#498 心象世界での語り合い
「中々の腕よのう…。ワシであってもミズキに勝つのは至難の技じゃ。」
そう言って、長老が俺を見て微笑む。
ここは、何処だ?
キョロキョロと周囲を見渡すと、姉貴と戦った庭先じゃないか。
傍らのテーブルセットに俺達は何時の間にか座っていた。
「流石に、ラビト様が目を掛ける事だけの実力者ですな。私も一度試合を望みたいと思います。」
何もない空間から突然に、ギリナムさんが現れると、ラビト様の隣に座った。
「お前も見ていたのか? 面白い試合であったな。」
「目を隠して、試合をするのは私にも出来そうですが、最後の技はまだ私には無理です。出来れば伝授願いたいと参った次第です。」
「あれは瞬間的に気を集めて硬化させたものじゃ。面白い言い方を前にしておったな…、そうそう、『練る』と言う言葉で表現しておった。確かに言い得て妙な表現ではあるな。」
「練る…ですか? 気を練る事は可能なのでしょうか?」
「お前も見たであろう。アキト達は一瞬にそれを行なったぞ。概念を正しく理解している事で、精神的にそれを行なったのだ。集め、鍛錬して、身に纏う。確かにそれをやっておったぞ。」
「あまり、自覚はないんですが…。」
「無意識に行なうまでに技を磨いたという事じゃな。」
「私にも可能でしょうか?」
「エーテル障壁までは、お前も出来るのじゃ。それはエーテルを集めて前方に展開するだけじゃが、その集めたエーテルを凝縮することを学ぶが良い。そして凝縮したエーテルをあたかも鉄を鍛えるようにすれば、あの時放った最後の技に到達する。」
「まだまだ修行が続きますな。でも、その技の到達点を見せて貰いましたから、他の長老よりは一足先を歩む事が出来ます。」
「うむ、精進じゃな。ミズキとの闘いで腕を落としたカラメルがおったな。本来はそこで気がつくべきじゃった。長老の質が問われるのう。」
「申し訳ございません。」
二人の会話は続いている。
どうやら、手刀の話のようだが、そんな大それた事なのだろうか?
苦し紛れに姉貴の首を狙った俺の手刀は、姉貴の首に確かに傷を付けた。だが、姉気の首には触れていなかった筈だ。
そこに、この二人がいる理由があるのだろう。
「エーテルの剣と言っても良い。それは作り出した者の思惑通りに作用する。アキトもエーテル障壁を展開していたのだ。それをミズキの手刀は易々と切り裂きアキトの腹部を貫通している。」
「それです。私が不思議に思うところがその点なのです。何故、エーテル障壁が作用しなかったのか。今でも不思議に思えます。」
「簡単な話じゃ。鉄の板を鍛え抜かれた剣が切り裂くのと同じ事。それだけミズキの手刀を作るエーテルは練られているのじゃ。
短寿命の種族でありながらよくもあそこまでエーテルを練る事が出来ると感心するぞ。」
「ミズキの師匠に会ってみたいものです。」
「合わずとも問題はない。アキトの話ではミズキはその流派の皆伝を得ておるそうじゃ。つまり、アキトの師匠はミズキとほぼ同格じゃ。」
「ですが、彼女の思念を私は追うことが出来ません。」
待てよ、ここはたぶん心象世界。長老の作り出す心象世界に俺を招いているんだよな。
俺の思い入れがある場所になら自由にやってこれるらしい。
そして、そんな長老の思念を辿ってギリナムさんもやってきたという事だろう。
どうして、姉貴を心象世界に招く事が出来ないんだ?
