0160 2018年(14) 土曜日(3)
空に夕焼けが浮かび、もう帰ろうか、という雰囲気になった。腰を上げて芝を払い、榊さんの顔を見る。榊さんも、訳知り顔にうなづく。そろそろ帰ろうか、そうだね。
公園の駐車場に戻り、エンジンをかける。木陰のかかる場所に止めたが、数時間真夏の駐車場に置いてあった車の中はいっそ潔いくらいの乾いた暑さだ。
「ゆっくり戻るけど、明日早いんだっけ?よかったら何か食べていく?」
「うん、行く!楽しみにしてたんだ」
榊さんはそう言って、目の端と口元に笑みを浮かべる。あまりいいところに心当たりはないけど、どんな感じ?中心街まで出ようか?と聞く。しばらく話して、最近できたというファミリーレストランに行くことになる。駐車場が便利だと思うし、全国チェーンなんだけど多賀島にはこれまでなかったんだよ、東京で食べたのが最後だし、しばらくぶりに食べてみたい、という榊さんの推薦だ。僕の古い感覚ではデートのとき、女の子にいろいろコースとか決めてもらうのは、ちょっぴり面目ない気もする(今の時代、フェミな人に罵倒されそうだが)。
穏当な値段で定食メニューや一品料理を出してくれる店で、お互いに少しだけメニューをシェアしてみたりする。東京の思い出をお互いに話したりした。僕は自分を振り返って、一番楽しいはずの大学在学中のころ、今ほど不景気でもなく、華やかな流行の名残が濃い時代に、一人だけ置いてかれたように大した思い出もなく地味に過ごしたような気がしていたが、それを話すと、榊さんも、私もそう、と言ってくれたのがうれしかった。
「僕も、大学で通学して、ときどきアルバイト入れたらそれで終わっちゃった感じ。もったいなかったかな?って時々思う。もっと他の人たちは要領よく充実して過ごしてただろうって思うと。」
「私たちってバブル崩壊後だったよね、私も、大学入ったら女子大生ブームみたいなのはもう過ぎちゃってて、時代は女子高生とかで、全然だったよ。私は女子大だったけど、確かに遊んでる子もいて、でもあまりうらやましくはなかったかな。なんか人目を気にして一生懸命楽しんでますって感じだった。しかも結構裏では遊ぶためのお金のためのアルバイトしてたりして、なんか余裕ないなーって。しかも就職氷河期で仕事は見つからないし、大学や院で勉強したことは何にも聞かれずに、会社の面接官には何を話しても、脚か胸かその両方かばっかりじろじろ見てる会社ばっかりだったよ。」
「でも仕事も見つかったし、榊さんは語学があるから、結構引く手あまただったんじゃない?」
「どの会社も、なんかすごく偉ぶってるの。語学なんかどうでもいいんだ、うちの会社が求めてるのはそんなんじゃない、って。でもそれが何なのかは何も言えないの。自分たちでもわからなかったんだろうね、でないとその一生懸命選りすぐって取った人たちばっかりの会社がこんなことになってるはずないもの。・・・外国の会社がそれほど良いわけじゃないの、外国の会社もどうしようもなく腐ってたり冷たかったりするけど、でも一応人間扱いしてくれる。日本の会社って、もう人を人とも思ってない感じっていうか。ほら、就職活動ってお見合いとか恋愛みたいなものっていうじゃない?日本の会社って、『誰のおかげで食べていけると思ってるんだ』って初対面から言いたがるおじさんみたいに思えたよ」
「僕、現在進行形でそんな感じなところで働いてるよ、毎日うんざりだよ」
榊さんはごめーん、でも隆ちゃんならしっかりしてるからそういう会社でも働いて出世していけると思うの、でも私は無理ね、絶対、と笑いながら、注文がちょうど来た回鍋肉を取り皿によそってくれた。
自動車なので、アルコールは何も飲まずにに店を出たが、久しぶりにたくさん話して心が浮き立っていた。また熱くなっている自動車の座席に座り、シートベルトをつけてエンジンを始動する。一応道はわかるけど、ナビを作動させる。榊さんは、しばらく思案顔で髪の毛の先を指に巻き付けてはほどく、という動作を続けていたが、手を放すとそっと顔を寄せてきた。おそらくはつけている香水の、甘い花のような香りが漂った。
「隆ちゃん、よかったらさ、この後、うちでお茶か何か飲まない?」
「え、いいの?」
