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(仮)あの日の蝶を追いかけて  作者: logicerror
第1章 過去への扉
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0170 2018年(15) 土曜日(4)

 11時と約束したからには11時ちょうどがいいだろうか。のこのこ行ったら先方の気が変わっていて断られる、・・ことはないまでも社交辞令を本気にとるなんて非常識すぎるとか思われることにはならないかな、と様々に心を悩ませながら、でも行くって言ったんだし、と実家で入浴等をすませ、簡単な身の回りの品や本を入れた手提げを持った僕は榊さんの家に向かう。ちなみに姉には大いに冷やかされるのではと思っていたが、却って本当?冗談やドッキリだったんじゃない?本気に取ると空気読めてなくない?などと心配された。僕と姉とは性格が全然違うのだが、姉弟だからということもあるのか、こんなところの思考回路は似ていたりする。


 インターホンを鳴らすと、はーい、と明るい声で返事があって、すぐにドアが開いた。榊さんもお風呂上りだったのだろう、石鹸のような爽やかな匂いがする。髪もまだわずかに濡れている感じがする。

 来てくれたんだ、ありがとう、と榊さんはほとんど背中を押すようにしてまた居間に導いてくれた。居間と続き間になっているキッチンの奥には、和室が2部屋ある。居間は完璧に重厚な洋風だったが、その奥の二つの部屋(一方は化粧柱ながら大黒柱があり、床の間となっている)は和室だった。こちらもすっきりと片付いている。私は子供のころからドアのすぐ横の部屋が勉強部屋で、そっちにベッドもあるんだけど、今日はお隣さんどうしで眠りたいから、と榊さんは言って、床の間の方が僕、その横の間が榊さんということになった。榊さんは、床の間に布団を延べてあるのを僕に見せながら、寝巻もお父さんのでよければあるけどどうする?と僕に訊く。いや、持ってきたから大丈夫だよ、と答えた。


 少しだけ、二人で居間でニュースを見る。隣国公船が領土と主張している、係争地である■■諸島の海域に侵入。南米で鉱山事故。死んでいる親を生きていると偽り年金を詐取。世界は今日も多くの気がかりなニュースで満ちているが、今の僕にはあまり現実感がない。僕は、隣でときどき頷きながら真剣にニュースの青い画面に見入っている榊さんを、特に髪を耳にかけているため覗いている形の良い耳のあたりを、ちらちらと見ながら、ニュースを見ているふりをしていた。


 12時ちょうどくらいに僕たちはおやすみなさい、と言い交わして、それぞれの部屋に別れた。もしかするとだけど誘われてるのかな、そうだとしたら却ってなにも言わないとがっかりされてしまうのだろうか、しかしそうではない気がする、その場合すごく傷つけてしまうことになるか、などとひとしきり堂々巡りのように考えて疲れ果てた僕は12時すぎに今の柱時計がかすかな音で鳴るのを聞いたのを最後の記憶として、眠りについた。


 ※  ※  ※


 またも夢の中でこれは夢だ、と気づく。切れ切れに、過去に向かって、時間を逆回しに、その時々の光景を横目で見ていく。ちょうど走り去る列車の中の光景を一瞬だけ止めたように、ごく短く朧気で記憶にもとどめがたい。それは自分の視点での光景とも限らず、また日本だとも(また地球だとも)限らないようだった。温暖化の進む極地だろうか、シロクマが氷河から溶け離れた流氷の上で途方にくれているようだった(と僕が感情移入しただけで、実際にはそうでないのかもしれないが)。日本で護憲民主党政権の成立に興奮する老人たちがいた(数週間後には失望に変わるのだが)。宇宙のどこかで巨大な岩石の塊が宙を飛んでいた(その進行方向について、何か僕は胸騒ぎを一瞬覚えた)。クーデターだろうか、どこかの国で硝煙に煙り炎を映して赤く染まった議事堂に、赤に斜めの線が入った旗が掲げられていた。鄙びた高原地帯で、奇妙な梵字の宗教的シンボルの旗を掲揚している巨大な建物に人々がこもり、攻撃する機動隊と戦っていた。地面はところどころ大きくえぐれており、何らかの爆発物で機動隊にもこれに抗う信徒たちにも多大の被害が出ているようだった。大都市で巨大地震が起きて大火災が発生していた。一時的な不作で食料品が品切れし、人々がスーパーマーケットに長蛇の列を作っていた。・・

