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昔々、エシュタオルという王国の西のはずれの森に、リンダという名前の魔女が住んでいました。この魔女のリンダは非常に根が陰険で、とても意地悪な粘着質の性格をしておりましたが、本人は自分のそんな性格の悪いところには露ほども気づいてはおりません。リンダはもう三十代も後半で、言い方は悪いかもしれませんが、とっくにとうの立った、いき遅れのいかず後家でした。最も本人はそのことをとても気にしておりますので、リンダの前で結婚の話を何気なくでもしようものなら、その者は哀れな醜いヒキガエルに変えられてしまうことでしょう――ですからみなさんもこうしたデリケートなお話をする時は、まわりを見渡してみて、よく気をつけてからお話したほうがよいかもしれませんね。
ところで、リンダが朝早く起きて真っ先にすることは、ごはんの仕度などではありません。リンダは美しい白鳥の白い羽毛をむしりとって作ったふかふかのベッドから起き上がると、まず真っ先に魔法の鏡に向かいます。そしてこの頃とみに増えてきたように思われる、目許のちりめんじわや、眉をつり上げるとその拍子にくっきりと浮かび上がる額の横じわや、口許のハの字型のしわにうんざりとします――リンダは深々と溜息を着くと、得意の魔法を使って「我が顔面のにっくきしわよ、なくなれ!」と鏡の向こう側の自分に向かって命じました。すると、あらまあ不思議!リンダの顔はしわひとつない、生まれたての赤ん坊のような、つるつるの皮膚へと変化しました。それからリンダは満足と安堵の溜息をひとつ着くと、食卓の樫の樹のテーブルに着くのです。これが魔女リンダの毎朝の儀式なのでした。
魔女リンダは人が滅多に近寄ることのない、樹海の奥深くに暮らしておりましたから、自分が非常に孤独であることを打ち明けることのできる相手がひとりもありませんでした(だからこそ孤独で、性格がひねくれ曲がってしまったのでしょうね)。
魔女リンダは孤児で、彼女の両親はリンダに生まれながらの奇妙な魔力が備わっていることを知ると、恐ろしくなって彼女のこの、人が滅多に寄りつくこともない、樹海の入口に捨てたのでした。ああ、なんて可哀相な魔女リンダ!彼女の両親がもし、彼女を捨てることなく、他の兄弟たちと同じように、愛情を注いで育ててくれていたとしたなら……いいえ、こんなことは今さら言ってみたところで、仕様のないことですね。そんなことより、お話を先へと進めることにいたしましょう。
樹海はまるで、神さまのように大きな愛と力とをもって、小さなリンダのことを育んでくれました。樹海は他の大勢の人間たちにとっては、恐ろしく厳しい天然の要害のようでしかありませんでしたが、リンダのことは我が子のことのように、母親のような愛情を持って優しく慈しんで育ててくれたのです。けれどもリンダが自分と同じ種族である『ニンゲン』のことに興味を持ちはじめるのは、そう遅いことではありませんでした。リンダは時々、樹海の慰めだけでは我慢ができなくなると『ニンゲン』の村や町にちょっとした悪さをしに出掛けてゆきます。大金持ちの高慢ちきな跡取り息子の目をちょっとの間見えなくさせたり、いい気になって着飾っている(ようにリンダの目には見える)花嫁の純白のドレスをあっという間に虫食いだらけにしたり、暖かい家族の一家団欒の一時を、無数のヒキガエルによって台無しにしたり……(ここまでくると、ちょっとした悪さというよりは、ひどく悪質な悪さといってよか
ったでしょうね)。
リンダは、他の人間たちには自分と同じような魔力はないのだということにすぐ気づきましたので「自分は特別に選ばれた、優れた種類の人間なのだ」と、ずっとそう思って生きてきました。だからいくら悪いことをやったとしても、自分は許されるのだと、傲慢にもずっとそう思い続けていたのです。けれども、流石にリンダも三十歳を過ぎる頃になると「どうもそれは少し違うらしい、自分がずっとそう思い続けてきたことは、誤りだったらしい」ということに、少しずつ気づくようになってきました。何故なら、自分は他の人間たちのようにあくせく働かなくても、欲しいものはいつでもなんでも魔法で手に入るのに、どうしてだか、自分よりも他のあくせくしている人間たちのほうが、時としてとても幸福そうだったからです。
さて、一体これはどういうことなのでしょうか。魔女リンダは聡明な頭脳が割れるのではないかというくらい、深く考えこみましたが、さっぱり理解できません。それにもう三十年以上、ずっとこのような考え方ややり方、人生の歩み方をしてきたのですから、今さら自分を変えるというようなことも出来やしません。そこでリンダは腹立ちまぎれに、また村や町に降りていっては、幸福そうに見える人間たちに意地悪をしました。
ところで話は変わりますが、エシュタオル王国にはレーヌ姫という名前の、非常に美しくて可愛らしい、この世のものとも思われぬほどの美貌のお姫さまがおりました。
レーヌ姫は王さまのお父さまと王妃さまのお母さまからの御寵愛を一身に受け、そのお優しい気性と美貌によって国民の誰からも愛されておいででした。そしてレーヌ姫が十八歳になった時、隣国のカンツォーネ王国の第一王子とお見合い結婚するという縁談がまとめられつつあったのです。もちろん、リンダがこのような誰からも祝福される、幸福そのものの結婚を邪魔する機会を見逃すはずはありません。