「うん、隆ちゃんがよかったらでいいの。私の方は、明日、実は休みにしたし、いろいろ隆ちゃんと話したいの。久しぶりだし。」
誘われたとはいえ、儀礼的なものかもしれないし、あつかましいかなという気もよぎったのだが、その時の、僕は久しぶりのデート(?)で、衆目も認める美しい彼女を独占しているという幼稚な満足感、そして(認めるのは恥ずかしいが)おそらくは榊さんへの性欲で、いつになく積極的になっていたのだろう、うん、僕もすごく楽しかった、榊さんが迷惑でなければお茶したい、と調子よく押し込んだのだった。
※ ※ ※
夏の日は長いとはいえ、もう8月中旬を過ぎていた。夕焼けも消えて、もう夜になっている。多賀島もそれなりに大きい都市なので、空の星はさほど多く見えない。でも高台の集合住宅の駐車場からみると、多賀島市の街の明かりは星のようだった。
僕たちは駐車場に着くと榊さんの荷物を取り、榊さんの部屋に向かった。榊さんはどこか慎重な足取りで歩きながら、髪の先端を指にくるくると巻き付けてはほどいていた。昔読んだことのある小説では、これって何か迷っている時のしぐさだったな、と僕は思った。
榊さんの家に着く。玄関からして余計なもの一つなくきれいに掃除されている。床のカーペットは明らかに外国製の毛足の長い、上等なものだし、棚はテーブルは深い焦茶色で、無垢材が飴色に磨き上げられている様はいかにも上品だ。榊さんは誰もいないのに、ただいま、と暗い家の奥に声をかけて上がり、僕にも、上がって気楽にしてね、と言った。僕は榊さんの次に、断ったうえで最初に手を洗い、榊さんに続いて居間に入った。榊さんは背はあまり高くないんだ、と後姿のつむじを見ながら、新しい発見であるかのように思った。僕の実家と同じ間取りのはずなのに、榊さんの家の居間は、まるでインテリア雑誌の写真やショールームの一部屋のように、とても落ち着いた風格を醸し出していた。
榊さんはお茶を沸かしてくれた。ハーブティーでいいかな、と言われてうなづくと、芳しい香りのするリーフで手慣れた手つきでお茶を入れてくれた。飲むと結構すっきり眠れて、最近気に入ってるんだ、と言われてそんなものかと一口飲む。ハーブティーなどほとんど飲んだこともないし、紅茶の方が好きではあるが、カモミールの香りはそれほど悪いものではなかった。そのまま榊さんと僕は、今日の話の続きや何かで話をしたが、なんとなく人々の会話や食器の音のさざめきのあった外とは違う静けさに気おされて、どちらともなく黙り込んでしまった。「・・天使が通った、っていうんだよね」そう榊さんは笑ったあと、ふと真剣な顔をして何かに耳を澄ませるように目を軽く閉じて少しだけ首を傾けた。目を開けると、僕の目をのぞき込んで言った。
「隆ちゃん、明日は何かある?」
「姉貴の病院の手配とか、でも特にそれ以外はないよ。」
「今日、もしだけどさ、よかったら泊まっていってくれない?」
あまりのことにどきっとして見返す。そういうことなんだろうか?いや、今日で親しくなった感じはしたけど、そこまでの仲ではないよね、だとしたら女の子同士が泊まるみたいなお泊り会のお誘い?でもそこまでも親しくないかも。そんな戸惑いが分かったのか、ふふふ、と榊さんはすこし白い耳を赤くして、取り繕うように笑った。
「ごめん、無理だよね・・。なんか変なこと言ったかも。忘れて」
「いや、時間的には無理じゃないんだけど、またどうして?」
急な話だし、そもそも榊さんもそんなつもりで(「そんなつもり」というのは要するに「今夜は帰りたくない」とかいうたぐいの性的な誘いかけのことなんだけど)言ったようには見えない。そもそも榊さんは強いて分類すれば学級委員長キャラで、堅いというか品行方正な人柄で、そんな簡単にこんなことをいう感じでもないし、今の反応もそういうつもりだったというより、別の理由で発言したら、たまたま僕にそう誤解されて、はじめてそんなつもりで言ったとも受けとれることに気づいて困っているという感じもするし・・。
「ごめん僕の方こそ」「あのね本当は」・・被った。
どうぞ、とレディファーストを譲ると、榊さんはこほん、と咳ばらいをして言った。
「最近、洋画をよく見てたの。ほら、前本屋さんだった2丁目のところ、コインランドリーの隣なんだけど、今、レンタル屋さんなんだ。」
「・・ああ、そうなんだ」
