アルマジロ
小学6年生のむつみは
1人で3人がけソファに
横になっていた
「退屈だね」
むつみがつぶやく
テレビは消えている
スマホは充電中
「お母さん、今日は
何時に帰ってくるのかな?」
少し低い声でまた
むつみがつぶやく
「お腹空いたね」
今度は幼児のような言葉使いで
喋る
「お父さん、帰ってこないね」
最初の声
「あんなの親じゃないっ」
低い声が吐き捨てるように言う
「ママが可哀想」
急に幼子の声が涙ぐむ
安物の丸時計の秒針が
6畳一間の部屋に時を刻む
むつみの左目が細まる
そして
「ボクに良い考えがある」
喋ったむつみ本人も驚いたようだ
「4番目の人格者・・・」
低い声が呻くように吐き出した
今夜も母幸子が丸くなる
酔っ払って帰ってきた
父健一が足蹴にするからだ
「くそっ、俺が悪いんじゃないっ!
あのクソ上司っ!!」
仕事の愚痴
罵詈雑言を吐きながら
幸子を蹴り回す
安普請の建屋の壁が鳴る
お隣さんだ
肩で息を吐きながら健一は
座り込むとコップ酒をあおる
空になる
「ちっ!」
舌打ちすると立ち上がり
風呂場に向かって
「外で呑みなおしてくる」
そう言う
冷えきった浴室にはむつみがいた
寒さと怖さに震えていた
ドアが閉まる音とともに
飛び出し幸子に近づく
「お母さん、大丈夫?」
「心配ないよ。お母さんは
『アルマジロ』だからね」
そう言って笑う
「アルマジロ」
スペイン語で
「武装した小さなもの」
そう以前話してくれた
元々は健一が蔑むように
吐きかけた言葉だ
それを幸子は逆手にとって笑う
心配気なむつみの頭を抱き寄せる
「ご飯の用意をするね」
幸子は立ち上がり身繕うと
小さな流し台に向かう
その背中を見ながら
むつみの左目が細くなる
つぶやく
「お母さんはボクが守るよ」
日曜日も幸子はパートに出ていた
明け方近くに帰ってきた健一は
昼前になってもまだ
敷かれた布団でいびきをかいている
狭い部屋の大半を占めるから
いつもならむつみは
近くの図書館に出かけるのだが
今日は違った
いや
むつみと低い声と幼児は
でかけたかったのだが
第4の人格者がそれを遮った
「どうするの?」とむつみ
「殺すのか?」低い声
「でもパパだよ」
幼児の声は震えていた
「誰にも気づかれないやり方が
あるんだ。それに気づいたから
こうやって表に出てきた」
第4の人格者の落ち着いた声音
むつみの本体が右手をあげる
むつみの表情は
それを承知していないように
困惑している
開いた手のひらを健一に向け
ゆっくりと握っていく
「こうして、ギュッ、とね」
健一が寝覚めることなく
呻き声を上げた
最後まで済んだのだろうか?
むつみは気を失い
その場に倒れた
遠くで声がする
お母さんの声
誰かと話している
「どういった『力』が加わったのか
まるで敵の攻撃から
身を守るように丸くなってました
それは『アルマジロ』のように」
知らぬ声が遠くなりドアの音
カーテンレールの擦れる音
むつみは目を覚ました
「起きたの?良かった
先生を呼ぶね」
幸子が枕元の呼びベルを押す
「お母さん、お父さんは?」
しばらく逡巡したあと
幸子はおもむろに口を開く
「お父さんはね、
お空に上がったわ」
むつみの中でそれぞれの
感情が芽ばえる
幸子とふたり
別々な空間を見つめながら
そこに涙はなかった
顎を胸に刺さるほど埋め
両肩は埋めた顔を挟み込むように
狭まり
抱え込んだ膝は
後頭部を抑え込むほどに回り込む
骨は折れることなく変形し
元々、そんな形をしていたのかと
思わせるほどだ
遺体確認に立ち会った幸子は
ある感情を抑えきれずに
呟いた
「ざまぁみろ」
短い事情聴取のあと
幸子は開放された
健一の死亡時刻に
パート仕事に出ていて
アリバイがあること
むつみについても
小学6年生の力で
出来うる行為でないこと
また気絶した時間が分からず
気を失っている間に
何者かが侵入して
殺害したかもしれないという
見方が強いことなどの話を聞いた
「自由になった」
警察署を出ると
清々しい冴えた空気が
幸子の身を包んだ
新学年
心がソワソワする時期
中学生になったむつみは
母幸子からスマートフォンを
買って貰った
親子ふたり暮らしで
子供が寂しがらないように
突発的な何事が起きても
すぐに繋がるように、だ
SNSも始めた
幸子の考えでは
「頭の柔らかいうちから
始めてた方が覚えが早いし
間違いや詐欺にも対処できる」と
ひと月も経つ頃には
むつみからスマホの操作を
教わることが多くなった
むつみ自身もそれまでの
ストレスだった父がいなくなり
精神的にも落ち着いてきていた
心に潜む3人の人格も
顔を見せなくなった
そんなある日のこと
世間で騒がれている
未成年がSNSで簡単に誘い出され
略取される事件
最近の子は簡単に
ホイホイと着いていく
そう思う大人は早計だ
心に余裕が出てきたむつみは
中学生になって新しい生活の中で
初めての友達を作ることが出来た
