身を焦がす陽に憧れて
その吸血鬼は変わり者だった。血よりも野菜が好きだったし、十字架を美しいと感じていた。もちろん腹を壊したが、ニンニク料理にも手を出したことだってある。しかし、何よりも変わった点が一つあった。彼は太陽に憧れていたのだ。どうして太陽に憧れ始めたのか、彼自身にも分からない。ただ、内から湧き上がる衝動のようなものが、彼の興味を、関心を、輝く太陽へと向けさせたのだ。夜の闇の中でしか生きられない彼ら吸血鬼は、太陽の光を浴びれば体が灰になってしまう。どういう仕組みなのか、吸血鬼にもよくわかってはいないが、とにかく日光は天敵なのである。陽の光を浴びることができないため、彼は心の慰めとして、暗くなってから人間の町へ降りて、太陽を象ったランプを買った。それからも、たびたび本屋を訪ねては太陽に関する本を読み漁り、太陽への憧れをさらに深めた。朝更かしをしようとして、心配した母親に本気で怒られるのは毎日のようであった。
常軌を逸した太陽好きの彼は、逆に夜が嫌いだった。夜道を歩くと、鬱屈とした雰囲気の中にぼんやりした月明かりが差し込み、気が滅入ってしまう。夜にしか出歩けない体だから夜道を歩いているだけで、彼は夜に親しみを覚えたことは一度もなかった。彼はそんな自分も嫌いだった。人と違うのが恥ずかしく、またひどく罪深いようにも思え、表向きでは血を好むふりをした。十字架を嫌う演技は自分でも舌を巻くほど上手だった。腹痛になるといけないので、ニンニクをごまかす心配はなかった。しかし、どうしても太陽への愛だけは隠すことができなかった。
「自分でもなぜだかわからないのけど、太陽の下を歩いてみたい。太陽と暮らしてみたい。昼にしか開かない花が咲いているのを見てみたいし、青い空を見てみたい。それに何よりも、陽の光って物を浴びてみたいんだよ」
誤魔化しきれず、彼はそう白状したことがある。吸血鬼にしてみれば、自殺願望を打ち明けられるようなものである。知り合いには気持ち悪いと避けられ、少なかった友達はいなくなった。学校ではいじめられ、冷やかされた。理科室にある太陽の模型を見ながら、彼はいつも泣いていた。
「何故、何故、何故。写真や映像でしか見たことは無いけれど、あの美しい青空に昇る太陽は、こんなに素晴らしいものなのに。理解などできやしないよ。ただ吸血鬼だというだけで。ただ自分たちの敵だというだけで。その美しさを理解することすら異端扱いを受けるっていうのか。」
もちろん、彼だって死にたいわけではないので、周りの吸血鬼の太陽への恐怖を理解できないわけではなかったが、次第に太陽の素晴らしさを理解できない周りのことが嫌いになっていった。それ以上に、望み通りにできない自分の体を嫌いになっていった。
彼の青春は、こうした苦悩に満ちた日々であった。しかし、彼は自分の心を殺すほど弱くはなかった。彼は必死に勉強し、吸血鬼ではまだ数がそう多くはない学者になった。血を吸われて吸血鬼になった人間、いわゆる成り上がりの吸血鬼が増えた昨今になって、古くからの吸血鬼の慣習には馴染みのない職業や施設が徐々に数を増やすようになった。学問や学校はその一つである。頭のお堅い吸血鬼からは未だ歓迎されない職ではあるものの、ここ最近でグッと生活が便利になっていったのはこのおかげである。自分を蔑んだ人々からも祝福を受けながら、彼は大学で研究を重ねた。彼の研究は、名目上「太陽を克服し、吸血鬼が昼でも人間の血を吸うため」のものであった。この頃には、彼は太陽が好きなのをごまかすのも上手くなり、都会の大学で学者になった彼の太陽信仰を知る者はいなかった。
