老いの果てに見えてくる坂よ、幾たび越えれば、淀の末路にたどり着くのだろうか? そして、、我が愛する日本の和歌・短歌・俳句ベスト60選
老醜、
老残、
老耄、
そもそも、、老いの姿を例えるには、こうした、「無残なり」というような、語句しかないのだろうか?
老いてなお盛んというのはもっぱら性的な?旺盛さ?の例えであり、
老いの充実感をあらわしたものではあり得ないだろう。
老いの充実感という語句は意外と少ないのである。
さて、、
日本画の画題に「高砂図」というのがあるのはごぞんじだろうか?
老爺と老姥が裃に居住まいを正して熊手と箒を持って恬然とただずんで居る風を描いたものである。
代々名主であった我が家もすでに
「生まれた家は跡形もない ほうたる」 山頭火
の俳句のような状態ですが、、、
さいわいにもこの「高砂図」の6曲1双の大きな金屏風が今このわがマッチ箱住宅の納戸にある。
江戸時代作の立派な屏風である。実家が壊される寸前に私がこの寓居に持ち帰ったのである。
こうした老人を尊ぶ姿を描いた題材というのは、これくらいしかないのだろう。
そして現実はといえば、、老残、老醜がいつだってのし歩くだけだ。
確かに人間60歳を越えると、色々とあちこちにガタが出てくるのも必然だ。
何しろこの世知辛い人間道を半世紀以上も渡世してきたのだから。
そして途中野垂れ死にもしないで60年からくも、渡世できたのだから。
一口に60年といっても、そりゃあ、大変だよ。
欲望渦巻くこの俗世間を足をすくわれて溺れじにもしないで
何とか60年過ごしえたのはある意味奇跡に近いともいえようか。
事実、
我が友の多くは30代40代であえなく亡くなっている。
30代で胃がんになり3ヶ月入院しただけで死んでしまった友もいる。
40代で、病死した友も大勢いる。
そうした友に何の落ち度があったのか?
いや恐らく何もあるまい。だがある日彼らは亡くなり、
そしてこの私はこうして何の因果か生き延びさせられている。
だが生き延びたって、60年も人間家業やってきたのである。
あちこち油が切れたり、ガタが出たり、勤続疲労?が出てきているのが偽らざる実態だ。
もう、無理はできない、というか無理が利かない。
耳鳴り、心臓痛、動悸、めまい、目のかすみ、足腰の痛み・しびれ、手の痺れ。物忘れ、
尿漏れ、すぐ転ぶ、
ざっと数えただけでもこれだけある。
それだけ生き延びた証でもあるが、頭は真っ白の白髪。ちょっと歩けばめまい。
心臓がバクバク、
確かに個人差はある。
40歳で若年性アルツハイマーで日常生活に支障をきたしている人も居る。
かと思えば百歳万歳で、100歳で元気に畑仕事している老人も居る。
これはもうどうにもならない。天の配剤とでもいうしかあるまい。
煙草一本すわないのに23歳で肺癌死する人も居る。
煙草好きで、毎日煙草30本すっても私の母のように89歳まで生きた人も居る。
いったいどうなっているんだろう。
まあ。とはいえ、
人間60年から生きて来たら、
大なり小なり、ガタは来ている。
無理をすればそれが命取りにもなりかねないと、心得て生活するコトだね。
人生とは分からないものだ。
病気一つしない、あんな元気な人がある日ぽっくり亡くなり、
「お前は20歳まで生きられないよ」といわれた虚弱児がなんと、80歳まで生き延びている。
これだから人生は分からない。
変に悲観してもいけないし、また、安易に楽観的過ぎてもダメ。
人生は平常道を行くにこしたことはない。
というわけでわが半生の道のりはまだもう少しだけは続きそうだね?
さて前置きがだいぶながくなりすぎましたね?
