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六話 宵街の女達~5~

  俺が高校を中退して、活動の場を[クラブ皐月]一本に絞り、今日まで共に汗を流して働いて来た十八歳の始め頃だった。俺とのこれからの生活を考えてか、百合子さんが組の用事で店にこられなくなっている

 栄二さんの代わりに俺のサポート役をかって出てくれたのだった。

 しかし、日中の激務からの毎晩のように最後まで残っての後片づけと、献身的に手伝ってくれる百合子さんだったが俺としては彼女の体調の方が至極心配だった。


「百合子ぉ今日はもうえぇからはよぉ帰りぃ?あんたぁめっちゃ疲れが顔に出てんでぇ」


 ふらふらしながらも後片づけの手を休める事なく続ける彼女を、見るに見かねて皐月さんが声をかけるのだった。


「やっぱり……裕さんとは一緒に帰りたいし……それに、師匠を置いて弟子のあたしだけ先に帰るなんてあたしにはできませんから……」


「……頑固やなぁ……ほな今日はもうウチと英美だけで充分やからあんたも一緒に上がってえぇえで」


 百合子さんの純粋すぎる頑固さに皐月さんはまるで、俺の疲れまで見抜いていたかのように、俺と百合子さんに帰ってもいいと言ってくれるのだった。

 案の定、百合子さんの身体は過労と疲労でボロボロになっておりその日の内に高熱が出たため、俺は直ぐに涌井さんの診療所に百合子さんを連れていくことにした。


「こりゃあ完全に疲労がたまってんなぁまあ、でもなんだぁしばらくは身体休める事に専念すりゃあ後は何も問題はねぇよ」


 涌井さんはそういうとアリナミン系の栄養剤を注射してくれるのだった。


「裕さん……お世話かけてごめんなさいね……」


 涌井さんの診療所から帰る道中、栄養剤を注射してもらいさっきよりは幾分元気を取り戻した百合子さんが、そう言って俺に身体を寄りかけてきた。


「百合子はまじめすぎなんだ……少しっくれぇ力抜かねぇとよ、マジバテちまうぞ……皐月さんにゃあ俺から言っとくからよ……しばらくは安静にしてな」


 俺はか細い身体を寄りかけてくる百合子さんの髪を撫でながら言った。


「ありがとう、裕さん……本当優しいんだからぁ……涙出てきちゃうよぉ……」


 彼女はそういうと、俺の肩に寄りかけていた身体を起こして正面から逆に俺を抱きしめてくるのだった。


「しかたねぇじゃん……俺があんたに惚れちまったんだから……俺、チビだし全然イケメンじゃねぇから……初めてなんだよな。全てがよぅ……こんな俺でも、百合子さんが好きって言ってくれた事……めちゃくちゃ素直に嬉しかった……」


 一緒に働くうちに、知らぬ間に自分から俺は彼女に惚れていた。そんな彼女に正面から抱きしめられそんな事を言われた日にゃあ泣き虫裕司がしっかりと顔を出してしまっていた。


「何でそうやって自分を貶めるの。それ、裕さんの悪い癖だよ。あたしから見たら裕さんはどんなイケメンより最高のイケメンだし最愛の人……」


 俺の眼前に涙に瞳を潤ませた百合子さんの顔があり、俺は本当無意識に彼女とキスを交わしていた。

 恋人同士がする熱い抱擁のキスとは程遠い唇が軽く触れ合うだけの軽いキス。それだけでも、俺達ウブな二人にはものすごく一大事だった。


「裕さんのファーストキス……あたしがもらっちゃった……紗子と文香がヤキモチ焼くだろうなぁ……」


 彼女はそんな事を言いながら、更に俺に身体を密着させて悪戯っぽく笑った。


「まさかぁ……俺ってそんな人気者になっちゃった……」


 彼女の付けるブルーミント系の香水。ほんのり甘酸っぱい香りが俺の鼻腔をくすぐり、俺の中では早鐘を鳴らすように心臓がバクバクと脈打っていた。


「裕さん……緊張してるの?」


 百合子さんが俺の胸に耳を付けて上目遣いに俺を見て聞いてきた。


「……うん……俺が通ってたの男子校だったから……こういう展開全く慣れてない……ごめん……店の中じゃあ散々大口叩いてるのに……こんなんで……」


 正直、この時の俺は声は上ずるし穴があったら入りたいくらいに、情けない状態になっていた。


「何で謝るの裕さん……あたしは、そんな裕さんの全てが好きだよ……怒ってる裕さんも、笑ってる裕さんも、もちろん泣いてる裕さんや今みたいにガチガチに緊張しちゃてる裕さんも……あたしめちゃくちゃ嬉しいんだ、こういうのって。裕さんがあたしとは本音で向き合ってくれてるんだってね……」


