後日談 1-09
まだ夜が明けるには程遠い時間、サーミストの東の大森林地帯から北に向かって男達が駆け出しました。
時を同じくしてアトレイムの南にある修道院の東の森からも男達が溢れだします。
こちらは2つに分かれてますね。半分が北の王都を目指しています。残りは西に向かって進んで行きました。
そんな状況をネウサナトラムの小さな家のリビングでジッと眺めている人達がいます。
「ついに動いたようじゃ。それにしても、だいぶ手勢を集めたものじゃな」
「モスレム王都に800。アトレイム王都には300ですが、修道院に400が向かっているぞ」
「対するサーシャちゃん達は中隊規模ね。後ろに控えてるアテーナイ様達が100だから、およそ2倍の敵なんだけど…。これでは、演習にもならないでしょうね」
「でも、シグ様の方に向かった敵は400です。クローネさんが王都へ向かう賊を相手にするなら5倍ですし、エイオス殿にしても4倍になります。やはり、シグ様の方に救援に向かわれては…。」
心配そうにジュリーさんが言いました。
でも、腕に抱いた赤ちゃんには笑顔を見せてます。
「エイオスなら心配ない。果樹園の手前で防衛戦を考えてる筈だ。そして、果樹園に逃れてもユング達がいる。修道院に入れる賊は1人もいないだろうね。
そして、アトレイムの王都は堅固な城壁で守られている。内部に呼応するものがいなければクローネさんが少しずつ刈り取っていく筈だ。」
アキト君はエイオスさん達を高く買っているようです。
スマトル戦なんかで経験が豊富ですからね。それに何度も一緒に戦ってますから、能力を適正に評価しているんでしょう。
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通信兵がサーシャちゃんの所にやってきました。
それ程、慌ててはいないようです。
「ミーア様から連絡です。『後方遮断。殲滅する』以上です。」
「ご苦労。…我等の部隊は配置についておろうな?」
「弾着観測部隊も配置についております。真直ぐに運河沿いに進んでおりますから、陣を移動する事も無さそうです。」
「くれぐれも運河を攻撃せぬよう気を付けるんじゃぞ。兄様に嫌味を言われたくないからのう。攻撃は現場指揮官に委ねるぞ。」
そう言って、美味しそうに天幕の中でお茶を飲み始めました。
そして、テーブルに広げた地図を見ながら、駒を動かして微笑んでます。
お屋敷のサロンでチェスをしている若い奥様に見ようによっては見えるんですが、サーシャちゃんが動かしているのは実働部隊です。
そしてチェス盤は、モスレムとサーミストの国境付近の地図そのものです。
「もう一度、スマトルのような大国が攻めて来ぬかのう…。」
そんな事を言って溜息をついています。
まあ、誰も聞いていないから良いようなものの、問題発言ですよね。
「報告します!『リム様の部隊が予定位置に着いた』との連絡が入りました。」
「うむ。リムに返信。『攻撃は現場の状況次第』以上じゃ!」
入って来た伝令にそう伝えると、駒の1つを地図の上に落とします。
「これで、母様達に獲物を渡すことはないぞ。全く、心配は無用なのに困った母様じゃ。」
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「イゾルデよ。部隊をここにおいて少し前に出て見ぬか?」
「確かに、私達に獲物を渡すような娘達ではありませんからね。…デミトス!横一列で待機して、不審な者を拘束しなさい。抵抗するならその場で始末しても責任は私が引き受けるわ。…そして、私と義御母様は、前方に展開している軍の様子を偵察に行きます!」
カルートに乗ってゆっくりと2人に近付いてきた男にそう言って、南に向けて駆け出しました。
