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 フェルナンド王子が目覚めた時、そばにいたのは豚娘ではなく、正真正銘の美女、レーヌ姫でした。レーヌ姫は優しく微笑みながら、王子の片方の手をそっと握りしめています。

「……豚娘は?」

 王子はレーヌ姫の手をさも忌々しげに振りほどくと、上体を起こして、あの豚のようにみっともない顔を室内に探しました。レーヌ姫は王子に向かって首をひとつ振ると、瞼を伏せながら――それがレーヌ姫の嘘をつく時の癖でした――こう言いました。

「豚娘は、傷を負った王子さまを途中で放りだし、どこかへ逃げていったのでありましょう。王子さまをここまでお運びしたのは我が国の三人の王子と、フェルナンドさま付きの従者たちでございます。さあ、今はまだ傷が癒えたばかりの身なのですから、王子さまはベッドの上でごゆるりと横になっていてくださいませ」

 レーヌ姫はフェルナンド王子の体に白鳥の羽毛のたくさん詰まった掛け布団を覆い被せようとしましたが、王子は布団をはねのけて、厳しい口調でレーヌ姫を咎めました。

「嘘だ。あなたは嘘をついている。あなたがどんなにごまかそうとしたところで無駄だ。豚娘は瀕死のわたしの体を背負って、薄暗い森の小道を歩いていったのだよ。あの小さな体で……わたしは意識が朦朧としてはいたが、彼女がふらつきながらも懸命にわたしを背負ってくれたのだということは、きちんと覚えているのだ。きっとあなたは豚娘に嫉妬するあまり、彼女から手柄を奪おうと豚娘のことを王宮から追いだしたのであろう。ああ、そうだ。きっとそうに違いない」

 フェルナンド王子のあまりに冷たいその言い種に、レーヌ姫はショックのあまり口が聞けないほどでした。そしてレーヌ姫が美しい薔薇色の頬にはらはらと涙を零しはじめると、フェルナンド王子の苛立ちは頂点に達しました。王子は手を打ちたたいて召使いを呼び、

「レーヌ姫に御退出願うように!」

 と、厳しく言いつけました。

 ああ、なんて可哀相なレーヌ姫!フェルナンド王子はこれ以後、レーヌ姫に決して心の内を明かすということはなさいませんでした……もちろん、御結婚なされてから以後もです。実をいうとレーヌ姫は魔女リンダと一番最後に、こんな約束をかわしていたのでした。魔女リンダはレーヌ姫の美しさのエッセンスを封じこめた小瓶を返してはくれましたが、そのかわりに、とある条件をだしていたのです。それは『自分がかつて豚娘であったことは、決して王子さまに明かしてはならない』というものでした。もしもレーヌ姫が約束を破って自分が豚娘であったことを明かしてしまったとしたら、レーヌ姫は豚娘の姿に戻ってもう二度とは元のとおりの姿にかえることはできないというのです。レーヌ姫はジレンマに苦しみましたが、きっとフェルナンド王子も結婚して自分の良さをわかってくださりさえすれば、豚娘のことを愛したのと同じ愛で自分のことをもう一度愛してくださるはずだと、そう信じてカンツォーネ王国へと嫁いでいったのです。

 エシュタオル王国とカンツォーネ王国の二国間では、フェルナンド王子とレーヌ姫の御結婚を祝福するために、城下町の広場などで国を上げての大祝宴会が開催されました。またフェルナンド王子とレーヌ姫はエシュタオルとカンツォーネの主要都市でパレードの馬車に乗って国民のみなさんに挨拶して回りましたし、小さな町や村でもおふたりの御成婚を祝して、色々なおめでたいイベントが開催されました。その他、ふたつの王国からは町人や村人に二国間の平和を記念した特別の硬貨が配られたり、王国所蔵のとっておきの酒樽がいくつも開けられて、無尽蔵と思われるくらいの量のお酒がふるまわれたりしました。

 エシュタオルとカンツォーネの国民はみな、暗い戦争の影のことなど忘れ、夜どおし歌い踊り浮かれ騒いで大祝宴会の一週間を過ごしました。

 フェルナンド王子とレーヌ姫が御結婚されたこの年、恩赦として百年戦争の戦犯者が七名、牢獄から出所したという記録も王宮の文献には残っています。また二国間で盛大な花火が毎晩のように打ち上げられたという記録などからも、エシュタオルとカンツォーネの国民がどれほどこのふたりの結婚を祝福し、喜びに酔いしれたかを窺い知ることができるでしょう。けれども人々が羨望の眼差しで美貌の王子と妃とを見つめるほどには、ふたりの間柄は仲睦まじいものではなかったようです。

