1.冒険者狩り!
街に定着した別次元に繋がる無数のダンジョン。
冒険者達は富、名声、魔術。総じて『力』を手に入れる為に、日夜ダンジョンのクリアに挑み続けている。冒険者にとっての窮地とは、怪物が吐き出した渦巻く火炎か。はたまた大理石の床が抜けるような仕掛けか。
それらの答えは『どれも違う』と言い切る少女達が居た。
本当に恐ろしいのは同業者。“冒険者の皮を被った悪人”が振るう、残忍で、非道な、裏切りの、一太刀だと。
そんなダンジョンの中に潜入している少女がいた。
悪人の背中を見つめ、いやらしく舌なめずりを一つ。彼女の名はレッド・ベリル。狼の獣人。
職業はーー悪党刈り専門の【賞金稼ぎ】だ。
◇◆◇◆◇◆
街の北部にあるダンジョンの一つ、螺旋の塔の十三階層にて。
そのフロアの間取りは十本の石柱と、出入り口に続く二つの小階段のみ。窓や装飾品は無く、至って殺風景な白の空間で構成されている。
(何をちんたらやってやがる。早く倒しやがれってんだ)
柱の影で息をひそめる狼人のベリルが、灰色の長い髪を退屈そうに指で遊ぶ。
その顔立ちは流麗で目鼻立ちが整っており、瞳は新鮮な血のように真っ赤。犬耳と狼の尻尾以外は人間の姿と変わらない。
だが、口の隙間から覗く鋭利な犬歯が、やはり人間とは異なる種族だということに拍車をかけている。
服装は白と黒を基調にしたメイド服。一般的な装いとは違い、大きく開いた胸元にバカみたいに短いスカートを履いている。首元には古びた防塵用ゴーグル。動き易さを基調とした戦闘メイド仕様だ。
「「避けろぉおおおおーっ!!」」
背中越しに冒険者達の絶叫が響いた。
追いかけて、交戦している幻獣の「ブオオオオォォ!」という咆哮が全ての雑音を飲み込む。
(剣士。盗賊。魔術師。距離を取ってちょろちょろしてやがるのが道具使いか……報告通りの四人だけだな)
右に左に、犬耳をせわしなく動かす。
ベリルは目まぐるしく変わるフロアの交戦状況を、脳内で淡々と構築していく。
中央では火花を散らす斬撃、魔術師の閃光呪文、何らかの道具と思われる火薬の爆発音が飛び交っている。今しがた、何者かが石床を踏み砕いた効果音もそこに追加された。
(お前らがその幻獣を倒した時だ。その時に……天国から地獄に叩き落としてやる!!)
にやにやとヨダレを拭うベリル。火照った身体を抑え、ゆっくりと柱から顔を覗かせる。
このフロアの幻獣である巨人が視界に入った。その姿は背中や胸から巨大な歯車や回路が飛び出している。さながら機械巨人と呼ぶべき風貌だ。そこらの家よりも大きい図体を振り回し、足元で蟻のように群がる冒険者達を苦しめていた。
「奴が構えた!」
「上から来るぞ!」
巨人が冒険者の一人である剣士に向かって、岩の塊のような拳を振り降ろす。
轟音が唸る巨拳を、剣士は渾身の力を持って剣の腹で受け止めた。あまりの衝撃に食いしばった歯の隙間から血が吹き出る。
蟻の必死さなど知らぬ巨人は、なおもラッシュを続ける。必死の形相の剣士の脚はドゴン! ドゴン! と、大きな衝突音が起こるたびに石床を踏み砕き、徐々に沈む。
それでも剣士の膝が折れる事はなかった。
ここで耐えなければ、勝利への方程式は全て狂ってしまうからだろう。
「援護魔術! 撃ちます!」
呼吸を整えた魔術師が陣を展開。そこから放たれた渦巻く火炎が巨人の顔面を覆う。
すかさず道具使いが、必死の形相で辺りに煙幕を撒き散らす。
