旅人の夫婦
「元最強冒険者の喫茶店」とある程度設定を共有してあります。(直接的にストーリーで大きく関わることはありません)
いつもと変わらない朝。
ベッドから起き上がると隣には誰も居なくて。朝食をとる時も私は一人。
いつもの髪飾りをつける。
軽い庭掃除を済ませるといつも通りの散歩に出かける。
歩きながら隣で話したり手を繋いでくれる人はいない。
こんな日が当たり前になったのはいつからかはもう詳しく覚えていない。それでも私は待ち続ける。
――今日もそんな当たり前の日を過ごしながら。
今日は普段とは違う道を歩く。
いつもの道は飽きてしまったからだろうか、なんとなく違う道を歩きたくなっていた。
ある程度見慣れた街を歩いてると一つの喫茶店が目に入った。
「ワイゼンヒューエル……」
いつの日か一度チラシで見た記憶をを思い出す。
店内の様子は落ち着いていて忙しいわけでもないようだ。
「少し入ってみようかしら……」
「いらっしゃいませー!」
快活な少女の声に出迎えられ、ふと目についたカウンター席に座る。
「ご注文が決まりましたらどうぞ」
目の前に立っているのはマスターだろうか、想像していたよりも少し若いが落ち着いた雰囲気が伝わってくる。
「えっと……じゃあこのお店のオススメはありますか?」
「ブラックコーヒーなんかどうでしょう?」
「じゃあそれを一つ」
「分かりました」
コーヒーを待っている間にいい香りが漂う。
その香りに集中していると不思議と周りから音が消えたような気がした。
落ち着く、とはこのことを言うのだろう。
「お待たせしました」
「ありがとう」
コーヒーはもちろん苦いが、それ以上の味わいがあった。
「とても美味しいです」
「ありがとうございます。うちの自慢ですから」
マスターは少しだけ笑ってそう答えた。
「このお店に来るのは初めてですか?」
「はい、昔からこの街には住んでいましたが来ることは中々……。気づけばこんなおばあさんになってましたよ」
「まだお若いというのにそれはそれは」
「ふふ、ありがとうございます」
お世辞だと分かっていても少しだけ嬉しくなる。
「そうだ、少し私の昔話に付き合ってもらえませんか?」
「昔話、ですか?」
少し気分が良くなったからだろうか。自分の話をしたくなった。
「自慢じゃないですけど私はそれなりの家に生まれたお嬢様だったんです」
こことは遠い場所にある私の家はそれなりにお金がある家だった。
裕福な家庭に育った私はそのまま元気に育ち、どこかの裕福な家の男性とお見合いでもして結婚するはずだった。
「でも私はそんな人とは程遠い人と結ばれたんです」
「ほう?」
たまたま公園の中を歩いていた日、その人は私に道を尋ねてきた。
「すいませんそこのお方、道をお尋ねしたいのですが……」
見た目が特別美しいわけでもないごく普通の男性。そんな人がただ普通に道を尋ねた。
尋ねた場所はその街の観光名所だった。
街の中でも有名な場所なので場所を伝えることに苦労することはなかった。
「ありがとうございます、助かりました」
「いえいえ。この街には観光に?」
「ええ、色々な所を旅しているんです」
「それからその人は色々なことを話してくれました。私が知らない国なんかも沢山教えてくれましたよ。あまり遠くへ出ることのできない私にとっては
どのお話も新鮮なものでした」
「楽しい時間だったんでしょうね……」
「はい。私もあの人も公園の椅子に座ってつい話し込んでしまいました」
気づけば陽が落ち始めていた。
「おっと! すいませんつい話し込んでしまって……」
申し訳そうな顔でその人は頭を下げた。
「いえいえ、私も楽しい時間を過ごすことが出来ました」
笑顔でそう言うとその人は少し顔を赤くして鞄から何かを取り出した。
「これは?」
「遠い国の髪飾りです。今日のお礼にと……」
「そんな……いいんですか?」
「はい、きっとあなたに似合います。ぜひ受け取ってください」
