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宣戦布告についての疑問

「あのですね! ヴィリジオ様は私の婚約者なのです。それも五年前から予約してます! ですから、絶対に渡しませんからね」


 ウィンディは面食らった。

 研究棟の女神と崇められているレナとヴィリジオが婚約しているというのは皆が知っていることだ。彼女の実家も彼のためにとは言わないが、それなりに資金援助と後ろ盾としているのも知っている。

 最初になぜ研究者と思えない少女がいるのかとウィンディもいぶかしく思ったものだが、彼女を知ればいてもおかしくないと思える。

 むしろ、研究者の先輩としてぜひともお話をしてみたいと思っていたところに声をかけられたのだ。

 研究用の一室にレナはウィンディを連れてきた。あたりをきょろきょろと見回してなにもいないかを確認したのちの発言であった。


 婚約者は渡さないからと言われてるようなまるで宣戦布告でウィンディの想定の斜め上をいった。もっとも、こういった趣旨の言葉はウィンディは既に何回か聞いている。もちろんそれぞれ別の女性からである。

 場慣れしているというのは喜ばしくもないが、いきなりかっとなったりしないための良い予行練習だったのだろうとウィンディは思うことにした。

 そうでないとやってられない。なぜか、研究所にはいってから異性に関心を持たれることが多く、煩わしく思っていた。ウィンディは冷静にレナに告げる。


「ありえません。ヴィリジオ先輩も全く、私に興味ありませんし、私も今は仕事がというより、レナさんと親しくなりたいです」


「わたし、ですか?」


 きょとんとしたような表情で見返してくるのは年相応に見えた。ウィンディの妹にもちょっと似ている。レナと同じ年であるらしい。年相応より落ち着いているのはやはり羨ましく思えた。

 ウィンディにとっても可愛い妹ではあったが頭が痛い存在でもある。お姉ちゃんのものが欲しい症候群をわずらって五年。面倒になって仕事に逃げ出していた。就職先が寮があったのもっと良かった。

 さすがに仕事はちょうだいとは言われない。


「私のどこが良いんです?」


 レナは困惑したままに問い返してくる。


「私よりも先に研究所に出入りしてらっしゃいますし、人脈も広い。素材への理解や発想など見習いたい点がいくらでも!」


「わわっ、ち、ちかい」


「あら」


 ウィンディは言われて気がついた。思わず、レナの手をがしっと握って顔を近づけている。すぐに元の距離へと戻るが、レナはそれよりじりじりと後ろに下がっていた。

 研究者の人ってすぐにそういう態度になるんですよね。そうぼやく声も聞こえた。

 ウィンディは恥ずかしくなって顔を赤らめる。


「ええとですね。要は私とお友達になりたい、ということですか」


「お友達なんて恐れ多い。後輩程度でも僥倖です」


「……私、研究者じゃないし、年上を後輩扱いできません。では、ご近所のお姉ちゃん程度で良いでしょうか。ご挨拶と雑談とたまにお昼でも」


「はい、よろしくおねがいします!」


 ああ、なんでこんなことにとレナは呟いたがウィンディは気にしなかった。彼女のガードはかたすぎて知り合いにすらなれないと言われていたのだ。

 婚約者であるヴィリジオは一切仲介はしないと明言している。婿入りなのだから、つまらないもめごとを起こして破談にしたくはないのだろう。それ以上に本人が面倒になったというのもありそうだが。