呼応した盗賊も立ち昇る黒煙の中に飛び込み、夜目を利用しながら次々に短剣を石床に突き刺していく。柄には長いロープが結んであり、巨人の足元を囲うように即席の罠が完成した。
巨人が焼ける顔を抑えながら三歩後ろに下がった所で、盗賊の思惑通りにロープが足に絡まった。巨体を前後に揺らし、ブチブチと固定された短剣を引きちぎりながらも……ドーーン!! と。ついに前屈みに膝をつく。
「オルス! 今だ!」
盗賊の掛け声と共に、剣士が四つん這いになった機械巨人の背中を駆け上がる。そのまま一直線に炎がくすぶる頭部まで走り抜けーー仰け反るように剣を振りかぶった。
「ああああーーっ!」
剣士の渾身の下突きが、深く巨人の後頭部に埋まっていく。
やがて剣先は幻獣の心臓と言われる魔核に触れーー機械巨人は目の輝きを失った。
支えていた巨大な腕はゆっくりと折れ、巨人は地に突っ伏した。
「「「「うおおおおぉぉーー!!」」」」
冒険者達の勝利の咆哮がフロアに響き渡る。
(やっと終わったか。長ぇんだよ)
一部始終を柱の影から見つめていたベリル。
彼女は興奮を見せる冒険者たちに、心底つらなさそうな顔を向けている。
(あれだな)
赤い瞳が睨む先。
それは巨人の頭の上で剣を掲げる剣士でもなく、ましてや祈りを捧げる魔術師でもない。虎視眈々と目を光らせているのは、中央からやや離れた場所。入り口付近に置かれた、道具使いの使用する“大きなリュック”だ。
狙いの定まったベリルの表情が徐々に毒気を帯びていく。
視界の端に映る冒険者達。彼らは勝利の余韻も冷めぬ内に、次の戦いに向けて準備を始め出している。
魔術師が手を輝かせ剣士の傷口を塞ぐ。しかし魔力や体力が万全になるわけでは無い。前衛を担っている剣士と盗賊は、特に焦燥しきっている。失った血液も多いだろう。
「傷は塞がった。もう十分だ」
「でも……」
魔術師の治療を制止させ、剣士は放置されていた大きなリュックをじっと見つめる。
螺旋の塔は五階毎に街への転移装置が設置されている。そしてモンスターがフロアに再び召喚される間隔は三十分前後。
ーー進むか、退くか。どちらにせよ十三階に居る冒険者達に止まる事は許されなかった。
このダンジョンの特徴は各フロアに一体ずつ出現する幻獣を倒しながら進むという、“単体突破型”と呼ばれるもの。一度フロアに突入すると、その幻獣を倒すまで先にも後にも進めない。そういう仕組みだ。
一定時間毎にダンジョンから生み出される幻獣は、階を増すごとに凶暴さが高まっていく。しかし、出てくる幻獣の種類は違うが明確な共通点はある。どの幻獣も冒険者へ対して“捕食本能が高い”という点だ。
ーー直接口内へ放り込まれ、装備ごとむしゃむしゃと。
ーーあるいは串刺しにされた後に、ゆっくり溶かされて。
ーーまたは伸びた触手から、体液だけをごっそり。
と言った具合に、捕食絡みの幻獣が行く手を阻む。
傷口の塞がった剣士が慣れた手つきで、報酬となる魔核を採取する。これが街で売買される魔石となるわけだ。
取り出すと幻獣の体は崩れていき、光の粒子となった。舞い散る粒子はフロアの修復のために、穴の空いた壁や、えぐれた地面に吸い込まれていく。否、“帰った”と言うべきか。
「次でアレを使うぞ……」
剣士が深妙な面持ちで、道具使いに次階層の作戦と思われる言葉を口にする。道具使いは無言のままコクリと頷いた。
その時だ。やるきのない拍手がフロアに鳴った。
(さぁ始めるぞ。こっから全部……あたしのターンだ!!)