「えっとじゃあ……ありがとうございます」
「それでは、今日はありがとうございました!」
「ええ、さようなら!」
そのままその人は風のように街の何処かへと行ってしまった。
次の日、私は昨日貰った髪飾りを付けて昨日教えた観光名所まで来ていた。
もしかしたらあの人ともう一度会うことが出来るかもしれないと考えたのだ。
私がぐるぐると周りを歩いているとふいに声がかかった。
「あの!」
昨日一緒に時間を過ごしたあの人だった。少しだけ昨日よりも髪や服装がしっかりしているように見えた。
「えっと……髪飾り、似合ってますよ!」
まさか出会ってすぐにそんな言葉をかけられるとは思っていなかった私はつい笑いだしてしまった。
「ふふっありがとうございます」
私が笑っている理由にすぐに気づいたのだろうか気恥ずかしさそうにその人も笑った――。
「もしかしてその人があなたの旦那さんですか?」
「ええ、そうです」
「良い出会いをされたんですね」
「ええ……本当に良い出会いでした……。」
更に色々なことを思い出して話し始める。
一緒に街の観光名所を回ったこと。
地元の人間しか知らない場所を紹介したこと。
私も知らなかったような場所に一緒に行ってみたりしたこと。
一緒にご飯を食べたこと。
ただただ二人でいろんな話をして楽しんだこと。
私たちが出会った公園でプロポーズされたこと。
「もちろん、私の家族から大反対されましたよ。そんなどこの馬の骨とも分からないやつと結婚なんて許すわけがないだろうって」
「ははは、それはそうでしょうね」
「ええ、でも私とあの人はそれでも頑なに訴えました。するといつの日からか段々と認めてくれるようになって……」
「結婚することに?」
「はい。でもやはり一部からの目は厳しい物ではありましたけど」
「それでも私の家族は純粋に私たちのことを祝福してくれました。
あれだけ反対していた父も私が見たことないぐらい泣いちゃって。
結局私とあの人も含めてみんなで号泣しました」
その日のことを思い出すと今でも目頭が熱くなる。
みんなが私のことを愛してくれているのが実感できた瞬間だった。
「それから私たちは旅に出ました。結婚したら色んな国を旅しようって約束をしていて――」
旅費はある程度家から貰っていたが、貧しい生活を送っていた。
それでも今までの人生で一番楽しいと思える時間だった。
驚くぐらい綺麗な海で泳いだり、見たこともないような景色を眺めたり、一緒に花を摘んでみたり、静かな森の奥を手を繋いでドキドキしながら探検してみたり――。
もちろんある国ではお金を使いすぎて私が怒られたり、明らかに必要がないようなものを夫が買ってきてそれに私が声を上げて怒ったりもした。
私が忘れてしまうくらいくだらないことで大喧嘩をして一日中口をきかないこともあった。それでも次の日には何事もなかったかのように仲良く過ごした。
その思い出のどれもが輝いていて、ただ眩しくて。
悲しいわけではない。楽しかった、それだけなのに。見つめようとするたびに目が熱くなって涙があふれそうになる。
まだ会えなくなったわけではないと分かっていながらもあの人の顔を思い出すたびに胸が締め付けられる。
気づけば目の前にハンカチが差し出されていた。
「……ありがとうございます」
「お気になさらず」
「……私の夫は今もどこかで旅をしているんです」
溢れた涙を拭いながら自分に言い聞かせるように話し始める。
「私が年を取って足を悪くしてしまい旅を続けるのが難しくなった時に一度、旅を止めてこの街に住むこと
を夫が提案してくれたんです」
それでも私は断った。夫に旅を止めてほしくなかったから。例え私が隣に居なくても。
「私がついて行っても足でまといになってしまいますから。夫を一人で旅立たせました」
「それで良かったんですか?」
「……はい。私のわがままかもしれませんけど……あの人はまだ足を止めていい人じゃないって思ったんです」