「彼岸と言う言葉を昔聞いたことがある。見えてはおるが渡る事が出来ない河の対岸と言う意味じゃとワシは思っておるが、それとは別な意味があるのをアキトの記憶の中から読む事が出来た。
中々に面白い概念だと思っておる。
そして、ミズキと我等の距離は正しくその言葉通りだとワシは考えておる。」
彼岸とは悟りのたとえじゃなかったか? そして理解しがたいたとえにも使われていたな。
「それって、姉貴が何を考えてるか理解しがたい。という事でしょうか?」
「そう取ったか? いや、そうではない。」
長老は、何時の間にか俺達の前にあるお茶のカップを手に取った。そしておいしそうに飲み干して、笑みを浮かべる。
「そうではない。ワシ等との思念が余りにも乖離しているのだ。極端な話、思索構造が多重化している。あたかも何人かのミズキがいるようにワシには思える時がある。」
「多重人格という事でしょうか?」
長老は小さく首を振った。
「多重人格とはことなるようじゃ。それもワシの興味を引くところじゃよ。」
分らないから、それが知りたくて俺達を観察しているってことかな。
カラメル族はそうやって科学を発展させてきたのだろう。不可思議を観察し推測する。得られた結論を実践し、観察結果と比較していく。
カラメル族の長い寿命を背景にしたこの手法は彼らの科学を発展させる元になるのかもしれない。
だが、姉貴と俺に考え方の違いなんてあるのだろうか?
基本的に思念は一つの人格で行われる筈だ。その中に、もしもと言う仮定を投げ掛ける存在もある。それは、俺と同じ人格なのだろうか? その投げ掛けは、俺の思念を第3者的存在で見守るもう一つの人格が行なっているのでは無いだろうか。
だとしたら、姉貴はそのもう一つの人格を巻き込んで思念を展開しているとも考えられる。
「ふむ。また、面白い考えに行き着いたものよ。自分の中に、意識していないもう一つの存在があり、それが思念の方向性を決めるという事じゃな。たぶん、その存在はお前を守る思念体の総意なのであろう。お前は随分と沢山の者に守られておるぞ。」
「もう一つの自分とは、本来の俺ではなく、別の存在という事ですか?」
「ワシ等にはそのような存在は少ないがのう。精々、師匠となる者が弟子を見守るという形じゃな。アキトの種族は、その存在が長く続くらしい。そして多人数でもある。たぶん短命種族であるが故のことじゃろう。」
「でも、それはミズキの思念を追う事が出来ない理由になりません。」
「確かにそうじゃな。では、ここに剣姫の思念体を具現化することが出来るかのう?」
「それも、かつて試したのですが出来ませんでした。」
「それが答えじゃよ。我等の所属では性の違いで思念構造が異なる事はない。じゃが、アキト達の種族はどうやら違うらしい。アキトの場合は極めて我等に類似した思念構造を持っておる。じゃが、女性体は全く異なる構造なのじゃ。我等にはそれが理解できぬだけかも知れぬ。理解できれば招く事も可能じゃろう。」
あれ? 簡単に性別で話を終えてしまった。
確かに女性は何を考えてるか、たまに理解出来ない事があるけど、それ程違っているのかな?
「まぁ、試合の話はこれまでじゃ。例のアキトの友人の事じゃが…。」
「哲也達ですね。」
今度はパイプを持ち出したぞ。カラメル族にも喫煙の風習があるのだろうか?
ギリアムさんはお茶を飲んでいるが、だいぶ時間が経っているのにカップからは湯気が出ている。
まぁ、心象世界だからかな。俺も、タバコを取り出して一息入れる。
「大規模な戦を始めたので、観測部隊を派遣した。それで初めて彼らの存在を知った訳だが、あの存在は傍観者たる我等にも無視出来ぬものがある。かつて千年以上前の大規模な戦には、お前達が悪魔と呼ぶ存在は我等も確認している。だが、デーモン族の存在にまでは至らなかった。
ましてや、悪魔がデーモン族によって人間族から作られたなど、想像も出来ぬ事だった。」
「我等の観測部隊は、気になる観測結果を報告してきた。デーモン族のエーテル利用が推測されるとな。」
ギリナムさんが長老に引き続いて言葉を繋ぐ。
だが、それってありえることなのか?