ベリルが柱から姿を現した。
「ぺちぺちぺち」と、相手を心底バカにするような両手を引っさげて。
「やぁやぁ、冒険者のみなさま。お勤めごくろうさん」
突然の来訪者に、冒険者達は揃って武器を身構える。
「いつ入って来た!?」
「犬の獣人……誰か知っている者はいるか?」
混乱がフロアを包む中、魔術師の女がポカンとした表情をしていた。
「それ……メイド服なの?」
疑問を残す言い方。
理由はベリルの服装が誰かに仕えるような格好ではなかったからだ。
「バイト帰りなんだよ。気にするな」
そう言ってベリルは、スカートの裾をいたずらに捲った。チラリと覗く肢体は雪のように白く艶かしい。
困惑の状況の中。剣士が毅然とした態度でベリルに向かって歩を進めた。片手を軽くあげ、同時に後方の仲間達に交戦の停止を促す。皆は渋々といった面構えで身構えた武器を下げた。
コツコツと。警戒信を見せない足取りで、剣士がベリルの数歩手前に相対した。
彼の背は百八十センチ強。ベリルより少しだけ背が高い。しかし「それがなんだコノヤロウ」と言わんばかりに、ベリルは顎をしゃくり上げ、下からオルスを見下した。
「私がこのパーティーのリーダーを務めるオルスだ」
不躾な態度の狼人の前でも、オルスと名乗った男は礼儀正しく騎士流の挨拶を行う。
「あたしはレッド・ベリル。別にお前らが覚える必要はねぇ」
「……そうか。それよりもこのフロアにいつ入って来たのか、気付くことが出来ず申し訳ない。我々も戦闘に集中していた」
こういった狭いダンジョンでは多々ある、他の冒険者との鉢合わせ。節度を持って対応すれば問題無い、と心中で考えたのだろう。オルスは友好的な態度を示してきた。
「ここの幻獣なら見ての通り、今し方倒してしまった。用があるなら復活するまで待ってもらう他ない」
紳士的な対応のオルス。
一方のベリルは、わざとらしく口元を手で抑えた。
「クククッ。いやぁ、悪い悪い。あまりにもお前らの態度が面白くて、つい吹き出しちまった」
ダンジョンに潜るにしては、あまりにもふざけた格好。加えて挑発的な態度。眉をひそめるオルスの表情は困惑が見てとれた。
「お前らが何を勘違いしてるか知らねーが、幻獣に用は無いのさ。あたしが欲しいのは、お前らの持ってるモノだ」
その返答で、冒険者達は大まかな流れを察した。
「……野盗め」
オルスの眉間にぐっと力が入った。
とっさに腰に刺した剣の柄に手を伸ばすーーーが、抜くまでには至らない。
彼はゆっくりと背後の仲間の様子を伺う。見ると、全員が満身創痍で疲れ切っていた。当たり前だ。オルス達は螺旋の塔を十階層から進んでおり、この十三階まで三連戦をこなしている。
「……戦利品の折半で手を打って貰いたい。頼む。病気の家族が待っている者もいるんだ」
短い溜め息のあと、オルスは腹を括った様子で剣に添えた手を離した。
「オルス! 何言ってるの!」
「お前正気か!? 頭でも打ったんじゃねーのか!」
たまらず魔術師と盗賊が一歩前に出て取り乱した。
「心配するな。お前らへの報酬金額はリーダーである俺が立て替える。問題はない」
「金の話じゃねぇよ!」
「ーー私はこの状況を察しろと言っているんだっ!」
不満を口にする仲間たちに、オルスは怒気を含んだ一言を放った。
指揮を担う彼の一喝に、仲間たちは肩を落とす。歯を食い縛る魔術師。落ち込む道具使い。刃こぼれした短剣を睨みつける盗賊。
これ以上……反論する者は出なかった。
そのやりとりをつまらなそうに見つめていたベリルが「ふあああ」と、大欠伸を一つ。
「っと、折半ねぇ。命がかかったダンジョンで懸命な判断とは言えねーなぁ」
「なんだと?」
「魔石だろ。金。装備。アイテム。あとは服。つまり全部だ。全部置いていけ」
ベリルが指を順番に折っていきながら言った。
出来上がった拳。そこから親指を立てて、自分の首をいたずらに横に切る。
「こいつ!」
散々の挑発に思わず盗賊の体が動く。が、その腕をすぐに掴んだのはオルスだった。
「抑えてくれ! 頼むっ!」
オルスが盗賊をなだめ、ベリルに振り返る。
「魔石、有り金、入手したアイテムは全て置いていく。しかし、最低限の装備や荷物だけは譲れない。十四階層と十五階層の幻獣を撃破して、帰れるだけの最低限だけは」
許しを請うようにオルスはベリルに交渉する。
