#081 黒リックのスモーク作り
初夏の日差しが湖面の漣に反射してキラキラと金色に輝く。
竿先を見つめるサーシャちゃんも、眩しそうに目を細めながら見ている。
ちょっと前まではアクトラス山脈の山並みをその湖面に映していたのだが、太陽が出ると朝風が吹いてきた。
波が高くならない内に我が家に戻る事にする。黒リックも5匹程手に入れたし、セリウスさんにお裾分けしても大丈夫だ。
「楽しかった?」って聞いてみると、「揺れるのが気持ち良い。」って答えてくれたけど、乗り物酔いはしないのかな?
「初めてカヌーとやらに乗るが、馬車に揺られるよりも快適じゃ。滑るように進むのも気持ちが良いのう。」
お褒めを頂いてしまった。王宮ではこんな船はなさそうだし、どちらかというと危ないから乗らせないんじゃないかな。アウトリガーが付いていればもう少し安定するんだけど、湖ならこれで十分だ。
もし、転覆しても材料が木だから沈まないし、岸にも近い所を進んでいるから、泳げれば問題ないだろう…? サーシャちゃんって泳げるのかな??
そんな事を考えながらパドルを漕いでいると、家の庭の擁壁に着いてしまった。
しっかりと擁壁を掴んでカヌーを固定して、サーシャちゃんを岸に下ろす。そして、ドッコイショっと声を出して獲物のはいった籠を下ろすと、林の岸辺に向かった。
カヌーを岸に上げて籠の所に戻ると、皆が獲物を覗き込んでいる。
サーシャちゃんが得意げに「我が釣り上げたのじゃ。」なんて自慢してるのを見ると微笑ましくなる。
きっと、自慢したくて皆を呼び寄せたんだろうな。でも、トローリングだと魚は向こう合わせで掛かってくれるから、引き寄せるだけなんだけどね。
「サーシャちゃん。2匹貰っていいかな。ちょっと試してみたい料理があるんだ。」
「アキトには助力をして貰っておる。2匹なら構わんぞ。」
一応断っておく。釣ったのは自分だから獲物も自分のだ。って態度が示しているもの。
「姉さん。黒胡椒があったら分けてくれない?」
「ええ、いいわよ。…ところで何を作るの?」
「秘密!」
「ケチ!」って言いながらも、黒胡椒のミルを渡してくれた。
嬢ちゃんずは残りの3匹の始末に悩んでいたが、やがて結論が出たみたいで
家の壁に吊るしてあるソリをジュリーさんに下ろしてもらっている。
ソリに籠を積み込むと、ガリガリと音を立てながら何処かに曳いて行った。
「ルクセム君とミケランさんそれにキャサリンさんに分けてあげるそうです。自分で手に入れたものを自分で食さずに民に分け与える…何とお優しい事でしょう。」
ジュリーさんが涙ぐみながら話してくれた。
気前がいい話だけど、ひょっとして俺の料理を楽しみにしてるだけかも知れない。ちょっとプレッシャーを感じてしまう。
期待に応えられるかは微妙な所ではあるが、早速井戸の傍で黒リックを3枚に下ろす。
その間に姉貴には大きな鍋にお湯を沸かしてもらう。
4枚の切り身を笊に入れて家に入ると、姉貴が「お湯が沸いてるよ。」って教えてくれた。
此処からが問題だ。適当に酒と塩と砂糖そして胡椒を入れてかき混ぜる。甘さは感じないし、かなりしょっぱい。そして、もう一度煮立てる。
「平べったい入れ物が欲しいんだけど…」
「そうですね…これしかありませんよ。」
ジュリーさんが出してくれた物は、楕円形の浅い桶だった。何か衛生的に問題ないかな。
「これに、切り身を入れてあの鍋の塩水を入れたいんですが…これって、汚くないですよね。」
「【クリーネ!】…はい。これで、嘗めても大丈夫ですよ。」
驚いた。いきなり魔法だもんな。でも【クリーネ】って確か汚れを取る魔法だったから、結果的には問題ないと思う。
ついでに流しに氷を作ってもらった。そこに鍋を置けば直ぐに冷えるはずだ。
桶に切り身を入れて、鍋の塩水を入れる。その上に布を被せて、さて…どれ位待つんだっけ、とりあえず夕方まで漬けておこう。
大きな木箱に残った氷を入れてその中に木桶を入れる。
それらが一段落した頃、嬢ちゃんずがソリを曳いて帰ってきた。
「今夜の料理を楽しみにしておるぞ。」
テーブルでお茶を飲んでいる俺の脇を通りしなサーシャちゃんが呟いた。