 レナは頭が痛そうに額を押さえている。


「大丈夫ですか?」


「ちょっとなんか想定と違ってなんか、こう」


「本当に、先輩とは何もありませんよ」


「うん、わかってたんだけどなんかこう不安になって」


 そうこぼすレナはウィンディには大変にか弱く見えた。強い女性のようで婚約者に弱いのは見ていてわかっていた。やはり、かなり惚れ込んでいるようだった。

 慰めたくなってウィンディは少しだけ小さい彼女の頭を撫でた。さらりと手入れされた髪が心地よい。つい毛並みの良い動物を撫でるように撫でてしまった。

 ウィンディの耳にはぅっとなにか聞こえた。それではっと我に返り、レナの頭から手を離した。大変無礼なことをしたような気がしないでもない。

 当のレナは頭を押さえて涙目だった。


「……今、色んなものがやばくなったので、それは封印してください」


「はい?」


「秘儀なでなでは封印で。世の色々な人を落としまくる魔の手です」


「はぁ」


 ウィンディもそれほど人を撫でまくるような癖はない。気が向いたときに野良猫を可愛がる程度だ。ふてぶてしいブチ猫は野太い声で唸るだけだったが、逃げたりはしない。最近は誘うようにちらちら見てくることもあるが、ウィンディも暇ではないので時々以上の頻度にはなっていない。


「ほんとに、ほんとですからね」


「わかりました」


「お願いを聞いてもらった代わりと言ってはなんですが、三日後のお昼、誰かと食べる予定はありますか?」


「ありません」


「では、昼食に招待します。迎えをよこしますので」


「え」


「三日後にお会いしましょう」


 にこやかに立ち去られてウィンディは断り損ねた。正直に答えるところではなく、予定があるとかいうところだったと気がついても遅かった。

 ウィンディは中途半端に上げた片手を下ろす先も見つけらず、じっと見る。同僚相手ならば肩を強引につかんだかもしれないが、あの華奢な肩をつかむのはためらわれた。

 本人は成り上がりの男爵令嬢でしかないというが、全く自己評価があっていない。


 あどけない少女のころから婚約者に会うためと名目をつけて研究所へ出入りしていた。普通は認められない行為は、彼女の家が出す資金のため見ないふりをされていた。

 時々、婚約者のもとを離れ、他の研究者と話をすることもあった。そのときにこうすればいいんじゃない? と子供の無邪気な指摘をいくつかした。

 誰も最初は取り合わなかったが、そのうちに一人、また一人と試してみるようになった。試した結果、行き詰ったことが嘘のように好転することもあった。また、失敗はしたものの新しい気付きがあったことも。

 もちろん、全く見当違いだったこともあるが概ね良いほうに向かった。


 その結果、ついたあだ名はひらめきの女神。ウィンディも最初は胡散臭く思っていたのだが、本人を見て考えを改めた。専門知識こそないものの基礎的な学力はしっかりあるし、着眼点が異なる。

 ウィンディはこれが商人と恐れおののいたが、どうも彼女だけが異例で普通はそうでもないらしい。


 ウィンディはそうでなければ世の中はもっと物騒になっていると指導役の先輩は笑わずに言ったと思い出す。

 無邪気そうに見えてきちんとした考えに基づいて誘導している。

 彼女に見えている世界はきっと違うものなのだろうと羨望に満ちた眼差しを送っていた。


 先輩の憧れを超えたものはウィンディには少しだけ危うく見えた。似たような視線を向けられたことはウィンディにもある。期待を外れたときに裏切られたと思い込まれたことも。

 そんな人だと思わなかった、というのは、面食らう。それにこちらが悪いかのようにいわれるのもなんだか疲れた。

 もっともレナの場合には、言われても言い返しそうだし、傷ついたとしても頼れる婚約者がいる。


 いやとウィンディは思い直した。ヴィリジオは他人が傷ついていることすら気がついていなくて、首をかしげそうな人だった。むしろ、自分の負傷さえ気がついていないかもしれない。危ういところをレナが引き止めているように思える。

 ここ最近はなにか必死そうだったなとふとウィンディは思い出した。いつも見ない場所で見かけたので変だと記憶に残っている。それはウィンディだけが気がついたものではない。最近、仲が怪しいのではないかと噂にもなっていたはずだった。

 皆に知られた関係というのは噂されやすいと慄然としたものだ。


「どしたの?呆然として」


 ウィンディは悲鳴をあげそうになった。そろりそろりと振り返れば、先ほどまで誰もいなかった椅子に一人の男が座っていた。

 彼はウィンディの知り合いではあったが、こんなところで会うとは思わなかった。


「い、いつからいたんです? ロー」


「最初から最後まで。たのしかった」


「声かけてください」


「いやぁ、声かける前にはじまっちゃったから出損ねた」


 巻き毛の黒髪を揺らして笑う男は、ウィンディにとっては少しばかり心臓に悪い。ここにくるまで無邪気に可愛い男にキュンと来るとは思ってみなかった。弟のような野生児とは違う。

