-004-
目が覚めると彼女がいなかった。
洞窟の中には僕だけしかいなかった。
彼女は早起きだから、きっともう外に出ているのだろう。
そう思った僕は、外に出て彼女の姿を探す。
けれど、彼女の姿は見当たらない。
……どこにいったのだろうか?
僕は鼻を利かせる。
朝の森の澄んだ香り。そこにわずかだけど彼女の香りを感じた。
僕は鼻を集中させ、彼女の残り香をたどっていく。
木々が開けた場所が多くなり、森がだんだんと浅くなっていくのがわかる。
僕は木の葉の合間から空を見上げる。おひさまは空のてっぺんまで登っているんだろうけれど、厚い雲が邪魔をしてちょっと薄暗い。雨がきそうだ。
まだ彼女は見つからない。
僕はだんだんと不安になってくる。
ぽつり、ぽつり、と雨粒が落ちてくる。それはだんだんと力強く森を打ちつけていく。木陰で羽を休めているのか、鳥たちのさえずりは聞こえなくなる。木が揺れる、葉を叩く雨音が森を埋めつくす。
困ったことになった。
雨に流されてしまって、彼女の香りが、もうほとんどと言っていいくらい感じ取れない。
僕は辺りを見回す。
そのとき、声が聞こえた。
雨の音が邪魔をして聞きづらかったけれど、僕の耳はそれを捉えた。
人の声だ。
僕は姿勢を低くして、注意深く声を探る。
生い茂るシダのあいだから人の姿が見えた。
ひとり、ふたり、さんにん……。
その人たちは力を合わせて、なにか大きなものをくるんだ筵を運んでいた。
その筵はきっちりと縄で縛られている。
こんな森の中でなにをしているのだろう?
どこに持って行こうとしているのだろう?
疑問はあったけれど、僕はとにかく怯えていた。彼らを見た瞬間にきゅうと締め付けられるような不安に襲われていた。彼女以外の人間は、僕を『バケモノ』といって乱暴するに決まってる。
僕は見つからないように身をかがめ、慎重に足を運ばせる。
彼らの視界から外れたことを確認した後、迷うことなく一目散に逃げる。
そのつもりだった。
けれどなぜか、彼らのことが気になった。
見つかったら大変なことになる。それはわかっている。
でも、なぜだかあの筵が気になって仕方がない。
僕は神経を研ぎ澄ませ、激しい雨音に隠れて彼らの後をつける。
やがて彼らは止まった。
とりわけ大きな樹木の前。そこには木造の小さな祠がある。彼らは担いでいた筵をおろすと、祠から少し離れたところに穴を掘り始めた。リスが埋めた木の実を探している風ではない。なにか大きなものを入れるための穴。埋めるための穴。
雨や土の中に張り巡らされた木の根っこに邪魔をされ、思うようにはかどらなかったのか、彼らはとてもイライラしていた。お前のせいだ、とひとりが言った。その意味は僕にはわからなかった。
穴を掘り終えた彼らは、筵をその中に入れる。
ぐちゃぐちゃになった土をかぶせる。
祠の前で三人が一列になり、お祈りをする。
なにをしているのか、やっぱり僕にはわからない。
そして彼らは帰っていった。
僕は警戒しつつ、草木の間から顔を出す。安全なことを確認してから、祠の前に足を進める。祠の中には小さな人の姿があった。石を彫って作られた石像だ。
彼らはこんな石にお祈りをしていたのか、と不思議に思う。けれど、彼らはこの石に真剣にお祈りをして、真剣に何かをお願いしていた。
もしかしたらこの石は、ものすごい力を持っているのかもしれない。
僕は彼らに習って目をつむり、石像にお願いをする。
……彼女が見つかりますように。
雲が別れ、陽光が一筋の光りとなって森に差し込む。雨が止んだ。森が静けさを取り戻す。僕は犬のように身体を振って雨を飛ばす。あたたかい光りに身をあずける。
そのとき、ふと彼女の匂いが鼻をくすぐった。
地面から湧き立つように彼女の香りが辺りに漂っている。
僕はその出どころを探した。
さっき彼らが埋めたところから彼女の匂いがする。
僕はそこを掘った。堀り返した。
そして、やっと、見つけた。
彼女は目をつむって、眠っているように見えた。
土でひどく汚れてしまっている。
僕は彼女の顔を舐めた。
起きて。
舌に冷たさを感じる。
もう一度舐める。
起きて。
彼女は眠っているように見えた。
僕はまた彼女の頬を舐める。
起きて。
僕は彼女の頬を舐める。
けれど、彼女は目覚めなかった。