第40話 VS奴隷商会の長
スタート王国にある奴隷商会。
そんな商会の元締めであるその男は、国王からの急な呼び出しを受け、王宮へとやってきた。
「アレクセイ王、わざわざ私のような下賎な者に、いったいどのようなご用件がおありなのでしょう?」
元締めの男は、どのような用件かも聞かされずに王宮へとやってきたため、内心で若干戸惑っていた。
このようなことは、今までで一度たりともない。
王宮へは何度か出入りした経験があるものの、国王から直接呼び出しを受けるなど、初めてのことである。
「うむ、貴公をここに呼んだのはな……」
国王の執務室にて。
ゴホンと1つ咳払いをした後、国王は隣に控えさせていた青年へと目配せを行った。
「(……誰だ、この男は?)」
青年の身なりは貴族というより平民といったほうが近い。
とても国王の隣にいて良いような恰好ではない。
元締めの男は、訝しむような目つきで青年を見る。
「この者の名前はアルト。貴公も聞き覚えがあるだろう?」
「アルト? …………ッ!!!」
青年の名を告げると、数瞬の間を置いて、元締めの男の目が大きく見開かれた。
アルトといえば、スタート王国で召喚された勇者の名である。
同姓同名の別人という可能性も絶対にないわけではないが、国王の隣にいるという事実から、この青年が勇者アルトであるということを物語っていた。
「……それで、無言の勇者様は私を呼んでどうなさるおつもりで?」
元締めの男は戸惑い大きくしながらも訊ねる。
すると、青年はハッキリと、1つの願いを口にした。
「今いる奴隷なんだけど……全部解放してやってほしいんだ」
「…………は? なんですと?」
青年の言葉に、元締めの男は目を点にした。
が、それも数秒のことで、今の発言がどのようなものなのか理解し、途端に表情を渋くした。
「(いや……だが、なぜ喋る……? 話の内容も驚くべきものだが……)」
と、そこで元締めの男は疑問を抱いた。
勇者アルトは喋らない。
それはこの国において、この世界において、ほぼ常識的な事柄の1つと呼べるものである。
だというのに、目の前にいる青年は普通に喋っている。
もしや、この青年は勇者などではなく、ただ『アルト』という名を持つというだけの庶民なのではないだろうか。
そういった思考が頭をよぎるものの、ならばなぜ国王の隣にいるのか、という疑問に逆戻りしてしまう。
元締めの男は眉間にシワを寄せ、大いに悩んだ。
「貴公も知っているだろうが、勇者アルトは普段喋ることがない」
それを見て、国王が口を開く。
「だが、必要とあらば喋ることもある。今回のように、な」
「は、はぁ……」
国王からのお墨付きにより、目の前の青年は勇者アルトで確定した。
多少腑に落ちない気持ちも抱く。
しかしながら、元締めの男は青年の言葉を勇者の言葉として受け取ることに決めた。
なので、今度は青年の話の答えを口にするべく息を吸う。
「……先ほどのお話ですが、奴隷をすべて解放するなどできませんな。そんなことをしてしまったら、奴隷商会の人間は全員路頭に迷うこととなります。それに、奴隷は奴隷で、いきなりそのようなことをされても戸惑うばかりでしょう」
商品たる奴隷を解放したら、自分たちの商売ができなくなる。
そのため、たとえ無言の勇者からの要求であっても、首を縦に振るはずもなかった。
「なんとかなりませんか?」
「なんともなりませんな。無言の勇者様の要求は、我々に飢えて死ねと申しているに等しい。とても呑めるものではありません」
元締めの男は青年の要求をつっぱねる。
交渉の余地などないとばかりに。
――だが。
「それじゃあ……こういうのはどうです?」
「!?」
青年は突然、なにもない空間から金貨をジャラジャラと床に落とし始めた。
「奴隷はすべて俺が買い取ります。それに、奴隷商会の人の失業手当も出します。これで足りるかわかりませんが……」
「奴隷をすべて……? 失業手当……? なにを言っているのですか……本当にそんなことをするのであれば、いったいどれほどの金貨が必要になるかわかって――」
