の女の子の邪魔をするというもの。
つまりゲームの攻略対象となる男性と主人公が親しくなるのを妨害するだけでなく、自らが攻略対象の婚約者の座に収まろうとする。
人が見ていないところで主人公に嫌みを言ったり、取り巻きを使って仲間はずれにしたりしている。極端なシナリオでは主人公に物理的な攻撃を加えようとかなり大胆な作戦を立てたりもしていた。我ながら恐ろしい……って、それは私といっていいのだろうか?
私って自分で言うのも何だが優しい性格だ。それがゲームの都合とはいえ悪役令嬢の役回りなんて、ミスキャストもいいところね。あるいは、今後性格がきつくなっていくのかしら?
あとゲームタイトルの『ランデブー』はつまりデートのことだが、ちょっと時代を感じる単語ではある。
そしてこれを形容してくる『グレイスフル』の方は。Graceful。『優雅な』『エレガントな』などの意味があるので、ゲームタイトルを訳すると『優雅なデート』みたいな感じだろうか?
思考がとりとめもなく続きそうだったが、もうすぐここの領主様に挨拶し、仕事について面談をする時間だわ。
「あの、ジョハンナさん、お時間ですが」
気がつくと、屋敷の執事であるペトロッシさんのお顔が私の顔の真ん前にあった。
「ひゃあっ!?」
驚いて椅子から跳び上がりかける。もしかしてさっきから私、呼ばれていたのかしら。
「も、申し訳ございませんですわ。少し緊張して考え事をしてしまいましたのでして」
「そうでしたか。ロドルフ様は優しいお方ですから、心配することはありませんよ」
語尾などが無茶苦茶になってしまった私に、にっこりと笑いかけてくれてホッとした。ペトロッシさんは低音ボイスが素敵な長身の男性執事だ。
タキシードを着こなしており、固い服装ながら身にまとう雰囲気は柔らかめで話しかけやすそうに思った。
「それではジョハンナさん、改めて、領主のロドルフ様の準備が整いましたので」
領主様の部屋まで案内される。ゲームの攻略対象でもある領主様。噂や書類などでどういった人物なのか知っているものの、お会いするのは初めてだ。期待と不安が入り交じる。
ドアを開けた私は、そこで奇妙なものを目にすることになるのだった。