しかしベリルはそれを鼻で笑い、隅に置かれたままになっている大きな鞄に目をやった。
「最低限の装備ってのは、あのでかい鞄も入るのか?」
ベリルが大きな灰色の尻尾でカバンを指した。
すると、今の今まで騎士として、堂々とした振る舞いを見せていたオルスの目が……左右に泳いだ。
「そ、そうだ。あれには安物の回復系統のアイテムしか入ってない」
「回復のアイテムねぇ……」
ベリルはオルスの全身を舐めるように見た。
大きな尻尾を興奮気味に揺らしながら、「なるほどなぁ」と感心する。
「ギルド名、オルス。四番街から来た総勢四名の新設ギルド。一ヶ月前に設立して新規募集は無し。助っ人を雇った履歴もない。一階から十階までなら幻獣も弱くてわかる。だけどここは十階以上だぞ?きついんじゃないのか?ーーお前ら程度の実力で」
ゆっくりとオルスの周りを歩きながら、ベリルが語りを始めた。
「良く知っているな……我々のような寄せ集めの新規ギルドには、加入者も助っ人も集まりはしないだろうと判断したからだ。まずは名声をあげてから……」
「剣士にー? 盗賊にー? 魔術師にー? それと道具使いー? おかしいよなぁ。こいつらは居るのになぜ重戦士、つまり盾役がいないんだ? 少しこのダンジョンを調べたらわかるだろ。囮役の盾役が必須だって事が」
捕食性能の高い幻獣の事は、螺旋の塔に挑む者なら周知の事実だ。まして実力が伴わないパーティーにとって、盾役が居ないなど自殺行為に等しい 。
「盾職は集まらなかった……それだけの話だ」
「じゃあ簡単な話だ。お前か盗賊が装備を変えて盾になりゃあいい。その偉そうな剣を売っぱらってな。普通はそうする。普通は」
オルスの装備をジロジロ見ながら、ベリルは「ふぅん」と頷いた。
言われるがままのオルスにもう喋る気配は感じ取れない。返事代わりだろうか。首を勢い良く捻り「ゴキッ」と鈍い骨の音を鳴らした。
そして、引いたはずの手をゆっくりと剣の柄に添えーー強く握った。
「昔にここで流行ったんだよなぁ。仲間を食べさせているうちに、幻獣を袋叩きにして突破するやり方が。まぁそれは良いさ。仲間内で何しようと勝手だ。そんなクソみたいなギルドに入る奴の、自業自得ってもんさ」
ベリルがニヤリと笑いながら、オルスの耳元に近づく。
「だがな。関係ない街の冒険者、それもガキを攫って囮にするやり方はーー違うんじゃないのか? オルス君」
さらにベリルは畳み掛ける。
「簡単だよなぁ!? ガキが幻獣に食われてる間に後ろからぶっ刺せばよ! どうなんだよ! 黙ってないで答えてみやがれ! オルス君よぉ!」
オルスの手元が素早く動いた。
「ーーーーッ!」
ベリルはすぐに後方へ距離を取る。
沈黙を守っていたその男が、ついに剣を抜ききったためだ。
オルスは冷たく一呼吸し、身体増強の魔術を自身にかけた。筋肉が一時的に膨らんだ様子で、ギチギチと甲冑が軋む音が鳴る。
後方の仲間達もすでに臨戦態勢。もはや冒険者の中には誰一人として、先ほどまでの純情な顔をしている者はいない。血走った目は醜悪を極め、ただの下卑た悪党共の面に変わっていた。
「最後の確認をするぜ? ガキが入っていないなら見せてみろ。あの鞄の中身を」
上段に構えたままオルスはベリルに向かって突進した。勢いそのままに、狙うはベリルの白い首筋。
鬼気迫るオルスに、ベリルは無言の答えを受け取る。
“全てが事実だと”。
ベリルはすぐに鈍色の棒を手元に召喚した。
曲がりの無い真っ直ぐな鉄パイプ。筒の形状をしたその長さは六尺程度で、犬耳まで入れた自身の身長と同じだ。
この無機質な鈍器がベリルの固有魔術ーーつまり専用の武器である。
ベリルは上段に構えを取り、首元に迫る剣を受け止める。
激しい鍔迫り合いで飛び散る火花と魔力の残滓が、ベリルの頬を照らした。
「クソみたいな芝居見せやがって。お前ら揃って役者でも目指してんのか? あぁ?」
目の前のオルスの全身から殺気がほとばしる。
防いでいた剣から突風が生み出され、強引にベリルは弾き飛ばされた。
「やれっ!!」
オルスの合図で後方の魔術師が閃光を放った。
フロアは一瞬で影の存在を無くし、白色が空間の全てを支配する。
オルスは間髪いれずベリルが吹き飛んだ場所に飛び込んだ。同時に袈裟切りの軌道で剣を振り下ろす。
しかしそこに狼人はいない。フォン! と空気を割いた音だけがオルスに伝わる。
