#075 初窯は神頼み
アクトラス山脈の中腹まで雪に覆われた春に工事を始めた登り窯の製作は、日干しレンガ作りと丘の斜面の整地に一ヶ月を要してしまった。
当初は20人規模で働いてもらった村人も、今は10~15人程度で交替で仕事を請けているみたいだ。建設工事というのはどうしても工程を通して人数を一定にはできない。
忙しい時と、数人で行なう緻密な作業が不特定に発生するのだ。
ある程度先を見越した工程表を作り、マケリスさんに人数の調整を一任している。
数日間隔で工程の進捗を皆で話しあいながら、問題点があるかないか意見を出し合うことにした。
「いよいよ明日からレンガ積みを開始できそうです。…ただ、この所いい天気は続いていますが、『種蒔きが終われば雨』の言葉もあるくらいですから、雨対策を合わせて行なうべきでしょう。」
マケリスさんが丘の上を指差して言った。
確かに、昔写真で見たことがある登り窯には屋根がついていた。
しかし、屋根を作るとレンガ積みの邪魔になりそうなので後回しにしていたのだ。
「屋根を作ることは考えていましたが、レンガを積んでからではダメでしょうか?」
「この季節では長雨にはならないと思いますが、元は土ですからあまり濡らしたくはありません。」
「本格的な屋根ではなく、仮屋根でどうだ。…布を引いて防水塗料を塗れば雨は防げる。その上に後から板張りをすればいい。」
セリウスさんの意見を取り入れて、整地した上から2段目までの仮屋根を作り、レンガ積みは煙突部を先に作ることにする。
また、煙突には屋根を設けられないので外側は暖炉の煙突みたいに石で被って漆喰で固めることにした。
登り窯は全部で4室の構造を持つ。
最下部の1段目は火を焚く燃焼室だ。2段目と3段目に作品を入れ、4段目は3段目の温度を下げないために設ける蓄熱室となり最上段に設ける。この蓄熱室に直結するのが煙突だ。
蓄熱室と煙突の間の煙道を1m程離せば、仮屋根工事と干渉することは無いだろう。それに煙道を設けることで蓄熱効果を高める事も期待できそうだ。
「では、煙突のレンガ積みに5人、仮屋根の作りに10人でいいでしょう。屋根作りは森から木材の切り出しを行なうので、どうしても人数が多くなります。」
「レンガ積みはアキトに任せる。俺は仮屋根を担当しよう。」
マケリスさんの人数調整の後にセリウスさんが担当を決めた。
「私は…森の調査をするわ。ジュリーさんといっしょでいいでしょ。」
「それでしたら、ミケランさんも誘いましょう。危険な獣は山に戻っていると思いますが、猫族の勘の良さは定評があります。」
そんな話で、次の日の作業の段取りが決まる。
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そして、煙突のレンガ積みを開始する。
長さ3.6mの棒を4本用意して先端は45cmの四角の枠の角に固定し、下部は75cmの四角の枠の角に固定する。
この柱の作るテーパーをなぞるようにレンガを積むのだ。表面はデコボコするけど、あとで石を張るから目立たなくなる。
蓄熱室との煙道は30cmの高さで開口部を45cmとした。
日干し煉瓦は収縮して寸法が少し不揃いだが、粘土で接着しながら四方に積み上げた高さが同じになるようにする。
1日で身長分ほど積み上げることができた。
明日は足場を組み最上部まで積み上げる。この調子で進めば後5日程で煙突は完成するだろう。
少し低いように思えるが、各室の段差を60cmとすれば、実質的には6m以上の高さを持つ煙突となる。十分に煙突効果を発揮してくれるだろう。
下を見ると、セリウスさんの監督の下で、屋根を支える柱と屋根の枠が出来上がりつつある。屋根のグシとハリに細い丸太を渡して布を張るのだろう。
あの調子では此方の煙突が出来上がる頃には第4室のレンガ積みを始められそうだ。
今日の煙突のレンガ積みを終えて丘の下の焚火で皆を待つ。
食事を作るおばさん達も鍋を洗い終えて帰ったようだ。薪を追加して焚火の勢いを増すと、ポットを三脚に吊るしてお茶を沸かす。
森の方に人影が見えてきた、姉貴達が帰ってきたようだ。
丘の上からはセリウスさんとマケリスさんがやって来る。
急いで皆のカップを用意しておく、お茶は沸いたみたいだ。
「煙突の方は、順調みたいだな。」
俺が差し出したお茶のカップを受取りながらセリウスさんが言った。
「足場を組まないと上のレンガ積みができませんので今日はあそこまでです。後5日程度で完成しますよ。」