 都会は恐ろしいところである。ウィンディは考えを表に出さないように眉間に皺を寄せた。腰に手を当てて、お説教ポーズをとる。

 これまでも常識外れのことをしでかしてはウィンディが面倒を見て、説教をしていたのだ。彼もしょげたようにうつむく。


「だったら最後まで黙っててください」


「黙ってたじゃないか。ただ、いつまでもウィンディが外に出ないから声をかけた」


「そ、それは考え事を」


「おもしろいこと?」


 ウィンディはローにきらきらとした目で見上げられた。彼女はうっと一瞬ひるんだがどうにか表情を変えずに済む。


「面白くはないですね。

 ああ、私にも婚約者が欲しいですよ。その気もないのに、婚約者に言い寄っただの恋人が心変わりした責任をとれだの、宣戦布告だの、いらないんです」


「いつになっても嫉妬というのは、ひどいものだ」


「はい?」


「じゃ、俺が立候補する」


「お断りします」


「な、なんで」


 本気でショックを受けているようなローにウィンディはため息をついた。


「なんでも、なにも。私、これでも貴族のご令嬢なので家の意向が関わります。住所不定無職の婚約者は困ります」


 厳然たる事実である。ウィンディが知りえている情報は本人自体に関わることだけだ。

 それにしたってローは長い名前の一部で、家名も教えてくれない。住処もよくわからないでは、お付き合いすら不可能であるとウィンディは思っている。思っているが、不意打ちにきゅんきゅんくるので血迷って不可解な判断を下すかもしれない。

 今日は理性がきちんと仕事をしてくれて助かったとウィンディは思う。


 対するローは絶句したが、すぐに拗ねたようにくちを尖らせた。


「……なんだよ。一緒に住むとか誘ってくるくせに」


「いったことありませんよ」


「つまりだ、人としての身分と立場とか色々用意してこいってことだな」


「素直に白状していただければよいんですけどね」


 ローの振舞いはそれなりに品よく、育ちの良さがうかがえる。少なくとも一般市民ということはなさそうだとウィンディは踏んでいる。

 貴族の隠し子という線も捨てがたいが、教養もあるともなればそれなりに養育されなければ身につかない。


 それに研究所に出入りできる程度には身分がなければならない。あるいは、レナのように資金援助などをしているかだ。


「俺の過去なんてもう埃どころか塵にも等しいものだ。ただ、金ならある」


 首を洗って待ってろよと捨て台詞を残してローは扉を出ていった。

 まるで決闘でもするかのようないいようにウィンディは笑った。一週間もせずに男爵を買ったローが爵位を受けるために訪れた王城で王女に見染められるなんて想像もしていなかった。

 もしわかっていたら、さっさと婚約していたと後に彼女は嘆くことになる。

「ねえ、猫ちゃん、野良の生活はつらくない? 私のおうちで一緒に暮らさない?」

 ウィンディは白黒のブチ猫に話す。この猫は研究所で働くようになって半月目くらいからの知り合いだ。田舎から出てきて色々気を張った日々の唯一の癒しになっている。

「うにゃ」

 胡散臭そうにと猫はウィンディを見ると尻尾を振って立ち去っていった。

「あーあ」

 ウィンディが小さくため息をつく。あの猫は研究所ではよく知られた猫だった。その名も先輩。いつの間にかやってきて長年いるらしいが、同じ猫なのか子孫なのかは定かではない。誰かに飼われたこともなく、たまに餌をせびりに来るくらい、らしい。

 滅多に撫でさせてくれないというが、ウィンディはいつか撫でてやると燃えていた。故郷では猛獣も黙らせると言われた神の手なのだ。

「難攻不落のほうが燃える」

 くふふと笑う彼女を見たものはいないのは幸いだった、かもしれない。


「あのナデナデはやばい」

「うにゃうにゃ」

 のちにレナと猫はそう言い合ったとかいわなかったとか。

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