スマホを持っていることも
知らぬもの同士を早急に
密にさせた
暦の上では春なのに
初夏の陽気の日のある日
5人でグループLINE
(メッセージアプリ)を
作っていたむつみに
メールが来た
「ななみがやばい事になった」
ファミレスに集まったのは
むつみも入れて3人だった
他の2人は習い事があって来れない
「それで?」
ふくよかな頬にチーズハンバーグを
詰め込みながら
あおいが俯くななみに尋ねる
最初、言いにくそうにしていた
ななみだが
意を決したように話し出した
「内緒にしてくれる?」
ふたりは頷く
特にむつみは
初めての友達のピンチに
感情が昂っていた
「実は・・・」
ななみは自分のスマホを見せた
そこには2人の見知らぬ
男の顔があった
「イケメンね」
モグモグしながらあおいが言う
言下に、そういう事かと
気づいたようだ
つまりはイケメンの彼氏に
自身のエッチな姿の写メを送った
その後、怖くなって消してくれるよう
頼んだら男の態度が急変した
ばら撒かれたくなかったら
俺と会えっと言われた
そればかりでは無い
もう1人可愛い子を連れて来い
そう言われていた
「可愛い子1人なら」
食べ終わったあおいは
おかわり自由なジュースを
飲みながら
「むつみ、だよね」
いとも簡単に言う
指名されたむつみはもちろん
断ることは無い
友達を助けなければ
気持ちはそれほどに昂り
頭の中では解決策を探っていた
黙り込み迷っている2人にあおいが
「会ってそいつと交渉して
写メを消してもらう
お金か身体を要求してきたら
警察に言う。って言う」
そうアドバイスする
2人は頷いた
「いつ?」
むつみは自分でも驚くほど
震える声で訊く
「ごめんね、むつみ
今日、今からなの」
むつみは頷き
母幸子に遅くなる故のメールを打つ
理由は書かない
若い女の子は好きになると
ふられてしまうことを恐れて
男の言いなりになってしまう
経験が少ないとなおさらだ
付き合っているのだから
大丈夫
そう自分に言い聞かせて
日暮れは遅くなっていた
指定された場所は歩いて行ける
地元の大きなデパート
「D」の標識の並びの駐車場に停る
屋根だけ黒い赤い軽自動車
すぐに見つけた
ふたりは顔を見合わせて
こんなに他に人が居るなら
大丈夫かもと言い合った
近付くとスライドドアが開いた
後部座席に乗り込むように言われた
思ったより高い声の男で
上ずっているように聴こえた
「あなたとは付き合えません
まだ中学生だし
なので、この間の写メは
消去してください」
震える声でななみは言い切った
「まぁ、そうだよな」
男は自分のスマホを見せながら
その画像を消去して見せた
そして
「俺みたいなやつには
気をつけろよ」
説教がましいことも言った
「そこにペットボトルがあるから
飲みなよ
サヨナラの乾杯でもしよう」
事が上手く運んだからか
ふたりは言われるがままに
置かれたペットボトルのキャップを
捻った
確かにその時初めて開けた
キャップだった
しかし口をつけた2人の耳から
男の声が遠ざかっていった
ペットボトルの注射針の穴に
気付くはずもなかった
宵闇に紛れて
男は1人ずつ家の中に運んだ
二階建ての一軒家で
灯りはついていない
運ぶ男の足元に絡みつく
アシの長い雑草
壊されたドアノブ
うずだかく埃の積もる
畳の上に2人は寝かされた
男はランタン風の懐中電灯を点ける
「ふっ」
男は暗がりの中で薄ら笑いを浮かべた
2人はピクリとも動かない
「睡眠薬が効きすぎたかな?」
男はビデオカメラを準備する
背中を向けたその後ろで
むつみが薄く目を開けた
そして右手を開いた
ゆっくりと握っていく
その時、バンッ!と大きな音を立てて
ビデオカメラが弾け飛んだ
飛び散った部品を見ながら
男は何が起こったか分からずにいた
続けてランタン風の懐中電灯が
粉々に割れ散った
男の乏しい想像力は
もしやと後ろの2人を振り返った
その目の前で
むつみが3度目の手を握った
ななみが目を覚ますと
あおいとむつみが心配顔で
覗き込んでいるところだった
「あっ、起きた起きた」
あおいはそう言いながら
ペットボトルを勧める
少し躊躇しながら
むつみが、大丈夫だよ
と言うのを聞いて口をつけた
「むつみから電話が来て
タクシーで迎えに行ったの
今ここはカラオケ屋よ」
路上にななみを背負った
むつみを見つけた
あおいはそう説明した
「私たち・・・」
今にも泣き出しそうに訊くななみに
「大丈夫。全部済んだよ
画像もあの男も2度と
私たちの目の前には現れないわ」
むつみは力強く言った
その夜あおいのお母さんが
迎えに来るまで3人は存分に歌った
空き家で変死体が見つかったのは
その日から数ヶ月後の
暑い夏の日だった
異臭がする
そう警察に通報があった
そしてそこには
丸く固まった遺体に
壊れたビデオカメラと懐中電灯
そして飛び散った部品を
集めなければ
分からないほど破壊された
スマホがあった
今も犯人は捕まっていない
おわり