「なら、丁度いい。俺の方もそのタイミングで下の方に移れそうだ。」
「では、人の手配も今日の人数でいいですね。」
マケリスさんが俺達の話を聞いて確認してくる。
「俺達の方はそれでいいが、ミズキの方は何かあるか?」
「私達の方は大丈夫です。森の奥にまで足を伸ばしましたが、獣はいませんでした。念の為に、近場をアルトさん達に巡視して貰いましょう。昼食前と後の2回もすればいいと思います。」
そういえば、嬢ちゃんずは本日は双子の子守だったもんな。ここまでスゴロクを持ってきて遊んでいたけど、やはりあの年頃には体を動かすのが一番だと思う。
嬢ちゃんずは早々と家に帰ったようだ。
この頃は、オムツ交換も3人でやってるし、パン粥作りも中々上手くなってきた。ミケランさんもそんな事を知っているから安心して預けていられる。
「家にいてもつまらないにゃ。明日は此処で様子を見てるにゃ。」
ミケランさんはそんな事を言ってるけど、本当は此処にいれば昼食付き、子守もおばさん達に少しは替わってもらえることに味をしめたみたいだ。
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更に一月が経過した。もう、アクトラス山脈には最高峰に雪が残るだけだ。あれは万年雪だから解けることはないってキャサリンさんが言っていた。
登り窯は4室とも壁を作ることができた。
窯の天井を作る際に今までの日干し煉瓦では厚さがありすぎるので、急遽半分の厚さのレンガを作ることになった。併せて今までの大きさのレンガを作る。やはり300個では足りなかった。
日干しレンガのできるまでに、カマボコ型の天井アーチの木型を作る。
それを蓄熱室に組み上げてレンガをアーチ状に張り合わせる。当然レンガの上部に隙間が開くので、レンガを割って粘土と一緒に叩き込む。そして粘土で全体を被う。
10日程放置して木型を取り去ると、何とかカマボコ型の天井を作ることができた。
同じような作業を順々に3室作ればいいわけだが、全てを終了するのに更に2ヶ月を要した。
各室には片側に人が入れる入口がある。燃焼室と蓄熱室の入口はレンガをただ積み上げ表面を粘土で軽く被っただけだ。
燃焼室には薪を井型に積んで入り口を閉じている。
2段目と3段目には姉貴達が作った皿やカップをレンガでできた棚に並べてある。
そして入口を閉じると、後は製品を見るまでは中の様子は薪の投入口でしか確認できない。
2段、3段目の薪の投入口付近に薪を高く積む。
燃焼室の投入口の後にも一冬暖炉で使う程の薪を積み上げた。
姉貴達が慣れないロクロを回して粘土を成形し、干し固めた皿やカップはちゃんと陶器になるのだろうか…綺麗な色が着くのだろうか…
全ての準備ができた。
しかし、始めるためにもう1つ準備したいものがある。
夕食後、何時始めようかという相談をしていた時のこと。
「ジュリーさん。確か王国に火の神殿があると聞いた事があるんですが…」
「ありますよ。それが何か?」
「実は、火の神の祝福が欲しいのですが、できれば形のあるものが欲しいのです。」
「あぁ、あれね。私も聞いた事があるわ。上手くできますようにってお祈りするのよね。」
「この王国でもそれに似た話はありますよ。鉄を作る炉に火を入れる時等に火の神殿から神官が派遣されることがあります。…ははぁ~、なるほど。神官に見られるのは嫌だけど、火の神の祝福は欲しい…たぶん護符と聖油を頂けるでしょう。ひょっとして神の像も欲しいですか?」
「ご利益がありそうなら何でも欲しいです。あぁ、それと地の神殿からの祝福も可能でしょうか?」
「大丈夫です。この国を含めて多神教ですから、どのような神を信じても問題はありません。確かにこの計画は火の神の祝福と地の神の祝福を必要としますね。」
ジュリーさんは明日にでも王都に出かけると言ってくれた。
「ハンターが神を信じるとは…まぁ、人様々ではあるがの。」
アルトさんが呆れてるけど、信仰は必要ですよ、ってジュリーさんが諌めている。
確かにアルトさんの言う通りではあるのだが、俺と姉貴がこの世界にいるのだって姉貴の願いを神様が聞いてくれたからなのだ。
それまでは、神なんて信じていなかったけど、やはり自信が無いときには信じられるものが欲しいのは俺のわがままなんだろうか。
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ジュリーさんは10日程して俺に、金属製の2つの神像と護符、聖油と聖土を持ってきてくれた。