「今夜はまだ無理だよ。早くて明日の夜まで待って欲しいな。」
俺の言葉を聞いて、ちょっとガッカリしたようだが直ぐに顔を上げて、「明日の晩じゃな。楽しみじゃ。」と言うと、皆でスゴロク遊びを始めた。
そして夕方、桶から笊に切り身を移し、桶を井戸水でよく洗い、今度は水に漬けて塩抜きをする。
後は、【クリーネ】をしてもらった布で水気を拭き取り、大きめの木箱に吊るす。木箱の回りは大きな氷で取り囲んだ。
氷はジュリーさんに頼んで【シュトロー】で作ってもらった。本来は氷の槍だけど、太さ10cm長さ50cmの円錐形の氷は結構役に立つ。
「サーシャの魚は出ぬのか?」
「まだのようじゃ。準備に手間が掛かるようじゃ。明日の夜になると申しておった。」
アルトさんとサーシャちゃんの会話はちょっと引いてしまうけど、アルトさん、昨夜の魚スープを期待していたようだ。
そして、次の日。
すっかり水気の抜けた切り身に薄く塩と黒胡椒をふりかける。そしてバーべキュー炉の隣に作ったスモーク台に運んだ。
高さ1.2mの木の箱みたいだけど、前の扉を開くと上部に横木がある。そこにあるS字状の針金に切り身を吊るす。
陶器作りの時に作っておいた蓋付き土鍋モドキを取り出して、家に戻る。
土鍋の底に灰を入れて暖炉から火のついた炭を1個入れると、急いでスモーク台に戻った。
そして、暖炉脇で乾かした木の切片を大量に入れると蓋を閉める。蓋にあけた穴から煙が出始めた。
土鍋をスモーク台の下に置くと、箱の中の四隅に氷を立てると、台の前扉を閉めた。
しばらくすると、木箱の下の方から煙が出てくる。
後は、待つだけだ。
ベンチに腰掛けてのんびりと釣りをしながら、スモーク台の煙の状態をたまに見る。余り煙が出るのも好くないし、煙が止まってしまってはスモークは失敗だ。
「どんな具合なの?」
姉貴がコーヒーをカップに入れて持ってきてくれた。
「さぁ、どうなるのかな。前に作っているのを見たことがあるだけだから、余り期待しないで欲しいな。」
ありがたくカップを受取り、早速口をつける。コーヒーは少し薄くて甘い。コーヒーには砂糖は邪道って言う人がいるけど、それは勿体無いと思う。甘いコーヒーこそコーヒー本来の味と香りが楽しめる。
「さっき嬢ちゃんずが帰ってきて、今夜セリウスさん達が来るって言ってたわ。きっとサーシャちゃんのことだからアキトの料理の話はしていると思うよ。」
「場合によっては、釣れた魚を焼いて出せばいいと思うけど、あまり期待されてもなぁ…。」
「ところで、後どれ位かかるの?」
「そうだね、昼位でスモークを止めて、冷温貯蔵かな…夕食には出せると思うよ。でもどんな味かは食べてみないと判らないよ。そうだ!戻ったらジュリーさんに氷を頼んどいてもらえないかな。昼過ぎに欲しいって。」
姉貴は、「分かった。」って言いながら家に戻っていった。
今日は、余り釣れなかった。昼にミーアちゃんが「昼食だよ。」って知らせに来た時までに釣れたのは4匹…。もうこの近くにはいなくなったのかも知れない。
サラダと黒パンそしてお茶が昼食だ。
「夕食には間に合いそうか?」
黒パンをモグモグ食べながらアルトさんが聞いてきた。ちょっと行儀が悪いぞ。
「ギリギリかな。味は保障しないよ。実験みたいなものだから。」
「出来るならよい。我はハンターじゃ。食用なら少しぐらい味が悪くても問題はない。」
凄い言われようだけど、最初だからそんなことになる可能性もある。
昼食後にジュリーさんが、「頼まれたものです。」と笊に入った氷をくれた。
早速、スモーク台の所に行く。
もう、煙は出ていない。木箱の前扉を開いて土鍋を取り出す。蓋を開けると、あれほど入れた木の切片が綺麗に炭化していた。
前蓋を開けたまま木箱の四隅に氷を追加する。朝入れた氷はすっかり溶けてしまっていた。
風が通るように木箱の後ろの扉も開けると両側の扉にスダレを付ける。こうしておけば虫も入れないだろう。
後は、氷と風が味を決めるだろう。黒リックの切り身は綺麗なあめ色に変化していた。
