第3話
ぼーっと外を眺める。馬車に揺られ、ゆらゆらぼーっと……湖の中にいたことを思い出すと再び夢見心地になるが、くしゅんとくしゃみをし、我にかえる。すると、身体がひどく震えていることに気づいた。湖に身を投げだしてから、ずぶ濡れのままで寒いのか、これから何が起こるかわからず怖いのか、あるいは、両方か。隣に座る男は震えている私に気づくと、何やらもぞもぞ動き出した。
……っ
彼は濡れている上着とシャツを脱ぎ、固く引き締まった上半身を露にする。剣技のときに少し手合わせをするくらいしか男性との接点がなかった私は、目を泳がせてしまう。戸惑う私に彼は近づき、触れ合うまでの距離に来たと思ったら、レティシアを覆うようにして抱きしめる。
「ごめんね、寒かったよね。着替えとか、タオルとか持ち合わせてなくて……こんな温め方でごめん。レティシア嬢が風邪を引いたら大変だから。近くに別荘があるんだ、そこまで我慢してくれるかな」
私は小さく頷く。彼の温もりと抱きしめられた恥ずかしさで、震えが少し収まる。ドクドクと心臓が脈うつ音が鼓膜を揺らす。彼の心臓なのか私の心臓なのかわからないが、落ち着くその音は私に、生きていることを実感させる。彼の胸の中で、ただただ静かにその音に耳を傾け、難しいことは考えないようにした。今だけは何も。そのうち、瞼が重くなり、彼に身を預けてしまった。彼はそんな私の頭を何も言わず、優しく撫でた。
***
「レティシア嬢」
私はゆっくり瞼を開く。頭がぼーっとする。別荘に着いたのだろう。私は彼に抱えられ、屋敷の中へ入っていく。彼は屋敷にいた使用人にてきぱきと指示を出すと、屋敷の人々は慌ただしく動きだす。やっと彼が私をおろしたかと思うと、私のふらつく様子を見て、肩を支える。しばらくすると、タオルを持ってきた侍女が私を包む。
「公爵家のご令嬢だ。失礼のないように」
彼がそう言うと、侍女が返事をする。私は彼女に連れられ奥に進んでいく。侍女は私にゆっくり歩幅を合わせてくれる、優しい顔立ちをした人だった。私と目が合うと柔らかく微笑む。私も彼女に笑い返したが、きっと酷い顔をしていたと思う。普段笑うことに慣れていないからだ。
私は侍女に手伝ってもらい、ようやく冷たいウエディングドレスを脱ぐことができた。私の身から離れたドレスをみると、下のほうには泥がつき、始めてきたときはふんわりと柔らかかったが、今はしなり、みすぼらしい印象をあたえる。
ごめんね。
───レアナが着ればきっと、さぞかし美しかったんだろうなと思う。純白のドレスの姿の妹と殿下が横に並び笑いあっている姿は容易に想像できる。
……っどうして、気づけなかったんだろう。
後悔しても過去のことは変えられない。どうしようもないのに、今まで考えないようにしていたことが頭をよぎり、苦しくなる。私は裸のまま、冷たい身を寄せうずくまる。そして、侍女に顔を見せないようにすると、ぽろぽろと涙が溢れてくる。
肩がふるえ、嗚咽が漏れる。この優しい侍女は心配しているだろうから、泣き止もうとするものの、抑えようとすればするほど、感情が溢れて出してしまう。そんな私を侍女は再びタオルで包み、腫れ物を扱うかのように優しい手で背中をさする。
「泣いていいんですよ。誰も見てないんですから、我慢しないでください」
侍女の私を気遣う言葉を受け、今まで我慢していたものを吐くように声を上げ、幼子のように泣く。ずっと人形のようだと思っていた自分が、ちゃんと人間だったことを知る。
どれくらい泣いたかわからないが、泣き疲れ、涙が次第に出なくなり、呼吸も整ってくる。心は相変わらず乱れたままだが、少し楽になった気がした。
泣きやんだ私をみると、侍女は私をお湯に入れる。温かい熱が冷えきった身にしみる。髪や体を丁寧に洗い流し、ぼろぼろになっていた私は、いつものように戻っていく。
「お嬢様は本当に美しいですね」
侍女がにこやかにそう言うと、私は、うつむく。妹の姿が頭にチラつく。お母様譲りの白銀髪に桃色の大きな愛らしい瞳。それに対し、私は老婆のような白髪にキツい印象をあたえる紅い瞳。姉妹でもどうしてこうも違うのだろうか。
