6.「欲しい物は自分の手で掴みたいからよ」
前回のあらすじ。
過去を思い出し傷心に浸るミストナ。
しかし、全裸狼女の大きな胸をきっかけに、くんずほぐれずといった夜の大運動会(喧嘩)を起こしてしまう。
喧嘩するほど仲が良い、ということだ。
居間の一角にある座布団の上。
そこに正座しているツバキがいた。
「ツバキは出掛けないの?」
「少し書き溜めをしようと思いまして」
袖口の広い着物を抑え、ツバキは筆に墨をつける。
サラサラと。彼女は慣れた手つきで札に術式を書きこんでいく。たったそれだけの動作なのだが、この大柄なツバキの動きには一点の淀みもなく流暢で、それだけで絵になっていた。
「札術ってやつね」
ツバキの故郷の文字なのか、はたまた達筆過ぎるのか。
興味津々に覗き込むミストナには、その文字が理解出来なかった。が、尋常ではない魔力が札に込められていくのは見て分かる。
一枚書き上げるごとに札は消えていき、ツバキは「ふぅ」と額の汗を拭った。
ベリルの固有魔術ーー召喚武器は鉄パイプ。
それに対して、ツバキの召喚武器は“札”だ。戦闘職は陰陽師から特化派生した札術師。 中空に貼り付け、札を頂点とする結界を作ることが出来る。
ミストナがふと、どこかに消えて行く札とは別の紙に目をやった。
武器に使用する類ではなく、普通の絵が描かれている紙が数十枚ほど散らばっている。花、食べ物、動物等々。
抽象的に描かれた水墨画は、油揚げやひまわりくらいのものしかミストナにはわからなかった。
残念ながらこの虎人の少女には、あまり絵心がないのだ。
「ツバキは絵が上手なのね。羨ましいわ」
「思いのままに描いているだけですよ」
ミストナは最初こそ真剣に見守っていたが、その興味は徐々にツバキの身体へと移っていく。
目を瞑りながら、どうやって書いているのか。よく見たら狐耳がピクピクと動いているじゃない、と。
その視線はうなじから下を目指し、鮮やかな着物に移動する。この着物はどこで買っているのか? 疑問を抱いたまま帯を過ぎ、辿り着いたのは大きな黄金色の尻尾。
ベリルのゴワゴワで毛質の硬い尻尾と違い、ツバキはオイルを塗ったように整った毛並みをしていた。
誘われるように、ミストナの手がたまらず尻尾に伸びた。「うわぁ」「気持ちいい」「あっ、逃げた」「中々早いわね!」
筆を止めたツバキがため息をついて、猫のように尻尾で遊ぶミストナを見据える。
「……ミストナ。気が散るのですが」
仰向けで猫のように寝転がったまま、ミストナは答える。
「だって私の国には、こんなに大きな女の狐人は居なかったもの。やっぱり興味深いわ」
「ミストナ。良く覚えておいて下さい。大きいと書いて、“華奢”と読むのですよ」
人差し指を立てながら「これはとても大切な事です」と、ツバキは何度も強調する。
はいはいと、ミストナは返事をし聞きたかった事を思い出した。
「ツバキは、ベリルと幼馴染って言ってたわよね?」
「えぇ。私が五歳の時に出会いました。多少離れた時期もありましたが」
「いったい幾つなのよ。二十? もっと上? 魔族と混じってるなら五十は超えてるのかしら。教えなさいよーこのこのー」
大きな尻尾をうりうりとしながら、ミストナが不敵な笑みを浮かべ、二人の秘密に迫る。
「五十!? そんなに上だと思っていたのですか……。ベリルがコソ泥、チンピラ、穀潰し、女泣かせ、暴漢、凶悪犯といった風貌で、年上に見えてしまうのは仕方のない事ですがーー」
「いやいや、さすがにそこまで悪く思ってないわよ」
ミストナは苦笑いしながら答えた。
「祖先を辿れば私もベリルも魔族の血が混ざっていると思いますが、この街の年度で言うと歳は十五。ベリルも同じですよ」