南に10kmほど移動すると、そこに展開しているリムちゃんの部隊が見えてきました。
「義御母様。これでは、私達の獲物は来ないでしょうね。」
「うむ。流石はサーシャという事じゃな。リムの部隊が此処におるという事は、ミーアの部隊はとっくに動いておるじゃろう。…せっかくじゃ。サーシャに茶でもご馳走になるとするかの。」
そんな事を言いながら今度は西に向かって走り出しました。運河沿いのどこかにサーシャちゃんが陣を張っていると考えたようです。
「サーシャ様、モスレムのお二方が見えられました。」
従兵がサーシャちゃんに告げると、悪戯を見つかったような顔をして、天幕の入口を見詰めています。
「サーシャ! しばらくですね。モスレムに来ているのであれば、王都に顔を出せば良いのに…。」
「我は、作戦中じゃ。遊びではないのじゃから、ほいほい王宮には顔を出せぬ。」
そんな事を言いながらも2人に席を勧めています。
2人が座ると、早速従兵がお茶を運んで来ました。
アテーナイ様とイゾルデさんはサーシャちゃんと世間話をしながらも、テーブルの地図と駒の配置を確認しています。
「流石じゃのう…。もしも、前であればこのように迅速かつ的確に配置は出来なかったであろう。出来たとしてもミズキ達の世話になっていた筈。
じゃが、この配置と敵の兵力はかなり正確じゃ。」
「索敵部隊を作ったのじゃ。モスレムのニードルに近いものじゃが、偵察だけに特化しておる。使えるかが問題じゃったが、今回の件で部隊の有益さが分ったつもりじゃ。情報は戦を左右するとは正にこのことじゃと思う。」
そんなサーシャちゃんの話を聞きながらアテーナイ様はパイプにタバコを詰めています。
「じゃが、1つ抜けておる」
そう言って、パイプを咥えながら、地図の上に駒を1つ置きました。
「修道院にクイーンじゃと!アキトが動いたのか?」
「婿殿は動かぬ筈じゃ。一応反省しておる姿勢を示さねば各国への示しがつかぬじゃろう。たぶん婿殿の親友じゃな。婿殿を持って、俺より強いと言わしめる者達じゃが、不思議と婿殿に好意的じゃ。互いに言いたい事を言い合っておるが騒動にはならぬ。そしてミズキもそんな2人を暖かく見守っておるのがおもしろいところではあるのう」
「となれば、あの3人…大隊規模の戦力に匹敵するぞ!」
「婿殿の落とし種じゃ。彼等が動く動機としては十分じゃろう。1人はネウサナトラムに帰って来ておるがジュリーが離しはせぬ。誰の娘か、悩むところじゃ。」
最後が愚痴になってます。
「エイオスもいるのじゃが…」
「そこは問題ない。あの3人、誰にも気付かれずに仕事をするじゃろう。そんなとkろには気が回るのだが、家の片付けは出来ぬ連中じゃ。」
困った奴じゃ。って顔をしてますが、ユング達にしてみれば余計なお世話以外のなにものでもありませんよね。
「この騒ぎが済めば、直ぐに狩猟期じゃ。皆を連れて出掛けるぞ!」
「待っておるぞ。たぶん新しい娘3人が披露されるじゃろう。」
サーシャちゃんはちょっと嬉しくなってきました。
自分達の子供の年代とさほど変りません。きっと将来は子供達がこの国を支えてくれるでしょう。早く、仲良くなって欲しいって思っているようです。
「ついでに聞いておきたいんだけど、作戦本部の近くに作ったあの石像って何なの?」
「母様には分っていると思うが、あれは我等の墓じゃ。我等亡き後も亀兵隊を見守り続ける所存じゃ。」
「また、とんでもないものを作ったものじゃ。夫達の了解は取っておろうな?」
「この間、了解を得た。我等にはそれが相応しいと言っておったぞ。ミーアのところも同じじゃ。」