「どこにいった!?」
ベリルは敵の突然の連携にも、怯む様子を見せなかった。
潜り抜けてきた修羅場の数が違う。と言ったら聞こえは良いが、単純に戦いを楽しむ性格の女だ。そこから生まれる余裕が、何が起ころうとも動揺しない行動力に繋がっていた。
鍛え抜かれた聴覚と嗅覚を頼りに、オルスの懐をヒラリとすり抜け、感覚を研ぎ澄ます。
離れた場所にいる、四つのブーツのすり足を目指して。
ーードサリ。
耳に残る何かが倒れた音が二つ。フロアに鳴る。
魔術の効果時間が過ぎて、白い閃光が晴れた。鮮明になったフロアに倒れていたのは、背中を合わせ守りを固めていた盗賊と道具使いだ。
ベリルは棒を巧みに振り回し、鉄パイプの先端についた血をピッと払った。
「固まって死角をカバーし合うっていうのは、それで対抗出来るまでの話さ。あたしからすれば、移動距離が少なくて助かったよ」
鉄パイプの先で道具使いの頭をコンコンと小突くベリルに、魔術師の女が掌を向けている。
即座に魔術陣は展開。燃え盛る火炎がベリルの全身を包みこむ。
ベリルは特別に反応する事もなく、そのまま炎に抱かれた。にやけた顔を崩さぬまま。そして「ハッ」と鼻で小馬鹿にし、灰色の尻尾をひと振りーー。
ベリルの体にまとわりついていた炎は、一瞬で掻き消えた。
「そんなっ!?」
魔術師の女が後ずさりした。
「魔力圧が弱いんだよ。寝ぼけてんなら目を覚まさせてやろうか? 殺らなきゃ殺られる。今はそういう場面だ。気合い入れて来い悪党供」
ベリルが背を屈めた。ツバメが滑空するような低い体勢からの超加速。
魔術師は悲鳴を上げながら、迫る狼人に第二の魔術を使用した。炎を圧縮させた大きな火球である。この魔術師の女の力量を見るに、後先を考えない最大威力の火炎系魔術。
「それが全力かぁ?」
ベリルはそれを、まるでゴムボールのように弾き飛ばす。
瞬く間に魔術師の眼前に迫り、ガラ空きになった鳩尾に深く鉄パイプを突き入れる。
細かな骨が砕ける音と、なにかしらの吐瀉物を散らしながら、魔術師は白目を向いて倒れた。
「あっという間に一人ぼっちだなぁ……オルス君?」
「ああああぁ!」
必死の形相のオルスが自身の周りにいくつも魔術陣を展開した。陣の一つから鉄球が召喚され、勢い良くベリルに襲いかかる。が、ベリルはそれを軽く片腕で受け止め、魔力を持って握り潰し破壊した。
「身体強化の魔術だけじゃなく武器召喚も出来るのか? 純粋な人間は何でも出来て羨ましいぜ。あたしら獣人は一個の魔術しか使えねーからな」
皮肉を言いつつも、ベリルは嬉しそうに目を細める。
たった一つの魔術しか使えないが、自分の方が強いと言わんばかりに。
次に巨大な金槌がベリルの頭上から奇襲した。ベリルはそれに見向きもせず、鉄パイプで強引に弾き飛ばす。
「いいねぇ! 滾ってくるよ! 次だ、お前の攻撃を全部見せてみろっ!!」
メイド服を着た悪鬼。その言葉がふさわしいほどに、圧倒的な力の差だった。
全ての攻撃に置いてベリルは避ける事をせずに、正面から突破する。ーー炎、氷、水、雷と。手持ちの魔術が切れたのか、オルスは自前の剣を構えるも狙いは定まってはいない。足からきた震えが全身に伝わり、甲冑がカタカタと鳴っている。
「なんなんだ! なんなんだよお前はぁ!?」
「あぁ? あたしはただの賞金稼ぎだ」
「賞金稼っ……お前は野盗じゃなかったのか!?」
「勝手に早とちりしただけだろ。早漏野郎」
「おっ、俺達はまだ賞金首には載ってないはずだろ!?」
ゆっくりとにじり寄るベリルに、オルスは後退りしながら答える。
「今回は個人的な依頼だ。雇い主はその鞄に詰められた子供の親。つまり子供の奪還ってことさ」
オルスはハッ! と倒れている道具使いを睨みつけた。「子供を攫うなら、スラム辺りの孤児だけを狙え」と常に言っていたからだ。道具使いへの恨み節を飲み込み、オルスは現状打破を必死に模索する。
「そうだ! そうだよ! ここはダンジョンの中で街の法律は関係ねぇ! だとすれば、殺人だろうが何をしようが罪には問われねぇ! 違うかっ!?」
ベリルは口笛を吹き、うなずく。
「お利口さんだねぇ。確かにここは異界のダンジョン内。街の法律は適応されない。お前の言い分は正しいよ」
「だったら取り引きだ! ガキも返すし金もやる。そうだ! 街に戻ったら隠してある金だって渡す! 他にもっーー」