「太陽の元でも行動できるようになっていけば、必ずや吸血鬼の活動範囲は広がるに違いない。陽光を遮るものがない平野でだって時間に囚われず行動できるし、夜の間に飢えを癒せない日々が続いて餓死する者も減らせるはずだ。そうすれば我々の文明はさらなる発展を見せることは当然だ。」
研究をするようになってからの彼の口癖だった。
長い研究の末、彼のチームはある全身スーツを作った。そのスーツを着ていれば、太陽の下でも活動ができるというものだった。何かあってはいけないし、ラットのような実験動物を用いることもできないので、そのスーツの性能テストは犯罪を犯した吸血鬼たちで行われた。自らスーツを脱いでしまった死刑囚以外はなんともなく太陽の下で活動できたことから、彼らの研究の成果は立証された。また、スーツを脱いでしまった者が太陽の光を浴び苦しむ姿は、彼らの研究なくして太陽を克服できないということを如実に物語り、太陽への恐怖を吸血鬼たちが再確認する契機となった。研究の成功を受けて、彼の率いる研究チームは、とうとう自分たちでも太陽下での活動を行うことにした。彼は顔にこそ出さないものの、内心心が躍る思いだった。彼を馬鹿にした故郷の者達を見返せた喜びもなくはない。しかしそれよりも、何よりも。彼が長いこと恋い焦がれた太陽の照らす大地を、この足で、歩くことができる。青空の下で、歩くことができるのだ。彼の鼓動は期待で高鳴り、彼の気付かぬうちに足は軽やかなステップを踏み、鼻歌も漏れていた。助手たちはそんな彼を見て、長年の研究の成果を体験できるのがうれしいのだろう、と勘違いした。スーツを着た研究チームは、日向へ歩き出した。研究成果を目で見たとはいえ、浴びれば死んでしまう太陽光だ。彼らはおっかなびっくり一歩を踏み出した。慎重に二歩、三歩を進め、四歩五歩六歩と興奮気味に足を速め、彼らは走り出した。
「太陽に勝った!!忌々しき太陽め、ざまあみやがれ!」
助手たちは叫んでいた。彼は、ふつふつと湧き上がる太陽への愛を心で叫んだ。心で叫ぶだけなら良かったのかもしれない。彼は、太陽への愛慕を抑えきれなくなってしまった。陽の光の元へ身体を投げ出したい。膨れ上がった思いを抑えられず、スーツを脱いでしまった。助手が異変に気付いたときには、もう遅かった。太陽の光を直に浴び、彼の身体は燃え盛った。炎に包まれながら、彼の身体は燃え尽き、塵になってしまった。
彼の最期は彼の故郷の里に伝えられ、吸血鬼たちの太陽への嫌悪を増幅させた。近づいてはならないものへ近付こうとするから、あのような凶行に駆られるのだ、と。彼の助手たちも研究を辞めてしまった。しかし半年後、彼の助手たちもまた、太陽の光に焼かれ消えることとなった。助手たちの何人かは遺書を残していたが、皆が共通して書いていることがあった。「死ぬ間際の彼の笑顔の理由を知りたい」、と。彼は、愛する太陽の優しい光に抱かれて、笑顔で死んだのだった。それも狂った笑顔ではなく、毒気のない、幸せな笑顔で。一人の助手の遺族が、狂気を導いた太陽の恐ろしさを訴えようとして遺書を公開した。しかし、助手たちが書き残した「彼の笑顔」は、嫌悪していたはずの他の吸血鬼たちの好奇心を掻き立ててしまい、吸血鬼たちの多くが太陽に身を差し出すことになった。
今現在生き残っている吸血鬼たちの間では、彼の話を語ることがタブーとされている。以前よりも一層厳しく、太陽への憧憬は危険視され、法律で罰せられるようになった。しかし今でも、太陽の暖かな光の下へ行きたがる吸血鬼は後を絶たないという。