5.女四人が同じベッドで眠れば、何か起きない訳もなくーー
前回のあらすじ。
ミストナは初仕事の成功が嬉しくて、ラビィと一緒に豪華な晩御飯を皆に振る舞った。
改めて新人殺しと聖デイヴァレンの考察を行い、ミストナは一つの秘策を思いつく。
それがアニマルビジョンのトップ、鹿野への手紙だった。
夜風に吹かれるミストナは、胸がキュッと締め付けられた。『せっかく冒険者の街に来たって言うのに、まだ一度もダンジョンに行けていない』と。
ベッドの中央で眠りに入ろうかというミストナは、がたつきの酷そうな窓にふと視線をやった。
胸元から伸びた“月へと続く光の道”を追いかけて。
ぼんやりと、ミストナの頭の中に小さな頃の思い出が蘇っていく。
もう十年も前の話だ。
幼少のミストナは光の道に現れる“煌めき”を、星の一部だと信じていた。信じてやまなかった。
流れ星から落ちこぼれた、可哀想な、小さな小さな夢のカケラ達だと。
だから夜になると決まって屋敷中の窓を開けまわった。
数十人の従者に追いかけられながらも「ふーふー!」と、息を吹き掛け続けた。『空に帰れますように』と、無垢なる願いを込めて。
ーー淡い思い出が脳裏を掠め、ミストナの顔が少し熱を帯びた。
「ただの埃……ね」
視線の先の月明かりが、ふと遮られた。
次に聞こえる、ドラゴンが喉を鳴らすくぐもった雷のような声。それに反応したのか。甲高いグリフォンの鳴き声も聞こえた。
空を飛び交う魔獣達が深夜仕事に不満を並べ、文句を言っているのかな? と、ミストナは一人笑った。
ホワイトウッドの街から数千キロ離れた、遥か遠くにあるミストナの母国ーーセキュイラ。そこにはそもそも魔獣すら存在していなかった。
安心安全の超大国で、定着しているダンジョンも選りすぐられた一つしかない。
魔石を掘るだけ為だけに用意された迷宮。いや、徹底管理された迷わない迷宮だ。絵本から得た知識で、“ダンジョンの冒険者”に強い憧れを抱いていたミストナから言わせれば、“ただの作業”に等しかった。
かと言って、ミストナの国が特殊な訳でもない。
ミストナの故郷の周辺国は、どれもそれが一般的だった。異界へのゲートが突然に出来たからと言って、争いの火種を無闇に定着させる事はないのだ。
高品質の魔石が、安全で簡単に手に入るダンジョンは既にある。よって正体不明のゲートは、固定化する前に大規模魔術で即座に『サヨウナラ』だった。
魔獣が街を自由に闊歩し、種族もバラバラ。ダンジョン数は五百以上。そんなヘンテコな街はここだけ。
この冒険者の街、【ホワイトウッド】だけだ。
(私は“真の冒険者”になる事を諦めない)
この街に来て二週間。
改めて決意を固めるミストナには、守らなければならない義務があった。これを破ると、確実に街の外へと追い出されてしまう。
それがアニマルビジョン総括、本部長・鹿野クリフォネアと交わした“二つの約束”だった。
一つ。
街とダンジョンを繋ぐ、治安維持活動を行う組織【ダンジョン特務機関】に所属すること。
基本的に下された指令は断る事も自由、除籍も自由。
しかし、ミストナに限っては除籍だけは認められない。どうしても管理下に置きたいという鹿野の思惑が、ミストナの肌にヒシヒシと伝わる。
二つ。
“ベリルとツバキの上司になる”という事。
アニマルビジョンの仕事を断り続け、街に迷惑をかけ続けるこの二人を上手くコントロールして欲しい。という、鹿野の切なる願いだ。
