2018年(1) 鎮静剤
今、隣の男から話を聞いたせいか、ナースコールに応じてやってきた看護師は、何か複雑な感情を押し殺して無理にビジネスライクにふるまっているように見えるーー笑顔もなく、きびきびと、いやどこか腫物に触るように、よそよそしく。
会話もなく、看護師は僕を診察室に案内した。
診察室にはいつもの中年の医師がいて、言葉少なく問診していく。しかし、・・相手が情報を開示していないにのに、こちらも正直に答えるべきなのだろうか?
「・・・それで、寝ていた間は、本当になにも変わったことはなかった、痛みも違和感もなかった、ということですね?・・それから、そう、夢とかもみなかった、と?」
医師は何気ないふりをして、そう聞いた。僕は確信した。この医師は何かを知っている。あのような奇妙な夢をみることがあると知って、カマをかけているのだ。
「特段には、なかったと思います。・・他の被験者の方は、なにかあったりしたんですか?」
「他の方については、個人情報保護義務、いや守秘義務がありますので何も言えません。」
医師は、とたんに僕の予想を超えるくらいに頑なな姿勢になった。ヤドカリでいえば殻に閉じこもったようなものだ。
「そのことは分かります、お医者さんですものね。ただ、僕としては自分になにが起きる可能性があるか、知っておきたくて・・」
「他の方は全員元気で、異常もありません。」
「だけど、同室の人に聞くと、僕ら以外はもういなくなっているって・・」
「他の方々は、もう退院したんです。異常もありませんでした!」
「僕も異常はないんですよね。だったら、もう退院できるんですか?」
「あー、あなた方は、・・そう、健康面のデータでたしかちょっと要検査のところがあるのでまだいてもらってるだけです。」
「どこが要検査なんですか?」
「知りません! いや、あなたにいう必要はありません。そういう条件で同意書にサインしてもらってますよね!?」
・・・どんなにつついてもこれは出て来そうにない。いや、何か、その目に脅えに似たものがあるような気がした。かなり険悪になった空気を察して、僕がもういいです、と言おうと思ったそのとき、廊下でどたどたと複数人の足音がして、ドアが開いた。複数のがっしりした、ブルーの警備員風の服装の男たちが乱入してきて、有無を言わさず僕の腕をねじりあげた。抗議しようと口を開いた途端、顔に湿った布が押し付けられ、首筋にちくっと何か、・・・多分特殊な注射器?が刺され、僕は意識を失った。
※ ※ ※
気が付くと、座らされて頭に袋をかぶせられていた。ぞくぞくと寒い。そっと動こうとすると、手足にベルトがつけられ、座っている椅子に拘束されていることに気付いた。
少し離れたところで2人の男の声がする。男たちは、僕からすこし離れたところで煙草を吸いながら話しているようだった。響き具合から判断すると、高校などの教室くらいの広い部屋のようだ。
「フォースも失敗でしたね。」
「・・フォースでまだ死んでないのはこれとあのボクサー崩れだけか。何も有力データなし、失敗だな。」
「はい。」
「フォースも、サードと同じだ。サブジェクト、サンプルともに廃棄。データは教授に送り、クロージングを上申」
上司と部下の会話のようだ。僕が目が覚めたことは、ばれていない・・・と思う。僕はそっと耳をすませた。上司の声はすこしだみ声だが、低く力のある感じで、40代半ばくらいだろうか。もしかしたら僕と同じくらいかもしれない。部下の声はそれより若いが、どこかきびきびとした安定感があった。30歳前半くらいだろうか。
「はい。・・あの主任は、どうしますか。」
「あれもな。なんかこそこそしてるしな。廃棄だ廃棄。」
「・・まだ使えるんじゃないでしょうか。優秀ですよ。」
「頭は優秀なんだろうな。だがダメだ。立ち回りを間違った。しかもあれは知りすぎてる、消さないとダメだ」
「・・」
「何か未練があるのか?消す前に好きなようにしていいが、ちゃんと始末はつけるんだ。ペットじゃねえ、ブロイラーなんだ。始末を間違ったら、次に飛ぶのはお前の首だ。お前も見ただろう?」
「・・はい。」
「すぐ慣れろよ、慣れねえと、そら、あの脱走しようとしたやつと同じだぜ。結局汚ねえ花火にされちまったろ・・。サブジェクトの方は、いったんリリースしてからにした方がいいだろう・・。」
煙草を吸い終わったのか、二人が出ていく音がした。かちゃりと鍵がかかる音がして、心臓にすっと冷たい水を入れられたような気がした。
やはり僕とあの同室の男以外の被験者は死んでいたようだ。
「サブジェクト」というのは被験者だろう。
「フォース」というのはおそらく、第4グループとか第4回目とかそういう意味だろうか。
これまでのファーストからサードまでのグループ(回)の実験が失敗で、僕がいたグループ(回)も失敗だから、被験者もサンプル(採取された血液とかだろうか)も、破棄する、というのは・・?
いきなり首筋に鎮静剤を注射して拘束するような野蛮な奴らだ、殺すということかもしれない。
・・今死ぬわけにはいかない。
僕には家族がいる。