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(仮)あの日の蝶を追いかけて  作者: logicerror
第1章 過去への扉
16/19

0150 2018年(13) 土曜日(2)

 美術館に着いた。美術館ではオランダやベルギーの中世から近世絵画の企画展をやっている。

こんな田舎の、しかも市立美術館では結構力の入った企画だと思う。もっとも、たとえばフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」みたいな有名なものはあまりなく、落穂ひろい的というか、絵としては(僕的には)すごく興味深いけど、大衆受けはしなさそうなものが多かった。館内も東京からすれば信じられないくらい空いていて、一部屋(一区画)に2,3人しかいない感じだ。


 榊さんはどちらかというとじっくり見ていくタイプのようだ。僕はどちらかというと手早く全体を見て、2度目、3度目と気に入った絵を見入るのが好きだ。しかしこうしてペースを合わせてじっくり見ていくと、そこまで好きではない絵も、見どころがあったり興味深かったりするところを発見するのが面白い。そして周りに迷惑にならないように、2,3部屋ごとに休憩を入れてソファに座って小声でそっと話す・・無駄話を。


 「ねえねえ榊さん、さっきの絵、あのソラマメみたいなものを持ってた人、絶対、西駅(西多賀島駅)にいたよね」

 「こんな眼を剥いた人がいたら、すごく不審人物そうだけど?」

 「昔いたんだよ、今でもいるかも。すごく不審なんだけど、特にそれ以上悪いことをしないから警察も何もしないんだ。こんな風な感じで、すごく眼をおおきく見開いて話しかけてくるんだよ。それも女子高校生ばっかりに。僕一回観察してて、法則を見つけたんだ」

 「どんな?スカートの丈が短い子にばっかり話すとか?」

 「近いけど、ちゃんと髪が長くて、眼鏡をかけてる子に話しかけるんだ。」

 「おとなしいから、警察とか周りの人に言わない、って思って?」

 「わからない。でも一度髪が長くて眼鏡をかけてるけど、すごい性格のきつそうな子に話しかけてけちょんけちょんに何か言われてた」

 「それでもめげなかったのかしら」

 「わからない。でもその後もやっぱりナンパしてるところ見たから、めげなかったんだろうね。もし榊さんも西多賀島駅から電車通学してたら、あの人に話しかけられてたかもよ?」

 「怖いから絶対逃げる!でも、私高校のときは眼鏡はあんまりしてなかったと思う。」

 「いつからだっけ。大学?」

 「うん、大学、っていうか大学院かな?すごく勉強して目を悪くしたの。もう、すごく勉強したんだよ?」


 勉強はあまり役に立たなかったけどね、と冗談めいて眉をひそめながら笑って見せる榊さんは、容姿端麗で品行方正な模範生ではあったが血の通わないガラスの人形のような感じだった昔にはない、いろいろな苦難や打撃をもやわらかく受け止めそうなしなやかな強靭さがあると思った。


 美術館の絵を堪能すると、併設の喫茶室でテイクアウトのコーヒーを買う。その場で飲んでいってもいいが、なんとなくいろいろ動き回りたい気分だった。外の見えるガラス張りの回廊に置かれたベンチで話が続く。


 「榊さん、大学でたしか留学行ってたよね。すごいと思う。役に立ったんじゃないの?」

 「学部は、交換留学で1年だけね。その後、行きたくなって大学院にも行ったけど、どこまでものになったかっていうと・・。」

 「卒業と同時に結婚、って感じだったっけ?」

 「そこまでじゃないよ。4、5年くらい、翻訳や通訳の卵みたいなことしてたの。そこで通訳の仕事のお客さんと結婚したよ。失敗だったけど。」


 地雷だったか?僕は失敗したかなとおもって口をつぐんだが、奇妙な明るさを見せて榊さんはつらつらと話し続けた。

 

 「商社の人なのに英語があまり話せなくてさ、海外の商談につきそって通訳だけでなく交渉も口出ししてたら、なんかそういうことになったの。いつかは結婚して、お母さんと同じように家で子供を育てて、・・ってそのときは思ってたから結婚したけど、・・辛かった。」

 「・・・相手本人が?ご家族が?」

 「どっちもだよ?でも、決定的なのは、本人」

 

 相手は典型的な体育会系でさっぱりした男らしい性格の好男子に思えたらしい。胸囲が1メートルありそうな体育会系?と訊くと「体型はどちらかというと隆ちゃんみたいな感じ、すらっとしてしなやかな感じだったよ、陸上部だったって」と返ってきた。出会ってからプロポーズまではとても好印象だったそうだが、いわゆる体育会系のいいところが、結婚してからはとてつもなく嫌に思えてきたそうだ。


 「簡単にいえば、部下扱いなの。外国に行くときは通訳代わり、家のことは丸投げ。まあ私の実家も多少はそうだったんだけど、・・。『これじゃない』って思うようになった。なんていうか、『愛がない』感じ?」


 それにしばらくすると仕事で上手く行かないストレスをため込んで暴れるようになった、そして子どもができなかったし、と言って、榊さんは少し口をつぐんだ。


 「今の方がいい?」

 「今の方がいいよ。・・でもすごく幸せっていう感じじゃない。なんだろう、胸にぽかっと穴が空いてる感じなの。それにね、いろいろ嫌なこともあって・・。仕事はまだいいんだ、それほど嫌なことはないんだけど、昨日と同じ今日、今日と同じ明日。ブラックな仕事じゃないけど、これでいいの?って。・・・私のお母さんは結婚で仕事を辞めて家庭に入ったけど、でも幸せそうだったのね。」

