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(仮)あの日の蝶を追いかけて  作者: logicerror
第1章 過去への扉
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1988年5月(2) 曖昧な現実

 どうやら間に合ったようだ、と実感したのは落ちてきた先生が泣き出した声を聞いてからだった。


 僕の当時の記憶だと、投身した先生は、花壇の土止めのブロックに頭があたり、それが致命傷となったはずで、同級生との噂話で、よくあたりに脳味噌が飛び散っていた、とよく聞いたものだった(子どもというのは、往々にして残酷で鈍感ないきものだと、今になって思う)。


 夢の中ではまだ小学生だが、中身はすでに30過ぎのおっさんである僕にとっては、目の前で花壇の土に塗れ、上半身だけ身を起しかけたままで泣きじゃくっている養護教員も、年下の茶髪の小娘に過ぎない。


 「大丈夫ですか?」

 

 とりあえず声をかけておこうか。返事もできず、えずいている教員に、取りあえず汚れた毛布をかけて、上の階からの無神経な視線を遮る。

 

 物音と泣き声に変事を期待して上の階でつぎつぎに窓が開く音がし、どこかの教室ではそれをとがめる教員の胴間声が響く。


 「どうしたんだね!」


 血相をかえてグラウンドで体育をしていた別のクラスの男性教員が走ってくる。そろそろバトンタッチしていいかな。

 

 「保健室の先生が落ちたんです。事情はわかりません。教頭先生かだれか、呼んできましょうか、それともおおごとにしないほうがいいですか?」


 後半は養護教員にも聞こえるようにいう。養護教員が特に反応しないのをみて、男性教員はあわあわしながらじゃあ君、職員室に行って誰かに頼んできてもらって、と怒鳴るようにいう。それを機に離脱した。


 後はもうかかわらない方がいいかな。職員室の先生に連絡して、僕はひとまず保健室にもどることにした。あれっ、飛び降りたのは保健室の先生だしな、人が来たりしてややこしくなるかな。でもどうせ、これって夢だしな。・・夢?

 

 隣のクラスの廊下側の窓ガラスが割れていて、ガムテープで応急措置している。雑然とした廊下の傘置場の雑然さ。


 夢とはいえないくらいのリアルさ。現実なのかもしれない、でももう面倒くさいしこんなときに授業など受けていられるか、という開き直りだけで僕は保健室に戻り、僕が使っていたのと別のベッドにもぐりこんで眠ることにした。

 遠くでがさがさと人の興奮した喋り声や廊下を走る音がしているが、僕はもう半ば意識を失っていた。


  ※  ※  ※


 目が覚めると、施設の白い天井が見えた。一部屋4人の共同病室だ。

 僕はここで一種の人体実験の被験者となっている。もちろん同意の上での話で、報酬を求めて応募したわけだ。


 僕が現在参加しているこのプログラムは、いわゆる治験ボランティアというものの一種なのだろう。もっとも、今回の実験は相当の危険性もある、特別なものであると聞かされた。報酬はかなり高額だったが、僕としてもそれだけの報酬が必要でなければ参加したりはしない。


 もともと治験ボランティアに純粋にボランティア目的で参加する人がいるとは思えないが、この僕が参加しているプログラムも、もちろん普通の生活ができる人がわざわざ応募したりするわけがない。


 僕の寝ている2段ベッドの上の段には、重い借金を背負った元・会社経営者が寝ていたはずだが、今は気配がない。

 向かいのベッドの下の段には、やや荒んでいるが強そうな感じの、やはり事情持ちの感じの無口な男が寝ている。

 その上の段には、会社を始めたいというやたら口数多く夢を語る若者がいたが、数日前に就寝後、起きてこず、死亡しているのが発見された。


 「起きたのか。」


 渋い低い声で声をかけられてはっとすると、隣のベッドの下段の、--妙に迫力のある、あえていえば堅気っぽくないーー、男が顔をこちらに向けて見ていた。

 

 「あんたの上にいた社長さんだが、さっき運ばれてったぜ。」


 「・・・死んだんですか?」


 「さあな。息はしてなかったし冷たかったからなあ、死んでたんだろうな。」

 

 「・・・そうですか!それは――」


 借金のため妻と小学生の子供を実家にかくまっているけど、これで借金を返して元手をつくったら、また大阪で小さいチケット屋か何かの商売を始めるんだ、・・と言っていた元会社経営者の、人懐こい口調と、胃をやられていたのか少し口臭があるものの快活な笑顔が思い出されて絶句してしまう。


 「死んだから1000万円出るって説明受けたよな、あんたも。だけどよ、割に合わねえかもな。」


 「割に合わない、って・・?」


 嫌な予感がして、僕は訊き返した。男はどこか自嘲するように口を歪めながら、目を外らして答えた。


 「この話、受けたのは、俺たちだけじゃねえ。10人以上いたらしいぜ?おめでてえ阿呆がよ。

・・生き残ってるのは、多分お前と俺だけだがな。」


 「それって、どうやって、・・」


 「ああ、看護師がこそこそ言ってるのを聞いたのよ。」


 「・・・」


 「バタバタ死んで行ってるってな。もうほかの病室は閉めたらしいぜ。・・・これって、普通の治験とかじゃねえ。気付いたかどうか知らねえが、外とは連絡はとれなくされてる。俺たちが問診を受けるときの医者、あいつなんか隠してるぜ。」


 「・・・」


 「まあ、だからっていってもな。俺もそうだが、お前も事情があるんだろうしな。」


 ひどく疲れたように男はそういうと、話は終わりだというように壁側を向いた。僕は気押されてその分厚い肩を見ていた。一度白い入院服をはだけたときに、タトゥーはなかったが、凄い傷がその肩に入っているのをみたことがある。


 たしかこの治験での条件として、寝て起きたらナースコールをして問診を受けるんだったな、と僕は思い出して、枕元のボタンを押した。ひどく口の中が乾いていた。

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