9.籠の鳥ーーミストナと回復術師(ヒーラー)
前回のあらすじ。
導かれるように、初めてのダンジョンに単騎突入したミストナ。満身創痍の彼女は息を飲んだ。
最終部屋からふらりと姿を現したのは、疑惑のギルド、“聖デイヴァレン”の団員だったからだーー。
(おおお、落ち着くのよ私!)
戸惑いを振り払うようにミストナは首を振った。
聖デイヴァレンの全員が、悪い奴という訳ではない。これまでの調べから、新人殺しは十中八九、単独犯だと割り出している。
『全員を疑うな』『偏見は良くない』と自身に言い聞かせてはいるが、やはり第一印象というものは厄介なものだ。
ミストナとこのギルドとの出会いは“一、悪い奴がいる”。“二、聖デイヴァレンの中に”。なのだから。
だとしても五百人の中の一人だ。
あの“新人狩り”に偶然会ったとはまず考えられない。
「やぁ。猫の獣人さん」
思考の中にいるミストナに、先に声をかけたのは先駆者だった。
鍵盤が弾むような軽快な声。それが深くかぶったフードの奥から聞こえた。
「……私は虎人よ」
「それはごめんよ。どうか怒らないでおくれ。僕は魔族の識別には自信があるけど、どうも獣人さんには疎くって」
初対面の雰囲気は上々。
顔は見えないが、前の団員に危険性は感じられない。
鉢合わせの中でも最悪の想定とされる、出会い頭の殺し合いは避けられた。
「気にしてないわ。私もドワーフとハーフリングの見分けに自信がある訳じゃないから。小さい頃なんて、ピクシーが大人になったらサキュバスになる、って信じてたくらいだもの」
ミストナは他愛の無い話を混ぜながら、相手との距離感を測った。
「ふふっ。どうもありがとう。虎の獣人さん。それはそうと君は一人なのかい? 仲間が見えないようだけど?」
痛いところを突かれて、ミストナは視線を少し外す。
「そうよ。この程度のダンジョンなんて、私にかかれば目を瞑っててもクリア出来るわ」
先駆者はフードの中から、周囲の気配を伺うようにジッと回廊の先を見つめた。
「幻獣がいないようだけど……もしかして、全部倒しちゃったの?」
「えぇ。相手にもならなかったわよ」
「凄いよ! 籠の鳥の幻獣達を全部仕留めるだなんて。虎のお姉さんはとっても強いんだね!」
「ありがと」
興奮気味な先駆者の褒め言葉に、ミストナは「ふふん」と鼻を鳴らした。
誰からだろうと、称賛されるのは素直に嬉しい。
「怪我はないように見えるけど、回復は……」
ミストナはハッとした。
そう。このギルドの団員は、場合によっては救いの神に等しい存在になる。有能回復術師集団をアピールするために、無償で回復を施してくれる事があるのだ。
「か、回復してくれるのーー」
「顔色が少し良くないね。それなら薬で何とかなるかもしれない」
(言葉を遮った挙句に、回復術師が薬を飲めですって?)