「……きっと帰ってくるんでしょうね」
「ええ。心配しなくてもあの人はどんなことがあっても帰ってくる人です。それが何年、何十年経つことになっても」
話すことに夢中になっていたせいか少し残っていたコーヒーも既に冷たくなっていた。
「あらごめんなさい、少し話過ぎてしまったようで……」
「いえいえ、良いお話を聞かせてもらえました」
「いつもはこんなこと人に話さないのに……。夫の若いころと少し似ていたからつい話し込んでしまいまし
た」
「私も昔は旅をしていた時期があったんです。もしかしたらそのせいかもしれません」
「なら、またお話を聞かせてください。元旅人仲間として」
「ええ、ぜひ」
そうして冷たくなったコーヒーを飲み干すと私は席を立つ。
「これ、お土産にでも持って帰ってください」
差し出されたのは一封の封筒。
「これは?」
「中身はまだ秘密ですが、同じ旅人仲間からの贈り物です。家に着いたら開けてみてください」
「そうですか……。ありがとうございます」
そのまま封筒を受け取って帰路に就く。もちろん隣には誰も居ない。それでも心は少し軽くなったような気がした。
「いらっしゃいませ」
すっかり陽が落ちて街を歩く人も減った頃、この喫茶店は静かな酒場に変わる。
「ご注文は?」
「おすすめで」
「分かりました」
マスターの向かいには壮年の男性。どこか逞しさを感じさせる見た目をしている。
「もしかして旅人の方ですか?」
「ん? ああ旅人だよ。もうやめるつもりだけどね。よく分かったね」
「私も前までは旅人をしていましたから」
「そうか」
男の目の前に酒が置かれる。男はそれをゆっくりと飲み始める。
「旅人、やめるつもりなんですか?」
「ああ。結構前にね」
「それはまたどうして?」
目の前の酒を見つめながら男はゆっくりと口を開く。
「話せば長くなるんだけどね……。若い頃、一人で旅をしていたんだ。その内に結婚なんかもして妻と二人で
旅をしたりね――」
男はゆっくりと噛みしめるように旅の思い出を語り始めた。
聞けば誰もが頬を緩めてしまいそうな話、ちょっとしたおかしさに笑い出してしまいそうな話や涙が零れそ
うになるような話も。
そのどれもが輝いていて、眩しかった。
「楽しい日々を過ごされていたんですね」
「ああ。でもその後に妻が足を悪くしてしまってね――」
その後も男は話を続けた。
妻に促され、この街に妻を置いて一人で旅をしたこと。旅の途中で何度も妻の下へ帰るべきか悩んだこと。
「しばらくは一人で旅を続けてみたもののこれがね、全然楽しくなかったんだよ」
「奥さんが居ないから?」
「……その通りだよ。あいつと出会う前まではそんなことなかったのに。無くしてから気づいたよ」
「……奥さんの下へ帰ろうとは思わないんですか?」
「今日はそのつもりでこの街へ来たんだが、大事な忘れ物に気づいてしまってな。これがないとまだ帰れないんだ」
「忘れ物?」
「ああ、大事な髪飾りの話なんだが――」
一通り男が話し終えると一封の封筒を取り出した。
「もし、この街で私の妻を見かけることがあったらこれを渡してくれ。同じ旅人のよしみとして、どうかお願いしたい」
「……分かりました。必ず」
そのまま男は店を出て何処かへ歩いて行った。また、楽しむことのできない旅を一人で続けるのだろう。
それでもそれはきっと、優しさに溢れた旅だ。
家に着くとたまにただいま、と言う。もちろん返事は帰ってこないし、ただの自己満足だ。
今日だってそれは変わらない。
「そろそろ晩御飯の用意しないと……」
台所へ向かおうとした途中。貰った封筒の存在を思い出す。
白い色の封筒、所々にしわがあるのを見ると最近のものではないのかもしれない。
差出人や宛名もどこにも見当たらない。
「何が入ってるのかしら……」
恐る恐る封を開けると綺麗に折りたたまれた紙が何枚か入っていた。
