#078 カヌーでトローリング
夕食後、テーブルでジュリーさんの入れてくれたお茶を飲む。
カップはもちろん木のカップだ。
それをしげしげとアルトさんが見つめている。
「せっかく作った陶器とやらは使わんのじゃな…」
「陶器は手元が狂って落としたりしたら割れちゃいます。このカップのほうが遥かに丈夫ですから。」
陶器は作ってみたもののどうやら装飾品になりそうだ。
この世界で陶器の食器を使いはじめるのには、ずっと先になるだろう。
何といっても供給量に限界がある。大規模に窯業をする事業についてはトリスタンさん達に任せれば何か策を考えてくれるだろう。
中国や日本でも国家事業として窯業をした時代もあったのだから。…でも、その時代の庶民の食器は何だったんだろう。ちょっと気になるけど調べようがない。
「でも、あの値段で商人達に渡して問題ないのですか?」
ジュリーさんが心配そうに聞いてきた。
「原価を教えた方が遥かに問題がありませんよ。…あのパン籠に金貨200枚ですよ。どう考えても異常です。無駄に金額を上げて希少価値をアピールすることはしないほうがいいとおもいます。それでも、流通量が限られていますから面白い使い方ができると思いますよ。」
1個銀貨2枚程度なら、セットにしても銀貨50枚を越える事は先ずない。商人達も仕入れ値の100倍の金額を着けることはないだろう…精々10倍程度。
しかし、それを購入した者が市場にそれを売りに出す時はいったいどの位の値が付くだろう。
上流社会とかいう世界に住んでいる人達は競って、ラジアンさんとケルビンさんの関係を密にするだろうし、その橋渡しをしたトリスタンさんの立ち位置は急上昇することになる。
次期国王だし…影響力を強化する事に問題はないはずだ。トリスタンさんが2人の御用商人を連れてきた理由もそんなところだろう。
「大金が手に入るのをみすみす逃すのは…勿体無い話ですね。」
「それは、考えないでおきましょう。でも上手く立ち回れば貴族の影響力を削ぐことが出来ますよ。彼等の欲によってね。」
「廉価の商品を高価な値段で取引するのを黙認するのじゃな。…なかなか面白い事が王都で起きるような気がするぞ。」
「笑い事ではありません、貴族の中には没落する者も出る可能性があります。」
「それこそ、兄の狙いではないのか?…我は兄の苦悩を少しでも軽くしたい。確かにこの陶器作りはこの村の仕事を増やすことになる。それは、村の発展にも寄与で来るじゃろう。だがの…この陶器のカップで茶を飲む事が村人に出来ようか?…銀貨2枚じゃぞ。ならば、兄の国政運営に寄与するほうが得策じゃ。兄達はアキトの言うほど安くはしまい。その差額は国庫に入り、兄の政策資金となるのだ。兄のことじゃ、殆どを福祉に廻すことになると思うがの。」
「そこまでお考えならばその件については申しあげることはありません。でも、問題が2つあります。1つは陶器の製作を他の者が計画した場合。そして、この村にたいする盗賊の危惧です。」
アルトさんはどうなのじゃ、って感じの目を俺に向ける。
「陶器の模擬は数年では無理でしょうね。ある程度の原理というか、何故この工程が必要なのかを理解できれば可能なのでしょうが…。俺達が初めて陶器を焼いて製品として半数が残った事は、俺にも信じられないくらいです。何故、斜面に窯を作るのか。何故、多段に室を設けるのか。何故、火力をあのように上げるのか。そして、その時の火力を何によって知るのか…登り窯を見ただけで理解できる者はおりません。更に、焼く製品の前処理はその前に終わっています。劣化版の陶器すら数年はかかると思いますよ。」
「でも、それだとジュリーさんが言っているように盗賊の危険性が増すことになるわ。」
姉貴が呟いた。
「それは気にせずとも良い。何せ村での売値が安い、村に大金は残らんからの。それに、陶器は割れやすい。乱暴に扱う事などできぬ。…すると、盗賊としては陶器の搬送中を襲うことになろうが、そこには御用商人の私兵が大勢付いておる。」
トリスタンさんの事だ、逆に見せかけの陶器搬送を行なって盗賊に襲わせて一網打尽なんてことを計画するかも知れない。
そんなことで、俺達の陶器作りは一段落となった。
次は冬だから、狩猟期を過ぎてから準備始めても遅くはないだろう。
「アキト、昨夜は世話になった。礼を言う…。」
アルトさんは、俺にそう言うとさっきから暖炉前で待ちあぐねている2人の下に行った。
