第9話
目覚めると、彼の姿はなかった。首の痛みも引いているので、もしかしたら、あれは夢だったのではないか、そう思う。私はなかなかベッドの上から移動しようと思えなかった。きっと、立ち上がったら鏡を見にいってしまうから。
私は左手首を見る。昨日買ったルーカス様とお揃いのブレスレットがついている。『ブレスレットは外してしまえばそれまでだから』彼の声でそう聞こえた。……現実ならば、彼がそう思っているのだろうし、夢ならば、私がそう思っているのだろう。昨日はあんなに嬉しかったのに。少し寂しくなる。
ドアがノックされる。私は身構える。ルーカス様だったらどうしようかと。どんな顔をすればいいのだろう。私は小さくどうぞ、と言うと、入ってきたのがミアで安心する。しかし、ほっとする私とは逆に、ミアの顔は真っ青になる。
「……お嬢様、その首、どうしたんですか?」
「……あ……えっと、」
私が困っていると、ミアが察する。
「……殿下がやったんですか?」
私はびくっとしてしまう。そして、俯く。ミアは私が何も言わない様子をみて、そうなんですね、と言う。彼女が私をベッドから出し、鏡の前に連れてくる。すると、私は右側の首には大きく、真っ赤なあざのようなものができていた。細く白い私の首にくっきりと付くそれは、彼のもの、だと言うことを強く主張する。私は指を首に沿わせる。そんな私を見てミアは痛々しい表情を浮かべる。けれど、私はそんなに嫌な気持ちはしていなかった。───むしろ、嬉しい。
……これは彼のものだという証。
彼が刻んでくれたもの。あのときは痛かったけれど、心が満たされる感じがする。それに、彼が安心できるのなら、それでいい。私は少し寂しそうに笑うと、ミアの目から涙が落ちる。
「……レティシア様、私が殿下に言いましょうか? 痛かったですよね?」
「……お願い、言わないで。……私が、知っていることは内緒にして」
私が彼女の服の裾をぎゅっと握りしめると、彼女は俯き、小さく、わかりました。と言う。
「お嬢様、嫌だったらちゃんと言わなきゃだめですよ? そうじゃないと……殿下はあなたをどこまで傷つけてしまうかわかりません」
傷つける? 彼はいつも私に優しくしてくれる。傷つけたことなんて一度もない。これだって、彼は、彼のものだという証を付けただけで、傷つけようと思ったのではない。
彼女はクローゼットを開き、首もとが隠れそうなドレスを探す。しかし、私はその手をとめ、今日はこれを着たい。と首もとの空いた黒いドレスを指差す。今日は出かける予定はない。もとより、ルーカス様しか私のことなんか見ていない。それなら、彼が安心できるように、この赤い跡が見える方がいいのではないかと思った。
「……っ、わかりました。お嬢様がおっしゃるのなら」
彼女は黒いドレスを私に着せる。今まで黒のドレスは喪服以外来たことがなかったが、ここにあるドレスを着てみると、自分の白い肌や髪色がよく映えて、我ながら綺麗だと思った。
「お嬢様は、黒がよく似合いますね」
ミアがそう言う。私は黒が似合うのか。彼の黒と私の白が似合うのかな、と思うと嬉しい。そして、私はミアに相談したいことがいくつかあったのを思い出す。
「……ミア、あのね、私にどんなドレスが似合うのかとか、どんな髪型が似合うのか、教えてほしいの。……あと、私、この国の舞踏会に参加するみたいで、……えっと、この国の貴族の名前とか、国政とか、知っておきたいなって思ってて」
私が急にたくさん喋りだし、ミアは驚く。その後、にっこりと微笑み、殿下に相談してきますね。と言う。そして、私の髪を結い始める。跡が隠れるように気を遣ったのか、右側に髪が流れるように編んでゆく。手先が器用で驚く。裁縫もきっと得意なのだろうなと思う。
「……ミアと、今度一緒に刺繍をしたいわ」
私が、そう言うと、ミアの顔がぱぁっと明るくなる。そして、首を縦にぶんぶん振って、
「是非やりましょう! お嬢様と刺繍するのずっと夢だったんです! あと、一緒にお話したり、散歩したり、あと………」
彼女がやりたいことを色々と上げ始める。私はそれを聞いていて、心が踊った。私もずっとやりたかったことばかりだったから。ずっとやりたかったけれど……公爵家では誰にも言えなかった。それに、一緒にやってくれる人もいなかった。だから、とても嬉しい。
「あっ、もうこんな時間、殿下が待っていると思うので急ぎましょう」
***
急いで居間へ向かった。しかし、ルーカス様の姿はなかった。彼は先に食事を終えていたようだ。私は悲しくなる。一人で、朝食を始めるが、あまり喉を通らない。考えてみれば、公爵家では、あまり朝食を食べなかった。サラダとスープを一口。それくらいだった。それに、家族全員が集まる朝食や夕食の時間は、テーブルマナーに気を付けなければならず、いつも緊張していて、味があまりしなかった。