「……私は、美しくなんてないです」
侍女は、謙虚なんですね。と返すが全然そんなんじゃない。事実なのだ。私も妹のような愛らしい顔立ちで、素直に笑えたら、殿下や家族に愛されたのだろうか。
「私は、あなたを一目見たとき、天使が舞い降りたのかと思いましたわ。あなたは、あのルーカス様が見初められた女性なのですから、もっと自信持ってもいいと思いますよ」
「見初られたなんて……ただ、助けてもらっただけです」
「あら、そうなのですか? あんなに大事そうに連れてこられたのでてっきりお付き合いされているのかと。それに、ルーカス様があんなに誰かを愛おしく見つめる姿は今まで見たことなくて」
きっと、慈悲深い人なのだろう。知り合いでもない私を助けてくれ、ひどく取り乱し、八つ当たりまでしてしまったのに……ここまでよくしてくれているのだから。死にそうだった私を哀れに思う目が、愛おしく見つめるように見えたのだろう。
美しい容姿に、美しい心まで持ち合わせている彼が私と恋人だと勘違いされるのは、彼にあまりにも失礼だ。彼ほどの人なら、ちゃんと釣り合う婚約者か恋人がいるだろう。
侍女は私に纏う水をタオルで拭き取り、用意してあった美しい青を貴重としたドレスを着せる。まるで、誂えたかのようにぴったりと私の背丈や体型にフィットするドレスに驚く。私は、女性の平均より何センチか背が高く、毎日剣技の練習があったせいか細身だったから、既製品のドレスだとサイズがあわないのだ。
彼のパートナーも私のような背格好なのかしら。
きっと、凛とした美しい女性なのだろう。親戚でも友人でもないうえ、未婚の女性である私が彼の別荘に滞在するのはあまりよくない。早くここを出よう。
侍女に髪を梳かしてもらったあと、彼が居間で待っていることを告げられ、私は侍女と共に急いで彼のもとへ向かう。窓の外を見ると日が沈みそうになっている。彼にお礼を言ったらすぐにここを出よう。無一文の私だが、この髪を切って売ったら一泊できるくらい稼げるだろうか。あとで侍女に街までどうやって行くか聞こう。
「……失礼します」
扉を開くと、大きなテーブルの奥に彼が座っている。私が部屋に入ると、彼は席を立ち、彼の一番近くの椅子を引く。私はそこに座る。
「今、食事の用意をさせているから、それまでゆっくり話をしよう」
「食事まで……いいんですか?」
あまり長く滞在するのは良くないとわかっているが、ここを出たらどれくらいで町につくかわからない。夜通し歩かないと行けないかもしれない。今日は昼食も食べていないため、できれば食事してから出発したい。
「もちろんだよ。まず、自己紹介からだね。僕はレティシア嬢のことを知っているけど、レティシア嬢は僕のことを知らないようだから」
彼は優しく微笑む。私は公爵家の娘であり、レオン王子の婚約者でもあったため、それなりに名前は知られている。彼は舞踏会や学園で私の顔を見かけたことがあったのかもしれない。私も自国の貴族はそれなりに把握しているつもりだが彼のことは知らなかった。こんな見目麗しい殿方がいたとは驚きだ。あまり公の場に出てくるような方ではないのかもしれない。
「僕の名は、ルーカス・アスラン。アスラン家の次期当主と言ったほうがわかるかな?」
───アスラン家。私が住んでいる国の隣に位置する国を治める王家だ。アスラン家には王子が一人しかいない。その王子がルーカス・アスラン。彼は優秀かつ眉目秀麗で、こちらの国でも有名だった。彼を褒めたえる声はよく聞いていた。一度学園に交換留学生として来たときは、教室に人だかりができて大変だった。彼の周りには多くの女性や男性によって取り囲まれていたため、私は一目も見るとこができなかった。
彼が、ルーカス様なのね
……ということは、私は隣国の王子の前で、自殺をしようとし、泣き叫んだ挙句、彼に抱かれ、今は、王家の所有する屋敷にいるということだ。彼が貴族であることは明確だったが、まさか王子だとは思わなかった。私は顔面蒼白になり、急いで謝る。
「無礼な行いをしました。罰は何でも受けます」
「僕が勝手にしたことなんだから、謝らないで、レティシア嬢は何も悪くないよ」
