第4話
「ここがレティシア嬢の部屋だよ。狭くてごめんね」
食事のあと、私は彼に連れられて部屋に来た。公爵家に住んでいたときの自分の部屋よりは狭いが、私一人で使うには十分すぎる大きさだ。それに、ベットや机、椅子など、一つ一つの物が豪華で流石王家の別荘だと感じる。急に来たのにここまで用意されているのには驚いてしまう。
「……殿下、私には勿体無いくらいです。ありがとうございます」
「……ルーカス」
彼がそう呟く。そして、私の方をじっと見つめる。彼が、ルーカス様であることはさっき知ったけれど……どうしたのだろう。私は首をかしげる。
「ルーカスと呼んでほしい。……だめかな?」
彼が寂しそうに下をむく。私がルーカス様と呼ぶのは恐れ多くて、呼べません。と断ろうと思ったのだが、彼の表情をみると、そうも言えない。捨てられた子犬のように見つめる彼の瞳には抗えない。
「……ルーカス……様」
そう言うと彼の表情はぱっと明るくなり、ありがとう。といい眩しい笑顔を向ける。形の良い切れ長の目を細め、薄い血色の良い唇をほころばせる。芸術的なその笑顔を私一人が独占しても良いのだろうか。
「レティ」
ルーカス様が突然そう呼んだ。私は驚き、目を丸くしてルーカス様を見ると、彼は私の顔色を伺っている。さらりと流れる黒髪の間から見える、深い海の中のような青い瞳は本当に美しい。
「はい」
「あ、ごめん。えっと……僕もレティって呼びたくて。流石に愛称はまずいかな?」
私は首をふる。まずくなんてない。レティ───そう呼ぶのは、家族とレオン王子だけだった。家族に呼ばれると叱られるのではないかとビクつき、レオン王子に呼ばれるのは用があるときだけだった。特別に思ったことはなかったのだが、ルーカス様に呼ばれると、胸がきゅっとする。
「……嬉しいです」
「よかった。初対面なのに、馴れ馴れしいかなぁって思って」
ルーカス様は本当に優しい。私は、ルーカス様のものになったのだから、愛称で呼ぼうがなんと呼ぼうが、ルーカス様の自由なのに。
それにしても、こんな豪華な部屋まで貸してもらい、彼と同じ食事も頂いた。私は、彼の下で何をすればいいのだろうか。一応、公爵家の令嬢として、学園を卒業したため、それなりの学はある。それに、幼い頃から剣技もやっていたし、淑女の嗜みとして、ダンスや刺繍も人並みにはできる。妃教育も受けてきた。その中で何か彼の役に立つことがあるかもしれない。辛い思いをしてきたけれど、彼のために頑張ったのだと思えば過去の自分が報われる気がする。
「……私は、これから何をすればいいのでしょうか?」
「レティは何にもしなくていいよ? ここにいてくれればいいんだ」
「……それでは、私があなたのものになった意味がありません。……私は、ルーカス様のために何かしたいです」
彼は、私の発言に戸惑いを見せる。それもそうだろう。彼は王家の人間だ。優秀な使用人もすでにたくさんいるだろうし、守ってくれる強い騎士もいる。学園の生徒や他のご令嬢より得意なことがあるくらいの私では、彼らに到底及ばない。彼は何か私に期待していたわけではなかったのだ。ただ、善意で助けただけ。でも、何もできなければ……いつか捨てられてしまう。家族やレオン王子に捨てられたように。
「……っお願いします。何でもします。私にできることなら、何でも……」
私は彼の目を見て、懇請すると、彼は一度、私から目を逸らす。彼を困らせてしまった。急に何かできることはないかと言われても、困るに決まっている。それでも、何もせずここにいるわけにはいかない。ルーカス様が再び私の目を見て、口を開く。
「何でもするなんて、言っちゃだめだよ。僕が、悪い人だったらどうするの?」
「……ルーカス様は良い人です」
「……そこまで信用されると、かえって困るな。……ねぇ、レティ。僕がなんの下心もなく君を拾ったと思う?」
下心? ルーカス様は何か意味があって私をここに連れてきたのだろうか? それだったら嬉しい。彼が私だから、ここに連れてきてくれたのなら……
「本当に、レティは何でもしてくれるの? たとえ、僕が、性的な要求をしても?」
私の心臓がドクンと脈打つ。彼の口からそんな言葉が出るとは思いもしなかった。彼には恋人か婚約者がいるだろうし、女性に困るような容姿でもない。むしろ、彼の周りにはレティとは比べものにならないくらい美しい女性や華やかな女性がたくさんいるだろう。レティは貧相ではないものの特別スタイルが言い訳ではない。誰かと男女の関係になるのは結婚してからだと思っていた。でも、彼がそれを望むのなら───
そう思い、私がドレスを脱ぎ始めると、彼は血相を変え、私を止める。
「ごめん、冗談で言ったんだ。本気にしないでくれ。その……まさか君が受け入れるとは思わなくて」
彼が私のドレスを綺麗にもとに戻す。冗談だったのに、私は本気で捉えてしまい、恥ずかしくなる。
ルーカス様が、私を欲するなんてあるわけないのに……思い上がってしまったわ。
「レティ、本当にごめん。でも、レティ、君は公爵家のご令嬢だ。もっと自分を大切にしなきゃだめだ。何でもするなんて言ってはいけないし、さっきみたいなことを言われたら逃げるくらいしないと。レティは危機感が足りない。僕じゃない他人に連れ去られていたら、今ごろ……どうなっていたか、想像するだけで気が狂いそうになる」
