「遊ぼーよ」が言えなくて。~ブラックコーヒーよりも苦い初恋~
たった一言が言えなかったばかりに、というお話です。
小学六年生の長野翔太くんの苦い初恋のお話です。それは、小学二年生の秋のこと。翔太くんからお話ししてもらうことにしますね。
二年生が始まった日に数人の転校生が来た。僕はその中の、小柄で髪の長い女の子に釘付けになった。それが八神結衣だった。
結衣は、自己紹介の時に外国に住んでいたと言っていた。それだけでもすごいと思ったけど、結衣は、なんでもできる上に可愛くて、優しかった。だから、あっという間に人気者になった。
夏休みが終わって、9月のある日。友達と3人で遊んでいた時のこと。一人が言った。
「この近くに、結衣の家があるんだよ。」
「行ってみようぜ!」
僕と、もう一人の友達が同時に言った。
どんな家なのかな。結衣は、家にいるのかな。ドキドキしながら友達について、自転車をこいだ。
「ここだよ。」
初めて見た、その家はとても可愛らしくて、お花がキレイに植えられていて、表札もかっこよかった。
「結衣、いるかな。押してみようぜ。」
…ピンポーン…
鳴った!…でも、どうしよう。なんて言おう。考えているうちに、3人とも同時に自転車に乗って逃げ出してしまった。
でもやっぱり遊びたい。
そう思って、戻ってもう一回。
…ピンポーン…
やっぱり怖い!
この日は、そんなことを数回繰り返して、言えないまま終わってしまった。
次の日も、同じメンバーで遊んでいた。話題に出たのは、結衣のこと。3人ともやっぱり、結衣と遊びたいと思っていた。
「行ってみよう!」
今度こそ逃げないぞ!そう決めてインターホンを押す。
…ピンポーン…
ダメだ!怖い!
反射的に自転車に飛び乗ってしまうこと、3回。その度にすぐ近くの角に逃げ込んだ。
「遊ぼーよ。」それだけのことが言えない。学校の休み時間なら言えるのに。
「あのおばさん、結衣そっくり。」
友達の声に促されて、角からそっとうかがい見ると、結衣にそっくりな女の人がドアを開けて回りを見渡していた。あの人が結衣のお母さんかあ。僕のお母さんの次にキレイかもしれない。
やっぱり遊びたい!どうしても遊びたい!今度こそ、逃げないぞ!
…ピンポーン…
反射的に自転車に向かいそうになって、ハッとする。今度こそ!なんだ。友達は行ってしまったけど僕だけはその場にいた。
すぐに、お母さんらしき人が出てきた。キレイだなあ。…と思っていたら、ツカツカと向かってきた。
「昨日から、何の用かしら?」
声が、出ない。
「うちの子に用事?用事なら呼ぶよ?結衣?それともお兄ちゃんの方?」
無言で首を振ると、おばさんの顔がみるみる怖くなっていった。
「昨日から、何回かインターホン鳴らしてるよね?用がないのならやめてくれないかな?」
どうしよう。怖い。キレイな顔は、怒るとなおさら怖いということを知った瞬間だった。
「本当は用事じゃないの?」
怖い!思わず首を振った。遊びたいなんて言えなかった。ますます怖い顔になった。
「用もなく鳴らさないでくれる?何年何組?名前は?」
「長野翔太。二年一組…。」
怖いよー。
「一緒にいた子たちの名前は?」
友達を売るなんて、できない。
「あのね。モニターに写っていたの!3人で来てたんでしょ。」
…ごめん。心の中で友達に謝って、名前を言った。
「このこと、お家の人にお話ししても、いいかな?」
無言で首を振る。もう声が出ない。
クラスの女子たちは、「結衣ちゃんのお母さん、優しそう。」なんて言ってたけど、めちゃ怖い!あの結衣のお母さんとは思えない!
「用もなく鳴らされるのは、困るの。今度こんなことしたら、次こそ、お家の人にお話しするからね。わかった?」
僕が頷くと、おばさんは家の中に入って行った。
次の日、学校に行くと、休み時間に先生に呼ばれた。友達と3人で。
「結衣さんのお母さんから聞いたんだけど、どうしてあんなことしたのかな?」
「結衣ちゃん、可愛いから、遊びたかった、です。」
僕は、正直に言った。
「そうだったの。」
「…でもピンポーンってしたら、どうしても怖くなちゃったの。」
友達が言った。
「そうだったの。それで逃げてしまったのね。」
3人で頷いた。
「結衣さん、可愛いから、遊びたかったんだね。」
また3人で頷いた。
「黙って逃げてしまっては、お家の人も迷惑するからね。“遊びましょ”って言えば、何でもないことだったんだよ。でもそれが言えなかったんだよね。」
「ごめんなさい…。」
涙が出てきた。言えなかった悔しさと、結衣に嫌われるかもしれないという気持ちで。
「…結衣さんのお母さんには先生から話しておくから、もう気を付けるって約束できるかな?」
「はい。」
3人とも泣いていた。
その後、参観のたびに結衣のお母さんを見かける。いつも優しい笑顔で授業を観ている。あんな怖い顔をしていたのが嘘みたいだ。目が合った時は、ビクッとしてしまったけど、微笑んでくれた。結衣もそれまでと変わらなかった。
あの日のことは、内緒で飲んだお父さんのコーヒーよりも苦かった。
あとで知ったけど、僕たちのしたことは“ピンポンダッシュ”といういたずらに該当するそうです。
そして、結衣のお母さんは、何回もやられたことで、転校してきてから、瑠奈がイジメにあっているのでは、と心配になって、学校に相談したんだそうです。
今の僕なら逃げないで言えるかな。結衣のお母さんは、結衣に会わせてくれるかな。