おかしな事を言う団員だと、ミストナはイラついた。
顔色どころでは無い。お得意の回復魔術を使って全身を治すべきだと。
使い物にならない腕。一度座ってしまったら立ち上がる事も怪しい両足。装備。汚れた虎耳。破けた腰回りの当て布。
頭を下げて、金貨を払って頼みたかった。
全て元どおりにして欲しいと。
「先に脈を確認するよ。安心して。聖デイヴァレンに誓って攻撃なんかしないから」
団員はローブの袖口を捲り、手を伸ばす。
ミストナはすかさず目を細めて、その手首を見つめた。
そこに金魚の刺青はない。この団員はやはり高額賞金首の新人殺しでは無いのか。
喉から手が出るほどの施しを、ミストナは受け入れーー
『ピィィイイイーーッ!!』
「何!?」
突然のピィちゃんの警戒音に、ミストナは一歩後退りした。
「……どうしたの?」
団員には小鳥の声が聞こえていないようだった。
行き場が無くなった右手を、気まずそうに胸の前に置いた。
「い、要らないわ。アイテムも余ってるし、こんな簡単なダンジョン私一人でクリアしてみせる」
余ってなどいない。そもそも持ってきてないのだから。
精一杯の虚勢だった。
気掛かりなのはピィちゃんの鳴き声だ。先の幻獣たちとの戦闘の際、不意打ちや何かあった時は必ず鳴き声で知らせてくれた。きっと回復しないほうがこの後の生存率が上がる。
そういう報せの可能性が高いのか……。
ミストナは両腕を見つめながら、尻尾を折り曲げた。
「でも……タダだし、やった方が良いとおもうんだけど……」
「ありがとう。気遣いだけ受けとるわ。それより、その紋章ってあの上位ギルド、聖デイヴァレンの正団員の証でしょ?」
「そうだよ……僕はまだ下っ端だけどね」
「有名ギルドの装備に興味があるわ。見せてくれないかしら?」
なるべく自然を装い、ミストナは会話を進める。
「いいよ」
先駆者はあっさりと答えた。
露わになった顔は中性的で性別すら分かりづらかった。むしろ、特徴と呼べるものがない薄い顔だ。
少しだけ尖った耳。人間より少しむっくりとした体系。
自身は無いがその耳に、ミストナは人間ではないハーフリング種と推測した。
ローブの下は、細いテープを巻いたような格好。腰にはパレオ風の腰布が巻いている。物理には弱いだろうが、魔術に一級の耐性がある術式が込められているのが見てとれた。
露出している腹には術印が。
総合的に踊り子か、呪術師。その辺りの職業だろうと推測した。
悟られぬようにさりげなく、もう片方の手首を確認する。やはり金魚の刺青は確認できない。
「さすが聖デイヴァレン。良い装備ね」
ミストナとは違い、傷一つ無いその服装。見れば先駆者も一人のようだ。遠距離から膨大な魔術を連発して、ここまで来たのだろうか。
ミストナは実力差を痛感した。
「じゃあ僕は虎人さんに甘えさせてもらいます。ここの幻獣達が復活する前に帰らないと、そろそろ魔力が不安なんだ。ちょっと無理をしすぎちゃった。またね」
団員の背中を見送りながら、ミストナはどうにか協力者として引き込めないか考えた。
(いや……それはダメね。少なからずギルドの情報を流す事になる。それは、仲間を売る事と同義だわ)
悪い奴ならいざ知らず、何の敵意も見せなかった冒険者だ。
ミストナはこの無垢な団員の立場を懸念した。
「じゃあ……ね」
同じように『またね』と、言いそうになった口を強く結んだ。
最悪の場合、このギルドとは徹底的に交戦する事になるかも知れない。その時に情があったら、拳は鈍ってしまうだろう。
「ーー鳥の声」
そう言って、団員が上を向いて立ち止まった。
ミストナには聞こえない。さっきの様子を見るに、やはり個別に聞こえるダンジョンの仕掛けなのだろう。
「君には何匹聞こえるの?」
団員が振り返ってミストナに問う。
「ピィちゃんの姿は見えないけど、鳴き声からして一匹じゃ無いかしら?」
「……そうなんだ。僕にはいっぱい聞こえるのに。おかしいね」
「いっぱい?」
「ずっと鳴いてるんだ。うるさいくらいに」
その時だった。
団員の背後。気配もなく光柱が突然現れた。そこからこの四回廊で一番強かった、二十メートルはあろうかと大蛇が即座に姿を現した。
(何よこれ!?出現が早すぎる!)