ミストナは元よりまん丸な目を、さらに丸くした。
目の前の二メートルを超える狐人が、たった一つ上。にも関わらずこの立派な身体で、ただならぬ達人のような雰囲気をかもし出している。
「嘘でしょ! どう見ても二十以上でしょ! ツバキは何か達観してるし! 匂いだって……ほら! 成熟してる大人な感じがするわ!」
着物から覗くうなじに鼻を当て、スンスンと匂いを嗅ぐ。
優しい花の香りがミストナの鼻腔をくすぐった。
ツバキは困ったように間に手を立てて、ググググーーと、ミストナを引き離した。
「もぅ。花の匂いは香です。私とベリルは禁術にて、肉体の年齢を引き上げましたので。十五というのは紛う事無き事実です」
「身体を無理やり成長させる禁忌の術……」
ミストナは昔に国の書庫で読み漁った、歴史書の一部を思い出した。
大昔の戦争で使用されたという、その禁術。用途は手早く兵を育てる為に使われたという。
身体にどんな障害が残るか分からないとされ、今では術式すら残っていない。
「この街でも禁止されてる魔術の一つよね? 捕まるわよ」
「えぇ。この街ではそうなっていますね」
ハッ!っとミストナは気がついた。気軽に誰しもが出入り出来て、法では裁けない場所。それはーー。
「あー、ダンジョンの中でやったってことね!」
「えぇ。私とベリルはミストナ達と違って、異界出身ですから」
「なるほどね、納得したわ。何であのバカメイドの胸が“無駄”に大きくなったのか。副作用って訳ね」
無茶をする。というよりミストナは他の事を考えていた。
この方法を使えば、この胸が仮に成長しなかった時に使えるのではっ! と。でも片足だけ大きくなったらどうしよう……などと、尻尾をハテナに曲げて思い悩んだ。
「それより私は、聞いておかねばならない事があります」
ツバキが改まって姿勢を正した。
「どうしたのよ?」
「二週間前にミストナ達が現れ、私達の上司になると宣言し“決闘”を行いました。ですがーー他にも従わせる方法があったのではないですか?」
ミストナはその時の状況を思い出し、苦笑いを浮かべる。
「まぁ、無かったといえば嘘になるわね」
「鹿野がミストナをえらく気に入っているのは知っています。貴女が上司に固執する理由も聞きました」
「えぇ」
「でしたら、私達にアニマルビジョンの面子を使って無理矢理に圧力をかける、そういうやり方もあったかと思うのです。たった二人の狼と狐など、数の前には無力ですから」
向き合っているツバキの唇が、微かに震えた。
「私は怪我もしないし、成功率も高い。それが利口なやり方だと思うわ」
「では……なぜ決闘という方法を?」
ミストナは立ち上がり胸を張る。
そして両手を腰に当て、「ふっふっふ」と含み笑いを始めた。
「決まってるじゃないーー“欲しい物は自分の手で掴みたいからよ”」
それはミストナの好きな絵本、【冒険者の流儀】に書かれているセリフの一つだった。
それを見たツバキは、口元に手を当ててクスクスと笑う。
「頼もしい上司に巡り会えて、私とベリルは幸せ者ですね」
「私は憧れた“真の冒険者”になりなくてこの街に来たんだから。あんた達はもう大切なパーティーメンバーよ。ツバキが何を心配してるかは知らないけど、私は仲間を死んでも守るわーーーーあのバカメイドも含めてね」
ミストナはツバキの肩に手を回し、大きな体を優しく抱きしめた。
「死なれるのは困りますが……宜しくお願い致します」
ツバキもそれに応え、ミストナの背中に手を回す。
「逆に言うと死んでも離さないって事よ? 覚悟しておきなさい」