丸めこもうとするオルスの言葉が遮られた。
「お前は自分の言ってる意味が分かってんのか? その理屈を通すって事はだな……あたしがお前らをここで皆殺しにしても、誰も文句はねぇって事なんだよ!!」
吠えたベリルの視線は、まるで獲物を食らう直前の獰猛な狼のようだった。
「ひぃっ!!」
「今までに何人攫って、何人のガキを殺したっ!!」
「まっ、待ってくれ! 頼む!」
「お前は待ったのか? あぁ!? ガキの命乞いを散々見捨てて私腹を肥やして来たんだろうがっ!!」
真っ赤な瞳から滲み出た強大な魔力がーー燃ゆる。
「ひぇええええーーー!」
オルスはついに剣を放り捨て、なりふり構わず上階へ続く大扉へと走った。
「上に逃げるのか。それはやめといた方が良いぜ」
何度も恐怖で足をもたつかせながら扉に辿り着き、オルスは大扉を押すーーが、扉は微動だに動かない。
「開かない!? どうしてだ!?」
「どうしてだろうなぁ。デカい狐が結界で抑えてるのかもなぁ」
ベリルは相方が扉の向こうで、ぽつんと座っている姿を想像し、腹を抱えて笑う。笑いながら……オルスに近づていく。獲物を追い込む狼のように。
「先に言っとく。後ろを振り向くな。お前の怯える顔が、笑えて手元が滑ってーー楽に死ねなくなる」
その声にオルスはたまらず振り返る。目の前に映ったのは迫り来る白い掌。
「がはぁ!?」
「振り向くなって言っただろーが」
ベリルがオルスの顔面を鷲掴みにした。
そして潰れない程度に力を加えていく。その細い指に込められた魔力圧は並のものではない。どう足掻いてもオルスの力で太刀打ち出来るものではなかった。
そのまま片手でオルスの体を少し持ち上げる。尖った爪がこめかみに食い込み、めりめりと音を立てた。
「いくらでも出す! 何でもやる! 心も入れ替える! だから命だけは助けてくれぇ!」
ベリルが耳に息を吹きかける様に囁いた。
「じゃあ聞くぞ? このやり方は“新人殺し”に教えてもらったんだろ? 調べはついてる。奴について知ってる事を全部話せ」
「っ……知らない! 知りませんっ!」
オルスは手を振り精一杯の信頼を示したが、ベリルにはどうでもいいジェスチャーだった。
顔を近づけ、男の首筋の匂いを嗅ぐ。ベリルにとって言葉の真偽を確かめる事など、それだけで十分だった。
にやけるベリルの脳裏に浮かんだのは“嘘の塊”。
それはまるで闇で出来た水溜まりだ。そこからベリルは両手で、その闇を掬った。
指の隙間からは闇が溢れ、最後に真実のイメージだけが残る。
【レッド・ベリルは追い詰めた相手の嘘が読み取れる】
魔術ではない。
匂いから発する特有の成分が、ベリルに真実を教えるのだ。
嘘をついたかどうかに限定されるが、第六感をも凌駕する卓越した嗅覚を持っていた。相手を追い詰めるほどに、精度は鮮明なものになる。
食欲や性欲とはまた違った甘美な衝動に、ベリルはヨダレをじゅるりと垂らす。この“最高の瞬間”を得るためだけに、彼女はずっと待ち続けていたのだ。
「白と青の二本のロッドは、どのギルドだ……“聖デイヴァレン”か?」
ゆらりと脳裏に浮かんだのは“司祭のロッドを基調とした紋章”と“金魚の刺青”。そこからベリルはギルドを探り当てた。
「えっ! えぇっ!?」
話してないはずの情報が漏れ、オルスは慌てふためく。
「最後の最後まで悪党を貫いてくれて嬉しいよ。完璧な嘘ほど読み取りやすいからな」
「ほ、他の情報もあるんです!!」
「アーハッハッハ!! 笑わすなよ。もう嗅がなくても分かる。それは今からブチまけるお前の血の色と同じーーーー真っ赤な嘘だ」
音を立てて舌なめずりをしたベリルが、鷲掴みにした腕に力を込めた。
「たっ、助けてかみさまぁあああーーっ!!」
「じゃあな」
ーーぐるり。
叫ぶオルスの身体が一回転。ドゴン! と、硬い衝撃音と粉塵がフロアの中に静かに舞う。
オルスを背負い投げする形で、ベリルは後頭部を地面に叩きつけていた。その悪魔じみた力は床石を軽く粉砕し、オルスの首から上を完全に床に埋めきった。
「何が神様だ。あたしの獲物を横取りしようってんなら、神だろうと許さねーんだよ」
ピクピクと痙攣する甲冑を見下ろしながら、ベリルはケッと悪態をついた。
◇◆◇◆◇◆
見透かされたタイミングで、ベリルの目の前の大扉がゆっくりと開く。