ミストナが慌てて口を開いた。
「あぶなーーッ!!」
咄嗟に届くはずの無い手を伸ばしながら、ミストナは叫ぶ。が、それも虚しくも惨劇は起きてしまった。
一瞬の出来事だ。
体をしならせた大蛇が、団員の上半身をーー丸々噛み千切った。
「くっ!」
その悲痛な光景を避けようと、ミストナは目をギュッと瞑った。
しかし。ミストナが再び目を開いた時、団員の体は完全に元通りになっていた。
「ーー自動完全修復!?」
それは回復魔術に縁のないミストナですら知っている、最上級の回復魔術の一つ。
目を見張ったのはその魔術だけでは無い。
ミストナが視線を逸らしたのは一秒程度。その間に全ての修復が終えている。膨大なリターンに対してリスクとなる、術の効果が余りにも早過ぎるのだ。
(自動完全修復ではなく、身体を無理矢理に奪い返すような変な魔術? それとも聖デイヴァレンの団員全員が、これほどの切り札を持っているの……)
混乱するミストナがーー自動完全修復と確信した。
理由は食い千切った団員の半身を、今まさに大蛇が丸呑みにしたからだ。
(上半身が二つ存在した。やっぱりーー自動完全修復ね)
肉体以外にも聖デイヴァレンのローブといった装備まで、完全に復元されている。
これで下っ端というのは有り得ない。少なくとも聖デイヴァレンの幹部以上か、あるいはギルドマスタークラスと同等レベルか。
団員の秘めた実力に、ミストナは呆気に取られた。
大蛇はそんな上級魔術の事など意に介さず、上体を大きく逸らしたまま団員を睨みつけていた。
ーーポタリ。
よく見ると、大蛇の口元から血がポタポタと流れ出ている。
それは丸呑みにされた団員の、元上半身から流れ出たものではなかった。
大蛇が団員を噛み千切った時の腕輪が、下顎に刺さっていたためだ。
「……治せる」
団員は威嚇する大蛇の口元を見上げながら、不思議な事を口にした。
「僕は回復術師だから」
団員が見下ろす大蛇に向けた掌。
そこから現れた魔術陣には青白い回復の術式が刻まれていた。
「ちょっとあんた! 何考えてんのよっ!!」
察したミストナが、小さな背中に向かって叫ぶ。
団員は掛け声を気にすることなく、魔力のコントロールを行った。
呼応する陣からは、青白い光が強さを増していく。
「ーーおいで」
団員の言葉をキッカケに、大蛇がうねりを上げて襲いかかった。
剥き出しになった人の腕ほどの大きさがある牙。
それが展開する陣に触れた瞬間ーー大蛇の頭が『パンッ』と小気味よく破裂した。
それは長い胴にも連鎖していき、破裂音を立てながら大蛇の全身を内から爆発させていく。
「ただの回復術式で、どうして攻撃なんか出来るの……」
ミストナはその異様な光景に自然と手が震えた。
全ての肉体が破裂した大蛇は、魔石だけをコロンと回廊に残して全てが光の粒となる。
「あはははははははは」
乾いた団員の声が回廊に響いた。
団員は笑いながら、ゆっくりとミストナに振り返る。
その団員の顔からはとめどない涙が溢れていた。
薄い顔に皺を寄せーー笑いながら泣いていたのだ。
ミストナは不安げに胸を抑える。
理由は分からない。ただ、箱に捨てられたペットが蓋をあけると亡くなっていたような、そんなチクチクとした痛みを感じたのだ。
「あんたがーー新人殺しなの?」
「……僕は」
会話する両者の間に光柱が発生した。
咄嗟に二人は距離を取る。真っ直ぐな回廊のあちこちに光柱が出現し始めていた。
時間経過による、本格的な幻獣の復活が始まったのだ。
団員は何か諦めたような顔をしながら、素早く出口の方に駆け出した。
「待ちなさいっ!!」
慌ててミストナが追いかけようと重い足を動かすと同時、幻獣が進路を阻んだ。
「くっ!」
幻獣が次々に復活していく。
あの団員を追ったとして、果たして今自分に捕まえれるだけの力があるのか。
そもそも幻獣を破裂させて倒しただけであの団員が新人殺しという証拠も、ましてや拘束出来る理由もない。
それよりも、この疲労した身体をどうにかする方が先決。
ミストナはそう判断せざる負えなかった。
今の聖デイヴァレンの団員が、最終部屋を突破して出てきたとすると、中のボスは暫く出てこないかもしれない。
転移装置があれば隙を見て脱出。
しかし、入り口に向かって行った様子を見るに、期待は出来そうもない。
(それぐらいは聞いても良かったかしら……)
足元が見られる事を恐れたミストナに、後悔の念がよぎる。が、悩んでいる暇はない。
ボスが居て、転移装置が無ければ即座に引き返す。
ボスが居なければ、転移装置を探しながら少しの休憩。
(これが最善策!)
