夜
「耐えきった」
緊張し、張り詰めた精神の糸が緩む。これでぼくも、一歩成長したな……。
小説の内容が気になったが、今は開く気にもなれない。
ケータイで時間を確かめると二十二時を回ったところだった。
「初火からメール来てたや」
受信履歴を見ると二時間前に来た様だ。
「気付かなかったな、もう寝ちゃってるかも」
一応、おやすみメールを返信しようと編集に取りかかった時、浴室から物音がした。
どうやら、かなみさんが出てきたらしい。シャワーだけとはいえ早いな。
ケータイをカバンの近くに静かに放り、さっきと同じ体勢でベッドへ寝転がる。
するとさっきと同じように、かなみさんが浴室から出てきた。ガラス越しに見えた彼女は、ちゃんと浴衣を着ていた。
「……失礼しますね。ご主人さま」
控えめな呟きとともに、かなみさんが布団へ入ってくる。
もう、さっきまでの緊張はない。意識を夢の中へと沈めた。
目が覚めたのは、しかし朝ではなかった。(まだ暗い、……0時を過ぎたばかりか)
ベッドから起き上がり、据付けの時計を眺める。
(早く寝たら、こういう事がよくあるんだよな)
首の後ろを掻きながら、物音を立てないようにトイレへ向かう。 勿論、言うまでもないだろうが普通に用を足すためだ。ホントにそれだけ。
寝室に戻り、布団に入る。かなみさんがだいぶ真ん中まで転がって来てたので、慎重に。
「……陽火さま」
「かなみさん。起こしちゃいましたか?」
隣からかけられた声に応える。
「いえ、少しお話したいことがあるのですけど。よろしいですか?」
「なんですか?」
さっきの話なら遠慮してもらいたいのだが。
「初火さまのことです」
「……初火が、どうかしましたか?」
もしかして、かなみさんはこの一ヶ月の事について知っていたのだろうか。
「昨日の朝出て行かれるとき、久し振りに笑顔でしたので」
「そうですか。まぁ、これからは昔みたいに戻りますよ」
問題は解決したのだから。
「それは良かったです。でも、仲が良すぎるのも少し問題なのでは?」
「そうでしょうか?」
仲は良いのは、別に何の問題も内容な気がするのだが。
「昨日、初火さまの部屋の電気が完全に消えていて、代わりに陽火さまの部屋から豆電球の明かりが漏れていましたが」
よく見てるな、かなみさん。
「昨日は、ぼくの部屋で一緒に寝ましたからね。でも問題と言うほどの事では……」
兄妹なら普通にありそうだし、前までよくやっていたし。
「まぁ、陽火さま達兄妹にとっては普通かもしれませんし、家庭環境が特殊なこともありますが……。でも……」
ここで、かなみさんが言葉を詰まらせた。
「でも、なんですか?」
気になって続きを促す。
「でも、初火さまの気持ちや、陽火さまの性格を含めると一線を越えられてしまう気がしてならないのです」
……否定できない自分がいる。初火は、ぼくのことを好きで、ぼくはその気持ちに応えたくて。
「でも、少なくとも初火が成人するまでは絶対に一線は越えませんよ」
「……成人するまでは、ですか」
あきれたような、諦めたような声で彼女は呟いた。
「かなみさんはいつから知っていたんですか?」
「三年前から知っていましたよ。最初に言われましたから」
「初火に、ですか?」
「ええ。『私はお兄ちゃんの事が大好きですけど、気にしないで下さいね』って。陽火さまも初火さまを大事にしていらしたし、仲が異常に良かったので」
「そうですか。……ぼくは兄として初火が好きでしたけど、初火は少し違っていました。昨日、言われて初めて気がついたんですけどね。でも、ぼくはそんな初火の気持ちを受け入れたいと思っています。今すぐには無理でも」
「そうですか……」
「そうです」
これで話は終わり、というつもりでかなみさんに背を向ける。
「最後に一つだけ。陽火さまが、初火さまの気持ちを受け入れるのは、それでも兄としての責任感なのではないんですか?」
「……わかりません」
ぼくは答えなかった。




