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第6話

「レティ、街に行こうか」


彼にそう言われ、私は今馬車の中で彼と隣り合って座っている。彼が馬車に始めに乗り、私があとから彼の向かい側に座ったのだが、彼は私の隣に座り直した。


私が彼の顔を見上げると、彼は微笑み、私の手を握る。ペットを小脇に抱えて置きたいということだろうか。彼は体が大きい。狭くはないだろうか。そう思うものの、彼の満足そうな顔を見ると、私も満たされる感じがする。


結婚式の会場であった、教会からそのまま逃げ出した私は、何も持ち合わせていなかった。いつまでも彼の婚約者のドレスやアクセサリーを借りるわけには行かない。それに、あの部屋には最低限の物しかなく、時計や本はもちろん、ペンや紙一枚すらない。無一文の私だが、隣国の王子である彼からすれば可愛がるペットにエサをやるようなものなのだろう。甘えさせてもらう。なるべく安いものを頼めば、そこまで負担にはならないだろう。


「レティ、今日は青いドレスなんだね。よく似合う。ローブを着せなきゃいけないのがもったいないくらいだ」


私ははっとする。ローブで隠れるからと思い、申し訳ないが淡い青から藍色へグラデーションになっている青を基調としたドレスを借りた。これなら、彼の瞳と同じ色である布の面積が少ないと思ったが……彼がこのドレスに注目したということは、何か思い入れのあるドレスなのかもしれない。しかし、他の青いドレスは完全に彼の瞳の色。黒いドレスはいうまでもない。


それにしても、このドレスもそうだが、本当に素材がいい。それに、私の持っていたどのドレスよりも綺麗だ。小さな宝石が散りばめられ、きめ細やかな生地に染みた繊細な色合い。彼が、どれほど彼女のことを愛しているかが伝わってくる。そんなドレスを身に纏うと、どうしても気鬱になる。


「レティは、今まで街に行ったことはある? 流石に公爵家のご令嬢でも、街くらいは行ったことあるか」


彼が、軽く笑いそう言うと、私の心臓がドクドクと脈打つ。普通、はそうなのだろう。でも、私はこれが初めてだ。初めてなんて言ったら、彼はどう思うのだろうか。彼を落胆させるだろうか。わからない。普通がわからない。私が不安そうな顔をしていたのか、彼が


「……もしかして、初めて?」


と聞く。私は小さく頷き、彼の顔色を伺う。すると、彼はちょっと照れたように、私に笑顔を向ける。


「そうなのか。初めて街に行くレティと一緒にいられるのが僕で嬉しいな。楽しい一日にしよう」


「……私もルーカス様が一緒で嬉しい……です」


彼の目を見て、口角をあげる。まだ、意識しないと、表情を動かせないが、動物らしくなってきた気がする。あの日───結婚するはずだった日、以前は一日百字以内しか喋らず、ずっと無表情だった。ほとんど使用人や家族からしか声をかけられなかった。


質問されるときはだいたい『はい』か『いいえ』で答えられるものだったから、わざわざ口にしなくても、頭を動かすだけで事足りた。表情も動かしたいと思うことはなかった。でも、今は───私が笑えば、喜んでくれる人がいるし、私も笑いたいと思う。悲しいときは泣いていい、怒りたいときには怒ってもいい、私の感情を、言葉を受け止めてくれる人がいる。


これは、幸せなのかしら。それとも、普通のことなのかしら。


私にはわからない。私からしたら、こんな満ち足りた日々はお祖母様と共に過ごしたとき以来だから、特別におもうが、他の人にとっては特別ではないのかもしれない。ルーカス様も、ミアもよく笑う。───レアナや、レオン王子もそうだった。お母様やお父様、お兄様も、私を見るときは厳しい顔をしていたが、他の家族と話しているときは、優しい顔や笑った顔を見せることが多かった。


「……ねぇ、レティ。レティは今何を考えているの?」


私は驚き、ルーカス様を見ると、彼は少し寂しそうな顔をする。私は沈黙に慣れているが、彼はそうではないのかもしれない。以前馬車に乗ったときは、私があまりにも酷い状態だったため気を遣ってくれていたのだろう。……彼も、他の人たちと同じように私といると気まずいのだろうか。


「レティ、君が物静かな方なのは知っている。僕はそんな君も好きだよ。でも、やっと、レティを僕のものにできたのに、レティが何かを真剣に考えているのを見ると…… 彼のことを考えているんじゃないかって、不安になる」


