2.帰りを待つ少女
前回のあらすじ。
ベリルとツバキが、人攫いから子供を奪還。
人攫いの嘘を読み取ったベリルは、現在捜索中の高額賞金首『新人殺し』と、大御所ギルド『聖デイヴァレン』に何かしらの関係がある事に気付く。
しかしベリルはすぐに帰らず、一人何処かへ消えていった。
ホワイトウッドの五番街には、東と西を両断している一本の大通りがあった。通称ーー【冒険者通り】
その北部辺りの交差点にて。ささいな衝突から取っ組み合いに発展したゴーレムとドラゴン。ヒートアップする両名は揉みくちゃになりながら、飲食店に向かってズガガガガーッ!! と、転がっていく。
ちょうど、その店のウィンドウ前を歩いている“虎人の少女”が居た。
「よっと」
彼女は迫るゴーレムとドラゴンの巨大な塊に一瞥すると、華麗にバックステップでそれを回避する。
ーーガシャアアアン!!
と、けたたましい音を立てて大破するウィンドウのガラス。
ひっくり返った店内のテーブルから、クルクルと丸いパンが少女の前に飛んできた。
虎の少女は咄嗟にそれをキャッチして、怪訝そうに中からドロリと溢れる緑の液体を見つめた。
「うーん、このパンってどの種族向けの食べ物かしら」
少女は迷ったあげく、えいっと口の中に放り込んだ。
「いつ来ても、この大通りは、んっ、賑やかね」
彼女は特に半壊した店などを気にする様子もなく、ムシャムシャとパンを頬張りながら大通りの感想を呟いた。
「んぐっ。あらこのパン意外と美味しかったわ。今度買って帰ろうかしら……店が続いてたらだけど」
少女は虎縞の尻尾を振りながら、再び冒険者通りの人混みに紛れていいった。
キョロキョロと、彼女は周りの様々な建物を見る。
ギルドや役所といった冒険稼業の関連施設。腕の良いドワーフが作った高級装備店から、高名な魔族が魔術を込めたであろう魔石店。はたまた、ぼったくりまがいの怪しい露店まで。
とにかく冒険者御用達の店が、ずらーーりとひしめき合っている。
比例して、冒険者の数も多い。
ギルドの入り口には和気あいあいと作戦を練る、前衛職の集団が。露店の前では大声を張り上げて商品を限界まで値切る、賢き魔術師のお姉さま集団が。
この大通りの賑やかな喧騒は、日が沈み切った現在でも静まることを知らない。
(まったく。この中に悪い奴が何人いるんだか)
虎人の少女は呆れ顔で虎縞の尻尾を折り曲げた。
ただでさえ街の人々は超多種族で、血気盛んな冒険者。この二つが組み合わさると言わずもがなーー先のようにゴーレムとドラゴンが大合戦を行うなど、日常茶飯事の光景であった。
頭上に凛と立つ虎耳。
それをピクピクと動かしながら、少女は前に居たオーガの脇をするりと抜けて進む。
「あっ、ごめんなさい」
肩から花の生えたドリアードにぶつかり、品のあるお辞儀を一つ。彼女の肩まである虎模様の髪。それがサラリと揺れた。
ーー虎縞の髪は純血種の証明。
だからと言って空が飛べたり、この少女の控え気味な胸が大きくなる訳でもないが。彼女はこの黄色と黒の色合いをとても気に入っていた。
危険色こそ、【真の冒険者を目指す】私に相応しいと。
服装は気品と身軽さを重視した特殊軽装備。
腕には赤と銀の鉄甲を装着しており、武戦家から派生する戦闘職ーー“拳闘士”としての誇りを大々的に主張していることがわかる。
この可憐な少女こそが十四歳にして、ベリルとツバキのチームリーダーを務める虎人、“ミストナ”であった。
「ったく。あいつらどこをほっつき歩いてるのよ」
ミストナは口を尖らせながら、人の多さに溜め息をついた。
「失礼」
露店で買い物をしている巨大なサイクロプスの肩を借り、建物の三階にあるベランダの手すりに捕まる。
そのまま勢いで屋上へ飛び移り、まん丸な目を階下に光らせた。
「本当にこの街は広いわね……」
視界の果てまで続く五番街の街灯と冒険者の人波に、ミストナは「ふん」と鼻息をつく。
前に広がるビルのような近代的な建物……のほかに、スライム種が作ったであろう外壁が“ゼリー状”でできた飲食店。どこから持ってきたのか“大木”をくりぬいた外観のアクセサリーショップ。真っ白な雪で出来た“かまくら”の前衛職専門店、等々。
とにかく、この街には“まとまり”というものが皆無だった。
(そりゃあ、ゴーレムとドラゴンが丸まって頭から建物に突っ込む訳だわ。そこにマーメイドとクラーケンが加わっても不思議じゃないわ)