だからこの狼と狐と、行動しているのか?と聞かれたら、ミストナはきっと首を横に振るだろう。初めて出会った二週間前ならいざ知らず、この二人の良い面も少しは分かったつもりだ。
何より、真の冒険者とは一度組んだ仲間を絶対に裏切ってはいけない。命を預ける仲間を、利用してやろうという目で見てはいけないのだ。
それがミストナが抱く【冒険者の流儀】。
だからミストナは考える。一生懸命に想いを馳せる。
ふかふかのベッドで、眠りに落ちそうな今でもーーこの大きな二人の仲間の事を。
(シチダイラ・ツバキ。狐人。大きい。とにかく大きい。狐耳を入れなくてもニメートルは超えてる。胸もめちゃくちゃ大きい。何を考えてるかわからないけど、ベリルと違って落ち着いているし頼りにもなる。ラビィの面倒も見てくれる。あとは……やっぱり大きいわね。
次にレッド・ベリル。ズル賢い問題児。クズがメイド服を着て、バカな事を平気でするアホみたいな奴。でも……嫌いじゃない。国にいた奴らの雰囲気じゃない。ラビィ以外、対等に話を聞いてくれなかった私に真正面からぶつかってくれた。勝手に見えるけど、熱い気持ちも持っているって言うのかしら。そう、言うならば暑いのよ。蒸し暑い? いや、むさ苦しいの方が正解かも知れないわ。つまり狭いのよね。この部屋が。部屋が狭けりゃベッドも狭い。当然よね。それにしてもこの狭さは無いでしょうよ。狭い狭い狭い!狭っくるしいったらーーーーありゃしないのよ!!」
落ちかけた目をカッと見開き、ミストナは崩れそうな天井に向かって叫んだ!
「キャンキャンうるせーんだよっ! 心の声が漏れてるってレベルじゃねーぞ!」
真横で寝ていた狼が釣られて吠えた。
「シチダイラのチから丸聞こえなんだよ。恥ずかしくねぇーのか、お前は」
ボロ宿には当然、ベッドが一つしか置いていない。
幅百六十のクイーンサイズのベットに、四人の獣人がせまっ苦しく肩を並べて寝ているのだ。
左からベリル、ミストナ、ツバキの順だ。
一際小さなラビィは、何処かに埋もれていて姿が見えない。
「だって狭過ぎでしょ! それに家来に気を使う必要は無いわ」
「いつからあたしは家来になったんだ」
「それよりあんた達、本当に隠し別荘とか持ってない訳? 仮にもアニマルビジョンの一員でしょ。“賞金稼いでるさん”でしょ」
中途半端に被った布団をバンバンと叩きながら、ミストナは不満を露わにする。
「“賞金稼いでるさん”ってなんだよ。新しい言葉を作るな。あのな? お前はまだペーペーだから分かってないと思うが、賞金稼ぎなんざ恨みを買われてなんぼの仕事だ。日陰の商売なんだよ。家なんか買ってみろ、居ない間に燃やされるのがオチだ」
「貧乏なだけでしょ。あんたが問題ばっかり起こすから」
「文句があるなら違う部屋を借りろ」
「お金なんて全然残ってないわ。だから仕方なーーーく、一緒の部屋で泊まってあげてるのよ」
「なんでお前はそんなに偉そうなんだよ。“無い胸を張る”っていうことわざでもあんのか? お前らの言う遠い祖国っていう所は」
「そんなことわざがある訳ないでしょ!」
面倒臭そうにベリルは溜め息をついて、被っていたシーツを胸元まで捲った。
「ぐっ……」
ミストナが思わずたじろいだ。
眼前に餅のような柔らかさを持ち、白い腕によってフニャンと圧迫された豊満な胸が映ったからだ。細身のベリルの身体には、不釣り合いなほどの巨乳。
ミストナは先程、取っ組み合いをしていたバカメイドの胸を思い出す。覗いた谷間は絶対にこれほどの爆乳では無かった。一般的な大きめのサイズだった。
