砂糖菓子のような嫉妬
「だからな? 社会人に春休みは無いんだ」
部屋の真ん中で、炬燵にもぐりこんで、膨れてみせる恋人の千紗に、言い聞かせるように……三月に入ってからもう何度目かも分からない言い訳を口にする。
「送別会には出ても、彼女とは出かけたくないんだ。そうなんだ。愛が冷めたんだ」
声にありありと不満の色が出ている。いや、まあ、そもそも言ってることが不平不満なんだが、そんな可愛い態度では迫力が無い。
しかも、元が少し子供っぽい声をしている千紗だけど、ふてているときは余計にその色が強くなる。
いや、それも当然なのかなとも、最近は思っているが。
付き合った時は、俺が大学三年で千紗は大学一年で、その時点で二つの歳の差があった。些細なことと周囲は言うけれど、これまで年下の子と恋愛をしてきたことが無かったので、付き合いたての頃は……いや、未だにどこか、お兄ちゃん、というよりむしろ、千紗曰く過保護なお父さんっぽさが出ているらしいし。
そもそも、最初から千紗ってどこか精神年齢が低いような雰囲気だったし。
一番最初に会ったのは、俺が大学二年の頃の夏で付属から推薦で進学するという千紗が――キャンパスで迷っていたのを保護したのが切っ掛けだったりする。
「あの……」
と、大きな目を更に丸くした、ボブの女の子。其々の学科の講義棟に囲まれた中庭のような場所で、蝉が喧しいぐらいに鳴いていた。
夏休みのその日、俺が大学にどうしていたのか、用事の内容は覚えていないけれど、多分、忘れる程度の些細なことだったのだと思う。前期の試験結果の確認とか、掲示板に後期の連絡が無いかの確認とか、そんなの。
「はい?」
と、学生服姿のその子を訝しんだが、オープンキャンパスかなにかかなと思ったので、変に意識しないように、警戒させないように訊き返したら――。
「ここは、どこなのでしょう?」
と、訊ねられ、噴き出してしまった。
正直、今風のいでたちではなく、顔立ちもどこか気難しそうと評される事が多かった俺に声を掛けるのは、多大な勇気が必要だった……と、勝手に解釈してしまった。
なので、千紗の簡単な手続きや、その後のキャンパス見学を丁寧に手伝ったら……懐かれて――千紗曰く、あれは、絶対にわたしに気がある態度だったからね――、千紗の入学と同時に付き合い始めた。
とはいえ、前期は高校との違いに戸惑う千紗を上手く履修登録させたり、自堕落な生活をさせないように気を使うことに費やされ、あまり甘い雰囲気にはならなかったけど。
でも、そういえば……。
秋頃には、もう千紗の嫉妬癖は出ていたかもしれない。
俺は当時も今も落ち着いた和室に住み、秋の夜長は灯火親しむべしと、読書で過ごすことが多く、その日も手頃な文庫本を読み漁っていたのだが、不意に部屋に急襲してきた千紗に――。
「ねえ! 今日、大学前の駅で女の人と歩いていたって本当!?」
「は?」
部屋に入るや否や、飛びつかれてそんなことを尋ねられれば誰だって驚いて硬直するしか出来ない。身に覚えが無いので、尚更。
「なぁんでとぼけるのよう」
口を尖らせる千紗に、本当になんのことだか分からなかったんだが、後になってプレゼミが一緒の女子と軽く会話しただけのことを詰問されているのだと知り……千紗にとっては不謹慎なのかもしれないけど、盛大に笑ってしまった。
そうだな。千紗が年下で比較的小柄だったことから、ついつい甘やかし過ぎてしまったのかもしれない。
気付けば今では立派な――。
「なんで、総務の真壁さんの送別会にも、呼ばれるの? 分が違うよね? ね? 不思議だよねえ?」
嫉妬魔になってしまった。
「……良く俺の職場の人間の名前を覚えてるな」
ぽふぽふ、と、二回頭に手を乗せる。千紗のボブはどこか弾力がある。伸ばすと面倒とか言っていたけど、髪質が強くて癖が出るんじゃないかなとは最近気付いた。
特に抵抗も無く頭をぽんぽんされた千紗。
三月とはいえ、夜はまだ冷えるので、俺もコートを掛けてから炬燵へと潜り込んだ。
「そりゃ分かるよ。バレンタインにチョコもらってたし、お返しもちゃんとしてたし」
「いや、貰ったら返さないと。って、一番しっかりとしたお返しを贈られたのに、根に持つなよ」
苦笑いで炬燵の中で千紗の足をつつく。
「同じ課の佐々木さんと、総務の真壁さん、課が違うけど同じ企画部の望月さんが危ない」
いや、バレンタインにチョコをくれた女性を、妙齢の人だけしっかりと覚えているお前の方が危ない。とは、口に出せない。その代わりに――。
「浮気なんて俺はしないぞ?」
「うん」
と、そういう面では信用されているのか、あっさりと頷く千紗だったが。
「でも、愛が冷めたらはっきり言うでしょ?」
そう訊ねられれば、俺も「うん」としか答えられない。
「にゅあぁあ! それはそれで怖いの! 捨てられたら泣くぞわたしは」
泣くなよ、と、手招きして膝の間に座らせ、包み込むように抱きしめれば、首筋の目立つ所に軽くちくっとした感覚があり――。
見れば、またキスマークを点けられていた。
どこか、まんぞくそうな顔の千紗。
まったく、このキスマークのせいで入社当時は相当に弄られたというのに。
お返しに軽く額に口付け、千紗がもう余計なことが出来ないように、抱きしめる腕の力を強めた。
千紗は独占欲が強いものの、嫉妬はあまり変な方向に行かないのが救いだよなって思う。変な犯罪とかはしないし出来ないタイプ。
子猫が毛を逆立ててるような、砂糖菓子のような嫉妬だ。幼くて、どこか少し甘い。