ミストナと小さな従者が、このホワイトウッドという街に来て二週間。見たことのない他種族や、空を呑気に飛び回る魔獣達に最初は頭を抱えたものだった。
もっとも頭痛の原因の半分以上は、目下捜索中の仲間。狼人のせいなのだが……。
「トラブルでもあったのかしら」
夜風に吹かれる手甲を見つめ、ミストナは不安に駆られた。
ーーもしかしたらダンジョン内で他の冒険者とのいざこざがあったのかも。それとも子供の受け渡し場所で依頼主と何かあったのか。他のトラブルで牢獄に連行されでもしたら……と、考え出せばキリがない。
「すぐ帰って来るように言ったのに。もう日が沈んじゃったわよ……バカメイド」
ズキズキと次第に痛くなる胸を抑え、一度本拠地に戻ろうと踵を返す直前。視界の端に見知った着物姿が映った。
両手を軽くお腹に添え、目を閉じながらもすれ違う通行者にぶつからない獣人ーー狐人のツバキだ。
ツバキは飲食店の前を通り過ぎるたびに立ち止まり、匂いの方へと顔を向けていた。フルフルと、大きな狐人は何かの煩悩を振り払うような仕草を繰り返している。
「見つけたっ!」
ミストナは屋根から飛び降り、急いで人波をかき分けた。
◇◆◇◆◇◆
「こらダメですよペコ。我儘を言ってはいけません。帰るまで暫しの辛抱です」
「ツバキーー! おーーい!」
グゥと駄々をこねるお腹に手を置くツバキの前に、大手を振るミストナが合流した。
「おや、ミストナではありませんか。そんなに慌ててどうかされましたか?」
ミストナの胸の内をよそに、ツバキはあっけらかんとした顔を向ける。
「あんた達が遅いから、探しに来たんじゃないのよ」
「それはすみませんでした。受け渡しもギルドへの通達も私一人になってしまったもので、時間がかかってしまいました」
言いながら、ツバキは報酬が入った巾着を渡した。
「一人? ベリルはどうしたのよ?」
「ミストナに頼まれた用事があると言っていましたね。別れ際に歓楽街の方へ行くとも。何かの情報収集を頼んだのですか?」
「歓楽街に用事なんて……何も頼んでないけど……」
「そうなのですか? 冒険者の溜まり場とも言っていましたので、てっきり私はミストナの指示で動いているものだと」
腕を組んだミストナはしかめっ面で考えた。
そんな指示は一切出していない。週末に野暮な冒険者達が歓楽街に集まり、する事と言えば……酒。男。女。そしてギャンブル。
ミストナの脳裏に『ギャハギャハ』と高笑いするベリルの顏が浮かびあがる。
「あのクソメイドがっ!!」
「??」
「ツバキは先に帰ってラビィのご飯を手伝ってあげて。あんたの好きな油揚げもいっぱい用意したんだから」
「まぁ。それは喜ばしい事ですが、ミストナはどこへ?」
「あのバカに蹴り入れてくる!」
叫ぶや否や、ミストナは大通りを南に向かって駆け出した。
「早く帰ってきてくださいましー」
ツバキはひらひらとハンカチを振りながら、人混みに消えていくミストナの背中を見送った。
◇◆◇◆◇◆
歓楽街のとある店の中に、ガラの悪い冒険者達が集まっている。
人間、獣人、獣族、魔族、エルフにオークまで多種多様な種族が酒を煽り、どんちゃん騒ぎを繰り返している。
店の奥にある仕切りの向こう。そこに、場に似つかわしくない格好ーーメイド服を着たベリルがいた。
ベリルが肘をついている丸テーブルの上には、大量のチップとトランプが散乱している。
対面には、顔が青い魔族の男。彼は右手を高く振りかぶりーー「バンッ!」と、握った手札をテーブルに叩きつけた。
「降りた方が良かったんじゃねーのか!狼メイド!」
囲う何十人のギャラリーはその手札を見て歓声を上げた。並んでいたのはハートのフラッシュ。ポーカーでは勝率の高い役だ。
それを神妙な眼差しで、ベリルは見つめている。
片手に持った酒ビンをコトンとテーブルに置き、深くため息をついた。
対面の男と観衆達は生唾を飲んだ。
どっちだ?勝ったのか、負けたのか。それとも悪童レッド・ベリルが暴れ回る前振りなのかと。
観衆達はフライパンや大きな鉄鍋(対ベリル専用の盾)を胸の前で身構えている。
目つきの悪いベリルの目が……にへらと緩んだ。
「ウェイス。どらやら、今日のあたしは眠れそうに無いらしい」
ウェイスと呼ばれた対面の男は眉をひそめた。
「……何?」
「ーー幸運の女神が次から次へと、あたしに抱き付いて来ちまうからさ!」
ベリルがフォーカードを机に叩きつける!