ミストナがツバキの鼻に指をちょんと当てて、無邪気な笑顔を向けた。
「あれ? 香水以外にもやっぱりツバキは“大人”の匂いがしたわ」
「……ミストナ。大きい人と書いても、華奢と読まなければなりませんよ」
ーードアの向こうの廊下。
「ひぇーっ!」「あわわわっ!」と、幼い悲鳴が聞こえた。
「すみませーん!助けて下さいですーっ!」
「愛しのラビィが帰ってきたわ!」
舌足らずなラビィからの救援要請に、ミストナは激しく尻尾をふりながら玄関に向かった。
ミストナが急いで開けた鉄の扉。
そこから吹き込んだ風にツバキが描いた絵が数枚ほど、ヒラヒラと散らばった。
その一枚にぼやけた人間が、魔獣のような狼を退治している絵があった。大きな狼は片目が潰れ、胴に矢や剣がいくつも刺さっている。息も絶え絶えの状態だ。
その傷だらけの狼を守るように、風に舞った虎の絵が新たに重なる。
虎の眼光は鋭く、まるで我が子を守るように、人間の形をした“影”に向かって威嚇を放った。
ツバキはギュッと胸を抑えながら、それを複雑な思いで見つめ呟いた。
「どうか、どうかあの狼を助けてくださいませ。ミストナ」
◇◆◇◆◇◆
ミストナがドアを開けると、ラビィは大量の本を抱えていた。分厚い本が二十冊以上積み重なり、蛇が立ち上がった様にうねっている。
この状態でワキ腹をつついたら、愛しのラビィはどんな顔をするのだろうか。そんなイジワルな事を考えつつも、ミストナはヒョイっと片手で本を受け取った。
「ラビィありがと。愛してるわ。ちゅ」
ーー頬にキス。
「ひゃぁぱぁ!?」
ワキ腹へのイタズラは、ほっぺの不意打ちに変更されていた。ニシシッ! と、ミストナは笑いながら、鼻歌混じりで仕事机の上に本を置いた。
一方のラビィというと、廊下で口を開けたまま、ポケーっと廊下の天井を見上げている。
ラビィに対するミストナの愛情表現は、加減を超えることが度々あった。魂が抜けかけてしまうほど頬を赤く染める、ラビィの気苦労を知らずに。
椅子に腰をかけたミストナが、頼んだ本の中から『ホワイトウッド、ダンジョン百選】という本を手に取った。
(闘技場……闘技場……)
高速でめくられるページが、とある項目で止まった。
(あった。ここが“異界”のある、ダンジョン)
ゲートの向こうには、大きく分けて二つの種類がある。
【直行型ダンジョン】と、【異界経由型ダンジョン】と呼ばれているものだ。
後者はゲートの向こうに、小さな世界が存在していて、その多くは原住民が生活を営んでいる。
街にいるリザードマンの半数は“孤高の湿地帯”出身だし、ゴーレムや土人は“悲しみの迷宮”から来ている。
ホワイトウッドが“超多種族街”と呼ばれた理由が、ここにあった。
その一つが“限界の闘技場”。
週に一度だけ開催される異界の格闘大会。そこで優勝すると、ダンジョンに入れる資格が貰える。という設定になっていた。
また、冒険者達には別の意味で人気の高い遊び場となっている。
(えらく冒険者を選り好みするダンジョンね。かえって好都合だけど)
ミストナは虎耳を折り曲げて、思惑を巡らした。
格闘大会の治療班。そこにギルド聖デイヴァレンのギルドマスターを引っ張り込もうと、ミストナは目論んでいたからだ。
異界への貢献もギルドランクポイント上昇に関係している。新しい仕事をやりもせずに、拒否をする理由も無いはず。
加えてギルドへの発言力も強い、鹿野クリフォネアが鶴の一声……いや、鹿の一声をかけたとしたら。
聖デイヴァレンのギルドマスターは動くはずーー。
(うまくいけば、団員の少ない状況下でギルドマスターと直接話が出来る。そこからーー“新人殺し”に辿り着けるわ!)