 パレードの間中、フェルナンド王子はレーヌ姫の片手をしっかりと握りしめ、国民に向かって笑顔で手を振っていましたが、ひとたび人目がなくなると、レーヌ姫の手を冷たく突き放して、そのあとはろくに口さえ聞こうとはしませんでした……レーヌ姫はどんなにかおつらかったことでしょうね。それでも誰に対しても一言の文句さえこぼさずに、笑顔で国民のひとりひとりに挨拶なさっておいでだったのです。レーヌ姫は盛大な祝宴の宴が終わったあと、今度は心細さと寂しさで、死ぬほど悲しくなりました。小さな頃から慣れ親しんだエシュタオルの王城を離れて――両親や兄弟や貴族の友人たちからも離れて――たったのひとりぼっちでこれまで敵対してきた隣国に嫁いできたのです。フェルナンド王子だけが頼みの綱でしたが、カンツォーネの王宮で彼女に一番つらくあたったのは誰あろう、レーヌ姫の夫であるフェルナンド王その人でした。王子は結婚と同時に年老いたお父上よりカンツォーネの王の御座をも引き継いでいましたから、今はフェルナンド=ルイ=カンツォーネ王となって国を治めています。そしてレーヌ姫はイレーヌ=マリア=カンツォーネ王妃となられたのでした(レーヌ姫の本当の名前はイレーヌというのですが、国民の皆は彼女を愛して、一般にレーヌ姫、レーヌ王妃と愛称でお呼びしたのです)。

 フェルナンド王子が王になってから初めてしたことはといえば……なんと!エシュタオルやカンツォーネの国中からみっともない顔の女性や不細工な娘、一般に醜女しゅうじょと呼ばれる女の人たちをたくさん呼び集めることでした。カンツォーネの王の謁見の間から王宮の正門のある跳ね橋のずっと向こうまでは、こうした一般に顔に欠陥のあるとみなされる女性の行列がえんえんと続いていました。そしてフェルナンド王はひとりひとりの女性の顔をじっくりと眺めては、

「豚娘はこんなに可愛くなかった」だの、

「豚娘はもっと豚そっくりで不細工だった」だのと呟き、バンバン!と木槌を腹立たしげに打ち叩いて、「次!」と近衛兵に命じるのでした。

 エシュタオルとカンツォーネの王国のあらゆる町や村には、フェルナンド王直筆の豚娘の似顔絵があちらこちらの壁に貼られ、また軍の隊長の指揮による、聞き込み調査なるものまで行われたのでした。

 フェルナンド王はあちらの山村に二目と見られぬ顔の醜い女性がいると聞くと、自ら馬を駆ってでかけてゆき、またこちらの城塞都市に豚そっくりの不細工な顔の女性がいるという噂を聞くと、その女性を王城まで連れてくるようにと部下に命じるのでした。

 フェルナンド王はとにかく豚似の女性に関する情報を広く求めましたので、王直筆の貼り紙を見た町民や村民の幾人かは、王はきっと高級な豚そのものを求めておられるのではないかと勘違いし、たくさんの雌の豚の贈り物が王さまに献上されるということもしばしばだったようです。なにしろ『豚娘を見つけだした者には賞金100万クラウン』などと貼り紙には書かれてあったのですから、無理もないことですね。

 それにしてもフェルナンド王は何ゆえにここまで豚娘にこだわり続けるのでしょうか。豚娘というのはいわば、レーヌ姫の影のような存在であり、影の本体であるレーヌ姫はフェルナンド王に冷たくぞんざいに扱われながらも、なお彼のことを愛し、恋慕っているというのに……。

 後世の歴史家の幾人かは、彼が「美人は三日で見飽きるが、豚のように醜い娘は三日で見慣れる」という有名な格言を残していることに注目し、フェルナンド王はおそらく、レーヌ姫のあまりの美貌と完璧なまでの性格の良さと如才なさに辟易し、その反動として醜い女性に一生の間給付金を支給するほどのめりこんだのではないかと指摘する人たちがいますが、わたしはそうは思いません。いえ、基本的にはこうした歴史家たちの意見と同じことになるのかもしれませんが、わたしはこう思うのです。人間というものは皆、影のある存在ですから、それ故に人は影のない人間を愛することなど到底できはしないのです。わたしたちはみな影を持ち、その影の濃い人間にこそ惹きつけられるものなのです。豚娘はレーヌ姫の影そのものでした。ですからフェルナンド王は影の消えてなくなったあとのレーヌ姫を愛することは、とてもできなかったのに違いありません。

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◇オリジナル小説サイト『天使の図書館』
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