 そして全くの日常光景に見えるものも。父親くらいの歳に見える猫背の男性と、まだ就学期前であろう女の子が浜辺で手をつないで歩いている。ドラマの最終回があるから、と女子生徒が友達のゲームセンターへの誘いを断って急いで走って帰ろうとしている。何かの宗教だろうか、和室の一室にびしっとしたダークスーツを着た男たちが正座し、その前に巫女のような装束を着た中年の女が榊を振っている。しかしそこに据えられた銅鏡はなぜか白く翳り、映るべき光景が映っていないように見える。

 また、何かの犯罪現場のように思われるものも。音楽バンドの解散コンサートで、熱狂の中に紛れてステージに上がった少年が、女性ボーカルの胸にナイフを突き刺し、周囲のメンバーやファンに取り押さえられていた。ボーカルの胸からは血が流れだし、もはや助からないように見える。刺した少年も人々が次々にのしかかり、無事ではすまなそうだ。・・夜、滝つぼのような深い池に、少年が、ほかの少年によって突き落とされている。突き落とされた少年がもがいているのを、突き落とした少年たちは手に手に持った懐中電灯で照らして無様なありさまを嘲っていた。・・家、それも結構な豪邸の周りをテレビ局や新聞社の記者たちが取り囲んでいる。そこに荒んだ様子の中年の男が現れ、記者たちに当たり散らしながら家の周りを回った後、唸り声をあげて掃き出し窓のガラスをバールのようなもので叩き割り、中に入っていく。入った後、湿った殴打音と記者たちがシャッターを切る音が響く。・・新緑の公園と思しき球技場に併設されたごく簡素な陸上トラックを、ポニーテールにして野球帽をかぶった少女が一心に走っている。短距離のきれいなフォームだ。もう何回も走ったのだろうか、荒い息をつきながらゆっくりとスタート地点に歩いていく。しかしその後姿をじっと見つめる視線がある。球技場の横の10台くらいが止められる駐車場に停められた白いセダンだ。僕は不穏なものを感じ、しかし景色は流れて、広い駐車場のある博物館のような建物で大爆発が起きている、数フロアの窓ガラスが内側からの爆発で吹き飛ぶようなひどい爆発。人々が血だらけになって転び出てくる、叫喚とサイレンの音。・・・


 そこで僕は覚醒した。足音を忍ばせ、扉の開け閉めに気を使っているが、誰かが僕の寝ている部屋に入ってこようとしている。思わずぎくりと半分体を起こす。心臓が激しく動悸した。


 「榊さん、か、・・」 

 「ごめんね、起こしちゃった?」


 ごく小さい、掠れたささやき声。枕とタオルケットだけを持った、榊さんだった。僕はまだ夢のなかのような感覚で、またゆっくりと横たわろうとした。その横に、榊さんがそっと枕を置いた。


 「ごめんね、迷惑だってわかってるけど、どうしても眠れなくて、怖くて、・・ちょっとだけここに居させてもらってもいい?」

 

 こういうときにダメと言えるのはよほどブレない強い意志のある人か、極度のヘタレなのではと思う。その他大勢に属する僕は、まだ頭がはっきりしていない。じっとこちらを見ている榊さんと目があった。少しだけ頭がはっきりしてきた僕には、その眼は何かの強い感情があるようにみえた。それは、何かポジティブな感情ではない。僕は、榊さんの手がごくごくわずかに震えているのに気が付いた。これは、・・恐怖?


 頭が急速に冷えた。何が原因かわからないが、榊さんは何かを恐れている。そしてその対象は、おそらく僕ではない。何か外の音に耳を澄ませているような、そんな気配がする。僕は少し布団に場所を開けて、ぽんぽんとそこをたたいて促した。榊さんは、そっと入って、息を吐いた。二人とも天井を見上げて無言だった。僕の耳には、特に何の音も聞こえないように思えた。榊さんも少しする肩の力を抜いて(それまで何か力が入っていたらしい)、ちょっとだけ顔を見合わせて、そして少し微笑んで目をそっと閉じた。僕も目を閉じる。何か訊かないといけないことがあるようだ。それが何かはわからない。僕は再び耳をすませた。遠くで犬が鳴いているような音、自動車の通り過ぎる音、それくらいしかわからない。今でなくて、そう、明日にでも聞いてみよう、そうしよう、・・ 