ゆっくりとそれを開くと一番上に書かれていたのは自分の名前。
封筒を受け取った時にもしかすると自分ではわかっていたのかもしれない。
あまり驚くことはなかった。もちろん、夫の名前が書かれた差出人の名前にも。
手紙には様々なことが書いてあった。
私たちの出会い、旅の思い出、私を置いて一人で旅をしていた時のことなんかも書かれていた。
しかしどうやら私抜きでの旅は退屈だったらしい。
一文字ずつ読み進める度に懐かしい気持ちになる。私が忘れていたことも書かれていたり、今日話した内容がそっくりそのまま書いてある部分もあった。
悲しいお話なんてどこにも書いていないし、辛くなるようなお話が何処かに書いてあるわけでもない。
それでも私は一文字一文字追っていく度に涙が溢れていくのを感じた。
同時に胸が少し締め付けられるような感覚に襲われる。
もし、あの時あの人のいう通りに一緒に過ごしていたら、こんな寂しい思いはしなかったのだろう。
二人でいつものように街を歩いていつものようにご飯を食べて、いつものように過ごす。
たまには少しだけ遠くの街なんかに出かけてみてもいいかもしれない。
そこであの時みたいに一緒に色んな場所を巡るのもいい。
一緒に居ればその分喧嘩だってするだろう、それでも次の日には二人ともすっかり忘れていつものように笑顔の日々を送る。
でも、それではだめだと分かっている。あの人にはまだ旅を続けてほしかった。
今でも具体的な理由は分からないけれど。
私の愛した夫はこんなところで足を止めていい人じゃない、きっと私がそう考えたからなのだろう。
涙で滲んだ手紙を読み進めると最後の方にこう書かれていた。
またあの日のように私があなたを見つけます。
たくさんのお土産を持って必ず帰ってきます。
だから、それまで待っていてください。
この箇所のインクだけは自分以外の涙で滲んでいた。
結局その日の夜は何も食べることなくただただその手紙を何度も読み返した。
――いつもと変わらない朝。ベッドから起き上がると隣には誰も居なくて。朝食をとる時も私は一人。
いつもの髪飾りをつける。軽い庭掃除を済ませるといつも通りの散歩に出かける。
でも、あの日から色々な場所を通るようになった。
――あの人が私を見つけやすいように。
あの喫茶店にも時折寄るようになった。ちょっとした世間話や旅の思い出なんかを話し合ったりする。
一度、手紙を渡してくれた事に対して礼を言ったがそれ以降、あの人について尋ねることは無かった。
聞けばあの人の手がかりが掴めるのかもしれない、もしかすると案外すぐに出会うことが出来るのかもしれ
ない。
それが分かっていながらも決して私がそのことを口にすることは無かった。
あの人自身で私を見つけると言ったのだから。
変わらず私は待ち続ける。
重い荷物を引きずりながら街中を歩く。
そんな偶然あるはずがないと分かっていながらも足は止めない。
しびれを切らして何処かへ行ってしまったかもしれない。そもそもあの手紙が届いたという確証なんてものもない。
それでも見つけると手紙で約束したからには諦めるわけにはいかない。
夕暮れ時、いつの日か寄った酒場の前まで来た。
どうやら昼の間は喫茶店になっているらしい。少し中をのぞけばコーヒーを飲む女性の姿が見えた。
その女性は後ろ姿しか見えないけれど、自分が見慣れた髪飾りを付けていて。
あの日とは全然違う場所で、違う時間。尋ねる場所なんかもない。
それでも気づけばあの日よりも輝いたあの日と同じ髪飾りを持ってその女性に声をかけていた。
「あの――」
振り返った女性は確かにあの日、一目惚れした彼女で。
「――はい」
聞き慣れた声で声をかけてきた男性はあの日、胸のときめきを感じたあの人で。
二人は笑顔に涙を浮かべていた。
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