ルーカス様がじっと私をみる。『彼』とはレオン王子のことだろうか? ……それより、私はルーカス様が『好きだよ』と言ってくれたことに気が動転してしまう。ペットだからとは認識しているものの、どうしようもなく、心臓がドクドクする。病気なのだろうか。彼といると、ときどきそんなふうになる。私はこれ以上彼と目を合わせていると、心臓が止まるのではないかと思い、目を逸らす。


「……レティ。レティは僕のものだよね? 僕はレティを幸せにしてあげたい。……でも、レティが可愛い笑顔を見せるのも、泣いてる姿を見せるのも、怒っている姿を見せるのも、僕が側にいるときだけにしてほしい。他のやつに見せるくらいなら……どこかに閉じ込めて置きたい。ねぇ、お願いだから、彼のことはもう諦めて、僕にしなよ」


ルーカス様がこんなにもペットとしての自分を愛してくれているのだと思うと、心があたたかくなる。でも、そんな苦しそうな顔をしないでほしい。私は彼の頬に手を伸ばす。彼は驚いたように私を見たあと、私の手に頬を寄せる。いつもと立場が逆転しているようで、少しおかしくなってしまう。


「ふふっ」


気づいたら、私は声を出して笑っていた。失礼かと思ったが、彼は気にしていない。むしろ、嬉しそうなのでいいか、と思う。彼は、私がレオン王子に特別な思いを寄せていると勘違いしているようだ。そんな訳はないのに。私は口を開く。


「……私が、好きなのはルーカス様だけです」


自分でそう言ったあと、顔を赤らめる。誰かに好き、なんて初めて言ったかもしれない。私が彼に抱く好き、が敬愛なのか、親愛なのか、何なのか……私にはわからないが、これが、好き。という感情であることはわかる。彼を見ると、彼も顔を赤くし、満足気に笑う。その顔を見て、胸がきゅっとする。




***




褐色の石畳がまっすぐどこまでも続く。両脇には、色とりどりのお店が立ち並び、人が出たり入ったりする、見ているだけでも楽しい。噴水があったり、ベンチに座る人に、鳩が群がったり、小さな子供が美味しそうにアイスクリームを頬張たり───


これが、街なのね。


私は内心わくわくしていた。ルーカス様にがっかりされないように、冷静なふりをしていなければ、馬車の窓に顔をくっつけて外をじっと見つめていただろう。公爵家から学園に登校するときにも馬車で街を通っていたのだが、その時はお兄様かレアナが一緒だったため、町をじろじろ見るなんてことはできなかった。


「レティ、楽しそうだね」


ルーカス様が言う。冷静にしていたつもりだが、そんなふうに見えてしまったのだろうか。私はみっともない姿を見せてしまったと思い、しゅんとすると、


「楽しんでいるレティを見ると僕も嬉しくなるから、目一杯楽しんで。ほら、レティ馬車が止まったみたい。降りよう」


御者がドアを開けると、私と彼はフードを深く被る。ルーカス様が外に出て、私の手をとる。馬車を降りると、美しい街並みに心を奪われる。私は口を小さく開けたまま、周りを見渡す。どこを見ても輝いているので、どこを見ればいいかわからず、あっちを見たり、こっちを見たりし、首を必死に動かす。視線が定まらず、ルーカス様の方をみると、彼はこっちを見て


「ふっ」


と、口元を抑えて笑った。フードがあって良かったと思う。フードがなかったら、この輝かんばかりの笑顔ですぐにアスラン王子だとバレてしまう。私はバレていないか周囲を確認する。幸い、街の人々はこっちには注目していないようでほっとする。


「レティ、そんなに周囲を警戒しなくても大丈夫だよ。ローブを被っている時点で貴族だということはバレているんだ。街の人々は変に詮索してくることはないから安心して」


たしかに、身を隠す必要があるのは貴族だけだ。馬車の中から見ていたときもローブを身に着けている人は少なかった。街にも、暗黙のルールがあるらしい。初めて街に来た私はまだわからないことだらけだが、ルーカス様の側にいれば大丈夫だろう。


「どの店に入ろうか。レティのドレスを仕立てるのと、アクセサリーや靴を買いに行こうとは思ってるんだけど、レティは行きたいお店とかある?」


行きたいお店───私が、学生だったころの周りの生徒の話を思い出す。放課後、カフェに行って甘いものを食べたり、雑貨屋でお揃いのものを買ったりすると言っていた。私もいつか誰かと、街に行ったら……なんて考えているうちに、学生生活は終わってしまった。だから、今日は本当に嬉しい。好きな人とこうして街に来ることができたのだから。