関係者を全員我が家に集め、火入れを行なう事を告げた。
ジュリーさんに、日を選んで貰うと前の世界と同じように日の良し悪しがあるのだそうだ。
「2日後は、火の神が私達に火を使う事を教えた日になります。その日が宜しいでしょう。」
その言葉に、俺と姉貴とミーアちゃん以外は頷いた。
皆知っているのかな?でも、火の神に繋がる日なら問題ないだろう。
「では、火入れを2日後の昼に行なう。それと、一旦窯に火を入れたら7昼夜連続して火を焚くことになる。最初は穏やかに、3日目からは勢いよく、6日目からは激しく…そして8日目に火を止める。一応、俺が最初から最後まで窯の隣の休憩所にいるつもりだけど、たまには様子を見に来て欲しい。」
「手伝いは何人ほど必要ですか?」
「3人位でいいと思う。でも7日間だから、交替できるといいな。」
「手配しておきます。」
「食事はどうするのだ?」
「姉貴達にお願いしたいんだけど…」
「様子見がてら、交替で世話してあげる。」
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そして、いよいよ火を入れる当日となった。
全員が見守る中、ジュリーさんが炊き口のある燃焼室の上に2体の小さな神像を置くと、聖油を投入口に聖土を窯にかける。そして2枚の護符を投入口から窯の中に投入する。
全員が黙祷し、火の神と地の神に計画の成就を祈る。
投入口近くに粗朶を積み火を点ける。
粗朶が勢いよく燃え上がり燃焼室内に積んだ薪に火が回る。
そして、登り窯の各室に設けた小さな穴から煙が出始め、外を見ると、丘の上に作った煙突から、黒い煙が勢いよく噴出し始めた。
「最初は、窯を暖める。2日間は燃焼室内の薪をこの程度に燃やす事にする。各室の穴の状態もよく見ておくんだ。炎が吹き出るようなら、燃焼室の薪を減らす事。いいな。」
俺は、今日の当番の村人に言った。
窯は日干しレンガで作ってある。一気に温度を上げると内部の水分がレンガを割る可能性があり、大規模に発生すると窯が崩壊する。それに、製品の割れを起こす可能性も高い。
先ずは、ゆっくり温度を上げることが肝心だ。
皆が帰った後は交替で窯の穴の状態を見ながら薪を投入する。
暖炉の火を大きくした位の火だが、これを持続できるようにするには結構工夫がいる。
火の勢いが強い時は、投入口の下にある空気の導入口を閉じたり、燃焼室の中を鉄の棒で薪を散らしたりしながら、火力を調節する。
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3日目を迎えると、窯の表面を手で触るとかなり熱い。窯の表面には一面に小さなひび割れが発生しているが、そこから煙がでるようなことはない。
いよいよ、本格的に火力を上げる。
燃焼室の空気の導入口を全開にして、投入口から薪を次々に投入する。
煙突から上る煙が段々と無色になってきた。
それを合図に、全員で2段目、3段目に薪を投入する。
投入すると同時に薪が燃え上がる。
各室、左右共に10本づつ投入して様子を見る。
煙突から出る煙がまた黒くなる。それが無色に変わり始めた時を狙って、また薪を投入する。
数回程繰り返すと、2段目と3段目の穴から炎が噴出した。
噴出した炎の高さが半D位になるように投入する薪を調節する。
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5日目を迎えた。窯の表面は、手を触れると火傷をする位に熱くなっている。2段、3段目の穴から噴出る炎も半D位で安定している。
いよいよ最終的な火力上昇を図る。
燃焼室の薪の投入量、格段の薪の投入量を一気に1.5倍程に増やす。
格段の穴からは1D位の炎が噴出し、煙突からも煙に変わって炎が上がる。
夜になると、噴出する炎と煙突からの炎が登り窯をボンヤリと照らし出した。
幻想的な風景にしばし我をわすれて見とれてしまう。
それでも、村人がせっせと薪を投入していく。
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そして、火入れをして8日目、俺は新たな薪の投入を停止させた。
全ての薪の投入口を閉じて、空気の導入口だけを開いておく。
空気導入口に向かって風が激しく吹き込んでいく。そしてしばらくするとその風がおさまってきた。
窯の内部の薪が全て燃え尽きたのだ
後は、ゆっくりと窯を冷やすことにする。