優しい口調で私に注意する。最後だけ、冷たい口調になり、目の奥に光を宿していないように見えた。ルーカス様はそれほど、私のことを心配してくれているのだと理解する。
「ありがとうございます……拾ってくれたのがルーカス様で本当によかったです」
そう言うと、彼は心なしか、ほんのり頬を染めたように見えた。今になって私は運がいいのだと思う。結婚を破棄された直後は苦しくて仕方がなかったけれど、優しい御者に助けられ、死のうとしていたところをルーカス様が助けてくれた。結婚したら幸せになれると思っていたが、本当に結婚していたら、助けてくれた人々の優しさに触れることはできず、ルーカス様に出会うことはできなかった。
そう思えば、結婚破棄されてよかったのかもしれない。
「レティ、今日はもう遅い。色々あって疲れただろうから早めに寝たほうがいい。何かあったらさっき君を世話した侍女に頼むといい。それじゃあ、また明日」
ルーカス様はそう言い、部屋を出ていった。窓の外をみると、星が輝いている。気になっていたのだが、この窓には格子が付けられていて、ベランダには出れないようになっている。それを不思議に思った。このベランダから空を見たらきっと綺麗だろうに。以前誰かが落ちそうになったのだろうか。
部屋のドアがノックされ、返事をすると、さきほどの侍女が入ってくる。彼女が用意してくれたネグリジェに着替える。彼女が私の着ていたドレスを片付けているとき、部屋奥にドアがあるのに気づく。別の部屋に繋がっているようだ。気になって開けてみる。
「お、お嬢様……っ!」
侍女の声に振り返るものの、ドアはすでに開いてしまった。
「……レティ? どうしたの? 何かあった?」
その声に私は固まる。ぎこちなく、首を声のする方へ動かす。目に入ったのはベッドの上で本を開いていたルーカス様だった。彼は本を閉じ、こちらへ向かってくる。先ほどとは違い、ラフな格好をしている。私は頭が真っ白になる。何も言えない私に変わり、侍女が口を開く。
「すみません、まだ殿下の寝室と繋がっていることを説明していませんでした」
「僕が言っておけばよかったね。すまない」
そういうと、ルーカス様は腕で、顔を隠しつつも私をじっと見る。顔が赤くなっている。何だろうと思い、私は自分を見ると、ネグリジェに着替えたことを思い出す。さっきドレスを少し脱いだときよりも明らかに露出が多い。そして思い出す。ネグリジェで男性の寝室に行くということの意味を。
私は明らかに顔が熱くなるのがわかる。恥ずかしくて、頭が回らない。ルーカス様に弁解しないといけないのに、言葉が出て来ない。二人で顔を赤らめていると、侍女が、気を遣ったのか部屋から静かに出ていってしまった。
……どうしよう。
「えっと、ごめんね。その……レティのネグリジェ姿があまりにも可愛くて、目が離せなくて……別に下心はないんだ。って言ってもさっきあんなこと言って、こんなに頬を赤らめてたら信じてもらえないかもしれないけど」
「……私、こそ、すみません。見苦しい姿をお見せして」
「見苦しくなんてない! その……とても綺麗だ。……って、僕は何を言ってるんだろう。ごめんね、本当に」
私も、ルーカス様も下を向き、沈黙が流れる。早く部屋に戻ればいいとわかっているのだが、足が動かない。しばらくそのままだったが、痺れを切らしたのか、ルーカス様が沈黙を破る。
「……もし、寝れないとか、寝ているときに何か怖いことがあったらこっちに来ていいから。君は辛いことが立て続けにあったうえ、ここに連れてこられて慣れないことばかりだから、不安だろうなって思って僕の寝室の隣を君に使ってもらおうと思ったんだ」
彼の配慮に感謝する。正直、不安だった。昨日まではお祖母様が暮らしていた家だったから情緒は不安定だったが、少し安心していた。けれども、ここは王家の所有する屋敷で、人も多い。
「……ありがとうございます」
私がそう言うと、彼は微笑む。そして、恥ずかしがる私に、近くに置いてあった彼の上着をかける。そのまま、固まる私を私の部屋に連れていき、ベッドの上に寝かし、電気を消す。私の心臓がドクドク鳴りうるさい。
「何もしないから安心して、今夜は僕が側にいるから、ゆっくり眠ってね」
そう言い、彼は私の頭を撫でる。ドクドク鳴り響いていた心音が静かになっていく。彼の手がゆっくり私に触れるたび、心があたたかくなり、心地よくなる。そういえば、馬車の中でも彼に頭を撫でられ寝てしまった。彼は、人を安心させる何かを持っているのかもしれない。私はゆっくり目を瞑る。
「……ルーカス様」
「何? レティ」
彼の落ち着く声が私の名前を呼ぶ。……彼は私を幸せにしてくれると言った。……きっと彼なら、私を幸せにしてくれる。だって、こんなに温かい人なのだから。
「ありがとう」
私はそう言うと、いつの間にか、深い眠りについていた。
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