「……えっと、えっと、」


私は、何か返事をと思うものの、たくさんのお店が立ち並び、どこに行けばいいのかわからない。それに、どの店がなんの店なのかもわからない。入った店が高いものを売っている店だったらルーカス様に申し訳ないし、食べ物のお店で、ルーカス様に体に悪いものを食べさせるわけにもいかない。私が挙動不審な動きをしていると、ルーカス様が


「ふふっ、レティ、そんなに困らないで。初めて街に来たのに、いきなりどこに行きたいって言われてもわからないよね。そろそろお昼時だし、どこかで昼食をとろうか」


私は頷く。そして、二人は並んで歩き出す。彼が、食べ物を食べれる店を紹介しながら歩く。彼はよく町に来ているのだろうか。そういえば、学生のとき、街デートと呼ばれるものがあると聞いた。恋人や婚約者と二人で街を歩くのだとか。


彼も、婚約者の方とここへ来るのかしら。


彼の別荘から馬車でニ時間くらいの場所に位置するこの街。別荘に来たら、この街に来るというのはいつもの流れなのかもしれない。別荘に彼女の部屋や、服が数着あるのを見ると、定期的に彼女が来ていることがわかる。ルーカス様が王都へ戻るとき、私はどうなるのだろう。


ここに残されるのか、一緒に王都へ行くのか。どっちにしても、今度ルーカス様が別荘に来るときは彼女が一緒だろう。そのときに街に来るのなら、私はペットとして同行させてもらえるのだろうか。いや、流石に彼女といるときは私は連れて行ってもらえないだろうな……。どっちにしても───


彼と二人でこの街に来れるのはこれが、最初で最後かもしれない。


街に来たばかりなのに気持ちが暗くなる。今ここに彼といられることだけで十分なのに。これからのことを考えてしまう。彼女と彼が一緒にいる姿をたくさん見ることになるのだと思うと苦しくなる。私は耐えられるだろうか。既に想像するだけでもやもやしてしまうのに。


───嫉妬、そんな言葉があった。私には無縁なもの。だって、いつも私の手には何も残らない。望むだけ無駄だった。愛されたいと思うだけ、愛されなかったとき、苦しくなる。だから、何にも執着しなかった。彼は私をペットとして愛してくれる。今はその愛を私だけに向けてくれる。それが嬉しい。でも、私なんかより彼女の方が愛されるのは当然のことであり、彼女に愛を向けているの彼を見るのが、怖い。


「……ティ……レティ?」


はっとする。ルーカス様の手を強く握り、立ち止まっていた。彼は私の顔を覗き込み、傷ついたように笑う。


「ごめん、僕一人で喋っててつまんなかったよね」


「……そうじゃないんです」


私は、彼の傷いた顔をし、自嘲する様子を見て、悲しくなる。


きっと、彼女ならこんな顔させないのに。


そんなふうに考えて、また自分が嫌になる。彼を傷つけてばかりの私は、そのうち、彼に愛想つかされて、私を拾ったことを後悔するんじゃないか。私のことなんか、捨ててしまうんじゃないか。彼がそんなことをしない人だってわかっているのに……いつかはそうなるかもしれないと思ってしまうのだ。私の頬をひと粒の何かが伝う。


「……レティ!?」


私は彼に名前を呼ばれ、顔を見上げる。彼が驚いた顔をし、慌てている。私はどうして彼が驚いているかわからず、首を傾げる。


「……僕、何かしたかな。……やっぱり、まだ、街を歩くのには早すぎたのかな。色々嫌なこと思い出しちゃうよね。今日は帰る?」


帰る? 彼と二人で街に来れるのは最初で最後かもしれないのに……? 私は首を、ぶんぶん横に振る。フードが取れるのもお構い無く。それだけは嫌だ。帰るのだけは。まだ何もしていないのに。


「……帰りたくないです」


「そうか。ねぇ、レティ、あそこのカフェに入らない? あそこなら他の客に見えないから……泣いても大丈夫。ねぇ、レティ。今、レティがどうして泣いたのか教えてくれない?」


……私が泣いた?


私は混乱する。私は泣いていたのか。頬をつたったのは涙だったのか。どうして、泣いたのか。私にもわからない。私はまだ、情緒が不安定なのかもしれない。彼は私の手をぎゅっと握り、カフェに入る。落ち着いた雰囲気で、アンティーク調のテーブルや椅子が並んでいる。店員は私たちがフードを被っているのをみると、奥の方へ案内する。彼が私を席に座らせる。そして彼は私に向かい合うように座る。


「ねぇ、レティ、ゆっくりでいい、僕に話して。僕は君が話してくれるまで、待つから」


最後まで読んでくださりありがとうございます。

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