周りの観衆が「「うおおおおぉぉー!」」と叫び、ベリルに賞賛と嫉妬の罵声を浴びせた。
カンカンカンッ! と各自持っていた調理器具を打ち鳴らし、勝者を讃える鈍色の鐘が店内に響いた。
ベリルは高笑いしながら、大量のチップを開いた胸元にガバッ!と引き寄せた。
「快勝、快勝! 今日は誰にも負ける気がしねぇなぁ!」
ウェイスはふるふると体を震わせながら、青い顔を茹でダコのように赤色に変えた。
「ベリル! もう一度だ! 取り返すまで俺は降りねーぞ!」
「いいぜぇ? お前んとこのギルドの資金、根こそぎ奪ってやるからよー。ブァッハッハー!」
次の勝負に向けてウェイスが鼻息荒く、トランプを切っている途中だった。
ウェイスが急に口をあんぐりと開けて、ベリルを呆然と見つめていた。
「……あ?」
それはベリルの後ろにいつの間にか居た、禍々しい存在に気付いたからだ。
徐々にウェイスの顔色は通常の青ざめた色に戻り、手元から数枚のカードを零した。
「どうした? ブルってカードも切れなくなったか? それとも金がなくなったか?」
ウェイスは震える手でトランプを拾い直すと、テーブルにそっと置いた。その視線は下げられたままになっている。
「わ、悪いなベリル。俺はもう帰るわ……」
「はぁ!? 今勝負するって言ったところだろ!」
「また今度だ……あればの話だけど」
青ざめた顔をしながら、ウェイスは席を離れ、そそくさと出口に向かった。
「んだよー。他に誰か勝負するヤツはいねーか? 今ならこの麗しい身体も賭けてやっていいんだぜ?」
椅子からはみ出た大きな尻尾を振り、ベリルは冗談をほのめかした。ギャラリー達に向かって大きな胸を寄せ、スカートの中がわざと見えるように足を組み直す。
そしてマジシャンのように宙でカードを切り直し、いやらしく光る真っ赤な瞳で挑発する。
しかし、周りの冒険者達はベリルに一切目を合わせようとしなかった。
誰もがよそよそしい態度している。
「誰でも良いから早く座れよ。まぁ今日のあたしと勝負したら、地べたを這いずる結果になっちまうな。ブァッハッハッハー!」
「ーーあらそうなの。じゃあ次は、この私と拳で勝負してもらおうかしら」
ベリルの耳元から囁くように声が聞こえた。
同時に、灰色の後頭部が鷲掴みにされる。
「なっ!?」
ベリルは訳も分からぬまま、テーブルに叩きつけられた!
ゴシャン!! と、安っぽい木の天板は真っ二つに割れ、チップや酒が辺りに飛び散る。
「誰だてめぇ!? ぶっ殺すぞ!」
頭から酒を被ったベリルが、慌てて振り返った。
「やってみなさいよーーこのクズメイド!!」
そこにはゴミでも見下ろしているような目つきのミストナが腕を組み、仁王立していた。
ミストナは履いていた鉄製のブーツで、即座に目の前の椅子を蹴り上げる。目にも止まらぬスピードで椅子は天井へぶち当たり、木っ端微塵の木片へと早変わりした。
「ミミ、ミストナがなんでここに!?」
虎縞の長い尻尾は、メラメラと怒髪天を向いていた。憎しみを込めて睨む視線の先はーーベリルが握りしめているトランプだ。