 ※  ※  ※


 もう一度寝入った後。明るくなり始めた部屋。気が付くと隣に榊さんの姿はなく、卵焼きの良い匂いがして、台所の方からカチャカチャと皿の音がしていた。


 どういう顔をすればいいのかわからないながら、おはよう、と声をかけて出ていくと、おはよう隆ちゃん、とまぶしい笑顔とともに返ってきた。とりあえず断って顔を洗い歯磨きをして、ダイニングに戻ると、トーストと目玉焼き、洗ったレタスときゅうりとトマトだけのサラダと紅茶が供されていた。


 眠れた?と屈託もなく彼女はテーブルの向かいに座り、僕に食事を勧めた。トーストはライ麦入りなのだろうか、香ばしく噛み応えがあった。サラダにはおそらくごく単純なフレンチドレッシングがかけてあった。中学校の家庭科の教科書みたいでしょ、と彼女は笑った。心の隅に鉛のような重たい何かがあるように感じていた僕は、その重りがゆっくりと解けていくのを感じた。

 

 昨日のことを聞いてみるべきだろうか。


 「昨日は眠れた?」できるだけ軽い感じで切り出してみる。


 「ありがとう。眠れたよ、ごめんね。びっくりしたでしょ?」


 榊さんは少しだけ眉をひそめて笑った。


 「ときどき、すごく夜、怖くなるの。雨の日なんかとくにそう、お父さんもお母さんも誰もそばにいない、と思うと、一人でいることが怖いの」


 「誰か友達といたりすると、まし?」


 「わからない。私、ぼっちだし、友達ってそんなにいないし」


 「僕もだけど」


 「奇遇ね。・・・最近そうなんだけど、世界でたった一人、このまま、『もし』なんだけど、このまま死んでしまったらどうしようって思うの。誰にも知られずに。多分契約先の人とかからの通報とかで気が付かれるとは思うんだけど、その後、少しだけ周りの人が悲しんでくれて、でもお葬式があって、何もなかったようにそのまま世界が続いていく、そこに私はもういない。」


 「・・・」


 「馬鹿みたいでしょ、朝になるともう大丈夫なの。でも、ここが」といって榊さんは左胸のあたりを軽く叩いた。「ぎゅーってなるくらい痛くなるの」


 「病院いった方がいいんじゃない!?・・いや、その心臓の方ね。ああ、その寂しくて怖いってのももちろんそのほうがいいかもしれない、って気がするけど」


 「大丈夫なの、もう一回行ってみた。わからないって。カウンセリング勧められて、それだけ」


 そして隆ちゃんは?と聞き返してきた。僕は大丈夫だよ、ちょっと疲れやすくて、あと最近変な夢を見るんだ、昔の夢ね、と当たり障りなく流す。どんな夢?いや、小学生とかのころの夢で、こうだったらいいなってことができたりする夢。いいな、私もやり直したいこといっぱいある!榊さんは優等生っていうか模範生っていうか、すごくなんでも出来て、そんなことなかったかと思ったよ。そういうと、榊さんは、「そういうのって、うまくやってきたかどうかってのには関係ないのかも。私はもっと自分らしくっていうか、人の目を気にせず、いろいろやってみたかったかも。隆ちゃんとも、もっと話しとけばよかったよ、今は話せてるけど、」と言って笑った。


 「そうした夢って、やっぱり何か原因あるのかな、やり直したいとか?」

 

 「夢は願望を示すこともあるって習ったの。面白い例がいっぱいあった気がする。」


 でもたしかストレスとかあって疲れてるとそういうことになりやすいんじゃなかったっけ、と言って僕のことを心配してくれた。いや、確かにストレスはあるんだ。東京に残してきた、いや放り投げてきた仕事のこととか、姉の病気のこととか、姉の子供のこととか、70を超えて急にめっきり病弱になって寝付きやすくなった母のこととか、バブルの崩壊という嵐に巻き込まれて、糸の切れた凧のように僕の家を離れて飛び去った後、半分死んだようにすごしているらしい父のこととか。


 ゆっくりと朝食をとり、新聞に目を通す。特に良いニュースはない。また愚かな政治家が失言を繰り返していた。与野党逆転が起きても何も変わらないどころか、ますます悪くなっているようにすら思える。ただ今の野党、昔の与党、も良かったかというと、特段に良くはなかったとしかいえないのだが。


 いったん家に帰るね、と榊さんに言った。ねえ、また会おうよ、詳しくは電話かライン(SNSアプリ)で教えて?そういえばまだ交換してなかったね、といって連絡先を交換する。榊さんは、外廊下まで出て、僕が階段に続く廊下の角を曲がるまで見送っていてくれた。いつか見た、榊さんの母と同じように腕を組んで扉に軽く寄りかかっていた。

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