8.籠の鳥ーーバッティング(鉢合わせ)
ミストナがいなくなった事に気付いたラビィが、ベリルとツバキに救助を求めた。
慌てて駆け出したベリルは、配達員の天使を無理やり捕まえてダンジョンへと急ぐ。
一方のミストナはーーーー。
ゲートの場所は、五番街北西にある人気の無い路地裏の奥。
そこで小さな【鳥籠】は、冒険者達を待ち続けていた。
ぼんやりと光っている面を除けば、見た目は小鳥を入れるただのゲージにしか見えない。
しかし、触れれば誰もが確信する。
ダンジョンに繋がっている“オブジェクト”だという事実を。
籠の鳥には出現条件があった。
裏路地の入り口から複雑な道順を経て、辿り着くその袋小路。一度でも間違うとゲートである鳥籠は現れない仕組みになっていた。
俗に言う『ダンジョンに入る資格が無い』ということだ。
なぜオブジェクトに出現方法が存在するのか。そもそもダンジョンとは意思を持っているのか。
人知を超えた謎は未だに多く、詳しい解明されていない。
『ダンジョンが望んでいる。またはダンジョンは生き物だから』これがこの街のーーホワイトウッドの答えだった。
鳥籠の内部はシンプルな作りになっている。
真っ直ぐに長々と続く回廊が四つ。最後には待ち構えたボスがいるであろう“大部屋”がある。
このダンジョンの正式名は【渇望の鳥籠】
方や、冒険者の間では『籠の鳥』という名称で呼ばれていた。
それはダンジョンに突入すればすぐに分かる。
構造やギミックが冒険者達を、まるで“籠の中の鳥”だと嫌でも自覚させる事になるからだーーーー。
◇◆◇◆◇◆
ミストナが息を切らして鉄格子の一本に背中を預けた。
「くっ……どこが一時間でクリアなのよ」
鉄格子がずらりと両脇に並ぶ、長い一本の廊下。
真っ直ぐな牢屋の中に閉じ込められたような世界で、顎に滴る汗を肩で拭う。
五倍以上の時間がかかったが、ミストナは四回廊の最終地点に辿り着いていた。疲れた体の目の前には、最後の大部屋があるであろう、両扉が佇んでいる。
「ピィちゃん? いるの?」
『……ピィ?』
小鳥がどこからか返事をした。
どこまでも暗闇になっている上部から、その声は聞こえる。
姿の見えないこの鳥の鳴き声は、ダンジョンに入った時から聞こえていた。
遠くから聞こえたり。あるいは耳元で囁かれたり。
ミストナは気晴らしにでもと思い、鳥の名前をピィちゃんと名付けたーーもちろん勝手に。
きっとこのダンジョンが生み出した仕掛けだろう。と、ミストナは推測する。
冷たい鉄格子も。長い廊下も。幻獣達も。この世界の全てがダンジョンの創造物。
ここは籠の鳥と呼ばれるくらいだ。鳴き声が聞こえる程度、何ら不思議ではない。
それに小鳥はこれと言って冒険の邪魔をする事もなく、時に背後の幻獣を感知してくれたり、心を落ち着かせてくれる良い話し相手になっていた。
そんな事より。状況は深刻な事態におちいっていた。
ミストナは震える右手を不安げに見つめながらーー握り拳を作る。
「ぐぁっ!!」
電流が走ったような衝撃がミストナを襲った。
吐き出しそうになった苦痛の言葉。それを食いしばった歯で、無理矢理に押し込めた。
「まだっ……まだ大丈夫よ」
“合計、三百体”。
それがこの最終地点の手前までに、ミストナが倒した幻獣の数だ。
戦ってきたのは人よりも少し大きい蛇や、蜥蜴に似た幻獣。個体で見れば大した強さでは無い。
殴り倒して。踏み抜いて。召喚武器のカイナでまとめて薙ぎ払って。ミストナは一回廊、二回郎を軽々と突破した。
だが、三回廊からは様子が違った。ミストナの想像を遥かに超える幻獣の数が湧いたのだ。
廊下の幅も狭くなり、拳闘士にとって重要な機動力は格段に落ちた。
一撃が二撃となり、二撃は四撃に……振るった拳の数は、軽く千を超えた。
幻獣達の捨て身の攻撃に、左腕の鉄甲は大破。
数十体に馬乗りにされ、尻尾を掴まれた時は千切られるかと思った。
それでも、ミストナは前に進んだ。
自分が望んで向かうように。