「私もちょっと興味があったので、エントラムズの工房を訪ねたわ。確かに内部には玄室があって、石棺まであったけど…。数が合わないわ。貴方達なら3つで良い筈よね。あれには4つあるわ。」
「アルト姉様の分じゃ。我等と違ってアルト姉様は不老不死に近い存在。じゃが、死ぬ事もありえる存在じゃ。アキト達の近くに埋葬されるよりは我等と共に亀兵隊を見守って欲しいものじゃ。アルト姉様が帰っているのならば、これを渡して欲しい。何時も肌身離さず付けていて欲しいと我等願っておる。」
サーシャちゃんがアテーナイ様に小さな木箱を渡しました。
パタンと開いてみると、水晶で出来たキューブが鎖の先に付いています。
ちょっと怪訝な顔でサーシャちゃんを見ましたが、同じものがサーシャちゃんの胸元にも輝いていました。
たぶんお揃いの装飾品なのであろうと納得して、腰のバッグに収めています。
「砲兵隊より連絡『敵部隊を砲撃。3斉射した後部隊は拠点に帰還中』です。」
「ごくろう。ミーアからは何もないか?」
「現在のところ、連絡はありません」
「索敵部隊からです。『敵は半減。南に半数が逃走中。残り半数は北東方向に移動中』以上です。」
新たな通信兵の報告を聞いて、サーシャちゃんが素早く駒を新たな場所に駒を移動しています。
「なるほどのう…。敵の進行方向にはリムが待ち構えておる。南にはミーアでは、不頃のネズミじゃな。」
「中々動かぬ連中じゃから楽しみにしておったのじゃが、動いてみれば詰まらぬ者達じゃ。まるで策が出来ておらぬ。2重の陽動なぞ、仕官候補生でも見破るじゃろう。」
「そうは言っても少し前までは、その陽動すら行なわなかったのが我が軍なのじゃ。時代は変化しておるという事じゃな。」
そう言って、アテーナイ様はイゾルデさんと頷き合っています。
その時、ばさりと音を立てて天幕の入口が開き、息せき切った通信兵が駆け込んできました。
「クローネ様から報告です。『敵を撹乱するも果樹園に多数が逃走。これより王都へ進行する賊を強襲する』以上です」
「ごくろう、そう心配することはない。これも作戦じゃ」
サーシャちゃんはそう言って通信兵を労います。。
「作戦?」
「エイオスは人間じゃが、配下の戦闘工兵はトラ族が殆どじゃ。森の待伏せにトラ族より適した者等おらん。果樹園に沢山穴を掘っておる筈じゃ。良い肥料になるであろう。」
その言葉を聞いて再び2人が顔を見合わせます。
ちょっと、情操教育に掛けた面があったのかもしれません。その責任の所在を互いに確認しているようです。
また、通信兵がやって来ました。
「ミーア様からです。『敵の首魁は大森林の南に逃走。北から逃走してきた賊は全て始末』以上です。」
「大森林地帯に逃げ込んだとは…。余程、命が惜しかったと見える。」
「でも、ハンターでもないものが、まだ夜も明け切れない森に入って生還出来るのでしょうか?」
「先ず、無理じゃ。…しばし命が永らえただけじゃろう。じゃが、ミーアのグルカによる瞬殺を恐れての逃走が、おぞましい生物の餌食となるとは思っておらぬじゃろうな」
「御祖母様には、関連した貴族の名が分っていると思うのじゃが…。」
「うむ。これじゃ。サーシャ達の調べと比べてみるが良い。抜けがあるやも知れぬ。これはユング達が分析したものじゃ。生き残った貴族がおれば真実裁判で確認するつもりであった。」
「後は我等に任せるのじゃ。じゃが、これで父様達の邪魔をするものはおらぬことになるのじゃな。」
三度2人は顔を見合わせます。
「分っておったのか?」
「まあ、この騒ぎを煽るものがいた事は確かじゃ。動かねば相手の動きが見えるというもの。おかげで我等もおもしろいものを作ることが出来た。あながち悪いことではない。」
何時までも子供では無いようです。
そんな事を2人は考えながら、次の知らせを待っていました。




