魔法少女的な夜
自室で明日の授業の教科書を鞄に入れ、登校準備をしていた時のことだった。
「やあ、こんばんは」
いつものように、今日も突然頭の中に直接声が響いた。さすがに慣れたけど、いきなりのことだから少しくらいは驚いてしまう。
そんな様子を見透かしているのかいないのか、声はこれまたお決まりの言葉を続ける。
「早速だけど、またお仕事をお願いするよ」
そう宣告されたら逃げる手段なんてない。
どうせ何をしたって無駄なのは経験上わかっている。おとなしく指示に従うしかないのだ。
「じゃあ、コスチュームチェンジの準備はいいかい?」
その質問に、無理やり作り出した肯定の意思表示を頭の中で返す。
次の瞬間、体が光に包まれた。
眩しさに耐えかねて目を閉じるけど、それでも目蓋を透かして色鮮やかな輝きが瞳に届く。
第三者がこの情景を見たら、きっと日曜の朝にやっているアニメの変身場面を連想するだろう。
「うん、やっぱりその姿は君に似合っているよ」
小憎らしい言葉に目を開けて自分の体を見渡せば、もう何度も見た魔法少女っぽい衣装を着せられていた。
先端が尖っているシルクハットみたいな魔法帽と、体にぴったり密着してその線を強調するピンクのブラウス。
藍色のヒラヒラしたスカートは膝上までしか丈がなくてスースーする。
黒いニーソックスの先には、同じく黒のパンプスが艶っぽく光を反射していた。
おまけに、右手には魔法の杖を持たされていた。先端には星型の宝石が光っており、これが秘められた魔法力を増幅してくれるらしい。
どこからどう見ても、魔法少女ですと言わんばかりの恰好である。コスプレだと言った方が説得力もありそうなのだが、現実は違う。
本当にこの格好で、世界平和のために活動をしているのだ。
「準備はいいかい? 現場は五丁目の公園だ。僕は先に向かっているよ」
その言葉を最後に、頭の中を乗っ取られているような感覚が消えた。脳内リンクを切断した、というやつだろう。
「ふぅ。さて、それじゃ行こうかな」
誰に言うでもなく独り言を呟き、部屋の窓を開けてベランダに出た。
現在時刻は午後十時。夜の闇に紛れて人目を避けられるのはありがたい。こんな格好、他人に見られたら恥ずかしくて一生外に出られなくなるから。
「……」
目を閉じて、精神統一を試みる。体の奥底に秘められた魔力を引き出すイメージを頭に思い描く。
途端、全身が熱を持った。
肉体が魔力で満たされ始めた証拠だ。今日の調子は可もなく不可もなく、といったところか。
「公園は……あっちだね」
方向に見当をつけ、同時に両足へと魔力を集中させる。これくらいの距離ならひとっ飛びだ。
「──よい、しょっと!」
魔力で増強された脚力を使い、拳銃から放たれた弾丸のような勢いで夜空へ飛びあがる。
身を切る風がちょっと冷たい。春とはいえ、夜になれば気温が下がる。体を覆う魔力に少しは防寒効果があるけれど、それでもやっぱり寒いものは寒い。
こんなことなら、最初のうちにもっと抗議なり意見提示なりをするべきだった。後悔先立たず。
なぜ寒空を飛んでまでこんなことをしているのか。
理由はとても単純。指名されたからだ。
あの日からすべては始まった――。
「君の秘められた魔力量は素晴らしい。ぜひその力を世界平和のために役立ててほしい」
突然現れたその男は、いきなりそんなことを言ってきた。
どうやら彼は異世界からの使者らしいのだが、どう見ても繁華街にいそうなホストにしか見えない。
「これは仮の姿さ。こちらの世界に来て初めて見たのがこんな人間でね。思わずコピーしてしまったのさ」
どうやら外見だけでなく話術もコピーしたらしく、いつの間にかこんな奇妙極まりない使命を課せられてしまったのだ。
「あの、どうせなら妹の方が……」
そうやって、ちっぽけな反対意見を出してみたこともある。
けれど答えはあっさりしたものだった。
「いや、君じゃないとダメなんだ。妹さんには魔力がほとんどないからね。君の百億分の一もないだろう」
君じゃないとダメ。
そんな甘い言葉に乗せられていたのかもしれない。だって最後は自分でも納得してこんなことをするようになったのだから。
そりゃ最初のうちは戸惑ったし、恥ずかしかった。
異世界から現れるという化け物はグロテスクで、ファンタジー世界に迷い込んだのかと思うくらいだ。
「奴らは負のイメージが具現化した存在だ。気持ち悪いだろうが、我慢してくれ」
負のイメージとは、なんだかヌルヌルして目に悪い色をした体をウネウネさせるものらしい。
なんというか、生理的に無理な形をしている。
「大丈夫。君にはその魔力がある。着ている衣装だって、魔力を増幅させる大切な触媒なんだ」
難しいことを並べてくるが、要は魔法で蹴散らせってことだ。
それができるだけの力があるから頑張れと。
「──やあっ!」
魔法の使い方なんてわからないし、教えてもくれなかった。
そもそも、その必要がなかった。
ただイメージするだけで、それが現実になる。
この時は化け物が木端微塵になるイメージを気合いと一緒に飛ばしてみた。プルプルした軟体の破片があちこちに散らばって逆に気色悪い。
「お疲れ様。あとの処理は僕がしておくから、帰ってゆっくり休んでくれ」
魔法で適当に化け物を倒して、彼が後始末をする。それが仕事の大雑把な流れだ。
そして、今日もまた同じことを繰り返す。
──どれだけ適当かというと、化け物との戦闘中なのにこんな回想をしてしまうくらいだ。
だって、イメージしたらはい終了、だもの。
あっさり終わってしまう仕事。これで本当に世界の危機を救えているんだろうか。
いまいち実感が湧かないけど、彼が言うのならそうなのだろう。
「手慣れたものだね。そろそろ僕のサポートもいらなくなるかな?」
「そんなことない。一人じゃ何もできないから」
「ははっ、冗談だよ。これからもよろしくね」
彼が手を差し出してきた。こちらも同じようにして、握手を交わす。
その手は温かく、こうして触れてみてもやはり人間のそれにしか思えない。
「それじゃ、また仕事の時に」
そう言って彼は姿を消した。どうせなら毎日顔を見せに来てもいいのに。
「……はあ」
どこかやりきれない思いを溜息に変えて、家に帰ることにした。
なんだか疲れたし、早く寝よう。
目覚ましのアラーム音が鳴り響く。
──もう朝か。
確か昨日はあの後、帰って来てすぐ眠ってしまったんだった。泥のように眠るってああいうことなのかな。
とりあえず、まだ寝ていたいのでアラームを止める。
「ほら、早く起きないと遅刻するわよ!」
しばらくすると、階下から母親の声が聞こえた。
そうは言っても、高校生になりたての体には昨夜の疲れが大きかったらしい。起きなければと思うのに、体が言うことを聞いてくれない。
「そろそろ自分で起きられるようにならないと困るでしょ? 高校生になったんだから!」
声と同時に聞こえるのは階段を上る音。朝にぴったりな慌ただしい騒音だ。
程なく部屋の戸が開けられた。近付く足音へ小さな抗議の意味を込めて寝返りを打つ。
母親はお構いなしに僕の布団を剥ぎ取って叫んだ。
「いい加減に起きなさい、悠介!」