誰かの声に呼ばれるように。
ミストナは邪魔する物を全て叩きのめし、ゴールまで手を伸ばし続けた。
(進むか……退くか)
次回層に続く大扉を睨みながら、ミストナは判断しかねていた。
パンフレット通りなら、この大扉の向こうにボスが待ち構えている。
つまり、最後の一匹という事だ。
だからと行って安易に進めない理由がある。
『ボスを倒したら街に帰れるのか?』と、聞かれたら答えはノーに決まっているからだ。
街へ帰るには事前に設置された【転移装置】が必要だった。
その有無が、ミストナにはわからなかった。
転移装置とは特殊な魔術が施された装置で、街へ戻れる緊急離脱装置みたいな代物だ。
もちろん、設置していない場合もある。
とても高価な代物であり値段もそれなりにする。だから、利用が少ないと判断されれば撤去もされる。世界観にそぐわないと、ダンジョンの意思で拒むケースもあった。
(どうする……)
ここから引き返した場合をミストナは考える。
三回廊以下の幻獣はとうに復活しているはず……その数はざっと二百体ほど。
はっきり言って体力が持たないだろう。
なら、ボスが待ち構える大部屋に突入した場合は。
一対一で戦う形式の方が、拳闘士であるミストナには気は楽だ。周囲を気にせず、目の前の敵をただ殴るだけで良いのだから。
仮に尾転移装置があるのなら、ボスを倒してから転移装置を使うも良し。隙を盗んで使っても良しだ。
(どちらが正解か……)
震える拳を見つめ直し、その答えはひとまず保留にしておく。
今は四回廊の幻獣が、復活の兆しを見せるギリギリのタイミングまで身体を休ませる。
進むか、引くかを選ばない。それが考えられる最高の選択だと、ミストナは判断した。
全身の力を抜いて、深く呼吸を。獣人特有の自己治癒力、その活性化をうながす。
(…………なにっ!?)
キィーーと、金属が擦れるイヤな音がした。
目の前の大扉からだ。
ミストナは疲れた体が見せる幻だと、心の中で否定する。
意に反してーーその大扉はゆっくりと隙間を広げていった。
(冒険者!? 先に誰かが潜っていたの!? 鉢合わせ!?)
完全に忘れていた事態だ。
迂闊! 凡ミス! 大バカ者!ーーミストナは自分自身に叱咤の言葉を浴びせた。
いくらダンジョンが簡単でも、他の危険な冒険者と出会う事もあるだろう! 私のまぬけ! と。
ミストナはその者が姿を現わす前に、即座に息を整えた。
ダンジョン内に……“街の法律は適応されない”。
ふとした事がきっかけで、強盗や殺人が当たり前のように起こってしまうのだから。
絶対に知られてはいけないのは、ミストナの魔力が枯渇寸前だという事。
自在に動かせる人間大の鉄腕。ミストナの召喚武器、二極豪天・カイナ”。
これが、あと何分くらい使えるのか。安易に見せびらかす余裕は無い。
ミストナは虎耳と尻尾の角度を上げて、顔を引き締め直した。
(表情には余裕をーー。心には覚悟をーー)
『ピィ!』
ピィちゃんの鳴き声が手元から聞こえた。
ミストナは「ハッ!」と気付いた。自分の鉄甲がちぐはぐになっている事を。
(左腕の鉄甲だけが無いじゃない!)
手負いの状態である事を、微塵も悟られてはいけない。
慌てて左右対象にするべく、右腕の鉄甲を外しどこに続いているか分からない鉄格子の外ーー暗闇へ投げ捨てる。
軋む音が静まり、両扉が完全に開いた。
強い光の中を。先駆者が「コツン、コツン」と、ゆっくりな足取りで四回廊へ戻って来た。
出てきた人物は一人だけ。
ラビィと同じくらいの背格好で人型の姿をしていた。
一体型のフードをすっぽりと被っており、その顔を覗くことは出来ない。
そんなことよりもーーミストナは唖然とした。
ローブの色。それが青と白を二分割にした、鮮やかな色彩だったからだ。
確信を決めるように、右胸には二本のロッドが交わった紋章、ギルド・【聖デイヴァレン】の象徴が輝いている。
(総合ランキング第十位の大型ギルド。あの新人殺しと関係のある……っ!!)
ミストナが思わず下唇を噛んだ。