……家族の前より、王子の前でのほうが緊張せずに食べられるなんて
ふふっと私は笑う。おかしなことだ。ここに来てからはご飯を美味しく感じられる。それに、彼と少し会話をしながら食べるのは楽しくて、非常に心地の良い時間だった。
ご飯を食べ終わると、ミアが待っていた。私が朝食を取っている間、彼女はルーカス様に会っていたようだ。朝食よりも、彼と会いたかった。そう思いつつ、ミアの話を聞くと、彼は今日から王都に帰るまで仕事をしなければならないそうだ。考えてみれば、ここ三日間、彼のほとんどの時間を自分が奪っていた。彼は王子なのだ。例え別荘に来ていたとしても、仕事がたくさんあるのだろう。私も彼を手伝えればいいのだが……自国では、レオン王子に頼まれて、少し仕事を手伝うときがあった。しかし、この国のことを全然知らない今の私は何の役にも立たない。まずは、
「……私、王都に行くまで勉強するわ」
学生の頃は勉強することが義務だったからやっていた。辛かった。公爵家の令嬢である私は必ず一番を取らなければならない。何度も、苦しくて止めたくなった。しかし、周りはそれを許さない。テスト前日は緊張でいつも吐いていた。それでも、やるしかなかった。レオン王子と結婚したら、私は国の政治に多少関わるはずだったので卒業しても、勉強は欠かさなかった。しかし、自由になった今、私は、もう頑張らなくてもいいのでは……と少し思っていたが、それはだめだ。
……彼の役に立つために、頑張るわ。
今まで自主的に何かを学びたいと思ったことがなかった私は、自分のやる気の満ちように驚く。彼の存在があるだけで、私はこんなにも変われることができているのだ。幸い記憶力や思考力はある方だと自負している。王都に行く日まで必死に頑張ろう。
そういえば、いつ王都に行くのか聞いていない。それに、王都に行ったら私はどうやって過ごすのだろう。私はまだ彼に聞いていなかった。
「……ミア、ルーカス様とお話できるときはあるかしら」
ミアは私から目を逸らす。
「……今日は、ルーカス様はお嬢様とお話は出来なそうなのです。貴族の名簿や地学の本など、お嬢様の勉強に役立ちそうなものは私が執務室から借りてきます」
「……ありがとう」
ルーカス様はそれほど忙しいのだろう。自分が時間を取らせてしまったために……罪悪感が湧く。彼に会いたいと思う気持ちは山々だが、邪魔するわけにはいかない。
……明日は、きっと会えるはず。
そう思っていたが───次の日も、またその次の日も、彼には会えなかった。
***
「……私、嫌われてしまったのかしら」
私は声を震わせながら、ミアに聞く。ミアは、お嬢様は何も悪くないです。と言い私の肩を擦るが、私の気持ちは晴れない。
活動域が一緒なのだから、彼と顔を合わせるときは何度もあった。しかし、私が声をかけようとすると、さっと消えてしまう。今日も、朝食のときと夕食のとき、私が居間へ行く途中、居間から出てくる彼と目があった。しかし、彼は私から目を逸らし、歩いていってしまった。彼が執務室から出てきたときも、私の顔を見て、執務室に戻ってしまう。部屋もすぐ隣のはずなのに、何にも音は聞こえない。あの日のように、彼が部屋に入ってくることもなかった。
今日も終わってしまう。いつまでこんな日が続くのだろう。もし、このまま王都に行って、彼と離れ離れになってしまったら───私は怖くなる。王都では隣の部屋ではないだろうし、今よりももっと、彼は忙しくなるはずだ。私は不安になる。
そろそろ、ミアも休む時間だ。いつまでも、私に付き添っていては、彼女が休めない。
「……ミア、おやすみ。今日もありがとう」
私がそう言うと、彼女は私を心配そうに横目に見ながらも、部屋を後にする。真っ暗な部屋に一人になった私は、泣きたくなってしまう。私は鏡の前に立ち、彼のものだという証が残っているのを確認し、涙を抑える。
実は、昨日も一昨日も、あまり眠れていない。夢を見るのだ。結婚式を挙げるはずだったあの教会に私とルーカス様が二人で訪れる。彼は幸せそうに私を見つめる。しかし、途中で彼は一変し、私に言うのだ。「レティのことは、もう愛していない。僕は愛している者がいる」彼は私を蔑む目で冷たく見つめる。そこで絶えられなくなった私は、あの湖で命を絶つのだ。
もう、彼に愛されなくなってしまったのではないかと思うと怖くて怖くて仕方がない。だから、あんな夢を見るのだと思う。今日も、きっと夢の中で彼にそう言われると思うと、怖くて眠れない。私は彼の部屋へつながるドアを見る。
『……もし、寝れないとか、寝ているときに何か怖いことがあったらこっちに来ていいから』