早速スゴロクを始めたのだが…。
「アキト、気づかれてたの?」
「いや…たまにミーアちゃんがキョロキョロしてるのは見えたけど、200m以内には近づかなかったし、迷彩ポンチョだって被ってたよ。」
俺の言葉を聞いてジュリーさんが首を振る。
「猫族の勘はとても鋭く、その勘を元に姫様が気配を読めば200mでは誰がひそんでいるかおおよそ見当がつきます。…バレバレでしたね。」
「そういえば、帰って来た時、ぐっすり眠れたって言ってたけど、あれってアキトが近くで見守っていた事を知ってたんだね。」
恐るべし、ミーアちゃんの勘の良さ、そしてアルトさんの気配の読み方。あの3人に待ち伏せは効かない。俺と姉貴の組み合わせだと絶対無理だ。
ジュリーさんによれば、猫族でもハーフの方が勘に優れているそうだ。
「小さい時から薬草採取をしていたと聞いております。勘がよいのはその時に磨きがかかったんでしょうね。」って解説してくれた。
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次の早朝、皆が起きだす前にロフトを下りて、テーブルで釣りの仕掛けを作る。
ようやく完成したカヌーだが、まだ使用していない。
具合を確かめるついでに、ちょっとしたトローリングをしようと思っている。
トラウト用のルアーとスプーンに10m程の釣り糸を結び更に紐で延長する。これを短い竿の先に針金で輪を作ったものにくぐらせ、カヌーの両側に1本づつ出して静かに漕ぎ出せばりっぱなトローリングだ。
仕掛けが出来た時に起きてきたのはミーアちゃんとジュリーさんだった。
ジュリーさんに訳を話して、早速ミーアちゃんとカヌーをリオン湖に浮かべることにした。
カヌーは長さ4.2m、横幅が60cmの大きさだ。乗るだけなら3人位は乗れるだろう。
湖面に浮かべると20cm位の高さで浮ぶ。早速、前にミーアちゃんを乗せて、絶対に立たないでね、って念を押しておく。
道具をカヌーに積んでゆっくりと姿勢を低くして俺も乗り込んだ。
パドルで湖面を漕ぐと滑るようにカヌーが進んでいく。
岸辺を離れると水の色が濃くなる。一気に水深が増したのだ。
この季節の魚は、湖面から数m下の水温が急激に変化する層を回遊しているはずだ。
早速、短い釣竿を出して、ルアーとスプーンを沈め、紐をどんどん伸ばしていく。
「ミーアちゃん。もし釣れたら、反対側の紐を手繰り寄せといてね。でないと、紐がからんじゃうから。」
「分かった。でも釣れるかにゃ。」
俺の言葉が信じられないようだ。でも、家の庭からでも大物が釣れたのだ。絶対この湖には更なる大物が潜んでいるに違いない。
そして、突然竿が絞り込まれる。グイグイと竿先を引き込んでいる。
ミーアちゃんが慌てて反対側の紐を引き寄せている。
引いている竿を取り上げて感触を確かめる。…グングンと手に伝わる感触は大物だ。竿の弾力を利用しながら少しづつ紐を手繰る。
「ミーアちゃん。もう少ししたら、そこにある網をゆっくりと水の中に入れてくれないかな。そして、俺がその中に魚を入れたら、直ぐに持ち上げてカヌーに魚を放り込んで欲しいんだけど。」
「分かった。網ってこれにゃ。」
ミーアちゃんは俺が作った大きな網を持って待ち構えてる。
少しづつ紐を手繰り、今は釣り糸になっている。もう直ぐだ。
「ミーアちゃん、網を入れて。」
ミーアちゃんが静かに網を俺の傍に沈める。
そして、黒く見えてきた魚をゆっくりと網の方に誘導していく。
「今だ。上げて!」
ミーアちゃんが網を上げる。でも魚が重くて上手く上げる事が出来ないようだ。網の柄を受取ってカヌーの中に魚を放り込む。
セリウスさんが黒リックと言っていた魚のようだが、大きさは60cm位ある重量も4kgはあるだろう。
ミーアちゃんはあまりの大きさに吃驚しているみたいだ。
トローリングって意外に大きな獲物が掛かるし、ルアーだと30cm以下の魚は先ず食いついてこない。
また、釣り糸を伸ばして次の獲物がかかるまでゆっくりとパドルを漕ぐ。
そして、俺達が家に戻る時には3匹の獲物を確保していた。
ゆっくりと擁壁にカヌーを寄せてミーアちゃんを下ろす。その後にカヌーを林の方に移動して浅瀬に付け、岸に引き上げる。
道具はこのまま残して、獲物の鰓に指をいれ家に持ち帰る。
扉の前に立ち、「開けて!」って言うと、ミーアちゃんが扉を開けてくれた。
俺が下げてきた魚をみて皆が驚いている。早速ミーアちゃんが運んできた桶に魚を入れると、また外に出て、井戸で手をよく洗う。