ーーミストナは最終回廊となる、大部屋への扉を開いた。
「えっ?」
次階層へ続く光の中を抜けると、すぐに何か軽い物を蹴飛ばしてしまった。
足元を見る。
コロコロと地面を転がっていくのは、ひどく見慣れたものだった。
人間のーー“腕”だ。
詰まる息を飲みながら、ゆっくりと周りを見渡す。
巨大な“鳥籠の中”を思わせる部屋の中央。
辛うじて身体の原型を留めている冒険者達が五人倒れている。
「何よこれ……」
漂う濃密な血の匂いに、ミストナは顔をしかめる。
よく見ると隅の方にも飛散した腕や足が見えた。これらを足すと合計で十人の冒険者が、ここに居たと言うことになる。
『地獄絵図』この言葉がふさわしい光景だった。
「生存者! いたら返事をしなさい!」
ミストナが声を発しながら、中央に駆け寄る。
一番失った部位の少ない冒険者の脈と瞳孔を確かめるが、死後十分以上は経過しているようだった。
蘇生措置を施そうにもえぐれた急所や出血を治す方法が、固有魔術しか使えない獣人のミストナにはない。
「一体どういうことなのよ……」
半ば呆然気味に亡骸を見つめた。
そして原型を留めている冒険者達のおかしな装備に気が付いた。ピカピカに磨かれた新品の装備。つまり、傷が無いのだ。
これが何を意味するのか。
「まさか……」
ミストナの頭を可能性が駆け巡る。
装備に傷が無かった事としても、不可思議な魔術で大蛇や冒険者を殺したとしても、安易にあの団員が新人殺しだと思い込むのは軽率な判断だ。
また、この大惨事が直接的な罪になる事はない。
ダンジョンにーー法など無いのだから。
なぜこんな事が起きたのか。
鉢合わせによる、トラブルになった。
あの団員が助っ人参加したのは良いが、最後に裏切られ、仕方なく殺した。
単にボスに殺された。そこへあの団員が後から来た。
ーー全て否定出来ない。
ミストナの脳内に、ダンジョン内で起こった可能性が無限に膨らんでいく。
ただ、その中に揺らぐ事のない確固たる事実はある。
初めて会った時だ。
あの団員は十人の命が散ったにも関わらず……気にも止めていないような顔と発言をしていた事実。
(“新人殺し”に会った……そんな偶然ってあり得るの……)
『ピィィーー!』
思考を遮るように、ピィちゃんの叫び声が耳をつんざいた。
「!?」
虎耳を動かし、辺りの気配を探る。
入って来た扉の遥か上。そこにヒビが入った半透明の球体が浮かんでいた。
淡く光るそれを見て、ミストナは結界の一種だと察知する。
「嘘でしょ……」
問題はその中だった。
ーー首の長い巨大な蜥蜴。
そいつがじっとミストナを見つめていた。
「なんでラスボスが結界の中にいるのよ!?」
目があった途端だ。
大蜥蜴は球体の亀裂に向かって豪炎を吐いた。
結界は負荷に耐えきれずガラスのように砕け、消滅。
まるで卵から孵るようにーー大蜥蜴は入り口の前にズドン! と降り立った。
「ギャアアアゴウウゥーーーッ!!」
大蜥蜴が咆哮を発しながら、太く長い首を伸ばす。
首の長さだけで二十メートル。巨体を入れれば三十メートルくらいだろうか。その身体は街にいる並のドラゴンよりも大きい。
分厚いガラスのようなウロコをまとい、ただ息を吐くだけで魔術陣が口元にいくつも展開し、灼熱の炎が口からこぼれている。
「退路が……塞がれた」
大蜥蜴の巨体で見なくなった出口に、ミストナの足が自然と震えた。