私はドアに向かって歩きだしていた。そして、ドアを開ける。彼の部屋は電気は付いていないが、カーテンが開いていて、月明かりが入り、明るい。静かだったので寝ているかと思って、踵を返す。そのとき、
「あぁ、また偽物のレティが来たのか」
彼がそう言う。偽物? 私はレティシアだ。どういうことなのだろう。私ははっとする。
……もしかして、会えなくなった彼女の名前はレティシアなのかしら
「……レティ、もう、こっちに来ないでくれ。本物の君は隣の部屋にいる。この部屋には来るわけがないんだよ」
ん? 本物は隣の部屋? 本物とは私のことを言っているようだ。
「……僕は、レティを僕のものにしたのに、前よりも頭がおかしくなってしまったみたいだ。今まで、幻覚なんて、見たことなかったのに、最近はすぐレティが見える……ねぇ、偽物のレティ、消えてよ。お願いだから」
私は彼が何を言っているのか理解できず、戸惑う。そんな私の方へ彼は歩き、ゆっくりと距離を縮める。私は異様な雰囲気の彼が少し怖くなり、後ずさるがさっきドアを締めてしまったので、後ろに下がれない。振り返ってドアを開ければいいのだが、彼から目を離すことが出来ない。彼が私の目の前に来ると、彼は両肘をドアにつける。私は彼から逃げることはできなくなってしまった。黒い髪の間から顔が見える。しばらく、近くにいけなかったので気づかなかったが、彼の目の下には隈ができている。彼も眠れていないのかもしれない。
「ねぇ、レティ、こんなに近づいても消えてくれないの? さっき現れたレティはすぐ消えたのにね。これじゃあ、本物のレティと区別がつかないよ。まぁ、この部屋にいる時点で偽物だってことはわかるけどね」
彼が傷ついたように笑う。さっき現れた? 消えた? 私は疑問でいっぱいになる。そして、思いつく。彼はさっきまで寝ていて、寝ぼけているのかもしれない。彼の辛そうな顔は見ていて切なくなるが、夢の中で私のことを考えてくれていたと思うと……少し嬉しい。
私は彼を抱きしめる。こんなに近くに彼がいることが久しぶりで気づいたら抱きしめていた。
「……この偽物のレティは、抱きしめてくれるんだね。すごい、感覚までリアルだよ。……本物のレティだったら、抱きしめてくれないのにね」
彼が頭を撫でる。儚気な彼を見ていると、私は悲しくなる。しかし、何度もレティと呼ぶ声は私を愛おしく思う気持ちが入っているのがはっきりとわかり、安心する。
……彼が寝ぼけているのなら、私が、頭を撫でて、寝かしてあげよう。
そう思って、彼の右手を引く。その手にはブレスレットが付いていて、外さずにいてくれてることを知り、また嬉しく思う。私はベッドまで行くと、布団を外して、彼を寝かせようとしたとき、
「きゃっ」
ルーカス様がベッドに私を押し倒す。私はいきなりのことに一瞬何が起こったのかわからなかった。いつも優しく私を扱う彼がこんなにも力強かったことを初めて知る。彼は私を上から見上げる。さらさらの黒髪がまっすぐ垂れ、顔がよく見える。
「……ねぇ、偽物のレティになら、何してもいいの? 本物のレティには出来ないこともしていいってこと?」
彼の手が私のネグリジェの合間から見える、私の脚に触れる。
「……だめ」
私は真っ赤になって、彼の手を抑える。彼の部屋に来た私が悪いが、まさか彼がこんなことを望んでいたとは思わなかった。この間も、彼に注意はされたものの、あのときも彼は紳士だったので、安心しきっていた。寝ぼけている、いつもとは違うルーカス様の様子に戸惑う。力強い彼が、このまま続けようと思ったら、私は抵抗しても意味がないだろう。もとはといえば、私は彼のものだ。この間も別にいいと思ったのだから、今彼に何をされようとも、受け入れるしかない。そう思うものの……
「レティ!?……泣いてるの?……今までのレティは泣かなかったのに。本物のレティしか、泣かなかった……ごめん、そんなに嫌だったんだね。……ごめん」
私が泣いてしまうと、彼は手を離し、私を抱きしめる。寝ぼけていても、彼はやっぱり優しかった。彼に抱きしめられ、安心する。
「……ねぇ、このまま寝てもいい? それくらいならいいよね? 何もしない。君がいれば、今日は寝られる気がするんだ」
私も、彼に抱きしめられたままなら、怖い夢を見なくて済みそうだ。私はこくりと頷く。
「ありがとう。……なんか、浮気してるみたい。偽物でも、レティはレティなのに」
私が小さく笑う。彼は、私を布団にいれ、自分も入ると、私を強く抱きしめる。そして、頭を撫でる。私はそのまま、また、寝てしまう。今日も、彼の寝顔は見れなかった。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
この作品をいいと思った方は、ブックマーク、下の評価、感想 等いただけると嬉しいです。
作者のモチベーションがあがります!