2人が喋っている間も、その場に金貨が100枚、1000枚、10000枚と増えていく。
これを見ているうちに、元締めの男の表情は呆れから次第に驚愕へと移っていった。
「(ば、馬鹿な……数千万……いや……数億枚はあるぞ……)」
ジャラジャラと積み上げられてく金貨。
それは執務室の一角を埋め尽くし、小山となって黄金の輝きを放ち続ける。
偽物には見えない。
元締めの男の審美眼は、目の前にある金貨が本物か偽者か、そして、そこに積み上げられた大まかな枚数を、瞬時に判別できるだけの能力があった。
「俺が持ってる金貨のすべてを奴隷商会に差し上げます。それなりの額になると思いますが、これでも足りませんか?」
「…………」
目の前に山となって積み上げられた金貨は、奴隷商会の利権を手放すのに十分な価値を持つ。
そう判断しつつも、元締めの男はこのまま今の商いをやめていいものかと悩み、黙考した。
確かに、目の前に積まれた金貨の山は魅力的である。
が、今後数十年にわたって奴隷商により生み出される利益と比べると、迷うものがあった。
「ちなみにだが、余は今、奴隷制度の廃止を検討している」
「!?」
その途中、国王の口から突拍子もない発言が出てきたことで、元締めの男は目を丸くした。
スタート王国における奴隷制度は、他国と比べると比較的良心的なものであった。
奴隷であるからといって、なんでもさせられるわけではなく、命を軽んじることも禁じられている。
結果、この制度に対する反発も少なく、過去数百年にわたって制度の変更もなかった。
けれど、そんな奴隷制度を国王は廃止しようとしていると言う。
他の貴族たちが猛反発すればその限りではないものの、基本的に国王がやると決めたものはその通りになる。
となると、奴隷制度の廃止も実現する可能性が高い。
元締めの男の額に汗が浮かぶ。
「……わかりませんな……どうしてアレクセイ王は、いきなりそのようなことを?」
内心で焦りながらも、国王に対して真意を問う。
すると、国王は隣にいる青年を見ながら、フッと笑ってそれに答えた。
「勇者がな……余を頼ったのだ……」
「ゆ、勇者が……?」
「そうだ……この世界に住むすべての者を救わんとする勇者が、だ」
「な……」
この世の者をすべて救う。
それはあまりに荒唐無稽で、夢物語と言うほかない。
だが、元締めの男の耳には、勇者が魔族との和平の道を模索しているという噂話も入っていた。
相手が相手なため、夢物語として鼻で笑いとばすことができない。
勇者は本気でそれをやろうとしている。
今回、無言の勇者と呼ばれていたこの青年があえて口を開き、自分に対して直接このような提案をしてきたことからも、わざわざ国王というこの国の最高権力者を使って自分をここに呼んだことからも、その本気具合が窺える。
であれば、奴隷制度の撤廃も必ずやってみせるだろう。
奴隷商会は、近いうちに消えてなくなる。
そう考えた元締めの男は、奴隷商会への未練を振り切ることにした。
「……わかりました。そういうことでしたら、我々も今の商いを廃業致しましょう」
「ありがとうございます」
「!」
答えを聞き、青年はニコッと笑って頭を下げた。
それを見て、元締めの男はハッと息を呑みこむ。
「(自分の資産を放り投げてでも奴隷を失くし、そのうえでこのような表情を浮かべることができるとはな……この男……噂通りの真の勇者というわけか……)」
人を救うためなら自分が痛みを負うこともいとわない。
そんな勇者の姿を見て、元締めの男の心に『この男には勝てない』という、どこか清々しいまでの敗北感を抱くこととなった。
「(……さて、これで私も奴隷商会の長ではなくなるわけだが……次はどのような商売で頂点を目指すとしましょうかねぇ)」
そして、次の商いに向けて気持ちを切り替えた。
常に前向きかつ強かであれ。
それがこの男のモットーであった。