「それでね、ほら、ちょっと怖い映画とかみてたの。ちょっと昔流行ったサイコものとか。」
「・・・」
「見た後、一人で寝ようとすると、すごく怖いの。お母さんとかいたときは大丈夫だったのにね。木が風に吹かれてざわざわするだけで眠れなくなるの。かた、とか音がしたら、もうおトイレにも行けないの。」
いや、それはそんなの借りるときに覚悟決めろよとは思うけど、見ちゃったら仕方ないかもなあ、と僕も東京での一人暮らしを思い返して思った。榊さんはまた、きまり悪げに咳払いした。こほん。
「だからさあ、その、私友達少ないし、すごく寂しくて怖いの。あと、変な話だけど、一人で寝てると、何でもないことで怖くなるの。別れた夫がストーカーしてくるんじゃないかな、とか。実際、何回か押しかけられたことがあったんだ。・・あと、時々だけど、後を変質者みたいな人につけられたりすることもあったりしたの。怖いでしょう?」
「それは怖いかも」
「自意識過剰なのかもしれないけど、やっぱり時々いるの。それで走ってバス停から帰ったりすることもあってさ、家に来られないようにわざと遠回りに帰ったりして。・・・それは直接関係ないけど、とにかく家に一人でいるのが怖いの。だから、そこまでやんなくてもいいんだけど、ときどき、お客さんの家に泊めてもらったり、西ちゃんの家に泊めてもらったり・・」西ちゃんというのは、榊さんの高校時代の同級生で、いつも一緒に行動してた女の子だ。今は、看護師さんだったかな。
そういうわけなんだけど、もしよかったらと思ったの。隆ちゃんもせっかくの帰省なんだからそりゃ小母様たちと一緒にいたいよね、ごめんね、としおれる様に、僕は榊さんが傷つくというか恥ずかしがる様がどうしてもみたくなくて、泊まる準備なんかしてないから、一度家に帰ってからこようか?とよくわからないことを口走ってしまった。いや悪いよ、と断られることを半ば予期していたにも関わらず、榊さんは目を輝かせて、いいの!?と身を乗り出した。そして、そういうことになった。
「でもさ、僕も男なんだけど、その、気にならない?」
「隆ちゃんが襲ってきたりとか?隆ちゃん、私を襲うつもりあるの?」榊さんは何かノリノリでニヤニヤしながら自分の肩を抱いて震えて見せた。すっかりシリアスな雰囲気は飛んでしまってる。
「ないよ!でも、ほら、隣の人とか何か言ったりしない?」
「それは大丈夫。それに、私、隆ちゃんのことは信じてる。隆ちゃん、そんなことしないでしょう?」
「いや、分からない。男はみんな狼なんだよ」ちょっと傷ついた僕は言いつのった。一つには「いい人」みたいに思われてたというのが嫌だったし、榊さんがそんな冗談を言うのがすこしだけうざったく思えたというのがあったし、最後に榊さんが自分の肩を抱いたときに強調された豊かな胸のふくらみにどきっとして、なんか意地(?)を見せたくなった、というのがあったからだ。榊さんもそれを感じ取ったのか、ちょっと真面目なトーンに戻り、ごめんね、と言ってテーブルに肘をついて、僕を少し上目遣いで覗き込んだ。
「隆ちゃんのそういうところ、悪いことじゃなくて、すごくいいところだと思う。紳士で、ちゃんと約束とか、言ったことを守ってくれたりするところ、人を傷つけないようにしてくれるところとか。さっきも言ったけど、私の友達にも隆ちゃんのことが好きだった人いたんだよ。昔は、ちょっと不良っぽい感じのがいいっていう感じでみんな話してたりしたけど、隆ちゃんみたいにすごく誠実な感じの人が好きな人、口には恥ずかしくて言えなかったけど、多かったと思うよ。」
その友達の名前がさっきから気になってるんだけど、というと、ウフフと榊さんは笑って、それは乙女の秘密!絶対に言えない、と言い、そして「泊まってくれるよね?」と念押しした。だったら布団用意しとくから。あ、もちろん寝るのは別室でいいんだよ、ごめんねー。同じ家に誰かいてくれるっていうだけですごく安心なの、と。
そういうことで、1時間半後(そのとき9時すぎだったので、11時ということになった)に再集合、ということになった。僕はうきうきしている榊さんに掃き出されながら、なんて母親と姉に報告すべきか、と頭を悩ませたのだった。
2021/4/15)若干、修正しました(年など)。