現れたのは狐人の女性。豪奢な着物を羽織る彼女の名前は“シチダイラ・ツバキ”。ベリルの相棒だ。
容姿端麗を絵に描いた品のある顔立ちに、黄金色の狐耳と尻尾を有している。腰辺りまで伸びた長く美しい髪は、きらめきが見えるほど艶を帯びていた。
そしてベリルに近付くほどに分かる大きな背丈。凛とした立派な狐耳を加算しなくても、二メートル前後はある。
彼女は目を閉じたままベリルの横をツンと通り過ぎ、フロアの中央で立ち止まる。そして、あちらこちらに倒れている冒険者達を見渡した。
「はぁ。もう少し手際良く出来ないものですかね。私はもうお腹がぺこぺこなのです」
「しょうがねぇだろ。最高の状態から最低に突き落とす。つまりだ、限界まで追い詰めた方が色々と分かるんだから」
そんな事はどうでも良いと、ツバキはピクリと眉を寄せる。
「私はお腹がぺこぺこぺこぺこのぺこなのです。ぺこのぺこがぺこでーーー」
「おい! ペコペコうるせーんだよ!」
「何がぺこですか? 私はぺこなどとはぺこ、一言も言っていませんぺこ」
「言ってるだろーがっ!」
フイッと顔を背けるツバキは、明らかに怒っている様子だ。
ふと、ベリルは心当たりを思い出す。戦闘が始まる前に通信時に勢いで言ってしまった余計な一言を。
「あーーっ! デカいって言って悪かったって! 謝りゃいいんだろ。今度おごってやるから今は勘弁してくれよ!」
ベリルは面倒くさそうに頭をガシガシとかきむしった。
「ふぅ。分かれば宜しいのです。で、新人殺しの件は何か分かったのですか?」
「見えたのは聖デイヴァレン……後は人の肌に金魚の刺青が見えた。手首か足首だ」
意外なところから出たギルド名に、ツバキは「ほぅ」と唸る。
「大物ギルドですね。ギルド全体が関与しているのですか? それとも単独犯ですか?」
「さぁな。そこまでは掬えなかった」
話もそこそこに、ツバキは飛び散った血痕に目をやる。
血は地面に吸い込まれるように消えていく。ダンジョンがその姿を保つ維持機能として、冒険者が残した物を吸収しているのだ。
ダンジョンが吸い込むのは血だけではない。髪の毛一本から魔力の余波。または装備などの私物に、消費した精神力。冒険者の全てをダンジョンは吸収する。ダンジョンが生き物と呼ばれる由縁だ。
ツバキの狐耳がピクリと動き、微かな吐息を拾った。
「この方々はどうするつもりですか? 僅かながら全員の息があるようですが」
「こいつらはまだ賞金首にはかかってねぇ。依頼は鞄の中の子供の奪還だからな」
「上への引き取りは可能ですか?」
「交渉が通るかは微妙な所だと思うぜ。なにせ、あたしの嘘を読み取る力以外は証拠がねぇーんだから」
「では追加報酬は諦めるしかありませんね。ベリルは信用という文字を八つ裂きにして生まれてきたような狼ですから」
「けっ。言ってやがれ」
ベリルは口をへの字に曲げながら、バックの回収に向かった。
「助……けて」
掠れた声を上げたのは倒れたままの盗賊だ。
肋骨が折れてどこかに刺さっているのだろうか、息も絶え絶えに左手を胸に当てている。
その盗賊に向かってツバキは不思議そうに首を傾げた。
「この後に及んで“助けて”ですか。散々あなた方が無下にしてきた言葉ではないのですか?」
ツバキは過去の余罪を引っ張り出して、地に伏せる盗賊に掛け合った。
「もう……やりません……お願い……しま……」
「はぁ。いくら改心しようと罪を償う法がここには存在致しません。それがダンジョンのルールです。ですからーーここは“冒険者の流儀”に則る事に致します」
薄く目を開けたツバキが裁定を下す。
「ここはダンジョン。ならば後のことはダンジョンの意思に任せます。あなた方がもしも“真の冒険者”としてふさわしいのならば、なにかしらの奇跡が起きて、きっとダンジョンも街に帰してくれる事でしょう。しかしーー帰れない場合は潔く血肉と成り、ダンジョンの糧になりなさい」
冷たく吐き捨ててツバキは盗賊に背を向けた。その足先は上階への扉に進んでいく。
涙を流す盗賊は、動ける仲間が居ないか辺りを見回した。
頭からフロアの床に埋まり、全く動く気配のないリーダーのオルス。息をしているかさえ分からない、唯一の回復役の魔術師。そして大量の吐血が装備に付着して、白目を向いている隣の道具使い。