 彼女は悪戯っぽい満面の笑みを浮かべ、更に身体を俺に密着させてきた。


「……そんなに……からかうなよ。俺だって……男だよ。我慢できなくなっちゃうじゃんよぅ……」


 俺はそういうと、彼女の首に手を廻すとその夜、初めて本気のキスを交わすのだった。


「裕さんの……本気のキス……しっかりと感じちゃった……あたし……裕さんから……永遠に離れられないかも……裕さん……愛してます……」


 柳ヶ瀬の夜のとばりにその身を隠し、俺と百合子さんは時の許す限り、ひとしきり激しく何度もキスを重ね、抱き合った。


「裕さん……これからも……よろしくね……」


 抱き合う内に少しだけ乱れた身なりを整えて、百合子さんが俺を見下ろして言った。


「裕さんに抱きしめてもらって本気のキスまでされちゃったらあたしなんか元気出てきちゃったかも……明日からまた、お店出るね」


 彼女はそういうと、悪戯っぽく笑ってまた、俺の頬に軽くキスをするのだった。


「だ……だからぁ……しばらくは安静にって今言ったばっかじゃん……」


 彼女に何となく丸め込まれた感が否めないまま、俺は彼女の発言に驚きを隠せなかった。


「裕さんがそう言ってあたしの事心配してくれるのすっごく嬉しいよ。けど……あたしにはもう時間がないんだ……あたし自分の身体に限界が来てるのわかってる。だからこそその限界が来るまで裕さんの傍に居たい……ダメかな?」


 照れと焦りに赤面する俺をよそに、彼女はそういうと淋しそうに笑った。


「……何で……何でそんな事言うんだよぅ!そんな悲しい事言うなよ!ずっと……俺の傍に居てよ」


 俺を正面から見て淋しそうに笑う彼女に、俺の心の本音がついつい強めの口調で口から出た。


「裕さんって本当に優しいんだからぁ……本当の気持ち告白するとあたし……末期の癌なんだ……以前体調崩して病院行った時に言われたの……もってあとわずかの余命なんだって……だからね、その余命幾ばくかを裕さんと一緒に過ごしたいんだ……」


 彼女はうっすら涙目になりながらそういうと、また俺に身体を寄り添わせた。


「……それなら尚のこと安静にしてろよ!そんな……淋しい事言うなよ!そんな運命、俺が変えてやるよ!あんたは絶対死なせねぇ……」


 彼女からの告白を聞いた直後、俺はたまらず彼女の細い身体を力いっぱい抱き寄せていた。


「裕さん痛いよぅ……けど、裕さんにそう言われたら何か運命変えれそうな気がする……ありがとう……裕さん……」


 一瞬俺の力いっぱい抱き寄せた力に抵抗した彼女だったが、また再び、俺に身体を寄り添わせてきた。

 しかし、神風は吹かずこの一週間後彼女は店のフロアで倒れ、そのまま天国へと旅立って逝った。

 彼女の死は、俺の心に深い傷跡を残し、その傷から立ち直るには相当な月日と年月を要したのである。

 彼女の死が本当に病死であれば、それなりに納得もしただろうが、実際の彼女は自殺という最悪な最期だったのである。

 このエピソードは四十年以上たった今でも未だに深い傷として自分の心に残る辛く悲しい思い出だ。

 そして、彼女の一周忌が明けた頃俺は、今まで三人で暮らしていた百合子さんと紗子さんのマンションを出て岐阜の街裏の小さなアパートに引っ越すのだった。

 とてもじゃないが、彼女の匂いの染み付いたこの空間で俺自信彼女との思い出を断ち切れないと考えての決断だった。

 この時期の俺は、どうしようもないくらいに荒み苛立ち、岐阜の街の至る所で毎日毎晩のように喧嘩に明け暮れており、当然百合子さんの一周忌法要以来店も休み、百合子さん紗子さんのマンションにも近寄らず柳ヶ瀬の街裏の闇に埋もれていたのである。

 こんな俺を、荒みに荒みきった俺を誰も探してなどいないだろうと思っていたのは自分一人だけだったようで、街裏で暴れる俺は、百合子さんの妹である紗子さんに探し当てられたのだった。


「裕さん!こんなとこで何してるの?!みんな裕さんの出勤を待ってるよ!確かに、姉さんの実態はもうこの世にはいない。けど姉さんは、裕さんやあたし達の心の中にちゃんと生きてる……お店に戻ろ……」


 彼女のそのなりふり構わぬ汗と涙でグチャグチャになった顔を真正面から見た時、俺の中で全てに決着が付くのだった。


「……ごめん……だよな……本当に辛ぇのは紗子さんなのにな……」


 勝手にふさぎ込み、勝手に荒んでいた自分をここまで真剣に思ってくれる仲間の存在に彼女と目を合わせた瞬間俺の目からは堰を切ったように涙がほとばしっていた。


「裕さん……泣かないで、姉さんが死んだのは裕さんのせいじゃないよ、姉さん幸せだったはずたよ。笑顔を何処かに忘れていた姉さんにあんな素敵な笑顔を取り戻してくれたの裕さんしかいないんだからぁ……」


 恥も外聞もかきすてて泣きじゃくる俺を彼女なりに必死に慰めてくれたのだろうが、しばらくは二人抱き合ったまま、何のてらいもなく号泣するのだった。

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