家に入ると、テーブルで皆が待っていた。
「何故、我等を連れて行かなかったのじゃ。」
「どうやって獲ったの?」
「どう料理しましょうか?」
色々とあるようだ。
「カヌーで釣りに行ったんだ。トローリングをしたらあの成果だった。」
「あれだけ大きいと、いろんな料理が出来そうね。…でもレンジが無いか、残念。」
「しばらくミケランさん達も魚を食べていないだろうから、1匹はおすそ分けしようと思うんだけどいいかな?」
「2匹あれば十分です。今夜は魚のスープにします。」
ジュリーさんに断言されてしまった。俺としては、バーベキュー台の脇に作ったスモーク台でスモークしたかったんだけど、まぁ、それは次の機会に順延だ。
朝食は俺とミーアちゃんだけが取っていなかったようだ。
ジュリーさんが早速用意してくれた。
嬢ちゃんずはミーアちゃんの朝食が終わった後に、籠に魚を1匹入れてセリウスさんの家に出かけた。
たぶん双子の子守をスゴロクをしながらするつもりなんだろう。スゴロクも布に包んで籠にしっかりと入れていた。
朝食後にギルドに出かけてみる。
前回はここで嬢ちゃんずと出合ったのだが、今日のギルドは静かだった。
早速、依頼掲示板の期限切れ寸前の依頼書を探す。
そして、見つけた依頼書は…
ダラシット狩りだ。
西の沼地のダラシットを退冶すること。討伐証は魔石とする。報酬は銀貨3枚。
ダラシットが何かは不明だが、レベル的には黒3つ…。
今、俺達は黒5つだから、姉貴と2人でも何とかなりそうだ。
カウンターのシャロンさんに依頼書を渡して確認印をドンと押して貰い急いで我が家に帰った。
「姉さん、依頼を取ってきたよ。」
どれどれって姉貴が依頼書を見る。そして早速、図鑑でダラシットを調べ始めた。
ウェ!って姉貴が顔をしかめてる。
姉貴の後に廻って肩越しに図鑑を覗く…
それは、カタツムリというものだと俺は思う。ただ、一緒に描かれている人型と比べると殻の直径が2mはありそうだ。
そして、注意書きには…殻は石並みの硬さ。動きはガトルよりやや劣る。口先より槍状の舌を20D程伸ばす事が出来る。その槍の毒はガルマン蜂の毒より強力。
急いで、ガルマン蜂を探すと、毒を調べる。刺されて10歩進む間に全身に毒が廻る。毒は麻痺毒。
そう言えば、百歩蛇って言う名前の蛇がいたな。って現実を無視した思いが浮ぶ。
「今度はダラシットですか…黒3つは、最低でもこれ位ないと傍にも寄れないと取るべきでしょうね。」
面白そうに俺達を見ていたジュリーさんが依頼書を手にとって呟いた。
「ジュリーさんは、ダラシットを狩った事があるんですか?」
「ありますよ。接近しないことが肝心です。離れた場所から魔法で倒すことがダラシット狩りの基本です。そして、魔石はこの殻の中心にあります。硬いですから、ハンマーを持っていくのが良いでしょう。」
そうか。俺達は接近して切る、または遠くから撃つという事を基本に考えているけど、遠くから焼き殺すことでも可能なわけだ。
でも、俺は遠距離攻撃魔法なんて持ってないぞ!
「どの位、魔法を使う事になりますか?」
「そうですね…【メル】を5発、【メルト】なら2発、この頭に集中的に当てる必要があります。そうすると一時的に体を殻に引っ込めますから、全体を【メルダム】で焼くのです。これを2回繰り返せば殆ど殺す事が可能でしょう。」
「私、【メルト】と【メル】しか出来ません。アキトは攻撃魔法は出来ないですし…」
姉貴がジュリーさんに訴えている。
「…でしたね。では、【メル】で体を引っ込ませた後で【メルト】を数発。しばらくして顔を出したら、同じ事の繰り返し。これを数回繰り返して顔を出さなければ退冶したと考えてもいいでしょう。…繰り返しますが、絶対に近寄らない事。これは毒もそうですがその槍は鋼と同じ位鋭いのです。攻撃前に解毒剤を飲んでおく事を忘れないで下さい。」
そんな訳で、俺達は物騒なカタツムリを退冶に姉貴と出かけることになった。
近接戦が出来ないので、この間借りたkar98kを俺が持つ。それとハンマーが俺の新たな装備だ。姉貴は何時もの装備だけど、爆裂球を持っていくようだ。俺にも2個分けてくれた。
そして、後をジュリーさんに頼んで、西門に向かって歩き出す。
山への小道を進み、森の手前で西に曲がって進めば小さな沼があるとシャロンさんに聞いている。その周囲が西の沼地と呼ばれる場所だ。