立ち上がる事も出来ない自分が一番の軽傷という事実に、盗賊は絶望した。
顔をくしゃくしゃにしながら、盗賊は二人に懇願を続ける。盗賊にはわかっているのだ。残された命のともし火が、ほんのわずかだと言う事を。
フロアの中心に光の柱が浮かび上がる。それはあと少しで、戦っていた幻獣が復活するという死への兆しだ。
「死にたくない! 俺は……俺は……っ!」
盗賊は頭を抑えながら、何回も見てきたであろう残酷な光景を振り払う。骨が砕ける音を。臓物が破裂する様を。機械巨人の歯車が渦巻くーー胃の中から聞こえる悲鳴を。
「嫌だぁぁああああ!!!」
盗賊の叫び声に二人の獣人が応える事は無かった。
ベリルはバックの中で眠らされた子供を確認すると、ツバキの後ろにそそくさと駆け寄った。
「ピザが食べてぇ。それもチーズが山盛りで熱々のやつだ」
「毎日チーズばかり食べて、ベリルは良く飽きませんね」
「知らねーのか? チーズには全ての栄養が入ってるんだよ」
「入ってませんよ。ベリルはバカですか? それとも本当は鼠人ではないのですか?」
ツバキがベリルの犬耳をつぅーと撫で回し、本物かどうか確認する。電気が走ったようにベリルの尻尾の毛が逆立つ。
「気持ち悪い触り方すんじゃねーよ! ゾワゾワするんだよ!」
「“ツバキ様〜ベリルねぇ、抱っこして欲しいの〜”と、せがんで来た小さき姿が懐かしいです」
「言った事ねーだろっ!!」
「まぁ、それは置いておきまして。十四階と十五階の幻獣は私が一掃します。早く帰らなければ我らの幼きリーダー。ミストナが心配してしまいますからね」
狼の可愛がりが満足したところで、ツバキはこの後の作戦を口にする。
「その事なんだが、ちょっと用事を頼まれててな。少し上層まで行ってくるわ。ツバキは一人でガキの受け渡しに行ってくれ」
「ミストナがそう言ったのですか?」
ツバキがベリルの表情を怪訝そうに伺った。
「……そうなんだよ! ミストナに直接秘密で! 頼まれててなぁ」
「ほぅ、分かりました。ではその手筈で」
目的を終えたベリルには、先ほどまでの悪鬼を思わせる姿は見受けられない。ダンジョンに遊びに来た、年相応の無邪気な少女といった顔つきだ。
他愛も無い談笑をしながら二人は十三階層を後にする。
上階への大扉の閉まる寸前、ベリルは首だけを後ろにひねった。そこには二人に向かって、必死に手を伸ばす盗賊の姿があった。
「体に塩でも振って待ってろよ。楽に食われるぞ」
盗賊の嗚咽を残しながら、大扉はゆっくりと閉ざされていく。
◇◆◇◆◇◆
冒険者の街【ホワイトウッド】
この街には確認出来るだけで五百以上のダンジョンがあった。
突如として出現した巨大な捻じ曲がる塔。
通りのど真ん中に現れた豪奢な鉄の門。
路地裏に浮かび上がった、ぼぅと光る小さな鳥籠。
街の上空に我が物顔で浮かぶ幽霊船。
何の変哲も無いレストランの勝手口、等々。
これらのオブジェクトは全て、ダンジョンへ繋がる入り口となっていた。ゲートは何の前触れもなく出現し、冒険者達に数々の夢と興奮を与えた。
金貨を欲する者には、目も眩むほどの高価な魔石を。
高らかな名声を求める者には、高難易度の試練を。
力を求める者には、人知を超越した魔術を。
そして真の冒険者を極める者には、より壮大な感動を。
冒険者が生死を賭けてダンジョンに挑み続ける限り、ダンジョンもまたそれに答えてくれるだろう。
しかしながら全ての冒険者が志の高い者ばかりではなかった。ダンジョンとは不思議な構造で出来ており、この世界とは違うどこか“別の空間”へと繋がっているかたらだ。法律の目が届く場所では無いのだ。
よってダンジョン内では『何が起ころうと自己責任』
それがこの冒険者の街、【ホワイトウッド】の絶対的な法律になっている。
増え続けるダンジョンと共に、街に住む冒険者達の人口も増えていく。必然的に悪党共も増加の一方を辿っていった。
だが、街で起こす事件は当然に取り締まっている。ダンジョン内は曖昧なルールで成り立っているが、決して街に持ち出す事は許されない。
彼女たちが現在追っている、“新人殺し”もその例外ではなかった。不可解な魔術を用いて、街中で殺人を行ったAランクの高額賞金首ーー。
今回の人攫いのオルスから得た『ギルド・聖デイヴァレン』が関係しているという情報。ここからーーベリル達の追い込みは、急展開を迎えることとなる。