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夕方になり、スモーク台から切り身を外して笊に入れる。
早速家に入ると流し台で姉貴にセラミック包丁を借りると、早速料理に入る。
大きな浅い木の皿にタマネギを薄くスライスして敷き詰める。そして、その上にスモークを薄く切って花びらのように並べる。中心には数片の切り身を蕾のように丸めて飾りつける。
同じような感じで3枚の皿に盛り付けた。皆に出す前に、油と酢と砂糖それに黒胡椒を入れて作った特製ドレッシングをかければ出来上がりとなる。
とりあえず、大きな木箱に入れて氷で冷やしておく。
「終わりましたか?…それでは後を引き受けます。」
傍で、俺のすることをジッとみていたジュリーさんが、大至急で夕食の準備を始めた。テーブルで見ていた姉貴も慌てて飛んできてジュリーさんの手伝いを始める。
しばらくして、扉をトントンと叩く音がした。
暖炉脇でスゴロクをしていたミーアちゃんが、パッと立ち上がると扉に走っていく。どうやら来客らしい。
「お邪魔するぞ。」
そう言って入ってきたのは、セリウスさん夫婦と双子のあかちゃんそれにキャサリンさんとシャロンさんの姉妹だ。
「これは差し入れだ。良い物が思い浮かばなくてな。」
「私はこれです。さっき焼いたばかりですよ。」
セリウスさんが持ってきたものは小さな酒樽。そしてキャサリンさんは黒パンだった。
「さあ、どうぞ座ってください。」
6人が十分に食事が取れるほどの大きなテーブルだけど10人には少し狭いみたいだ。それでも椅子でテーブルを囲むようにしてどうにか座る。
セリウスさんの持ち込んだ酒をカップに入れて嬢ちゃんず以外に配る。アルトさんがちょっと膨れていたけど…その姿ではね。それに配ったのがジュリーさんだったから文句を言えないのかも知れないけど。
姉貴が細長い木の筒を一生懸命に振っている。それを俺が作った料理にふりかけると皿をテーブルに運んできた。
「これは、黒リックだな。だが焼いた跡がない…生なのか?」
「生と言われればそうですけど、れっきとした俺の国の料理ですよ。ただ、見ていただけなので自分で作ったのは初めてなんです。」
「どれ…」と、セリウスさんがフォークで切り身の一片を口に入れる。
モグモグと味わって、おもむろに傍らのカップを一口飲んだ。
「…実に酒に合う。焼き魚も好いがこれは別格だ。塩味と辛味が黒リックの甘みと好く合っている。それに、この微かな木の香り…どうやって作ったのだ?」
何か、レストランの鑑定人みたいな批評をセリウスさんがしたので、全員が一斉にフォークを皿に伸ばした。
モグモグとしばし咀嚼の音だけが続いた。
「結構いい味だよ。山のレストランと同じ位。」…これは姉貴。
「初めての風味ですね。ホントにお酒に合います。」…これはジュリーさん。
「期待通りであったな。王宮の料理人に欲しいぐらいじゃ。」…これはサーシャちゃん。
どうやら、皆の受けは良いようだ。俺も一口食べてみる。柔らかい舌触りと微かに木の香りが鼻に抜ける。食べると少し塩辛い中に黒胡椒の辛味と黒リックの甘さが伝わってくる。次に作る時はもう少し塩を控えれば良いかな何て思ったけど、おおむね成功と言えるだろう。
「でも、不思議です。焼いていないのに、何故木の香りがするのでしょうか?」
「それはね。これは煙で燻して作る料理だからですよ。スモークという料理です。」
「煙で料理が出来るとは…是非覚えたいものだ。」
「私もです。お願いします。」
「そうですね。ただ、季節が問題なんです。今回はジュリーさんがいたので氷を大量に用意してもらい何とか形になりました。狩猟期が終わった後から春先までがこの料理の季節です。その時には手伝って貰いますから、皆さん覚える事が出来ると思いますよ。」
そんな事を話ながら、3つの皿に持った黒リックのスモークサラダを皆が食べている。
ミケランさんが双子の赤ちゃんにも食べさせてるけど大丈夫なんだろうか?まぁ、骨はないし柔らかいけど、味付けが強すぎないかな。ちょっと心配だ。
でも、2人とも小さく切ったスモークを美味しそうに食べている。歯はだいぶ揃ってきたみたいだ。