しかし悲しくも、現実は否定をしていた。完全に。完璧に。超絶に。自分とは桁を違えるーー二つの母性が。
「あんたのその、謎にデカくなる胸を見るたびに八つ裂きにしたくなるわ」
「邪魔で仕方ねーけど、しょうがないだろ。寝る時になぜか大きくなるんだから」
どうにか取れないかなと、ベリルは自分の胸を気だるく揉みしだいた。
「めっ、目障りだから動かすな! っていうか、いい加減に寝巻きを着なさいよ! ツバキと二人でいた時とは違うのっ!」
「身体付きが変わるから、裸で寝た方が楽なんだよ! 文句があるなら床で寝ろ」
「あんたの方が、おおっ、大きいんだから床で寝なさいよ! 勘違いしないでよ! 大きな胸が羨ましいから言ってるんじゃないの! その図体の話よ!」
反論しながらも、お山が気になってしょうがないミストナは、ちらちらとベリルの胸を盗み見ている。
「言っとくけどな! あたしがこの部屋を借りてんだ! 家主なんだよ!」
「今まで黙ってたけどね! 私が持ってた財産の殆どをあんたの借金と罰則に支払ったのよ! だからお金が無くて他の宿も借りれないんじゃないの! あんたの物は、もうぜーーんぶ! 私の物なの! わかったらその胸も寄越しなさいよ!」
最後に本音を漏らしながらミストナは不満をぶちまける。
ミストナが持っていた宝石などを売って、立て替えた額は金貨千枚程度。それでもベリルの借金は二千枚ほど残っていた。
「な……に?」
ベリルはグゥの音も出せなかった。
ミストナが来るまでのこの部屋には、毎日のように各方面からの取り立てがあったのは事実だったからだ。
街中での喧嘩。コソ泥退治の為に飲食店を吹き飛ばす。酔っ払って飛竜をギルド本部へ激突させた事もあった。
しかし、ミストナが来たと同時に催促がパタリと止んだ。
その理由をベリルは二週間経ってようやく知ったのだ。
「……ツバキを見てみろよ。狭くてもうるさくても、心を落ち着かせればどんな状態でも寝る事が出来る。これは冒険者に取って大切な事だ。明鏡止水ってやつだ。そうだろ?」
ベリルが話題の矛先を強引に変えた。
「冒険者にとって大切……」
胸を打つ言葉に反応して、ミストナはくるりと反対を向いた。隣には微かに寝息を立てるツバキがいる。
「どこがよ……」
見やったツバキは宴会で使われるようなふざけたアイマスクを着用し、狐耳には根元まできちっと栓が。
頭にはポンポンが付いた、三角帽子まで被っている。
寝姿は普段の落ち着いた行動からは考えられない、ただの身体の大きな子狐だった。
「どこが明鏡止水よ! この大狐、完全防備じゃないの! しかも一番場所を取ってるし!」
ミストナが、ウーッ! っとツバキを押し返すが、ベッドと一つになったようなツバキが動くことはない。
諦めたミストナはキッ! と、ベリルの方を振り向いた。
赤い瞳をした狼の顔はすでに無く、何も纏っていない美しい白い背中が見えるのみであった。
「こいつ!」
ミストナは下唇を噛みながら、第三次ベッド領土問題は敗北を迎える。
「もういい……ラビィ? ラビィはどこ?」
狭い布団の中、手探りでラビィを探す。
あの柔らかでキメの細かい真っ白なロップイヤーを求めて。ミストナは寝る時にラビィと寄り添うように寝ていた。この二年間、それは姉妹のように。
『私とラビィは家族よりも深い絆で結ばれているのよ! 愛し合ってるの!』と、ミストナは往来で堂々と叫んだ事もあるーーそれについてラビィは、ノーコメントで返していたが。
