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(仮)あの日の蝶を追いかけて  作者: logicerror
第1章 過去への扉
13/19

0120 2018年(10) 暑い日

 今までその仮説を考えなかったことがなかったわけではない。

 ただ、それはあまりにも都合の良すぎる話、それこそ夢のような話のようにも思ったのだ。

 夢の中で過去に戻れる、そして過去を変えられる、という、それこそ中二病満載のSF話。


 いままでそれなりに頑張って生きてきて、まあそれでも平凡というか普通の枠内で、驚くほどの奇跡もなく、打ちのめされて立ち上がれないほどの理不尽もなく過ごしてきた。

 少し幸運だったかもしれないが、基本的にはμ±σの中で生きてきた僕という人間に、異常なことは起こらないと思っていたのだ。


 ・・いや、本当はもっと散文的な話なのかもしれない。さすがに過去を変えるのはないだろう。

 今僕に起きている現象は、本当のところは、夢の中で過去に戻って行動すると、忘れていた過去を思い出す、ということなのかもしれない。

 ただ、僕には2回分の記憶、最初の記憶と、夢の中で行動した後に変わった(あるいは、正しい記憶を思い出した?)時の記憶がある。

 単に忘れていた過去を思い出したにしては変ではある。


 アルバムを見ながら考えを巡らせる。夢で過去に戻った後の記憶――「新しい記憶」とでも言おうか――、は、最初は違和感があるが、思い出すにつれて実際の体験としての肉を纏う。

 これに対し、「古い記憶」つまり「1回目の記憶」は、今は覚えているが、・・やがて消えたりするのか?そうであれば何らかの形で記録しておかねばならないが・・。

 そうでなく、もし夢の中で過去を変えて、それ以降の記憶がすべて二重になったら、脳は耐えられるのか?

 知らないうちに記憶が消えて行ったりしているのか?


 夢というのは、人間が睡眠中に日中の記憶の整理を行う活動をした副産物という説もあったな。

 いや、鼻血ってもしかすると、結構やばいことになっていたりするのか?

 例のカイバラとかいう医者に相談した方がいいのかもしれないが、こんな突拍子もない話をするとそれこそ妄想だと思われかねないか。

 それにあまり信用もできない。これが実際に妄想で、それはあの実験がきっかけになっているかもしれないのだ。・・いや、それともあの実験の目的がまさにこの現象だったとしたら?この現象が起きるのを舌なめずりして待ち構えているとしたら?ちょうどいいモルモット扱いにされかねないのでは?


 朝から蝉が元気に鳴いている暑くなりそうな日なのに、ひやりと首筋に冷たいものが走る思いがした。


 ともかく、仮説の検証には、実験が必要だ。過去に戻っての実験だ。

 実際に、たとえば今、たとえば少年時代に宝物を入れていた箱の中身を見ると、少年時代の宝物だけが入っている。それをよく確認して、箱の外側に「中にメモはない」という紙を貼っておく。そして夢で過去に戻って、この宝箱にメモを入れておく。そして、また目を覚ましたときには、どうなっているのか。メモが出現しているのか、箱の外側の紙はなくなっているのか。

 要するに、おかしいのは、あるいは変容するのは、僕の記憶か現実か。


 しかしこの程度の小さな実験は無意味かもしれない、単にそんな紙を入れていたな、という記憶を創造するのか、それとも実際に今の現実を変えられるのか、区別できないからだ。

 じゃあなんだろう。

 もっと極端に突き止められる手段でなければ。「あの実験」がもし原因であれば、過去に戻り、絶対に実験を受けないようにする。一種のタイムパラドックスの完成だ。

 ・・その場合、単に、「過去に干渉する前の『1度目の今』は、実験を受けた。そして「2回目の今」は、実験を受けずにスルーした」という記憶を創ってしまうだけになるだけか?それともそもそも「実験を受けない」という選択肢は消えてしまうのか、ある種の強制力が働いて。

 ・・いやいや、それは今ではどうでもいい話だ。世界線(?)が同じ時間線を辿るのでなく、らせん状に外れていくのか、ループするのかはどうでもいい話だ。だが、過去を変えることができるかどうかはわからないが、()()()()()()()()、―――つまり単に「記憶が増える」だけだとしても―――、夢の中で過去を良い方向に変える行為をしたら、その過去に干渉する前の現実(仮に、「過去操作前の現実」とでも呼ぼう)より現在が良い状態だ、という記憶ができるということになるのか。


 それはそれでいいじゃないか。自分で落とした財布を拾って喜んでるようなことになるかもしれないが、それはそれでいい。だったらそれを試してみてもいい。どうせ夢の中のことだ、やりのこしたことはたくさんある。いや、あるかな?


 あと、夢の中で過去に戻っているときの僕は、今の僕なんだろうか?

 つまり今の僕としての知識を自由に使えるのだろうか。もしそうだとしたら、ちょっとしたチート小学生だ、アニメにそういうのあったな、サッカーボールとか蹴飛ばして快刀乱麻な大活躍ができそうだ。

 でも、戻れる過去は小学校のあの年だけなのだろうか。

 自由にさかのぼれる過去を選べたらそれは便利そうだが、なんとなくそうではなさそうな気もする。

 そうだとすれば、何が戻れる過去の限界なのか、戻れる過去の選定基準は何なのだろうか。


 ・・・帰郷して昔の夢を少し見ただけで浮かれていろいろと年齢をわきまえず中二病的幻想を追っているだけの自分が情けなくはないかい?

 

 精神の中には、ちょうど腕の両側に筋肉があるように、一方の方向に浮かれて曲がろうとするとそれを押しとどめる反作用を行う筋肉がある。僕はその反作用筋を鍛えすぎなのかもしれない。空想筋を働かせていると、急に現実筋がもりもりと活動を始めた。


 ともかく、いろいろな疑問があるが、僕はアルバムを閉じて疑問を封じ込める。朝食をとりに居間に向かう。

 朝食の後、過去のことを知るために自室の断捨離と称してアルバムや記録をみてみることにしよう。

 日記などが残っているといいが、期待薄かもしれない。


   ※   ※   ※


 朝食を母、姉と詩織ちゃんと食べたあと、詩織ちゃんは保育園、姉はアルバイトに出て行った。母は墓参りに、と言って非常にゆっくりとした足取りで外出する。体力は落ちつつあるとはいえ、そして榊さんに家事サポートを受けているとはいえ、母は一応自立はできているし、バスで墓まで行くくらいのことは全く問題なくできるのだ。ちょっと暑いのが気になるが、そのくらい大丈夫よ、と母は麦わら帽子の下から笑った。


 そうして空いた数時間、僕は母から電話がかかってくるまで、アルバムや文集、小中学生時代の愛読書や日記の断片で過去の自分を再調査するのに費やしたのだった。

2021/4/15)若干、修正しました(年など)。

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