第51話 拡散する噂話
アルトが屋敷から去ってから、数分ほどが経過した頃。
イーナは部屋を出て、フラフラと廊下を彷徨いだしていた。
「お爺ちゃんが死んじゃうかもなんて……」
足取り重く、目的地もなく歩き続けるイーナに覇気はない。
ただ青ざめた表情で、ひたすら足を動かすことしかできなかった。
「うぅ……お爺ちゃん……死んじゃヤダ……」
イーナはイーダを思いながら、ポタポタと涙を流す。
小さい頃からお爺ちゃんっ子だったイーナにとって、祖父であるイーダの死は、想像するだけでも耐え難いものであった。
それなりに歳もとっているため、いずれはそうなるのも仕方がない。
これはイーナも重々承知している。
しかし、こうも唐突に祖父の死を意識させられるとは思わず、覚悟もなにもできていなかった彼女の心は張り裂けんばかりであった。
「…………ん? そこにいるのはイーナではないか? やっと部屋から出てきたな」
「え……?」
俯きながら歩いていたせいで、イーナは前方から歩いてくる人物に気づかなかった。
いきなり声をかけられ、泣き顔のまま咄嗟に前を向く。
「ティア……」
目の前にはアレスティアが立っていた。
それを理解したイーナは、涙を流している姿を見せまいと、慌てて顔を服でこすり始める。
「! ど、どうした! もしかして、先ほどまで泣いていたのか!」
すると、明らかにおかしな様子のイーナを見て、アレスティアは驚きながら数歩前に出た。
アレスティアの両手がイーナの両肩に乗る。
「イーナ、いったいなにがあった!」
「う……うん……実は……」
鬼気迫る表情を近づけるアレスティア。
そんな彼女に威圧され、イーナは先ほどあった出来事について、ポツポツと語りだす。
「な……そんなことが……」
要領を得ない嗚咽交じりの話を聞くにつれて、アレスティアの表情は徐々に驚愕へと変化していく。
スタート王国が誇る大賢者、イーダの死が近い。
それは、イーナだけでなく、スタート王国民にとっての一大事であると言えた。
「は、話に出ていた医者は、信用のおける者なのか……? もしかしたら、まだ治せる類いの病やもしれんぞ……?」
「さっきお爺ちゃんと話してたのは……王様が直接指名して領地に来てくれた人だよ……」
「ぐ……そ、そうか……」
スタート国王は、アルト伯爵が統治するギリアス領の開拓が盤石に進むよう、あらゆる面で優遇措置を取った。
王宮御用達の指折りの名医を領に派遣させたのも、その一環である。
そして、そのことをイーナもアレスティアも理解していたため、診断結果に狂いはないのだと思わざるをえなかったのだった。
「どうしよう……お爺ちゃんが死んじゃうかもって思うと……アタシ…………うぅ……」
「イーナ……」
アレスティアはまたも泣きそうになるイーナをそっと抱き寄せ、優しく頭を撫でる。
「お爺ちゃん……どうしてこんな大事なことをアタシたちに黙ってたのかな……」
「……おそらく、イーダ殿は皆の心に負担をかけまいとして、あえてなにも話さないのだろう」
「負担……」
「この件は、イーダ殿が口にするまで黙っておくのがいいのやもしれん。それがイーダ殿のためだ」
「そう……かもしれないわね……うん……わかった……」
イーダは、自らの死期が近いことを周りに伝えていない。
その理由をアレスティアの想像から察したイーナは、これからもできるだけ普段通りに振る舞おうと決意したのだった。
「とりあえず、イーナはどこかで顔を洗って気持ちを落ち着かせるべきだな。このままの顔では、イーダ殿の前に出せん」
「うん……」
こうして2人は、寄り添うような形のまま廊下を歩き始めた。
「…………た、大変なことを聞いてしまった」
――そんな彼女たちが去った廊下にある窓の外では、1人のチンピラ男が隠れるように壁に張りついていた。
「あの大賢者様が余命いくばくもないだなんて……」
「む? おい、貴様! そこでいったいなにをしている! またサボっていたな!」
「ひぃっ!?」
が、屋敷の外側からはチンピラ男の姿は丸見えであり、すぐさま声をかけられることとなった。
「あ! いえ! これはその……別にサボっていたわけでは!」
「言い訳するな! 早く仕事に戻らないと給料減額するぞ!」
「は、はい! と、その前に……ここだけの話、大賢者様について、こんな話があるみたいなんですが――」
「……ん? 大賢者様?」
チンピラ男は自分に声をかけてきた人物に、先ほど聞いた話を伝えた。
そんな出来事があった後、チンピラ男は『ここだけの話』を複数の同僚に聞かせた。
すると、その同僚たちは驚いた様子で耳にしつつ、彼らもまた、その話を他の者に伝えていった。
結果。
イーダの余命はあと僅かであるという噂はあっという間に広がっていき、その範囲はギリアス領だけに留まらず、スタート王国全体に伝わることとなったのだった。
一方、そうした騒動の起こるスタート王国の外では……。
「うおおおおおおお! ブレイブスラアアアァァァッシュ!!!」
無言の勇者ことアルトが、怒涛の勢いで超級モンスターを撃破していた。
「……東の大陸一凶悪なモンスターと言われていた『マンティコア』を一撃で屠るとは……流石は勇者だ」
アルトが倒したマンティコアを見ながら、クレアが感嘆の息を漏らす。
とある秘薬の材料集めには、クレアも同行していた。
彼女は戦闘力に秀でているため、1人でモンスターを狩るよりも効率的だろう、とアルトが判断したためである。
もっとも、これまで戦ったモンスターは大抵が『ブレイブスラッシュ』の一撃で片付いているため、2人で行動した意味はあまりなかった。
「『千年龍の鮮血』……『リヴァイアサンのウロコ』……『マンティコアの尻尾』…………必要なものはあと2つだ!」
「……そうだな。敵が敵だけに、もっと時間がかかると思っていたが……この分なら残りもすぐ片付くだろう」
「よし! それじゃあ早いとこ次行こう!」
「……その前に、少し休憩をはさんだ方が良いのではないか? ……ここまで立て続けに戦闘をして、勇者も疲れているだろう?」
クレアは自分がイマイチ役に立っていないなと思いつつも、アルトを心配して労りの言葉をかける。
しかし、アルトはそれに対し、大きく首を横に振った。
「疲れてるけど、時は一刻を争う! イーダの命がかかってるんだ! 俺はまだ頑張れる!」
「!! ……自分のことより仲間の安否を優先するか……流石は勇者だ」
「わかってくれたなら、さっそく行こう! 次の目標は『キングタートル』だ!」
「……ああ!」
アルトとクレアは休みを入れずに移動を開始した。
自分たちの仲間であり、今もなお苦しんでいるであろうイーダのことを思いながら――。
「ふむ……なんじゃか最近、妙に皆の視線を感じるのう……」
こうした周りの変化の中、イーダはいつも通りの生活を送りながら、領民たちがやけに自分を労わってくるのを見て、どこか引っかかるものを感じていた。
その引っかかりを作った原因が自分にある。
イーダがこのことを知る日は、そう遠い話ではない……。