(ベリルのせいで、居間の方に逃げちゃったのかしら)
「ーーミストナに比べて、ラビィは大人しくて可愛い奴だ。いい匂いもするし」
ベリルがわざと声を出した。
同時に大きく変化した胸の谷間から、ラビィが「ぷはぁ!」と火照った顔を出した。
「あのぅ、ベリルさん。あんまり抱きしめられると熱いのです……」
ベリルが視界に入ったロップイヤーの耳をつまみ上げ、ジュルリとヨダレをぬぐう。
「非常食の時に煮るか焼くか迷うなぁ。生でもいけそうだ」
ヒッ! と小さい悲鳴をあげ、ラビィが背筋を震わせた。
「ラビィは私の抱き枕なの! 返しなさいよ!」
「有るのか無いのかわかんねー胸より、あたしの柔らかくて大きな胸が気に入ったってよ」
「あるわよ! 最近、少しだけ大きくなったんだから! ラビィ! 早く確かめなさい!」
ミストナはベッドの上に立ち上がり、ラビィの兎耳をグイッと引っ張った。ベリルも負けじと起き上がり、片方の耳を掴む。
「やめろ! あたしが先に取ったんだよ!」
「ラビィは爪先から髪の毛一本までぜーんぶ! 私の物なの!」
ラビィは二人の間で宙ぶらりんとなり、あわあわとパニックを起こしている。
「お二人共ー! 耳がー! 耳が取れちゃいますですーーっ!」
やがて両者はベッドから飛び降り、第一次ラビィ争奪戦が勃発した。
「もう私は食べ切れません……はい? 新作の油揚げ? 店主ーーーー三枚追加で」
寝言をムニャムニャと呟くツバキは、何が起ころうと朝まで起きる事はなかった。
◇◆◇◆◇◆
朝方、焼き立てのクルミのパンからただよう甘い匂いに、成長期のミストナは鼻をくすぐられた。
朝食の用意をしたのはミストナの元従者、ラビィだ。
元、と名がつくのには理由がある。
このホワイトウッドに着いて……いや、正確には一年前に二人が揃って国を抜け出した時から、ラビィはもう従者ではない。立派な仲間だ。
「もう従者のフリをしなくていいんだから、たまにはその辺で買ってくれば良いのよ」とミストナは言うが、ラビィは「作らせてくだしゃい」と涙目で訴えた。
従者の役目であった毒味ーーというより、純粋にミストナの役に立ちたいという“強い意地”がそこに見られた。
「今日は何するの?」
口いっぱいにチーズ入りのパンを頬張るベリルに、ミストナは問いかけた。
「んあ。バイトでもしてくるわ」
言って、ひらりと短いスカートを摘みあげる。
横ではない、前だ。
「いやらしいパンツを見せるな!……まったく。たまには簡単なダンジョンのクリアにでも行ったら良いじゃない」
五百以上のダンジョンを保有するこの街で、腕っ節の強いベリルがまともにクリアしたダンジョン。その数は十以下だ。
潜ったダンジョンは多いが、殆どを中途半端な所で引き返していた。
「あのなぁ。バイトでも冒険者の生の声が耳に入ってくるんだよ。そういうのが、賞金首の情報に繋がったりする。それに何度も言うけど、あたしはダンジョンのクリアに興味は無い。幻獣狩りより、人間狩りだ」
ベリルのバイト先はその特徴的な白黒の服装から分かる通り、メイド喫茶だ。そこで暇な時にウェイター兼、用心棒をしていた。
噂話程度の信憑性はさて置き、情報屋よりも早いその新鮮な声は、同業者よりも先手を取れるアドバンテージになる。
ミストナは尻尾をヒョンヒョンと、左右に揺らした。
「狼の頭の中ってスカスカじゃなかったのね。見直したわ」
「スカスカなのはお前の胸だろ」
「あるんだもんっ!!!」
台風が吹き荒れる前に。ベリルは逃げるように本拠地を出て行った。