魔法を使えるなら、エーテル等かすかな力を使う事は無い筈だ。ちょっとした魔法みたいな技はあるけど、魔気を使った魔法の方が遥かに効果は高い筈だ。
「その通りじゃ。じゃが、根本的に違う点がもう一つある。そのエナジーの総量と均一性じゃ。」
「魔法は魔気が媒体となる。魔気が薄れれば効果は下がり、使えないものも出てくる。しかし、エーテルはこの宇宙に満ちている。そして濃度に多少の違いはあるにしてもほぼ均一と考えてよい。少なくともオーダーが変ることはない。」
「という事は、デーモンの世界は魔気とエーテルの2つが利用された世界と言う事になりますね。」
「その通りじゃ。そしてエーテルを利用した魔導機関を使って悪魔への変貌を行なっているらしい。」
「哲也達は殲滅まではしないと思います。あくまで歪の破壊を行なう為に旅立ちましたから。」
「それは知っている。そして、歪の除去には核を使う事もな。それで、どの程度デーモン達が生き残るか、更なる悪魔製造が可能か…見定める必要はあるじゃろう。かの地は海より遠く、近くに河や湖もない。我等の調査は断片になるじゃろうが、せぬよりはマシじゃ。」
どれ位のデーモンがこの世界に来ているのだろうか? 歪が無ければ新たな来訪は行われない筈だ。そして、現在の戦闘の最終段階で核が彼らの都市の近傍で使われる。それだけでも、種族絶滅に繋がるんじゃないかと思うけどな。
「アキトの進める社会変革で、商人の地位が上昇するじゃろう。それは更なる土地への船出をも意味する。少なくとも200年を待たずして、かの地へ海を越えて辿り付く筈じゃ。それが大戦の引金にならぬよう十分注意するのじゃぞ。」
「海は危険な生物が沢山おります。沿岸付近にはそれ程近付かないのですが。」
カラメル族が危険と言うからには相当な奴なんだろうな。沿岸付近はカラメル族が駆逐してくれているのかも知れない。
なんだかんだと言いながら、俺達の発展を見守っているのが、カラメル族らしい。その発展の阻害となるものは彼らが駆逐していると思うと頭が下がる。
「それ程の事ではない。一度滅んだ文明を僅かな先代の遺産を使ってここまで社会を発展させたのだ。みすみす滅ぼすのは気の毒じゃ。少なくとも、我等と敵対しない限り我等は水の中より、お前達を見守ろうと考えている。」
その発展を阻害するのは、強力な侵略種族と自分達自身であろう。千年前の戦では爆裂球を提供してくれたが、彼らの介在はそこまでだ。
科学技術の提供までは行なっていない。それは俺達が本来好戦的であることを見越しているのかも知れないな。
試練を通して、資質を確認し、その者にある程度の地位を与えるのは、千年前の魔族戦争のその後の社会を安定させる為の、彼らが出来る介入なのかもしれない。
「まぁ、それに近い事は確かじゃよ。事実、アキトも各国の王族と対等に話が出来るではないか。虹色真珠を持つ者はそれ程多くはない。各国に数人程じゃ。」
という事は、少なくとも20人程度はいる事になる。俺達以外ではダリオンさんだけだったけどな。
「そうじゃ。今の王国にはそれ程おらぬ事も確かじゃよ。貴族の腐敗が進んで折ったからのう。じゃが、これからは変わるであろう。」
「アキトの推薦したルクセムは、間違いなく真珠を得られるぞ。そして、試練の意味はアキトがルクセムに解いた通りだ。」
やはりそうだったんだ。
なぜ、試合と言わずに試練というのか、それを考えれば判るはずなんだけどね。目先の事で頭が一杯になるんだな。確かに一流の武芸者をカラメル族は出してくる。
「後、10年程すれば10人以上の虹色真珠を持つ者が現れるじゃろう。彼らを指導するのもお前の務めじゃぞ。」
俺にそう言いながら、2人は消えて行った。
そして、心象世界も段々と薄れていく。
がバッっと体を起こす。
どうやら、朝食後のお茶の時間に心象世界に旅立ったようだ。
時計を見ると、まだ8時前だ。まぁ、心象世界での時間経過は無視出来るけどね。
それでも、ルクセム君が虹色真珠を得られる事が分かっただけでも嬉しい限りだ。
アルトさんなんか自分の事のように喜ぶだろうな。
きっと、記念じゃ! なんて、何かを贈るに違いない。俺も知らない仲じゃないし、今の内に準備しておこうか。
そんな事を考えながら、ギルドに歩いて行く。
あの2人の旅費を稼がなくてはなるまい。それに、武器だってそろそろちゃんとした物を揃える時期だ。