ミストナは顔も知らない“新人殺し”を想像し、その顔面にぐしゃりと右ストレートをぶち込んだ。
気付くと、時刻は昼を過ぎていた。
ラビィは本や生活品の買い出しを繰り返している。ツバキも目を離した隙に、姿を消していた。
窓の外を覗くと大型のドラゴンや、羽の生えた種族が空を飛び回っている。
雲の切れ目に消えて行ったり、あの孤島に向かったり。
「はぁ。いつになったら私はダンジョンに行けるのかしら」
まだまだ知識が足りない。
詰め込み終わったのは一般的な常識だけで、賞金稼ぎ、冒険者としてはまだまだだ。
読み終わった本を棚に仕分けしていく。
資料は中段へ。趣味である児童向け文学、つまり絵本は上段へ。ミストナの大好きな【冒険者の流儀】という絵本もそこに飾られている。
棚の一番下。
そこに視線を移すとベリルの持ち物らしき、ガラクタ類が無造作に置かれていた。
酒の空ビン。怪しい雰囲気の緑の鱗。濁ったネックレス。トランプのカードが数枚。曇ったゴーグルのスペア等々。
ミストナにはゴミにしか見えないものばかりだ。
「片付けなさいよね。本当にあのメイド狼は、格好だけなんだから」
綺麗に整理していくと、奥から“アニマルビジョン”と書かれた小さなダンボールが出てきた。
「アニマルビジョンの物かしら?」
目を通す必要があると思い、ミストナはそのダンボールを開けた。
中には安物の魔石と、同じ内容の広告が二十枚程入っていた。
『初心者オススメダンジョン!』と題された広告で、ポップな絵がぎっしりとコミカルに描かれている。
『安心安全、たったの五回廊!初心者にはオススメだよ!』
冒頭にはこう書かれていた。
「ビラ配り? ダンジョンの宣伝もやってるのね」
確かにこの街は何百万人の冒険者がいる。しかし、これだけのダンジョンの数だ。バランス良くとはならないだろう。
ダンジョンは一部の冒険者達から、『神聖な生き物』と呼ばれている。または、誰かの夢の中と比喩される事もある。
理由は人の冒険無くしては、ダンジョンは消えてしまう存在だからだ。
生存保護を考えるならば、人気の無い場所の街頭宣伝する事もアニマルビジョンの活動の一部ーーと考えれば合点がいった。
いや、バカメイドはこんな面倒な事はしないだろう。おそらくツバキか。ミストナは頭の中で、ベリルの顔にバツマークを付ける。
他にもこのダンジョンが、いかに初心者にオススメかが広告には書かれている。
『クリアはたったの一時間! 難易度はEだよ!』
「私にも簡単にクリア出来るのかしら……」
ダンジョンは未体験のミストナだが、戦闘に関しては決して弱くはない。
幼少から訓練をして鍛え抜かれた肉体と魔力。
年齢的に不安定な面もあるが、一年に渡る女二人旅をやってのけ、無事ラビィを守り抜いてホワイトウッドまで辿り着いている。
それは一流の冒険者としても通じるものがあるだろう。
興味をそそる理由はもう一つあった。
打倒、新人殺しに向けてダンジョンの性質や構造を、身をもって知っておかなければならない点だ。
【ダンジョン名は、かごのとりだよ】
「カゴの鳥……」
ミストナの心臓が高鳴った。
自分の置かれていた境遇がその名前とピッタリ重なっていたからだ。自由も夢も奪われた自分の国。ミストナにとっては正に籠の中の鳥だった。
身体の真に着火した小さな火種。それはメラメラと炎へ変わり、炎は熱い意思と成ってミストナの体を震わせる。
ミストナはもう、抑え切れなくなった。
これがダンジョンの魅力なのか。または冒険者としての資質なのか。どちらにせよ、大事なのは求める心に従う事だと思った。
腕の赤い鉄甲を確認し、金属が嵌め込まれたブーツの紐を固く結び直す。
「ふぅーー」
ひと呼吸。
幼少の頃から何千、何万と繰り返した拳闘士の動作を行う。
腰を落とす。目をつぶる。そしてーー欲しいものに向かってただ手を伸ばす。
それだけの真っ直ぐな正拳突き。
「ーーハッ!!」
「パンッ」と音速を超えた音が部屋に響いて、ミストナの身体の好調さを教えてくれた。
「よしっ! 上々ね」
この言葉を後に、ミストナは本拠地から姿を消した。
ミストナの仕事机の上。
そこに一枚のメモが置いてあった。
『気晴らしにこのダンジョンに行ってくるわ。すぐに帰ってくるから心配しないで。ミストナ』