リンダはフェルナンド王子がどんな顔をしているのか見てやろうと思い、馬車の中でも飛び抜けて立派な、行列の真ん中に位置する、宝石の縁飾りの美しい馬車の中を覗いて見ることにしました。するとどうでしょう!そこには憂愁を帯びた表情の、いと悩ましげなフェルナンド王子の輝くばかりの美貌があるではありませんか!魔女リンダはフェルナンド王子の悩ましげな顔の表情を見るなり、ひと目で恋に落ちてしまいました。リンダは、魔法の鏡の中の遠視の景色はそのままに、極上の杉の樹や松の樹だけでしつらえた家の、豪華な調度品ばかりの室内を歩きまわりつつ、聡明な頭脳で策略を巡らせました。
実をいうと魔女リンダはこのごろ、自分の魔力を継承させるための跡継ぎが欲しくてたまらなくなっていたので、フェルナンド王子こそ自分の魔力を受け継ぐ子供の父親として相応しいと、勝手にひとりぎめしてしまったのです。
そしてリンダがひとたびフェルナンド王子のことを気に入ってしまうと、あとのことは本人の思った以上に早く進行したのでした――この時のリンダの悪知恵ほど鋭く彼女の脳裏に閃き、また速やかに実行に移されたものは、後にも先にもないといってもいいくらいでした。リンダは悪は急げとばかりに薄暗い樹海の自分の家から姿を消すと、エシュタオルの王城の、レーヌ姫の衣装部屋の鏡の中に姿を現しました。レーヌ姫はフェルナンド王子をお迎えするための衣装を召使いたちと一緒に選んでいるところでしたので、突然リンダがなんの前触れもなく鏡の中から現れたことに、深い衝撃を受けていました――そしてふたりいた召使いたちは、小さな叫び声を上げると、衣装部屋から逃げていってしまったのです。
レーヌ姫は驚愕のあまり、声さえでないほどでしたが、リンダの真っ黒いローブに包まれた、禍々しい雰囲気を感じとると、彼女が噂の悪い魔女、リンダに違いないと直感しました。
リンダは唾でも吐き捨てるかのように、こう言い放ちました。
「ふん。なんて美しい、綺麗な可愛らしい容貌をしているんだろうねえ、おまえは。だけどそれも今日までのことだよ。おまえは今まで、両親や兄弟たちの愛情を一身に受け、何不自由なく暮らしてきたんだろうが、今日からは何ひとつ自分の思いどおりにならなくなるのさ……もしもおまえがこれからただの醜い召使いの小娘になったとしたら、誰がおまえなんかを相手にするものか。おまえなんか、おまえなんか……えいっ!こうなってしまえ!」
リンダが魔石の嵌め込まれた樫の木の杖を振り翳すと、衣裳部屋には大きな強い風と、雷のような衝撃とが駆け抜けていきました。そして召使いたちが出ていった扉が物凄い勢いで突然バタンと閉まり、広い衣装部屋の窓という窓がすべて開き、あたかも激しい嵐が過ぎ去っていったかのようなそのすぐあと、とてつもなく恐ろしいことが、レーヌ姫の身には降りかかっていたのです。
衣裳部屋のよく磨き込まれた姿見の鏡の前には、灰色のみすぼらしい衣装の醜い顔の小娘がひとりと、レーヌ姫から美しさのエッセンスをすべて奪いとり、彼女に成り代わった、魔女リンダの姿とがありました。衣装部屋から逃げていった、レーヌ姫付きの衣装係たちは、そろりそろりと引き返してくると、部屋の中をそっと覗き込んで、何ごとが起こったのかを、その時はじめて知りました。
レーヌ姫付きの衣装係たちは、鏡に映っている、美しいけれども意地悪な顔の表情の女を見て、もはやこの方はレーヌ姫ではないと、すぐに気づくことができましたが、打ちのめされたように倒れ伏して、涙を流している女が、あの美しかったレーヌ姫の変身した姿なのだとは、とても信じることができませんでした。
衣装係の召使いふたりは、顔を隠して蹲っているレーヌ姫に近付きましたが、次の瞬間には凍りついたように、何も言うことができなくなりました――レーヌ姫の顔は一度ちらりと見たが最後、もう二度とは見たくもないといっていいほど、ひどく醜い顔に成り果てていたからです。
両目は落ち窪んで小さく、鼻は豚のように低くそそり立ち、唇は薄い上に、何かを話そうと一度口を開いたが最後、ビーバーのような出っ歯がにゅっと突きでてくるのです。
衣装係の召使いたちは、その顔を一目見るなりころりと態度を変えて、レーヌ姫に成り代わった魔女リンダのほうに恭しい態度をとりはじめました。魔女リンダはほれ見たことかと言わんばかりに、ふふん、と鼻でせせら笑いました。そして衣装ダンスの豪華なドレスを一着、また一着と、召使いたちに命じて試着することにしたのでした。しかも、このあまりにショックな出来ごとから立ち直れずにいるレーヌ姫に向かって、こんな暴言すら吐いたのです。
「ぼんやりしてるんじゃないよ!この豚娘!おまえもわたしの衣装を出したりしまったりするのを手伝うんだ!今日からおまえはわたしの奴隷なんだからね!わたしの手や足も同然にただで働いてもらうよ!わかったかい!?」
ふたりの衣装係の娘たちは、レーヌ姫に成り代わった魔女リンダの我が儘に疲れてきつつありましたが、それでも魔女リンダ――いえ、レーヌ姫の『豚娘』という言葉を聞くと、ぷっと吹きださずにはいられませんでした。そしてレーヌ姫と三人一緒に大声で笑って、奴隷となった豚娘のことを笑い者にさえしたのです。
みなさんはなんてひどい話だろうと思っていらっしゃるかもしれませんが、わたしはなんだかこのふたりの侍女のことをあまり責められないような気がします。何故なら醜い姿に成り果てたレーヌ姫の顔は、そのくらい豚にそっくりだったからです。