 「榊さんがいたからじゃない?」

 「えー、そうくる?あ、でもある意味そうかもしれない。私だから、って自惚れてるわけじゃなくて、ただ、子供がいたから、かなあ。・・・それと、私のお母さん、夫が大事にしてくれていたなあって思う。結婚記念日になると、お父さん仕事が遅くなっても必ずお花を買って帰ってきてたのね。白いカサブランカがいつも入ってたの。

 「・・この年になると、私よく思う。結婚して子供、ってのだけが人生じゃないのは当たり前だし、いろんな生き方があっていいと思う。仕事に生きてもいいし、『おひとりさま』が楽しい人もいると思う。でもちょっと古いかもしれないけど、私には結婚して子供、あるいは結婚しなくても子供を大事に育てたり、子供がいなくてもちゃんと好きな人と暮らす、ってのがよかったなあって。でもどっかで間違えちゃったんだね。前の夫も、最初から嫌いだったり上手くいってなかったりしたわけじゃなくて、いろんな条件的にはすごく良かったし、顔もよかったし仕事もできたし、交際し始めたときも、結婚したときもすごく羨ましがられたんだけど、でもそれじゃダメだったんだね。なんかわかりやすい暖かい家庭みたいなものにあこがれてたんだけど、『その人』をちゃんと好きになってなかったんだな、そのせいで、・・なんていうか『罰』を受けたんだって思ったりするの」


 「昔だったらお見合い結婚も多かったはずだし、変な言い方だけど、『愛のない家庭』も多かったんじゃない?榊さんのところが仲がよかっただけで」


 「そうかもね。私たちも、クラスに何人か、今にして思えばそういう子、いたね・・」


 「服が洗ってなくて黄色かったり、給食費が出てなくていつも怒られてたり?」


 「そう、それもあるかもしれないね、・・」思わずといった感じで榊さんは笑う。「・・けどそれは、小学校男子っていっつもそうだったから、まあちゃんとした家でもそうだったんじゃない?男子って、汚くて話を聞いてなくてぐにゃぐにゃ姿勢が悪くてうるさくて、いい加減にしろって思ってたよ?」


 「わあすごい差別発言」


 「ごめんね、隆ちゃんみたいなしっかりした子もいたのにね」


 「いや、僕もそんな感じだったよ。同じクラスにならなかったから榊さんは知らなかっただけで、多分同じクラスになってたら蛇蝎視されてたかも、だけど」

 ダカツシって、ああ、蛇蝎視ね、と榊さんは少しウケたようすだった。


 「でも、もうちょっと変な子もいたよね。すごく暴力的だったり。」


 「〇〇君とか、明らかにやばかったよね。小学生のころはやせっぽちだったけど、中学にあがるとひどかった。小学の3年のころ同じクラスだったけど、目が変だった」


 「変、って?」 榊さんがぎくっとしたように聞き返す。


 「すごく瞬きが少ないっていうか、目を瞠ってるけど凍った感じなんだ。で、喧嘩になってたたいたりたたき返したりするけど、痛そうに顔全体をしかめるんだけど、本当に痛いって感じじゃないの。全然、効いてない感じなんだ。」


 「『凍り付いたような目つき』は被虐待児童の特徴らしいよ。私、大学院で勉強した。・・」


 「専門家じゃん」


 「多分、家で殴られてたのと比べると、同級生が叩いたくらい、全然痛くないって感じだったのかも」


 「すごい聞いて落ち込むね。更生したのかなー。更生せず、そうして不幸な家が再生産されるって考えると・・」


 「私知らない。あまり知りたいとも思えない・・」


 「僕も」


 顔を見合わせる。なんとなくとほほ、という感じで榊さんは眉を下げた。僕も同じだっただろうか。


 コーヒーを飲み終えて、僕たちはなんとなく行先決定を押し付けあった後、どっかゆっくり歩かない?という榊さんの提案に乗り、多賀島市を流れる川の支流にある県有林の遊歩道を歩いた。僕はどちらかというとそういうおじいちゃんみたいなのは大好きだけど、榊さんはどうなの、と聞くとまた受けたらしく、ちょっと高校生のころを思い出させるように笑ってくれた。影のない澄んだ声が響くと、あたりがぱあっと白く明るくなるような錯覚を覚えた。

 

 少し日が傾くと、僕たちはまるで恋人同士みたいに併設されている自然公園の芝生で寝転んで空を見上げてとりとめもない話をつづけた。榊さんが相当な読書家で、高橋和巳あたりの結構重ための小説を最近よく読んでいることが分かった。僕も仕事でいわゆる安保闘争や釜ヶ崎暴動のあたりのことに触れる機会があったことや、そのときのエピソードをちょっとしたアネクドートにして話してみる。お互いに、相手への好感と親しみとを交わすが、決定的に踏み込まない。距離は縮まったけれども、僕たちの間には、いつも10~20センチメートルくらいの厚さの透明な壁があった。

2021/4/15)若干、修正しました(年など)。

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