ここからは私が愛してやまない
日本の和歌短歌俳句などの作品から
ごく私的に選んだマイベスト60選を
以下に開陳したいと思います。
どうぞ
心行くまでご堪能下さいませ。
これらの和歌短歌俳句作品を味わえば
普段日本人だなんて全く意識していないそこのモダンボーイ・モダンガールのあなたも、
日本って、、、いいなあ、、ときっと思われることでしょう。
それでは
早速
、、、、、、、、、、、
☆極私的日本の和歌短歌俳句、ベスト60選。
人魂で 行く気散じや 夏野原 葛飾北斎 辞世
美しき馬鹿女房や虱捕り 村上鬼城
さびしさに耐えたる人もまたもあれな庵並べん冬の山里 西行
木の葉降る家は聞き分くことぞ無き時雨する夜も時雨せぬ夜も 詠み人知らず
鳥辺山谷に煙の燃え立たばはかなく見えしわれと知らなん、 詠み人知らず
ほろほろと鳴く山鳥の声聞けば父かとぞ思う母かとぞ思う 行基
見るうちに娘は嫁と花咲いてカカアとしぼんで婆と枯れぬ 道歌
岩鼻やここにも一人月の客 去来
散る桜残る桜も散る桜 良寛
裏を見せ表を見せて散る紅葉 良寛
山鳩よ見ればまわりに雪が降る 高屋窓秋
振り返り見れば一夜の限りして夢の八十路をたどり来しかな 道歌
花うばらここの土になろうよ。 山頭火
ほとぎす明日はあの山こえてゆこう 山頭火
生まれた家は跡形もない ほうたる 山頭火
命無き砂の悲しさよ、さらさらと握れば指の間より落つ 石川啄木
願わくば花のしたにて春死なんその望月の如月のころ 西行
年たけてまた越ゆべしとおもいしや いのちなりけり小夜の中山 西行
ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思わざりしを 詠み人知らず
桜花散りかい曇れ老いらくの来んというらん道まがうがに 在原業平
敷島の大和心を人問えば朝日に匂う山桜花 本居宣長
露と落ち露と消えにしわが身かな、浪速のことも夢のまた夢 豊臣秀吉 辞世
紫のひともとゆえに武蔵野の花はみながら哀れとぞ思う 詠み人知らず
稲搗けばかがるわが手を今宵もか殿のわくごが取りて嘆かん。 万葉集
山里は松の聲のみ聞きなれて 風吹かぬ日はさびしかりけり 蓮月尼
白鳥は悲しからずやそらの青海の青にも染まず漂う 牧水
野ざらしを心に風の染む身かな 芭蕉
蛍籠昏ければ揺り炎えたたす 橋本多佳子
さつきまつ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする 詠み人知らず
釣鐘に止まりて眠る胡蝶かな 蕪村
これがまあ終いの棲家か雪五尺 一茶
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 万葉集
寂しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守 原 石鼎
いとせめて恋しき時はぬばたまの夜の衣をかへしてぞ着る 小野小町
世の中の厄をのがれてもとのまま帰るは雨と土の人形 -曲亭馬琴 辞世
思いつつ寝ればや人のみえつらん夢と知りせばさめざらましを 小野小町
かにかくに祇園は恋し寝るときも枕のしたを水のながるる 吉井勇
風さそう花よりもなお我はまた春の名残をいかにとやせん 浅野長矩
この世をばどりゃお暇の線香の煙とともにハイ(灰)さようなら 十返舎一九 辞世
奥山に紅葉ふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋はかなしき 猿丸大夫
山路来てなにやらゆかし菫草 芭蕉
行く春を近江の人と惜しみけり 芭蕉
この秋は何で年寄る雲に鳥 芭蕉
もののふの 猛き心に くらぶれば 数にも入らぬ 我が身ながらも
中野竹子 22歳 辞世
六でなき四五とも今はあきはてて先だつ妻に逢うぞ嬉しき 清水次郎長 辞世
からごろも 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ 伊勢物語
人の行く 裏に道あり 花の山 いずれを行くも 散らぬ間に行け 道歌
ちちははに呼ばれて仮に客に来て心残さず帰るふるさと 道歌
唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして 防人の歌
あらたしき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事 大伴家持
海ゆかば水漬く屍、山行けば草蒸す屍 大君の辺にこそしなめかえりみはせじ 万葉集
玉の緒よ絶えなば絶えよ、長らえば忍ぶることのよわりもぞする 古今集
雪はしづかにゆたかにはやし屍室 石田波郷
有漏時より無漏時に帰る一休み、雨降れば降れ風吹けば吹け 一休禅師
あの人も お前自身も もろともに ただひとときの 夢の幻
道歌
世の中は命の仮家、しばしのち、一人も残らぬ秋の夕暮
道歌
すぐ消える露を哀れと思うなよ、そういうお前もやがて死ぬなり。
道歌
何事も今の楽しみ究めれば明日は必ず苦しみとなる
道歌
踏まれても今はただ忍べ道草のやがて花咲く春も来るべし
道歌
誰死んだ、彼が死んだと言ううちに、お前が死んだと人に言われる
道歌
傀儡師首にかけたる人形箱仏出そうか鬼を出そうか 道歌
補足
引用した和歌短歌俳句の語句にもしも引用間違いや誤記がありましたらお許しください。