彼が寛大な心を持っていることは私を助けてくれたときから分かっていたが、王子であるのに、ここまで寛大なことがあるのだろうか。レオン王子も優しいとは思っていたが、それは偽善だった。きっと彼は私が死のうとしても助けようとはしなかっただろう。私は口をきゅっと結ぶ。
「レティシア嬢……その……君が、レオン王子に何をされたかは、あの場所で拝見させてもらったんだ。僕は、隣国の王子として、招待されていたから。……つらかったよね」
「……っ知っていた……のですね」
あぁ、見られていたのか。彼は全てを知っている。結婚を破棄され、その後死のうとし、醜く半狂乱になっていたところも。恥ずかしくて目も当てられない。
消えてしまいたい。
せっかく助けてもらったが、またそんなふうに考えてしまう。彼は私を憐れむように見つめる。ただでさえ、出来損ないで醜い私の誰にも見せず、隠していた───弱い部分まで、彼には全て曝け出してしまったのだ。……幻滅しただろうか。
「あのとき、君は死のうとしていたんだよね?」
私は涙をこらえ、小さく頷く。あの結婚式以来、涙もよく出る。お祖母様以外の人の前で泣いたことは一度もなかったのに。
「まだ、死にたいとおもう?」
私はこくりと頷く。彼は罵るだろうか。せっかく自分が手をかけて助けたのにも関わらず、まだ死のうとする私を。いや、彼のことだそんなことはしない。きっと、こんな私のことを可哀想だと思ってくれているのだろう。
「僕が、君に言った言葉……覚えてるかな? あのとき、君は気が動転していたから、覚えていないかもしれないね」
彼が、自嘲するような笑みを浮かべる。あのとき、彼から掛けられた言葉ははっきり覚えている。
「君は、どうしたら幸せになれるか、僕に教えてと懇願し、生きる意味がほしいと言った。だから……僕は、僕のものになって……って、言ったんだよ」
そう。それと、
「……私が死んだら……あなたも死ぬ……からあなたのために生きる」
私が呟くと、彼は驚いた様子で私を見る。私はこれは冗談だと思っていたから気に留めていなかったが、優しい彼は私を助けようと本気で言ったのかもしれない。
「覚えててくれたんだ。嬉しいよ。君は、死にたいと思っているかもしれないけど、君が死んだら僕も死ぬ。本気だよ? 僕は、君を大切にする。だから、僕のものになってくれる?」
彼の青い瞳が私の紅い瞳と交わる。彼は、必死に私を助けようとしてくれているが、彼にとってはなんのメリットもない。優しい彼に甘えてこれ以上迷惑をかける訳にはいかない。それに、彼は一国の王子だ。私のために命をかけるなどあってはならない。
「……私は、あなたのものにはなれません」
彼の顔が暗くなる。先程までの優しい様子が一変し、氷のように冷たい表情に変わる。明らかに、機嫌を損ねてしまった。優しい彼はそれを悟られないようにか、口角が上がる。しかし、目は笑っていない。
「僕のものに、なれないのは……まだあの王子のことが好きだから? それとも、他に好きな人がいるの?」
声色も冷たいまま、淡々と、口を開く。その様子は整いすぎている美しい顔も相まって、まるで悪魔が囁いているようだった。
「そうではありません。……あなたに、これ以上迷惑をかけたくなくて」
「僕は迷惑だなんてこれっぽっちも思っていません。むしろ、君を助けたのは僕ですから……このまま逃がすわけにはいきません」
「……逃がす?」
「いえ、勝手に助けたものですから、責任をもって……あなたを幸せにしたいんです」
そう言い、彼は優しい笑みを浮かべる。幸せ……私が、手に入れたかったけれど、諦めたもの。彼に甘え、彼のものになったら、私は……幸せになれるのだろうか。私のわがままを彼に押し付けてもいいのだろうか。だめだと思う気持ちと、彼に身を任せてしまいたい気持ちが揺れ合う。だめ、これ以上は……でも、私は───
幸せになりたい。
「……あなたのものになりたいです」
私がそう言うと、彼は酷く優しげに笑った。
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